教皇ベネディクト十六世の2011年9月18日の「お告げの祈り」のことば 生きるとはキリストです

教皇ベネディクト十六世は年間第25主日の9月18日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳 […]


教皇ベネディクト十六世は年間第25主日の9月18日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「親愛なる兄弟姉妹の皆様。昨日(9月17日)、トリノで、聖ジュゼッペ・コットレンゴ司祭会のフランチェスコ・パレアーリ(Francesco Paleari 1863-1939年)が列福されました。フランチェスコ・パレアーリは1863年、ポリアーノ・ミラネーゼで、つつましい農家の子として生まれました。若くして神学校に入り、叙階されるとすぐに、「神の摂理の小さな家」で貧しい人や病者のために働きました。教育にも献身し、その柔軟さと忍耐で際立ちました。このような神の愛の輝かしい証人を与えてくださったことを、神に感謝したいと思います」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の典礼から聖パウロのフィリピの信徒への手紙の朗読が始まります。これは使徒パウロ自身がフィリピの町に設立した共同体に属する人々にあてた手紙です。フィリピはマケドニア(現在のギリシア北部)にあるローマの重要な植民都市です。パウロは第二回宣教旅行の中で、船でアナトリアの沿岸部に沿って進み、エーゲ海を渡って、フィリピに到着しました。この宣教旅行により、福音は初めてヨーロッパに達しました。それは50年頃のことであり、それゆえ、イエスの死と復活からおよそ20年後です。しかし、フィリピの信徒への手紙にはキリスト賛歌が含まれます。この賛歌はすでにキリストの神秘の完全な総合を示します。すなわち、受肉、自己無化(ケノーシス)、すなわち十字架上の死に至るまでのへりくだり、そして栄光を受けたことです。この神秘は、使徒パウロの生涯とまったく一つになりました。パウロはこの手紙を獄中で、生か死かの判決を待ちながら書いているのです。パウロはいいます。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ1・21)。これはいのち、人生についての新しい感じ方です。生きることは、生きたイエス・キリストとの交わりのうちにあります。このイエス・キリストは、単なる歴史上の人物でも、知恵ある教師でも、宗教的指導者でもありません。むしろ彼は、そのうちに神ご自身が住まわれた人間です。イエス・キリストの死と復活こそが福音です。この福音は、エルサレムから出発して、すべての人と民族にまで達しなければなりません。そして福音は、すべての文化を内側から造り変え、根本的な真理へと開きます。すなわち、神は愛です。神はイエスのうちに人となり、イエスのいけにえによって人類を悪の奴隷状態からあがない出し、信頼できる希望を与えました。
 聖パウロは自らのうちに三つの世界をまとめた人物です。すなわち、ユダヤ世界、ギリシア世界、ローマ世界です。神がパウロに、福音を小アジアからギリシア、そしてローマへともたらす使命をゆだねたのは偶然ではありません。パウロは、地の果てまでキリスト教をもたらすための橋をかけたのです。現代のわたしたちは新しい福音宣教の時代に生きています。広大な領域が福音の告知のために開かれています。古くからキリスト教の伝統をもつ地域は、信仰のすばらしさを再発見するよう招かれています。この使命を中心となって担うのは、聖パウロのように、「わたしにとって、生きるとはキリストです」ということのできる人々です。今日の主日の福音のたとえのように(マタイ20・1-16参照)、主のぶどう畑で働くことを受け入れた個人、家族、共同体です。イエスと教会の使命にあずかること以外の報いを求めない、謙遜で惜しみない労働者です。聖パウロは続けていいます。「けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません」(フィリピ1・22)。つまり、死を超えてキリストと完全に一致するか、地上でキリストの神秘的な体に仕えるかということです。
 親愛なる友人の皆様。福音は世を造り変えました。そして今も造り変えています。大地を潤す川と同じように。祈りのうちにおとめマリアに向かおうではありませんか。全教会で、新しい福音宣教に奉仕するために、司祭、修道者、信徒の召命が成熟しますように。

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