教皇ベネディクト十六世の2012年2月12日の「お告げの祈り」のことば 重い皮膚病を患う人のいやし

教皇ベネディクト十六世は、年間第六主日の2月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第六主日の2月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「シリアにおける悪化する悲惨な暴力事件を深い懸念をもって見守っています。これらの暴力は、この数日間に多数の犠牲者を生み出しました。わたしは、数人の子どもを含む犠牲者、けがをしたかたがた、そしてますます憂慮すべき紛争のために苦しむすべての人を祈りの中で心にとめます。さらにわたしは、暴力と流血をやめてくださるように、緊急の呼びかけをあらためて行います。最後に、すべての人と、何よりもシリアの政治当局者にお願いします。対話と和解と平和に取り組む道を優先してください。シリアを構成するさまざまな人々の正当な願いと、国際社会の要請にこたえることが緊急に必要とされています。国際社会は社会と地域全体の共通善を心にかけているからです」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 先週の主日に、わたしたちは、公生活の中で多くの病人をいやすイエスの姿を見ました。こうしてイエスは、神が人間にいのちを、それも完全ないのちを望むことを示しました。今日の主日の福音(マルコ1・40-45)は、当時きわめて深刻なものと考えられた病気の形に触れるイエスを示します。この病気は、人を「汚れたもの」とし、社会的関係から排除しました。すなわち重い皮膚病です。特別な規定(レビ記13~14章)は、ある人が重い皮膚病にかかり、汚れていると宣言する任務を祭司に与えていました。同様に、その人がいやされたことを確認し、回復した病人を通常の生活に受け入れるのも祭司の務めでした。
 イエスがガリラヤの村々を宣教しながら巡っていたとき、ある重い皮膚病を患っている人がイエスのところに来て、いいました。「み心ならば、わたしを清くすることがおできになります」。イエスはこの人に触れることを拒まず、むしろこの人の状態への深い共感に促されて、手を差し伸べてその人に触れ(それは律法の禁止を破ることでした)、「よろしい。清くなれ」といいます。このイエスのわざとことばのうちに、救いの歴史全体が現存します。神のみ心が受肉します。わたしたちを醜くし、わたしたちのさまざまな関係を破壊する悪からわたしたちをいやし、清めることが、神のみ心です。イエスの手が重い皮膚病を患っている人に触れたことによって、神と人間の汚れの間の障壁も、聖なるものと汚れたものの間の障壁も含めた、あらゆる障壁が打ち倒されます。それはもちろん、病気とその悪い力を否定するためではありません。神の愛は、恐ろしい伝染病の悪を含めた、あらゆる悪よりも強いことを示すためです。イエスはわたしたちを清めるために、わたしたちの病を自らの身に負い、自ら「重い皮膚病」となるのです。
 この福音の輝かしい実存的な注解は、アッシジの聖フランチェスコ(1181/1182-1226年)の有名な体験です。聖フランチェスコは『遺言』の冒頭でそれを要約して述べます。「主は、わたしすなわち兄弟フランチェスコに、以下のようにして痛悔のわざを始めることを与え給うた。わたしが罪のうちにあったとき、わたしには重い皮膚病を患う人を見ることがはなはだしく不快に思われた。ところが、主ご自身がわたしを彼らの中に導き給い、そこでわたしは彼らにあわれみを施したのである。そして彼らのもとから立ち帰ったとき、かつてわたしにとって不快と思われたものが、魂と肉体の甘美さに変わっていたのである。そしてその後しばらく躊躇した後、わたしは世を捨てたのである」(FF, 110〔坂口昂吉訳、『中世思想原典集成12 フランシスコ会学派』平凡社、2001年、85頁参照〕)。フランチェスコはいいます。フランチェスコがまだ「罪のうちにあったとき」に出会った、この重い皮膚病を患う人のうちに、イエスがおられました。そして、フランチェスコがこの人々の一人に近づき、震えながらその人を抱きしめたとき、イエスはフランチェスコを、彼の重い皮膚病である傲慢からいやしました。そして、神への愛へと回心させました。これがキリストの勝利です。キリストの勝利は、わたしたちのいやしです。わたしたちが新しいいのちに復活することです。
 親愛なる友人の皆様。昨日わたしたちはルルドでおとめマリアが出現した記念日を祝いました。祈りのうちにおとめマリアに向かおうではありませんか。聖母は聖ベルナデッタ(1844-1879年)につねに現代的な意味をもつメッセージを託しました。「祈りなさい。悔い改めなさい」。イエスは聖母を通してつねにともにおられます。イエスは、わたしたちを肉体と魂のすべての病から解放するために、わたしたちと出会いに来られます。イエスに触れていただき、清めていただこうではありませんか。そして、わたしたちの兄弟にあわれみを施そうではありませんか。

略号
FF Fonti Francescane

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