教皇ベネディクト十六世の2012年4月22日の「アレルヤの祈り」のことば 復活したイエスのからだ

教皇ベネディクト十六世は、復活節第三主日の4月22日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行 […]


教皇ベネディクト十六世は、復活節第三主日の4月22日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「アレルヤの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「昨日(4月21日)メキシコで、ご聖体の宣教クララ修道会の創立者のご聖体のマリア・イネス・テレサ(María Inés Teresa del Santisimo Sacramento 1904-1981年)が列福されたことを喜びをもって思い起こします。メキシコが生んだこの模範的な女性のゆえに神に感謝します。わたしは、すこし前に訪問したこのメキシコの地をつねに心にとめています。
 今日イタリアで、『聖心カトリック大学の日』が記念されます。今年のこの日のテーマは『イタリアの未来は若者の心のうちにある』です。科学的・技術的知識だけでなく、価値について若者を教育することが重要です。そのためにジェメッリ神父(Agostino Gemelli 1878-1959年)はカトリック大学を創立しました。聖心カトリック大学が時代とともに歩みながら、つねにその起源に忠実であり続けられることを祈ります」。
聖心カトリック大学は、フランシスコ会の医師・心理学者、アゴスティーノ・ジェメッリ神父により1921年にミラノに創立されました。創立者にちなんで名づけられたローマのジェメッリ病院(1961年創立)は同大学医学部付属病院です。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の復活節第三主日に、わたしたちはルカによる福音書の中で、弟子たちの真ん中に立たれる復活したイエスと出会います(ルカ24・36参照)。疑い深く、恐れおののく弟子たちは、亡霊を見ているのだと思いました(ルカ24・37参照)。ロマーノ・グアルディーニ(1885-1968年)は述べます。「主は変わられました。主はもはや以前と同じように生きておられません。主の存在は・・・・理解不能です。にもかかわらず、主はからだをもっておられます。このからだは・・・・主が生きた生涯、歩んだ運命、そのご受難と死のすべてを含みます。すべては現実です。それは変わってはいても、つねに手で触れることのできる現実なのです」(Il Signore. Meditazioni sulla persona e la vita di N. S. Gesù Cristo, Milano 1949, 433)。復活は十字架のしるしを消し去りません。だからイエスは使徒たちにご自分の手と足を示します。さらにイエスは、彼らを信じさせるために、何か食べ物をくれるように願います。そこで弟子たちが「焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」(ルカ24・42-43)。聖大グレゴリウス(540頃-604年)は解説していいます。「焼いた魚は、苦難を受けられた神と人との仲介者そのものを象徴している。彼は、人類の海の中に隠れてくださり、わたしたちの死の罠によって捕らえられることを望まれ、受難のとき、苦悩に焼かれたようになられたのである」(『福音書講話』:Homiliae XL in Evangelia XXIV, 5, CCL 141, Turnhout 1999, 201〔熊谷賢二訳、創文社、1995年、415頁〕)。
 このきわめて現実的なしるしによって、弟子たちは初めの疑いを乗り越え、信仰のたまものに心を開きました。この信仰が、彼らにキリストについて「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄」(ルカ24・44)を理解することを可能にしました。実際、こう書かれています。「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、いわれた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪のゆるしを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々にのべ伝えられる」と。・・・・あなたがたはこれらのことの証人となる』」(ルカ24・45-48)。救い主は、ご自分がみことばと聖体によってわたしたちのただ中に現実に現存してくださることを約束されます。それゆえ、エマオの弟子たちがパンを裂いてくださったときにイエスだと分かったのと同じように(ルカ24・35参照)、わたしたちも感謝の祭儀の中で主と出会います。このことについて聖トマス・アクィナス(1224/1225-1274年)はこう説明します。「カトリック信仰に基づいて、キリスト全体がこの秘跡のうちに存在する、と宣言することが絶対に必要である。・・・・というのも、神性は受容したからだを決して放棄することはないのであるから」(『神学大全』:Summa theologiae III, q. 76, a. 1〔稲垣良典訳、『神学大全43』創文社、2005年、90-91頁〕)。
 親愛なる友人の皆様。教会は通常、復活節に初聖体を子どもに授けます。それゆえわたしは、主任司祭、ご両親、カテキスタの皆様に勧めます。深い熱意と落ち着きをもってこの信仰の祝いをよく準備してください。「今日でも、初聖体の日は記念すべき出来事です。信者はそのとき・・・・イエスと個人的に出会うことの大切さを最初に理解するからです」(シノドス後の使徒的勧告『愛の秘跡』19)。神の母の助けによって、わたしたちが主のことばに注意深く耳を傾け、聖体のいけにえの拝領にふさわしくあずかり、新しい人間性の証人となることができますように。

略号
CCL Corpus Christianorum Series Latina

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