教皇ベネディクト十六世の2011年7月10日の「お告げの祈り」のことば 種を蒔く人

教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月10日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月10日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日は『船員の日』です。『船員の日』とは、船員司牧のための日です。船員、漁民とそのご家族の司牧に努めるチャプレンとボランティアのかたがたにとくに思いを致します。不幸にして海賊に誘拐された船員のかたがたのために祈ることを約束します。このような船員のかたがたが尊重され、人間らしく取り扱われることを願います。そしてそのご家族が信仰に強められ、愛する家族と早く再会できる望みを失うことのないように祈ります」。

教皇は7月7日(木)、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸に移りました。同日、教皇庁公邸管理部は、7月の教皇の休暇の予定について発表しました。休暇中、すべての個人謁見と特別謁見は行われません。休暇中の7月13日、20日、27日の水曜一般謁見はありませんが、カステル・ガンドルフォ滞在中、日曜と祭日の「お告げの祈り」は同公邸中庭で行われます。一般謁見は8月3日(水)から定期的に再開されます。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 カステル・ガンドルフォでの「お告げの祈り」においでくださり、ありがとうございます。数日前、当地にまいりました。この機会に、このわたしの愛する町に住むすべてのかたに心からごあいさつ申し上げます。よい夏をお過ごしください。とくにアルバノ司教にごあいさつ申し上げます。
 今日の主日の福音(マタイ13・1-23)の中で、イエスは有名な種を蒔(ま)く人のたとえ話を群衆に語ります。この記事はある意味でイエスの「自伝」です。なぜなら、それはイエスとその説教が遭遇したこと自体を反映しているからです。イエスはご自分を種を蒔く人になぞらえます。種を蒔く人は、神のことばというよい種を蒔きます。そして、告げられたことばの受け入れ方に従って異なる結果が生じるのを目にします。ある人は、みことばを表面的に聞くだけで、受け入れません。ある人は、みことばを一時的に受け入れますが、長続きせず、すべてを失います。ある人は、世の思い患いや誘惑によって打ち負かされます。そしてある人は、よい土地のようにみことばを聞いて受け入れます。このような人において、みことばは豊かな実を結びます。
 しかし、この福音はイエスの説教の「方法」も強調します。すなわち、イエスがたとえ話を用いることです。弟子は尋ねます。「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」(マタイ13・10)。イエスは、答えて、弟子たちを群衆と区別します。イエスは、弟子たち、すなわちイエスに従おうと決めた人々に対して、神の国についてはっきりと話すことができます。しかし、他の人々には、たとえを用いて神の国を告げ知らせなければなりません。それは、心の決断と回心を促すためです。実際、たとえ話は、元来、努力して解釈することを求めます。たとえ話は、知性だけでなく、自由に対して問いかけます。聖ヨアンネス・クリュソストモス(Ioannes Chrysostomos  340/350-407年)は解説していいます。「イエスがこれらのことばを告げたのは、聴衆をご自分に引き寄せ、次のことを約束して彼らを促すためであった。もし自分に耳を傾けるなら、わたしはあなたがたをいやそう」(『マタイ福音書注解』:In Matthaeum homiliae 45, 1)。要するに、神のまことの「たとえ」とは、イエスご自身です。イエスというかたです。イエスは、人間性のしるしのうちに、神性を隠すと同時に現すからです。このように、神は、わたしたちが神を信じるように強いるのではなく、受肉した御子の真理といつくしみによって、わたしたちをご自分へと引き寄せます。実際、愛はつねに自由を尊重します。
 親愛なる友人の皆様。明日わたしたちは、ヨーロッパの守護聖人である修道院長、聖ベネディクトゥス(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)の記念日を祝います。今日の福音の光に照らされながら、神のことばを聞くことの師として聖ベネディクトゥスを仰ぎ見ようではありませんか。聖ベネディクトゥスは、深く、粘り強くみことばに耳を傾けました。わたしたちはこの偉大な西洋修道制の父からつねに学ばなければなりません。神に、神に属する、第一の場を与えることを。朝と晩の祈りによって、日々の活動を神にささげることを。おとめマリアとその模範の助けによって、わたしたちが「よい土地」となり、みことばの種を豊かに実らせることができますように。

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