教皇ベネディクト十六世の2011年6月12日の「アレルヤの祈り」のことば 聖霊降臨

教皇ベネディクト十六世は、聖霊降臨の主日の6月12日(日)午前9時30分からサンピエトロ大聖堂で聖霊降臨の主日のミサをささげました。そしてミサの後、正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「ア […]


教皇ベネディクト十六世は、聖霊降臨の主日の6月12日(日)午前9時30分からサンピエトロ大聖堂で聖霊降臨の主日のミサをささげました。そしてミサの後、正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「アレルヤの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「親愛なる兄弟姉妹の皆様。明日、ドイツのドレスデンで、司祭殉教者のアロイス・アンドリツキ(Alois Andritzki 1914-1943年)の列福が行われることを、喜びをもって思い起こします。アロイス・アンドリツキは1943年に28歳で国家社会主義(ナチス)によって殺害されました。強制収容所でキリストの名においていのちをささげた人々の群れに加わった、この勇気ある信仰の証人のゆえに、主を賛美しようではありませんか。今日の聖霊降臨祭にあたり、世界平和の問題をこれらの人々の執り成しにゆだねたいと思います。聖霊が、勇気ある和平の提案を力づけ、その実現のための努力を支えてくださいますように。対話が武力に打ち勝ち、人間の尊厳の尊重が党派的利害を乗り越えますように。交わりのきずなである聖霊が、利己主義によって曲がった心を真っ直ぐにし、人類家族が根本的な一致を再発見し、注意深く守ることができるように助けてくださいますように。
  明後日の6月14日は世界献血者デーです。何百万人もの献血者が困難のうちにある兄弟を助けるために静かに貢献しています。すべての献血者の皆様に心からごあいさつ申し上げるとともに、若者の皆様がこの献血者の模範に倣ってくださるようお願いします」。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日わたしたちが祝う聖霊降臨祭をもって復活節は終わります。実際、過越の神秘――キリストの受難と死と復活と昇天――は、主の母マリアと他の弟子たちとともに集まっていた使徒たちの上に聖霊が力強く注がれることによって完成します。それは「教会の洗礼」、すなわち聖霊による洗礼でした(使徒言行録1・5参照)。使徒言行録が語るとおり、五旬祭の朝、大きな風の音が二階の広間に響き渡り、弟子たちの一人ひとりの上に炎のような舌が降りました(使徒言行録2・2-3参照)。大聖グレゴリウス(Gregorius Magnus 540頃- 604年、教皇在位590-没年)は解説していいます。「今日、聖霊は、突然大きな音を伴って弟子たちの上に来られ、肉的な人々の心を変えて、ご自分を愛するようにされた。そして、火の舌が外に現れたときに弟子たちの心は内に燃え上がった、彼らは、火の形で神を受けたとき、愛によって快く燃え上がった。なぜなら、聖霊は愛そのものだからである」(『福音書講話』:Homiliae XL in Evangelia XXX, 1, CCL 141, 256〔熊谷賢二訳、創文社、1995年、332頁〕)。神の声は使徒たちの人間のことばを神のことばとしました。こうして使徒たちは唯一の神のことばを「多声(ポリフォニー)」で宣言することができるようになったのです。聖霊の息吹は世界を満たし、信仰を生み、真理へと導き、人々の一致を整えます。「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも」、「神の偉大なわざ」について「自分の故郷のことばが話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(使徒言行録2・6、11)。
  福者アントニオ・ロスミニ(Antonio Rosmini 1797-1855年)は説明します。「キリスト教の聖霊降臨の日、神は・・・・ご自分の愛の律法を宣言しました。神はこの律法を、聖霊を通じて、石の板の上にではなく、使徒たちの心に書き記しました。そしてやがてそれを、使徒たちを通じて、全教会に伝えました」(Catechismo disposto secondo l’ordine delle idee …, n. 737, Torino 1863)。信条で唱えるとおり、「いのちの与え主」である聖霊は、御子を通じて御父と結ばれ、至聖なる三位一体についての啓示を完成します。神の口から息として出る聖霊は、聖化し、分裂をなくし、罪による混乱を解消する力をもっています。身体的でも物質的でもない聖霊は、神のたまものを与え、生きているものを善に従って行動できるように支えます。理解をもたらす光である聖霊は、祈りに意味を、福音宣教活動に力を与え、福音を聞いた人の心を燃え上がらせ、キリスト教美術と典礼音楽に霊感を与えます。
  親愛なる友人の皆様。洗礼のときにわたしたちのうちに信仰を造り出した聖霊は、わたしたちが独り子の姿に従い、良心と従順のうちに神の子として生きることを可能にしてくださいます。罪をゆるす力も聖霊のたまものです。実際、復活の日の晩に使徒たちに現れたイエスは、彼らに息を吹きかけていわれました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる」(ヨハネ20・22-23)。聖霊の住まう神殿であるおとめマリアに教会をゆだねます。教会がつねにイエス・キリストとそのことばとおきてに従って生き、弁護者である霊の変わることのない働きのもとで、すべての人に「イエスは主である」(一コリント12・3)と告げ知らせることができますように。

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