教皇ベネディクト十六世の2012年2月26日の「お告げの祈り」のことば イエスの誘惑

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第一主日の2月26日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリ […]


教皇ベネディクト十六世は、四旬節第一主日の2月26日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

なお、教皇が述べたとおり、この四旬節第一主日の2月26日午後6時からバチカンのレデンプトーリス・マーテル礼拝堂で、教皇と教皇庁の四旬節の黙想会が始まります。今年の黙想会のテーマは「キリスト信者の神との交わり――『わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです』(一ヨハネ1・3)」です。黙想会を指導するのはキンシャサ(コンゴ民主共和国)大司教のローラン・モンセングオ・パシンヤ枢機卿(Laurent Monsengwo Pasinya 72歳)です。黙想会は午後6時から、聖体顕示と晩の祈りと最初の黙想と聖体礼拝と聖体賛美式をもって開始されます。黙想会のスケジュールは以下の通りです。午前9時から朝の祈りと黙想。午前10時15分から三時課と黙想。午後5時から黙想。午後5時45分から晩の祈りと聖体礼拝と聖体賛美式。黙想会は3月3日(土)午前9時の朝の祈りと結びの黙想をもって終了します。黙想会中、2月29日(水)の一般謁見を含めてすべての謁見は行われません。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の四旬節第一主日に、わたしたちは、イエスが、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後(マルコ1・9参照)、荒れ野で誘惑を受けるのを目にします(マルコ1・12-13参照)。聖マルコの記事は簡潔で、マタイとルカによる他の二つの福音書に見いだされる詳細な説明はありません。ここで述べられる荒れ野は、さまざまな意味をもっています。荒れ野は、見捨てられた孤独な状態、人間の無力な場を意味することができます。この無力な場で、支えや確信はなく、誘惑はいっそう強力になります。しかし、荒れ野は避難所、隠れがをも意味することができます。エジプトの奴隷状態から逃れたイスラエル民族の場合がそれです。そこでは神の現存を特別に体験することができます。イエスは「四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(マルコ1・13)。大聖レオ(400頃-461年、教皇在位440-没年)は解説していいます。「主が誘惑者にいざなわれることを許されたのは、自分が助け守っておられるわれわれに、同じ自分の模範で教訓を示されるためであった」(『説教39――四旬節の断食について』:Tractatus XXXIX, 3 De ieiunio quadragesimae, CCL 138/A, Turnholti 1973, 214-215〔熊谷賢二訳、『キリストの神秘――説教全集――』創文社、1965・1993年、468頁〕)。
 この出来事はわたしたちに何を教えてくれることができるでしょうか。『キリストに倣いて』に書かれているとおり、「この世に生きているかぎり、人はまったく誘惑(いざない)の心配がないというわけにはいかない。・・・・忍耐とまことの謙遜によってこそ、わたしたちはすべての敵よりも強くされるのである」(Imitazione di Cristo, Liber I, c. XIII, Città del Vaticano 1982, 37〔光明社、1958年、36-37頁〕)。忍耐と謙遜をもって、わたしたちは日々、主に従わなければなりません。そして、自分の生活を、主以外のところに築くのではなく(あたかも主が存在しておられないかのように)、主のうちに、主とともに築くことを学ばなければなりません。主こそまことのいのちの源だからです。神を排除し、自力のみによって自己と世界を秩序づけ、自分の力だけに頼ろうとする誘惑は、人間の歴史の中につねに存在します。
 イエスはのべ伝えます。「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1・15)。イエスは、ある新しいことがご自分のうちに起こることを告げ知らせます。新しいこととはこれです。神は、予想もできないしかたで、愛に満ちた、独自の具体的な親しさをもって、人間に語りかけてくださいます。神は受肉し、人間の世に入って来られます。それは、罪をご自分の身に負い、悪に打ち勝ち、人間を神の世へと連れ戻すためです。しかし、この告知には、この偉大なたまものにふさわしい要求も伴います。実際、イエスは付け加えていわれます。「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)。これは、神を信じ、日々、自分の生活を神のみ心へと向け変えなさいという招きです。わたしたちのあらゆる行いと思いを善に向けなさいという招きです。四旬節は、日々の祈りと、悔い改めと、兄弟愛のわざをもって、わたしたちの神との関係を刷新し、より堅固なものとするためにふさわしい時期です。
 至聖なるマリアに熱心に願い求めようではありませんか。マリアがそのご保護をもってわたしたちの四旬節の歩みに同伴してくださいますように。そして、わたしたちが自分の心と生活にイエス・キリストのことばを刻み、イエス・キリストへと回心するための助けとなってくださいますように。さらに、今晩からローマ教皇庁におけるわたしの協力者とともに始める一週間の黙想会を皆様の祈りにゆだねます。

略号
CCL Corpus Christianorum Series Latina

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