教皇ベネディクト十六世の2012年1月15日の「お告げの祈り」のことば 召命

教皇ベネディクト十六世は、年間第二主日の1月15日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第二主日の1月15日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今日は『世界難民移住移動者の日』です。何百万人の人が移住という現象にかかわっています。しかし、移住者は数だけではありません。移住者とは、平和のうちに過ごすべき場所を求める、男性、女性、子ども、若者、高齢者です。わたしは今年の『「世界難民移住移動者の日」メッセージ』の中で、『移住と新しい福音宣教』というテーマに注意を促しました。そして、移住者は単なる福音の告知の受け手ではなく、 現代世界に福音を告げ知らせる主体でもあることを強調しました。『世界難民移住移動者の日』にあたり、今日、サンピエトロ広場におられるローマの移住者の共同体の代表者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。よくおいでくださいました。
さらにわたしは、今月の18日から25日まで『キリスト教一致祈祷週間』が行われることを思い起こしたいと思います。皆様にお願いします。個人と共同体のレベルで、霊的に心を合わせ、可能なところで、実践的なしかたでも、キリストの弟子の完全な一致のたまものを神に祈り求めてください」。
日本では「世界難民移住移動者の日」は9月の第4日曜日(2012年は9月23日)に行われますが、第98回(2012年)「世界難民移住移動者の日」メッセージの邦訳(/2011/09/21/7242/)はすでに発表されています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の年間第二主日の聖書朗読の中で浮かび上がるのは、召命というテーマです。福音の中で、イエスは最初の二人の弟子を召し出します。第一朗読の中では、預言者サムエルが召し出されます。二つの箇所ではともに、仲介者の役割を果たす人の重要性が強調されます。仲介者は、召し出された人が神の声を聞き分け、これに従うのを助けます。サムエルの場合、仲介者の役割を果たしたのは、シロの神殿の祭司であるエリです。かつてシロの神殿は、契約の箱を、それがエルサレムに移される前に守っていました。サムエルはまだ若く、小さい頃から神殿に奉仕していました。ある夜、サムエルは、眠っているときに、続けて三回、呼ばれるのを聞いて、エリのところに走って行きました。しかし、エリはサムエルを呼んではいませんでした。三度目に、エリは悟って、サムエルにいいました。「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』といいなさい」(サムエル上3・9)。サムエルはそのとおりにしました。こうしてそのときからサムエルは、主のことばを聞き分けることを学び、忠実な預言者となりました。イエスの弟子の場合に、仲介者となったのは、洗礼者ヨハネです。実際、ヨハネは多くの弟子をもっていました。その中に、ガリラヤの漁師だった二組の兄弟、シモンとアンデレ、ヨハネとヤコブがいました。洗礼者ヨハネは、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた翌日、これらの兄弟の二人にイエスを示します。ヨハネはこういってイエスを示します。「見よ、神の小羊だ」(ヨハネ1・36)。これは「見よ、メシアだ」というのと同じです。二人の弟子はイエスに従います。彼らは長い間イエスのところに滞在し、イエスが本当にキリストであることを確信します。彼らはすぐにイエスを他の人に告げ、こうして後に使徒団となる人々の最初の核が形成されました。
 わたしはこの二つの箇所に照らされて、信仰の歩みにおいて霊的指導が果たす決定的に重要な役割を強調したいと思います。とくに神と神の民に奉仕するための特別な奉献への召命にこたえる上で、このことがいえます。すでにキリスト教信仰そのものが、それ自体として宣教とあかしを前提します。実際、キリスト教信仰は、ナザレのイエスが死んで復活した、神であるという福音に従うことのうちにあります。イエスのそばにいて彼に従う召命――その際、教会という大きな家族に自分をささげるために、自分の家族を作ることをあきらめなければなりません――も、通常、「年長の兄弟」(普通、司祭)のあかしと提案から生じます。両親が果たす根本的な役割も忘れてはなりません。両親は、自らの真正で喜びに満ちた信仰と、結婚の愛をもって、神への愛に基づいて全生涯を築くことがすばらしく、またそれは可能であることを子どもたちに示すのです。
 親愛なる友人の皆様。すべての教育者、とくに司祭と両親のために、おとめマリアに祈りたいと思います。彼らが自分の役割の重要性を完全に自覚しながら、若者が人間的に成長するだけでなく、神の呼びかけにこたえて、こういうことができる助けとなることができますように。「主よ、お話しください。しもべは聞いております」。

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