教皇ベネディクト十六世の2011年5月22日の「アレルヤの祈り」のことば イエスへの信仰

教皇ベネディクト十六世は、復活節第五主日の5月22日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の復活節第五主日の福音は、信仰に関する二つのおきてを示します。神を信じなさい。イエスを信じなさい。実際、主は弟子たちにいわれます。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14・1)。この二つの行為は別々のものではありません。むしろそれは一つの信仰行為です。独り子を通じて父である神が行われた救いのわざへの完全な従順です。新約は御父が目に見えないままでいることを終わらせました。神はそのみ顔を示してくださいました。使徒フィリポに対するイエスのこたえが断言するとおりです。「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14・9)。神の子は、その受肉と死と復活によって、わたしたちを罪の奴隷状態から解放し、神の子の自由を与え、神のみ顔を知ることができるようにしてくださいました。神は愛です。神は目に見えるかたです。キリストのうちに目に見えるようになったかたです。アビラの聖テレサ(Teresa de Ávila 1515-1582年)は述べます。「わたしたちは・・・・わたしたちの宝であり、救いである主イエス・キリストのこの上なく聖なる人性から決して遠ざかったりしてはなりません」(『霊魂の城』:Castello interiore 6, 7, Opere Compelete, Milano 1998, p. 1001〔高橋テレサ訳、聖母の騎士社、1992/2000年、302頁〕)。それゆえ、キリストを信じ、キリストと一つに結ばれたままでいることによって初めて、弟子も、わたしたちも、歴史の中でいつまでもキリストのわざをなし続けることができます。主はいわれます。「はっきりいっておく。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行・・・・うようになる」(ヨハネ14・12)。
 イエスへの信仰は、わたしたちが一日に行う単純なわざの中で、日々、イエスに従うことも含みます。「神が静かに働くことは、神の神秘に属します。神は人類の偉大な歴史の中で、ご自身の歴史をゆっくりと築かれます。神は人となられましたが、それは、同時代の人々や、歴史の中の権力者からは無視されるようなしかたによってでした。神は苦しみ、死にました。そして、復活しても、ご自身を彼らに現した弟子たちの信仰を通して、初めて人類に近づくことを望まれます。神はわたしたちの心の戸を静かにたたき続けます。そして、わたしたちが戸を開けるなら、ゆっくりとわたしたちが『見る』ことができるようにしてくださいます」(ベネディクト十六世『ナザレのイエス』第二巻:Gesù di Nazaret, 2011, p. 306)。聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 354-430年)はいいます。「『わたしは道であり、真理であり、いのちである』(ヨハネ14・6)と主がいわれる必要があったのは、まさにご自分が行くのは真理へであり、いのちへである――すなわち御父へである――ということ(を知らせる)以外の何であったであろうか」(『ヨハネ福音書講解』:In Johannis Evangelium tractatus 69, 2, CCL 36, 500〔茂泉昭男訳、『アウグスティヌス著作集25 ヨハネによる福音書講解説教(3)』教文館、1993年、94頁〕)。それゆえ、キリスト信者にとって、わたしたち一人ひとりにとって、御父への道とは、イエスによって、すなわちイエスの真理のことばによって導いていただき、イエスのいのちのたまものを受け入れることです。聖ボナヴェントゥラ(Bonaventura 1217/1221-1274年)の招きを自分のものとしようではありませんか。「ですから、あなたの目を開き、霊的耳を欹(そばだ)て、唇を開け、あなたの心を用いなさい。すべての被造物においてあなたの神を見、聞き、讃(たた)え、愛し、礼拝し、誉(ほ)め、崇(あが)めるように」(『魂の神への道程』:Itinerarium mentis in Deum I, 15〔長倉久子訳、『魂の神への道程註解』創文社、1993年、19-20頁〕)。
 親愛なる友人の皆様。「道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)イエス・キリストを告げ知らせることは、教会の主要な務めです。おとめマリアに願い求めようではありませんか。牧者と、さまざまな職務の中で喜ばしい救いのメッセージを告げ知らせるすべての人をつねに支えてください。神のことばが広まり、弟子の数が増えますように(使徒言行録6・7参照)。

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