教皇ベネディクト十六世、降誕祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2011.12.25)

12月25日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は降誕祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ(ウルビ・エト・オルビ)」と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されます。 […]


12月25日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は降誕祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ(ウルビ・エト・オルビ)」と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されます。以下はその全訳です(原文イタリア語)。
メッセージの発表の後、65か国語による祝福が述べられました。教皇は53番目に日本語で次のように述べました。「クリスマスと新年おめでとうございます」。最後の祝福は、メッセージの中でも引用されていることばを用いて、ラテン語で行われました。「キリストよ。わたしたちを救いに来てください(Christe! Veni ad salvandum nos!)」。


 ローマと全世界の親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 キリストはわたしたちのためにお生まれになりました。いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、み心に適う人にあれ。ベツレヘムの知らせの声がすべての人に届きますように。この声を、カトリック教会は、国籍と言語と文化の違いを超えて、すべての大陸に響かせます。おとめマリアの子がすべての人のためにお生まれになりました。このかたこそすべての人の救い主です。
 古代の典礼の答唱句は唱えます。「ああインマヌエル、わたしたちの王にして立法者、諸国民の希望と救い。わたしたちを救いに来てください。ああわたしたちの神なる主よ」。「わたしたちを救いに来てください(Veni ad salvandum nos!)」。これが、すべての時代の人が上げる叫び声です。人々は自分の力だけでは困難と危険を乗り越えられないことを知っているからです。人々はより大きく、力強いみ手に手を延べなければなりません。このみ手が、いと高きところから自分たちに手を差し伸べてくれるからです。親愛なる兄弟姉妹の皆様。このみ手こそ、ベツレヘムでおとめマリアから生まれたキリストです。キリストこそ、神が人類に差し伸べた手です。それは、罪の泥沼からわたしたちを引き上げ、わたしたちの足を岩の上に、すなわち、ご自身の真理と愛の堅固な岩の上に立たせてくださるためです(詩編40・3参照)。
 そうです。これが幼子の名の意味することです。その名は、神のみ心に従い、マリアとヨセフによってつけられました。幼子はイエスと名づけられました。イエスとは「救い主」を意味します(マタイ1・21、ルカ1・31参照)。彼は、何よりも人間と歴史に深く根ざした悪からわたしたちを救うために、父である神から遣わされました。悪とは、神から自分を引き離すことです。自分だけで行動し、神と競争し、神に取って代わり、何が善で何が悪かを決め、生と死を支配できると考える高慢です(創世記3・1-7参照)。これこそが大いなる悪、大いなる罪です。人間は、神の助けに身をゆだねないかぎり、すなわち、神に叫び声を上げないかぎり、それから自分を救うことができません。「わたしたちを救いに来てください(Veni ad salvandum nos!)」。
 このように天に祈りをささげることが、すでにわたしたちを正しい状態に戻します。自分についての真理のうちに戻します。実際、神に向かって叫び声を上げた者は救われたのです(エステル〔ギリシア語〕F・6参照)。神は救い主であり、わたしたちは危難のうちにあります。神は医師であり、わたしたちは病人です。このことを認めることが、救いの第一歩です。高慢によって自分を閉じ込めた迷路から脱出するための第一歩です。目を天に上げること、手を延べ、助けを願い求めること。これが脱出への道です。そのためには、わたしたちのことばを聞き、助けに来てくれるかたがいなければなりません。
 イエス・キリストは、神がわたしたちの叫び声を聞いてくださったことの証拠です。そればかりではありません。神のわたしたちに対する愛はあまりに強かったので、神はご自身のうちにとどまっていることができず、ご自分を出て、わたしたちのところに来られました。わたしたちと同じ状態を徹底的に分かち合いました(出エジプト3・7-12参照)。神がイエスのうちに与えてくださった人間の叫び声に対するこたえは、わたしたちの期待を限りなく超えた連帯となりました。この連帯は、人間的な連帯であるだけでなく、神的な連帯でした。愛である神、また神である愛のみが、このような道を通してわたしたちを救うことを望むことができました。この道はもっとも長い道でありながら、ご自身とわたしたちの真理を尊重する道です。すなわち、和解と対話と協力の道です。
 親愛なるローマと全世界の兄弟姉妹の皆様。この2011年の降誕祭にあたり、ベツレヘムの幼子に、おとめマリアの御子に、目を向けようではありませんか。そして、いおうではありませんか。「わたしたちを救いに来てください」。特に困難な状況に置かれた多くの人々との霊的な一致のうちに、このことばを繰り返しいおうではありませんか。声なき人々の声となろうではありませんか。
 ともに、アフリカの角(ソマリア)の人々のために神の助けを祈り願おうではありませんか。彼らは飢餓と食糧不足のために苦しんでいます。飢餓と食糧不足は時として政情不安によっていっそう悪化しています。この地域から避難した多くの人々に対して国際社会が十分な支援を行ってくださいますように。彼らの尊厳は大きな試練にさらされているからです。
 主が東南アジア、特にタイとフィリピンの人々に慰めを与えてくださいますように。彼らは最近の洪水によっていまだにはなはだしく困難な状況に置かれているからです。
 主が、今も地上を血で染める多くの紛争によって傷ついた人類を助けてくださいますように。平和の君である主が、世に来られるために選ばれた聖地に平和と安定を与えてくださいますように。そして、イスラエルとパレスチナの人々の対話の再開を促してくださいますように。シリアにおける暴力を止めてくださいますように。シリアではすでに多くの血が流されているからです。イラクとアフガニスタンにおける完全な和解と安定を促進してくださいますように。北アフリカと中東諸国の社会を構成するすべての人々に、共通善を築くための新たな力を注いでくださいますように。
 救い主の誕生が、共同の解決を求めるミャンマーにおける対話と協力の展望を支えてくださいますように。あがない主の降誕が、アフリカの大湖地域諸国の政治的安定を保障し、すべての市民の権利を守るための南スーダンの努力を支えてくださいますように。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。ベツレヘムの洞窟に目を向けようではありませんか。わたしたちが仰ぎ見る幼子こそが、わたしたちの救いです。この幼子が、世に和解と平和に関する普遍的な知らせをもたらしました。この幼子に心を開き、このかたを自分の生活に受け入れようではありませんか。真理と希望をもって繰り返していおうではありませんか。「わたしたちを救いに来てください(Veni ad salvandum nos!)」。

PAGE TOP