教皇ベネディクト十六世の274回目の一般謁見演説 クロアチア司牧訪問を振り返って

6月8日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の274回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、6月4日(土)から5日(日)まで行ったクロアチア司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日は先週の土曜と日曜に行ったクロアチア司牧訪問についてお話ししたいと思います。それは首都ザグレブのみに限られた短い使徒的訪問でしたが、さまざまな出会いと、とくに深い信仰の精神に満ちたものでした。クロアチアの人々はきわめてカトリック的な国民だからです。ザグレブ大司教のボザニチ枢機卿、クロアチア司教協議会会長のスラキチ大司教、そして他のクロアチアの司教の皆様と、(イボ・ヨシポビッチ)大統領に対して、温かく歓迎してくださったことをあらためて感謝申し上げます。すべての公的機関と、この訪問にさまざまな形でご協力くださったかたがた、とくにこの訪問のために熱心な祈りと犠牲をささげてくださったかたがたに感謝します。
 「キリストとともに」。これが今回の訪問のテーマでした。このことばはまず、すべての人のキリストの名による一致の経験、教会であることの経験を表します。教会はペトロの後継者を囲む神の民の集会によって示されます。しかし、「キリストとともに」は、今回の場合、とくに家庭を意味します。実際、わたしの訪問のおもな理由は、「第1回クロアチア・カトリック家庭の日」でした。この「第1回クロアチア・カトリック家庭の日」は主日(6月5日)の午前中にザグレブ競馬場で、大勢の信者が参加して行われた感謝の祭儀で頂点に達しました。わたしにとって家庭の信仰を強めるのはとくにたいへん重要なことです。第二バチカン公会議は家庭を「家庭教会」と呼んだからです(『教会憲章』11参照)。クロアチアを3回訪問した福者ヨハネ・パウロ二世は、教会において家庭が果たす役割を大いに強調しました。それゆえわたしは、今回の訪問により、ヨハネ・パウロ二世の教えの中のこうした側面を継続したいと望みました。現代のヨーロッパにおいて、堅固なキリスト教的伝統をもつ国々には、結婚を基盤とした家庭の価値を守り、推進する特別な責務があります。家庭は、教育の領域においても社会の領域においても決定的な意味をもち続けているからです。それゆえ、このメッセージはクロアチアに特別に当てはまります。豊かな霊的、倫理的、文化的遺産に恵まれたクロアチアは、欧州連合(EU)に加盟する準備をしているからです。
 ミサは聖霊降臨前の9日間の祈りを行う特別に霊的な雰囲気の中でささげられました。天に開かれた偉大な「二階の広間」と同じように、クロアチアの家庭は祈りのうちに集まり、ともに聖霊のたまものを祈り求めました。そこからわたしは、教会の一致のたまものと務めを強調し、家庭の使命を励ますことができました。残念ながら別居と離婚の増加している現代において、結婚への忠実はそれ自体としてキリストの愛のはっきりとしたあかしとなります。キリストの愛は結婚を本来の姿で生きることを可能にします。すなわち結婚は、キリストの恵みにより、喜びのときも悲しみのときも、健康のときも病気のときも、生涯互いに愛し合い、助け合う、男女の一致です。最初の信仰教育は、結婚の誓約を忠実に守るあかしによって行われます。そこから子どもたちは、無言のうちに、神が忠実で忍耐強く、敬意と寛大さに満ちた愛であることを学びます。神は愛です。この神への信仰は、何よりもまず夫婦の忠実な愛のあかしによって伝えられます。夫婦の愛は自然に、夫婦の一致の実りである子どもたちへの愛に変わります。しかし、この忠実を果たすことは神の恵みと、信仰と聖霊の支えなしには不可能です。だからおとめマリアは絶えず御子に執り成してくださいます。カナの婚礼のときと同じように、「よいぶどう酒」、すなわち御子の恵みのたまものが夫婦に新たに与えられ、人生のさまざまな時と状況の中でも「一体」となって生きることができますようにと。
 家庭への深い関心という雰囲気の中で、土曜(6月4日)の晩、ザグレブの中心に位置するイェラチッチ広場で、若者との前晩の祈りが行われました。わたしはそこでクロアチアの若い世代の人々と会うことができました。そして、彼らの若者としての信仰の力を余すところなく感じ取りました。この信仰は、いのちとその意味と、善と、自由である、神に向かう強い力に支えられます。これらの若者が喜びと情熱をもって歌い、やがて耳を傾け、祈るときに深い沈黙のうちに精神を集中させる姿は、すばらしく感動的でした。わたしは彼らにイエスが最初の弟子たちに告げた問いを繰り返して述べました。「何を求めているのか」(ヨハネ1・38)。けれども、わたしは彼らにいいました。まず神が、あなたがたが神を求める以上に、あなたがたを求めます。神がまずわたしたちを愛してくださることを見いだすこと。これが信仰の喜びです。この発見によって、わたしたちはいつまでも弟子であり続け、つねに若い精神を保つことができるのです。わたしたちは前晩の祈りの中で、この神秘を祈りと聖体礼拝を通して体験しました。わたしたちが「キリストとともに」いることは、沈黙の中で完全に実現しました。こうして、イエスに従いなさいというわたしの招きのうちに、イエスご自身が若者の心に語りかけることばがこだましました。
 「二階の広間」と呼ぶことのできるもう一つの機会が、司教、司祭、修道者、神学校で養成中の若者、修練者とともに行った司教座聖堂での晩の祈りでした(6月5日)。ここでもわたしたちは、自分たちが教会共同体という「家族」であることを特別な形で体験しました。ザグレブ司教座聖堂には、司教・殉教者の福者アロイジエ・ヴィクトル・ステピナツ枢機卿(1898-1960年)の墓があります。ステピナツ枢機卿は、キリストの名において、勇気をもってまずナチズムとファシズムの圧政に、その後、共産主義政権の圧政に反対しました。彼は投獄され、故郷の村に自宅軟禁されました。教皇ピオ十二世(在位1939-1958年)により枢機卿に上げられ、1960年に獄中で病にかかって亡くなりました。ステピナツ枢機卿の光に照らされながら、わたしは司教と司祭の奉仕職を励まし、彼らが交わりと使徒的熱意を生きるよう促しました。奉献生活者には、彼らの生活様式のすばらしさと徹底した性格をあらためて示しました。神学生、男女修練者には、彼らの名を呼んでくださったキリストに喜びをもって従うよう招きました。主に生涯をささげた多くの兄弟姉妹が参加したこの祈りのときはわたしを大いに慰めました。そこでわたしは祈ります。クロアチアの家庭がいつまでも、神の国に奉仕するための多くの聖なる召命を生み出す、豊かな土壌であり続けますように。
 ザグレブ国立劇場に集まった、市民社会、政治、学問、文化、企業界の代表者、外交使節団、宗教指導者との会見も意義深いものでした(6月4日)。この会見において、クロアチアの偉大な文化的伝統をたたえることができ、うれしく思います。この伝統は、信仰の歴史と教会の生き生きとした存在と切り離せません。教会は何世紀にもわたって多くの制度を推進し、真理と共通善の有名な探求者を教え導いてきました。これらの探求者の中で、わたしはとくに、今年生誕300周年を記念する、イエズス会司祭で偉大な科学者であるルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ(1711-1787年)を思い起こしました。
 ヨーロッパのもっとも深い使命があらためてはっきりとわたしたちに示されています。それは、キリスト教に根ざし、「カトリック的」すなわち普遍的・全体的と呼びうる、ヒューマニズムを守り、刷新することです。このヒューマニズムは、人間の良心と、超越への開きと、歴史的現実を中心に置きます。それはさまざまな政治的計画に霊感を与えることができます。政治的計画は、さまざまに異なってはいても、人間の本性そのものに根ざした倫理的価値に基盤を置く、根本的な民主主義を築く点で一致するのです。クロアチアは古来の堅固な(ヨーロッパ文明の不可欠の部分をなす)キリスト教的伝統をもち、欧州連合への政治的な加盟を準備しています。このクロアチアからヨーロッパを見ると、現代のヨーロッパ大陸の人々に次のように緊急に問いかけなければならないことをあらためて感じさせられます。神を恐れることはありません。イエス・キリストの神を恐れることはありません。神は愛であり、真理です。神は自由を取り去りません。かえって自由を本来の姿に回復し、それに信頼することのできる希望の地平を与えてくださいます。
 親愛なる友人の皆様。ペトロの後継者が使徒的訪問を行うたびごとに、ある意味で教会のからだ全体が、彼の力強い奉仕職の交わりと固有の使命に参加します。祈りをもってわたしとともに歩み、わたしを支え、今回の司牧訪問を成功に導いてくださったすべてのかたに感謝します。この偉大な恵みを与えてくださった主に感謝します。そして、クロアチアの元后であるおとめマリアの執り成しによって主に祈ります。わたしがまくことのできた種が、クロアチアの家庭と、全クロアチア、そして全ヨーロッパのために、豊かな実を結びますように。

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