教皇ベネディクト十六世の2011年5月29日の「アレルヤの祈り」のことば 福音の喜び

教皇ベネディクト十六世は、復活節第六主日の5月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行 […]


教皇ベネディクト十六世は、復活節第六主日の5月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「アレルヤの祈り」の後、ポーランド語で行われたあいさつの中で、教皇は次のように述べました。
「すべてのポーランドの皆様にごあいさつ申し上げます。昨日はポーランドのキリスト教千年期の首座司教、ステファン・ヴィシンスキ枢機卿(1901-1981年)の30回目の命日祭でした。ヴィシンスキ枢機卿の列福のたまものを祈り求めながら、枢機卿から神の母に徹底的に身をゆだねることを学びたいと思います。『わたしはすべてをマリアの上に置きます』。このことばで表されたヴィシンスキ枢機卿の信頼が、わたしたちの特別な模範となりますように。聖母に特別にささげられた月の終わりにあたり、このことを思い起こします。心から皆様を祝福します」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 使徒言行録は述べます。最初の暴力的な迫害の後、エルサレムのキリスト教共同体は、使徒たちを除いて、周辺の地域に散らばりました。そして助祭の一人のフィリポはサマリアの町に赴きました。フィリポはそこで復活したキリストをのべ伝えました。フィリポの宣教には多くの病気のいやしが伴いました。この出来事の成果はきわめて意義深いものです。「町の人々は大変喜んだ」(使徒言行録8・8)。このことばを聞くたびにわたしたちは心を打たれます。それは本質的なしかたで希望の意味をわたしたちに伝えるからです。それはあたかもこう述べるかのようです。希望することは可能です。人類が真の喜びを知ることは可能です。なぜなら、福音がもたらされたところに、いのちが満ち溢れるからです。それは、渇いた土地が雨に潤されると、たちまち生き返るのと同じです。フィリポと他の弟子は、聖霊の力によって、パレスチナの村々で、イエスがしたのと同じことを行いました。彼らは福音をのべ伝え、不思議なしるしを行いました。彼らを通じて働いたのは主ご自身です。イエスは神の国の到来を告げ知らせました。それと同じように、弟子たちは、イエスは神の子キリストであると告白し、イエスのみ名によって洗礼を授け、からだと心のあらゆる病を追い払うことを通して、復活したイエスを告げ知らせました。
 「町の人々は大変喜んだ」。この箇所を読むと自然に、福音がもついやしの力を考えさせられます。それは世々を通じて、恵みの川のように多くの人々を「潤して」きました。幾人かの偉大な聖人と聖女は、町中に希望と平和をもたらしました。わたしたちは、ペストの時代のミラノにおける聖カロロ・ボロメオ(1538-1584年)、コルカタの福者マザー・テレサ(1910-1997年)、そして神にその名を知られた、多くの宣教者に思いを致します。彼らは、キリストを告げ知らせ、人々を深い喜びで満たすために、いのちをささげました。この世の権力者は政治的・経済的利害のために新たな版図を獲得しようと努めます。これに対して、キリストの使者は、キリストを人々にもたらし、人々をキリストにもたらすために、あらゆる地に赴きます。キリストだけがまことの自由と永遠のいのちを与えることができると知っているからです。現代においても、教会の使命は福音宣教を行うことです。福音宣教は、まだ福音の生ける水によって「潤されて」いない人々に対しても、また、古くからのキリスト教的起源をもちながら、新たな実りを生み出し、信仰のすばらしさと喜びを再発見するために新たな樹液を必要とする人々に対しても行わなければなりません。
 親愛なる友人の皆様。福者ヨハネ・パウロ二世は偉大な宣教者でした。今、ローマで展示されている文書が示すとおりです。ヨハネ・パウロ二世は「諸国民への(ad gentes)宣教」に新たな力を注いだだけでなく、新しい福音宣教を推進しました。この二つの宣教を至聖なるマリアの執り成しにゆだねたいと思います。福音を告げ知らせるとき、キリストの母が、いつも、どこにでも、ともにいてくださいますように。そして、人々が神の子として生きる喜びを再発見する場が広がりますように。

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