教皇ベネディクト十六世の2011年12月4日の「お告げの祈り」のことば 洗礼者聖ヨハネの呼びかけ

教皇ベネディクト十六世は待降節第2主日の12月4日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア […]


教皇ベネディクト十六世は待降節第2主日の12月4日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今週、ジュネーヴと他の都市で、国際移住機関(IOM)設立60周年、『難民の地位に関する条約』採択60周年、および『無国籍の削減に関する条約』採択50周年が記念されます。しばしば強制的に自分の国を離れることを余儀なくされた人、国籍を失った人を主にゆだねます。これらの人々と連帯するよう促すとともに、場合によっては深刻な困難と危険にも身をさらしながら、緊急を要する状況に置かれたこれらの兄弟を保護し、援助しようと努めるすべての人のために祈ります」。
なお、上記の記念に関連して、カリタスジャパンと日本カトリック難民移住移動者委員会は、他の諸組織とともに「NGOステートメント――日本政府による誓約検討のために。2011年 次の記念に寄せて――日本の難民条約加入30周年、1951年難民の地位に関する条約採択60周年、国連難民高等弁務官事務所活動開始60周年、初代難民高等弁務官フリチョフ・ナンセン生誕150周年、無国籍の削減に関する条約採択50周年」(http://www.jlnr.jp/statements/20111031_J.pdf)を2011年10月31日付で発表しています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日は待降節の第二段階を記します。待降節は、主イエスの歴史における到来を準備する上で特別な役割を果たした二人の人物を際立たせます。すなわち、おとめマリアと洗礼者聖ヨハネです。今日のマルコによる福音書の箇所は、洗礼者聖ヨハネに焦点を当てます。実際、この箇所はキリストの先駆者の人物と使命を述べます(マルコ1・2-8参照)。ヨハネは、その外見から始めて、きわめて禁欲的な人物として示されます。彼はらくだの毛衣を着、ユダヤの荒れ野に見いだされる、いなごと野蜜を食べていました(マルコ1・6参照)。イエスもあるとき、聖ヨハネを、「王宮にいる」、「しなやかな服を着た」(マタイ11・8)人と対比しました。洗礼者ヨハネの生き方は、すべてのキリスト信者に対して、特に降誕祭を準備する際、質素な生活様式を採用することを呼びかけます。聖パウロがいうとおり、降誕のとき、主は「豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(二コリント8・9)。
 ヨハネの使命に関連して、回心への特別な呼びかけが行われました。ヨハネの洗礼は「考えと行いを根本から新しくすることへの燃えるような呼びかけと結びついていました。それは特に、神の裁き」とメシアの現れの切迫「の告知と結びついていました」(『ナザレのイエス』:Gesù di Nazaret, I, Milano 2007, p. 34〔里野泰昭訳、春秋社、2008年、35頁〕)。ヨハネはメシアを「わたしよりも優れたかた」、「聖霊で洗礼をお授けになる」(マルコ1・7、8)かたと呼びます。それゆえ、ヨハネの呼びかけは、質素な生活様式を超えた深みに達します。それは内的な転換への呼びかけです。この転換は、自分の罪を認め、告白することから出発します。降誕祭を準備するにあたり、自分の内面に戻り、自分の生活を正直に吟味することが大切です。わたしたちがベツレヘムから発する光に、すなわち、「偉大」でありながら小さくなり、「力ある」者でありながら無力になったかたの光に照らしていただくことができますように。
 四人の福音書記者は皆、預言者イザヤのことばを引用しながら、洗礼者ヨハネの説教について述べます。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ40・3)。マルコは別の預言者マラキのもう一つの引用を付け加えます。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」(マルコ1・2。マラキ3・1参照)。これらすべての旧約聖書のテキストの引用において「救いのための神の介入が語られています。裁きと救いのために、・・・・扉は開かれ、道は備えられるのです」(『ナザレのイエス』:ibid., p. 35〔前掲邦訳、35頁〕)。
 わたしたちは心と生活の中でインマヌエル(わたしたちとともにおられる神)の到来に備えるために、待降節の歩みを続けます。来るべき主と出会うための歩みを、待望するおとめであるマリアの母としての執り成しにゆだねたいと思います。

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