教皇ベネディクト十六世の2012年1月29日の「お告げの祈り」のことば イエスの権威

教皇ベネディクト十六世は、年間第四主日の1月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第四主日の1月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今日、ウィーンで、ヒルデガルト・ブルヤン(Hildegard Burjan 1883-1933年)が列福されます。ヒルデガルト・ブルヤンは、19世紀から20世紀にかけて生きた、信徒、家庭の母、そして、カリタス・ソチアリス姉妹会の創立者です。この福音のすばらしい証人のゆえに主をたたえようではありませんか。
 今日の日曜日に『世界ハンセン病の日』が行われます。『イタリア・ラウル・フォルロー友の会』にごあいさつするとともに、すべてのハンセン病患者と、この患者を支援する人々を励まします。この支援者たちは、ハンセン病感染が蔓延する真の原因である、貧困と差別を取り除くために、さまざまなしかたで努力しておられます。
 さらにわたしは、『世界聖地における平和のための執り成しの日』を思い起こします。エルサレム・ラテン教会総大司教とフランシスコ会聖地準管区との深い交わりのうちに、神に祝福された地のために平和のたまものを祈り求めたいと思います」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の福音(マルコ1・21-28)は、イエスが安息日にカファルナウムの会堂で説教する姿を示します。カファルナウムはガリラヤ湖畔の小さな町で、ペトロとその兄弟アンデレもこの町に住んでいました。人々を驚かせた教えに続いて、「汚れた霊に取りつかれた男」(23節)の解放が行われます。この男はイエスを「神の聖者」すなわちメシアと認めます。イエスの評判はたちまちその地方の隅々にまで広まりました。イエスはこの地方を、ことばとわざをもって、すなわち、神の国を告げ知らせ、あらゆる種類の人々の病気をいやしながら巡回していたからです。聖ヨアンネス・クリュソストモス(340/350-407年)はいいます。主は「ご自分のことばに耳を傾ける人のために、ことばを変える。すなわち、奇跡からことばへと進み、再び教理の教えから奇跡へと移行するのである」(『マタイ福音書講話』: In Matthaeum homiliae 25, 1, PG 57, 328)。
 イエスが人々に語りかけたことばは、御父のみ心と、自分自身に関する真理に近づく道をただちに開きます。しかし、律法学者の場合はそうではありませんでした。律法学者は、多くの考察を用いて聖書を解釈しようと努力しなければならなかったからです。さらにイエスは、ことばの効果と、悪から解放するしるしの効果とを結びつけました。聖アタナシオス(295頃-373年)はいいます。「悪霊どもに命令し、彼らを追い出したのは、人間のわざではなく、神のわざである」。実際、主は「あらゆる病とあらゆる煩いとを人々から追い払われたが、・・・・このかたの権能を目にする人で、・・・・このかたが神の子・知恵・力であられるのか否か思い惑う人がだれかいるだろうか」(『言(ロゴス)の受肉』:De incarnatione Verbi 18-19, PG 25, 128B-C; 129B〔小高毅訳、『中世思想原典集成2 盛期ギリシア教父』平凡社、1992年、91-92頁〕)。神の権威は自然の力ではありません。それは神の愛の力です。神は万物を造りながら、独り子のうちに受肉し、わたしたちの人間性へと降ることによって、罪によって堕落した世をいやします。ロマーノ・グアルディーニ(1885-1968年)は述べます。「イエスの全生涯は、権能からへりくだりへと移行することである。・・・・それは、しもべの姿にまで降った主権である」(Il Potere, Brescia 1999, 141. 142)。
 人間にとって、権威はしばしば所有と支配と成功を意味します。しかし神にとって、権威は奉仕とへりくだりと愛を意味します。それは、イエスの考え方へと歩み入ることを意味します。イエスはひざまずいて弟子たちの足を洗います(ヨハネ13・5参照)。人間の真の善を求めます。傷をいやします。いのちを与えるほど大きな愛を示すことがおできになります。それは、イエスが愛そのものだからです。シエナの聖カタリナ(1347-1380年)は、『書簡』の一つの中で述べます。「わたしたちは真理において、信仰の光をもって、次のことを見、また知らなければなりません。神は最高かつ永遠の愛であり、わたしたちの善以外の何も望むことができないのです」(『書簡13』:Le Lettere, vol. 3, Bologna 1999, 206)。
 親愛なる友人の皆様。今週の2月2日の木曜日、わたしたちは主の奉献の祝日と、「世界奉献生活の日」を祝います。信頼をこめて至聖なるマリアに祈り願いたいと思います。神のあわれみから絶えず水をくめるように、わたしたちの心を導いてください。神のあわれみこそが、わたしたち人類を解放し、いやし、愛の力をもってすべての恵みといつくしみで満たしてくださるからです。

略号
PG Patrologia Graeca

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