教皇庁開発援助促進評議会議長ロベール・サラ枢機卿の教皇ヨハネ・パウロ二世列福感謝ミサにおけるあいさつ

2011年5月14日(土)午後3時から、東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂にて、日本カトリック司教協議会主催による教皇ヨハネ・パウロ二世列福感謝ミサがささげられました。主司式者の日本カトリック司教協議会会長、池長潤大阪大司教のほか、司教13名(被選司教1名を含む)と駐日教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教が共同司式し、5月13日(金)から17日(火)まで東日本大震災被災地視察のために来日した教皇庁開発援助促進評議会議長ロベール・サラ枢機卿が臨席しました。以下はミサの終わりに行われたサラ枢機卿のあいさつの全文の邦訳です(原文英語)。

 皆様とともに福者ヨハネ・パウロ二世のゆえに神に感謝できることを喜ばしく存じます。現在の教皇庁開発援助促進評議会議長職の前に、わたしは10年間、教皇庁福音宣教省局長を務め、この職務の中で、ローマにおいて教皇ヨハネ・パウロ二世のそば近くにいる恵みを与えられました。わたしは親しく教皇の偉大な宣教精神に触れました。この宣教精神を、皆様も1982年の教皇の日本訪問の折にご覧になりました。
 何が福者ヨハネ・パウロ二世をこのように抜きんでた存在としたのでしょうか。遠大な司牧訪問でしょうか。膨大な著作でしょうか。あらゆる年齢、文化の人々に手を差し伸べることのできた、うむことのない力でしょうか。これらのことは皆、わたしたちを感動させます。しかし、他の何にもまして、それが教皇ベネディクト十六世が列福式ミサ説教において指摘したものであることは確実です。「主は教皇(ヨハネ・パウロ二世)から少しずつすべてのものを取り去りました。しかし、教皇はつねに『岩』であり続けました」(教皇ベネディクト十六世「教皇ヨハネ・パウロ二世列福式ミサ説教(2011年5月1日)」)。すなわち、信仰の岩、聖性の岩、愛と主に対する献身の岩であり続けました。神の母マリアと一つに結ばれた強く深い祈りの生活を通じて。
 信仰をもつ者にとって、生活の嵐も神への希望を取り去ることはできません。神はイエス・キリストにおいてわたしたちを最後まで愛してくださるからです。福者教皇ヨハネ・パウロ二世は、生涯のさまざまな嵐の中で、この信仰と希望と愛を最後まで生きました。教皇がかつて述べたとおりです。「わたしは多くの暗闇の中を生きてきました。しかし、永遠にわき出る希望を根絶やしにできるほど大きないかなる困難や恐れもありません。そのことを揺るぎなく確信できる十分な証拠をわたしは目の当たりにしてきました」(トロントにて、2002年)。
 この偉大な信仰と希望と愛の証人が、日本国民とわたしたち皆に勇気を与えてくださいますように。わたしたちがこの勇気をもって、キリストに扉を開き、恐れることなく生涯の嵐の中を歩むことができるために。
 神が皆様を祝福してくださいますように。

(カトリック中央協議会事務局 訳)

PAGE TOP