教皇ベネディクト十六世の292回目の一般謁見演説 ベナン司牧訪問を振り返って

11月23日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の292回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、ベナン宣教開始150周年記念と、アフリカ特別シノドスを受けた使徒的勧告『アフ […]


11月23日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の292回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、ベナン宣教開始150周年記念と、アフリカ特別シノドスを受けた使徒的勧告『アフリカの使命』(Africae munus)発布のために11月18日(木)から20日(日)まで行ったベナン司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 最近行ったベナンへの使徒的訪問から受けた印象は今もわたしのうちに生き生きと残っています。今日はこの訪問について考察したいと思います。わたしの心から主への感謝が自然にほとばしり出ます。主はみ摂理により、ベナン宣教開始150周年を祝い、シノドス後の使徒的勧告『アフリカの使命』に署名し、アフリカの教会共同体に公式に発布するために、わたしがペトロの後継者として二回目のアフリカ訪問を行うことを望まれたからです。2009年10月にバチカンで開催された第二回アフリカのための世界代表司教会議(シノドス)特別総会で出された分析と提言の考察を踏まえたこの重要な文書の中で、わたしは広大なアフリカ大陸における司牧活動のためのいくつかの方針を示そうと望みました。同時にわたしは、ベナンとアフリカが生んだ有名人、また偉大な聖職者である、忘れることのできないベルナルディン・ガンティン枢機卿(1922-2008年)の墓所を訪問し、祈りをささげたいと望みました。ガンティン枢機卿の思い出はこれまでにましてベナンに息づいています。ベナンはガンティン枢機卿を祖国ベナンとアフリカ全土の父と考えています。
 今日、この巡礼の実現に貢献してくださったかたがたにあらためて深く感謝申し上げたいと思います。何よりもまず、丁重にご自身とベナン全土からのごあいさつを賜った、ベナン共和国の(ボニ・ヤイ)大統領に深く感謝します。わたしを心から歓迎してくださった、コトヌーの(アントアーヌ・ガニエ)大司教、そして敬愛すべき司教職にある兄弟の皆様にも感謝します。さらに、司祭、男女修道者、助祭、カテキスタ、そして信仰と熱意をもってこの恵みの日々の間わたしに同伴してくださった多くの兄弟姉妹の皆様に感謝します。わたしたちは、ベナン宣教150周年というときにあたり、信仰と生けるイエス・キリストとの新たな出会いという感動的な体験をともにしました。
 わたしは、第二回アフリカのための世界代表司教会議(シノドス)特別総会の実りを、ベナンのウィダーの無原罪の聖母大聖堂で特別に崇敬されている聖なるおとめマリアの足元に置きました。アフリカの教会は、マリアの模範に倣って、福音のよい知らせを受け入れ、信じる多くの人々を産み出しました。シノドスのテーマと、今回の使徒的訪問のテーマが強調するとおり、今、アフリカのキリスト教共同体は、信仰を刷新し、ますます和解と正義と平和のために奉仕するよう招かれています。彼らは内的に和解するよう招かれています。それは、喜びをもって神のあわれみの道具となり、一人ひとりが自らの霊的・物質的な富をもって共通の課題を果たすためです。
 もちろん、こうした和解の精神は、国家の次元でも不可欠であり、希望へと開かれたものでなければなりません。アフリカ大陸の社会・政治・経済生活も希望によって促されなければならないからです。わたしが政府機関、外交使節団、諸宗教代表者との会見で強調したとおりです(11月19日)。こうした文脈の中で、わたしは、希望がアフリカ大陸の歩みを促さなければならないことを指摘しました。そして、特に最近の数か月間、自由と正義に対する熱心な望みが多くのアフリカ人の心を動かしていることを強調しました。さらにわたしは、異なる民族・宗教間の関係が対話と調和によって性格づけられるような社会を構築しなければならないことも強調しました。わたしはすべての人をこう招きました。あらゆる現実と環境の中で、まことの希望の種を蒔く人となってください。
 キリスト信者は本来、希望の人です。キリスト信者は自分の兄弟姉妹に対して無関心であることができません。わたしはコトヌー友愛スタジアムでの主日の感謝の祭儀に集まった大群衆に対しても、このことを述べました(11月20日)。この主日のミサは、特別な祈りと祝祭の時となりました。ミサには、老人から若者までの、ベナンと他のアフリカ諸国の数万人の信者が参加しました。このことは、信仰がすべての世代を結びつけ、人生のあらゆる段階の問題にこたえることができることを驚くべきしかたであかししました。
 この感動的で荘厳な祭儀の中で、わたしは諸アフリカ司教協議会の会長たちに、前日(11月19日)にウィダーで署名した、シノドス後の使徒的勧告『アフリカの使命』を手渡しました。この使徒的勧告は、アフリカ大陸全土の司教、司祭、男女修道者、カテキスタ、信徒に宛てて書かれています。わたしは第二回アフリカ特別シノドス総会の実りをこの人々にゆだねながら、彼らにお願いしました。この使徒的勧告を注意深く考察し、完全に実行してください。そして、第三千年期を旅するアフリカの教会が果たすべき宣教使命に力強くこたえてください。すべての信者はこの重要な文書の中に、アフリカの教会の歩みを導き、力づける基本方針を見いだすことができます。アフリカの教会は、ますます「地の塩」また「世の光」(マタイ5・13-14)となるよう招かれているからです。
 わたしはすべての人に呼びかけました。うむことなく交わりと平和と連帯を築いてください。そこから、人類のための神の救いの計画の実現に協力してください。アフリカの人々は教皇の招きに熱狂的にこたえました。わたしは、アフリカの人々の顔のうちに、その熱心な信仰と、確信をこめたいのちの福音との一致のうちに、偉大なアフリカ大陸に慰めをもたらす希望のしるしをあらためて見いだしました。
 わたしは子どもたちと苦しむ人々との出会いの中でも、このしるしに触れることができました。聖リタ小教区で、わたしは、生きる喜び、すなわち、アフリカの未来をなす若い世代の喜びと熱狂を本当に味わいました(11月19日)。アフリカ大陸の豊かな資源また富の一つである、喜び祝う子どもたちの群れに対して、わたしは聖キジト(1872-1886年)の姿を示しました。このウガンダの若者は、福音に従って生きようとしたために殺されました。わたしはまた、一人ひとりが同世代の人々にイエスをあかしするよう励ましました。マザー・テレサ(1910-1997年)の神の愛の宣教者会が運営する「平和と喜びの家」の訪問により、わたしは、見捨てられた子どもたちと病者との出会いのうちに深い感動の時を過ごしました。そして、愛と連帯が、復活したキリストの力と愛を弱さのうちに現すことができることを、具体的な形で目の当たりにすることができました。
 わたしが、大勢集まってくださった司祭、男女修道者、神学生、信徒の皆様に見いだした使徒的な喜びと熱意も、ベナンの教会の未来に対する確かな希望のしるしです(11月19日)。わたしはこれらすべての人に勧めました。真の生きた信仰をもってください。そして、徳の実践によって特徴づけられたキリスト教的生活を送ってください。またわたしは一人ひとりの人を励ましました。教導職の教えに忠実に従い、互いと司牧者との交わりのうちに、教会における各人の使命を果たしてください。特にわたしは司祭の皆様に、奉仕職は単なる社会的役割ではなく、神を人に、人を神にもたらすことであることを自覚しながら、聖性の道を歩むよう指示しました。
 ベナン司教団との会見も深い交わりの時でした(11月19日)。わたしたちは、特に宣教者の活動によるベナンでの福音宣教の始まりについて考察しました。宣教者たちは、神の愛をすべての人に告げ知らせるために、ときには英雄的なしかたで自らのいのちを寛大にささげたのです。わたしは司教の皆様にお願いしました。家庭、小教区、共同体、運動団体の中で、聖書を絶えず再発見させるための適切な司牧活動を実行してください。聖書の再発見は、霊的刷新の源泉、また信仰を深める機会となるからです。このような神のことばへの新たな接近と、自らの洗礼の再発見から、信徒は、日常生活の中でキリストと福音への信仰をあかしする力を得ます。アフリカの教会は、このアフリカ大陸全体にとってきわめて重要な意味をもつ時期にあたり、福音への奉仕に努め、力強い連帯を勇気をもってあかしすることによって、新たな希望の季節の代表者となることができるでしょう。わたしはアフリカのうちに、新鮮なしかたでのいのちの肯定、新鮮な宗教心と希望、実証主義に陥らずに現実全体を神とともにとらえる感覚を見いだしました。実証主義は最終的に希望を消し去るからです。これらすべてのことが、こう語ります。アフリカ大陸には、わたしたちと教会が頼みとすることのできる、未来のためのいのちと活力が蓄えられています。
 今回の訪問はアフリカに対する大きな呼びかけとなりました。すなわち、まだ福音を知らない人に福音を告げ知らせるためにあらゆる努力を行うようにという呼びかけです。福音宣教への新たな取り組みを行わなければなりません。洗礼を受けたすべての人は、和解と正義と平和を推進することを通して、福音宣教を行うよう招かれているからです。
 教会の母であり、アフリカの聖母であるマリアに、今回の忘れることのできない使徒的訪問で出会うことのできたすべての人をゆだねます。わたしはアフリカの教会をマリアに託します。「常に神のみ心に心を向けていた」マリアの母としての執り成しが「あらゆる回心のわざを支え、和解への取り組みを強め、義に飢え渇く世におけるあらゆる平和のための努力を力づけてくださいますように」(『アフリカの使命』175)。ご清聴ありがとうございます。

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