教皇ベネディクト十六世の2011年8月14日の「お告げの祈り」のことば カナンの女の信仰

教皇ベネディクト十六世は、年間第20主日の8月14日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第20主日の8月14日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、最後に教皇はイタリア語で次のように述べました。
「イタリアの巡礼者の皆様、とくに『海の星』の松明をもってここにおいでくださったラティーナの信者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。皆様にお願いします。WYD(ワールドユースデー)のために数日後に行うわたしのマドリード訪問に祈りをもって霊的に同伴してください。皆様にとってよい主日、よい週、そしてよい明日の(聖母の被昇天の)祭日となりますように」。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の福音の記事は、初めに、イエスが訪れた地域を示します。すなわち、ティルスとシドン地方です。ティルスとシドン地方はガリラヤの北西の、異邦人の地でした。この地方でイエスはカナンの女と出会います。このカナンの女はイエスに向かって、悪霊に苦しめられている娘をいやしてほしいと願いました(マタイ15・22参照)。わたしたちはすでにこの願いのうちに、信仰の歩みの始まりを見いだすことができます。この信仰は、神である師との対話のうちに深められ、強められます。女は恐れることなくイエスに向かって「わたしをあわれんでください」と叫びます。この叫びは詩編の中で何度も用いられる表現です(詩編51・1参照)。女はイエスに「主よ」、「ダビデの子よ」(マタイ15・22参照)と呼びかけます。こうして彼女は自分の願いが聞き入れられることへの堅固な希望を示しました。この異邦人の女の苦難の叫びに対して、主はどのような態度をとられたでしょうか。人は、弟子たちの発言までも招いた、イエスの沈黙にとまどうかもしれません。しかし、イエスはこの女の苦しみに無感覚だったわけではありません。聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 354-430年)は適切に解説していいます。「キリストが女に無関心な態度を示したのは、女に対してあわれみを拒むためではなく、女の望みをかきたてるためであった」(『説教77』:Sermo 77, 1, PL 38, 483)。イエスはいいます。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24節)。このイエスの無関心のように思われる態度は、カナンの女を失望させません。女はこう言い張ったからです。「主よ、どうかお助けください」(25節)。そして、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」(26節)という、すべての望みを失わせるかのような答えを聞いても、女はあきらめません。彼女はだれかから何ものをも取り上げることを望んでいたわけではありません。単純で謙遜な女は、わずかなもので満足します。パンくずで満足します。まなざしだけで、神の子のいつくしみ深いことばだけで満足します。イエスも、女が深い信仰をもって答えたのを見て、驚いていわれます。「あなたの願いどおりになるように」(28節)。
 親愛なる友人の皆様。わたしたちも信仰を深め、自分の心を開き、自由をもって神の恵みを受け入れ、信頼をもってイエスに叫ぶように招かれています。「わたしたちに信仰をお与えください。わたしたちが道を見いださせるようにお助けください」。イエスは、弟子たちにも、カナンの女にも、すべての時代の人、民族、わたしたち一人ひとりにも、この信仰の歩みをまっとうさせてくださいます。信仰はわたしたちの心を開いて、イエスの真の姿、イエスの新しさと独自性、いのちの泉であるそのみことばを知り、受け入れることを可能にしてくれます。それは、わたしたちがイエスとの個人的な関係を生きるためです。信仰に基づく知識は深まります。それは道を見いだしたいという望みによって深まります。この知識は最終的には、神の与えるたまものです。このたまものは、顔と名前のない抽象的なことがらとして示されるのではありません。むしろこの信仰は、一人のかたに対してこたえます。このかたはわたしたちと深い愛の関係を結び、わたしたちと完全に生活を共有することを望まれるからです。だからわたしたちの心は日々、回心を体験しなければなりません。わたしたちは日々、自分に閉じこもった人間から、神のわざに開かれた人間、霊的な人(一コリント2・13-14参照)に変わらなければなりません。霊的な人は、主のことばの問いかけを受け、自分の生涯を主の愛へと開きます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。それゆえ、日々、信仰を深めようではありませんか。神のことばに深く耳を傾けること、秘跡にあずかること、主に対する個人的な「叫び」の祈り、隣人に対する愛によって。明日(8月15日)わたしたちは、マリアが霊魂も肉体もともに天の栄光に上げられたことを仰ぎ見ます。おとめマリアの執り成しを願い求めたいと思います。マリアの助けによって、わたしたちが生涯を通して主と出会う喜びを告げ知らせ、あかしすることができますように。

略号
PL Patrologia Latina

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