教皇ベネディクト十六世の308回目の一般謁見演説 メキシコ、キューバ訪問を振り返って

4月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の308回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月23日から29日まで行ったメキシコとキューバへの使徒的訪問を振り返り、聖なる […]


4月4日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の308回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月23日から29日まで行ったメキシコとキューバへの使徒的訪問を振り返り、聖なる過越の三日間について考察しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「今日は『地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー』です。わたしは地雷の犠牲者とそのご家族に寄り添うことを表明します。人類をこの恐ろしく邪悪な装置から解放しようと努めるすべての人々を励まします。福者ヨハネ・パウロ二世が『対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約』が発効する際に述べたとおり、地雷は人々が『破壊と死の恐怖を覚えずにともに生活を送る』(「1999年2月28日の『お告げの祈り』のことば」)ことを妨げるのです」。
国連は2005年12月8日、4月4日を「地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー」に定めました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  最近行ったメキシコとキューバへの使徒的訪問から生まれた感動はわたしの中に今も生き生きと残っています。今日はこの使徒的訪問についてお話ししたいと思います。わたしの心から主に対する感謝が自然に湧き起こります。主はわたしがペトロの後継者として初めてこれらの国を訪れることを望まれました。両国は、福者ヨハネ・パウロ二世が行った忘れがたい訪問の記憶を保っています。メキシコを初めとするラテンアメリカ諸国の独立二百周年、メキシコと聖座の外交関係樹立二十周年、キューバ共和国のコブレの愛徳の聖母のご像再発見四百周年が、わたしの旅の理由でした。わたしはこの訪問により精神的な意味でラテンアメリカ大陸全体を抱擁したいと望みました。そして、すべての人が希望のうちに生き、よりよい未来に向かうために具体的な努力を行うよう招きたいと思いました。丁重に歓迎してくださった、(フェリペ・カルデロン・イノホサ)メキシコ大統領、(ラウル・カストロ・ルス)キューバ国家評議会議長と、公的機関の皆様に感謝申し上げます。深い愛情をもってわたしを迎えてくださった(ホセ・グアダルーペ・マルティン・ラバゴ)レオン大司教、(ハイメ・ルカス・オルテガ・イ・アラミノ)ラ・ハバナ大司教、そして他の司教職にある敬愛すべき兄弟の皆様、そしてわたしの使徒的訪問のために惜しみなく献身されたすべてのかたがたに心から感謝します。それは忘れることのできない喜びと希望の日々でした。この喜びと希望はわたしの心にいつまでも刻まれています。
  第一の目的地は、メキシコの地理的中心である、グアナファト州のレオンでした(3月23日)。レオンでは歓喜した大群衆が特別に盛大な歓迎をもってわたしを迎えてくれました。それはメキシコ国民全体の温かい抱擁のしるしでした。わたしは歓迎式典のときから、司祭、奉献生活者、信徒の皆様の信仰と熱意を感じることができました。わたしは、諸機関の代表者、多くの司教、そして社会の代表者の前で、基本的人権、とくに信教の自由を認め、守ることの必要性を思い起こしました。そして、社会の傷、古いものと新しいものを含めた紛争、腐敗と暴力に苦しむ人々に寄り添うことを約束しました。わたしは、熱狂的にわたしに同伴してくださった、尽きることのない沿道の人々の列を深い感謝をもって思い起こします。わたしはこれらの祝福と愛情を表すために伸ばされた手、喜びに満ちた顔、歓喜の叫び声のうちに、メキシコのキリスト信者の堅固な希望を見いだしました。この希望は、暴力による困難なときにも燃え続けました。わたしはこの暴力を非難せずにはいられません。そして暴力の犠牲者に深く思いを致します。わたしはこの犠牲者を個人的に慰めることができました(3月24日)。同じ日、わたしは多くの子どもと青年に会いました。子どもと青年は国家と教会の未来です。大きな歌声と音楽で示された彼らの尽きることのない喜び、まなざしと態度は、メキシコ、ラテンアメリカ、そしてカリブ諸国のすべての若者の強い願いを表すものでした。それは、より公正で和解した社会で、平和と落ち着きと一致のうちに生きたいという願いです。
  主の弟子は、キリスト信者であることの喜びと、キリストの教会に属することの喜びを深めるための助けとならなければなりません。困難と苦難の状況の中でキリストに仕える力も、この喜びから生まれます。わたしはこのことを、レオンのパルク・デル・ビセンテナリオでささげられた主日の感謝の祭儀に集まった大群衆に語りました(3月25日)。わたしはすべての人に勧めました。全能の神のいつくしみに信頼してください。神は、暗く耐えがたい状況を、内側から、中心から変えることが可能です。メキシコの人々は燃えるような信仰をもってこたえました。そしてわたしは、彼らの確信に満ちた福音への従順のうちに、ラテンアメリカ大陸にとっての慰めに満ちた希望のしるしをあらためて見いだしました。メキシコ訪問における最後の行事は、同じレオンのマドレ・サンティシマ・デ・ラ・ルス司教座聖堂で、メキシコ司教団とアメリカ司教団の代表者とともに行った夕の祈りでした(同日)。わたしは、さまざまな課題と困難に立ち向かおうと努力する司教たちと連帯することを表明しました。そして、複雑でしばしば限界のある状況の中に福音の種を蒔(ま)く人々に感謝しました。わたしは彼らを励ましました。熱意に満ちた牧者、また信頼できる導き手となってください。どこにおいても、真の交わりと、教会の教えに対する心からの一致を築いてください。こうしてわたしは愛する地メキシコを後にしました(3月26日)。わたしはメキシコの地で、キリストの代理者に対する献身と特別な愛情を感じました。出発前に、わたしはメキシコの人々に促しました。自らのキリスト教的起源にしっかりと根ざし、主とその教会に忠実であり続けてください。
  続いて、キューバ到着とともに、今回の使徒的訪問の第二部が始まりました(同日)。キューバのカトリック教会は、貧しい資源と、いまだに克服すべき困難にもかかわらず、喜びをもって福音を告げ知らせようと努めています。わたしがキューバに赴いたのは、何よりもまずこのカトリック教会の宣教を支えるためでした。それは、宗教が社会の公的領域においても自らの霊的・教育的奉仕の務めを果たせるようにするためです。キューバ第二の都市、サンティアーゴ・デ・クーバに着いてわたしが強調しようとしたのはこのことです。しかしわたしはキューバと聖座の間に存在する良好な関係も指摘しました。この関係は、地域教会が生き生きと建設的な形で存在するために役立つものです。さらにわたしは、教皇がすべてのキューバ国民、とくに自由の制限によって苦しむ国民の懸念と願いを心にとめていることを保証しました。
  キューバの地で喜びのうちにささげた最初のミサは、キューバの守護聖人であるコブレの愛徳の聖母のご像再発見四百周年を背景として行われました(同日)。それは霊的な深みに満ちた時でした。ミサには数十万人の人が心をこめて祈りながら参加しました。このことは、教会が、容易でない状況を生きながらも、愛のわざと、人々の生活の中での積極的な存在をあかししているしるしです。全国民とともによりよい未来を希望するキューバのカトリック信者の皆様に対して、わたしは次の招きを行いました。信仰をあらためて強めてください。そして、ゆるし、理解する勇気をもって、開かれた新たな社会を築くために貢献してください。この新たな社会では、いっそう神のために場所を空けなければなりません。なぜなら、神を排除するなら、世界は人間にとっても居心地の悪い場所になるからです。サンティアーゴ・デ・クーバを離れる前に、わたしは、キューバ国民から深く愛されている、コブレの愛徳の聖母の巡礼聖堂を訪問しました(3月27日)。キューバの人々が家族でこの愛徳の聖母のご像への巡礼を行うことは、深い霊的熱意を呼び起こしてきました。この巡礼は、新しい福音宣教にとっての重要な行事であり、信仰を再発見する機会ともなります。わたしはとくに苦しむ人とキューバの若者を聖なるおとめにゆだねました。
  キューバでの第二の目的地は、首都ハバナでした。教皇庁大使館へと向かう道でわたしを熱烈に歓迎してくれた人々の中心となったのは、とくに若者たちでした。わたしは教皇庁大使館でキューバ司教団と会見して、キューバ教会が解決を求められている問題について語ることができました。そして、人々がますます信頼をもって教会に目を向けていることを知りました。翌日(3月28日)、わたしは、ハバナの中心にある(革命)広場でミサを司式しました。広場には人々が溢れていました。わたしは会衆の皆様に次のように述べました。キューバと世界は変革を必要としています。しかし、変革が行われるためには、まずすべての人が人間についての完全な真理に心を開かなければなりません。これが自由に達するための不可欠な条件です。そして、イエス・キリストを生活の基盤としながら、自分の周りに和解と兄弟愛の種を蒔こうとしなければなりません。このような人だけが、誤謬の闇を追い払い、悪と、わたしたちを抑圧するすべてのものを打ち倒す助けとなることができます。さらにわたしは次のことを強調しようと望みました。教会は特権を求めません。むしろ教会が求めるのは、公の場においても信仰を宣言し、祝えることです。そして、社会のあらゆる領域に福音の希望と平和のメッセージを伝えられることです。わたしは、このことに関連してキューバの公権がこれまでにとった措置を評価しながら、ますます完全な信教の自由に向けて歩み続けるのが必要なことを強調しました。
  キューバを離れる際(同日)、強い雨にもかかわらず、数万人ものキューバの人々が沿道に来て見送ってくださいました。わたしは送別式典でこう述べました。現在、キューバ社会を構成するさまざまな人々は、キューバの善益のために、真の意味で協力し、忍耐強い対話を行おうと努めることが求められています。その意味で、わたしがイエス・キリストの証人としてキューバを訪れたのは、神に心の戸を開くよう励ますためでした。神は、善を増大させるための希望と力の泉だからです。それゆえわたしはキューバ国民への別れのあいさつの中で、こう促しました。先祖伝来の信仰を新たにし、よりよい未来を築いてください。
  今回のメキシコとキューバ訪問が、所期の司牧的目的を果たせたことを神に感謝します。この訪問から、メキシコとキューバ国民が、教会の交わりのうちに、福音に基づく勇気をもって、平和と兄弟愛に満ちた未来を築くための豊かな実を得ることができますように。
  親愛なる友人の皆様。わたしたちは明日の午後、主の晩餐のミサをもって、典礼暦年の頂点である聖なる過越の三日間に歩み入ります。それは、キリストの受難と死と復活という、信仰の中心的な神秘を祝うためです。聖ヨハネによる福音書の中で、イエスの使命の頂点となるこの瞬間は、イエスの「時」と呼ばれています。イエスの「時」は最後の晩餐から始まります。福音書記者はこの「時」を次のように語り始めます。「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13・1)。イエスの全生涯はこの時へと向かっています。このイエスの「時」は、互いに照らし合う、二つの要素によって特徴づけられます。すなわち、「過越(メタバシス)」の時と、「この上のない愛(アガペー)」の時です。実際、神の愛、すなわち、イエスを満たした霊こそが、イエスが悪と死の深淵を「過ぎ越し」、新たな復活の「場」に出ることを可能にします。この変容をもたらすのは、「アガペー(愛)」です。こうしてイエスは、罪を特徴とする人間の条件の限界を超え出ます。そして、人間を閉じ込め、神と永遠のいのちから切り離す障壁を乗り越えるのです。わたしたちは、信仰をこめて聖なる過越の三日間の典礼にあずかることにより、「アガペー」によって実現されたこの変容を味わうよう招かれます。わたしたちは皆、「この上なく」、すなわち十字架上でご自身を完全にささげるほど、イエスに愛されています。十字架のとき、イエスは叫びます。「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)。この愛に触れていただこうではありませんか。自分を造り変えていただこうではありませんか。復活がわたしたちの中で本当の意味で実現するために。それゆえ、皆様にお願いします。心をこめて聖なる過越の三日間を過ごしてください。どうかよい復活祭を迎えられますように。ご清聴ありがとうございます。

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