教皇ベネディクト十六世の319回目の一般謁見演説 ミラノ司牧訪問を振り返って

6月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の317回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、第7回世界家庭大会に参加するために行ったミラノ司牧訪問(6月1日~3日)を振り返 […]


6月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の317回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、第7回世界家庭大会に参加するために行ったミラノ司牧訪問(6月1日~3日)を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 「家庭――労働と祝祭」――これが、数日前にミラノで行われた第7回世界家庭大会のテーマでした。わたしの目と心には、いまだにこの忘れがたいすばらしい行事の姿と感動が残っています。この行事はミラノを家庭の町へと変容させました。そこには、全世界から、イエス・キリストを信じる喜びで一つに結ばれた家庭が集まったのです。この行事を家庭「とともに」、家庭「のために」過ごすことを可能にしてくださった神に深く感謝します。わたしは、この日々の間、わたしに耳を傾けてくださった人々のうちに、「家庭の福音」を受け入れ、あかししたいという心からの望みを見いだしました。まことに家庭なしに人類の未来はありません。とくに若者は、人生に意味を与える価値を学ぶために、神ご自身が男と女のために望まれた、このいのちと愛の共同体の中で生まれ、育つことを必要としています。
 諸大陸から来た多くの家族との集会は、幸いにもペトロの後継者として初めてミラノ大司教区を訪れる機会を与えてくれました。熱烈にわたしを歓迎してくださった、(ミラノ大司教)アンジェロ・スコラ枢機卿、すべての司祭と信者の皆様、また(ジュリアーノ・ピサピア)ミラノ市長と行政機関に深く感謝申し上げます。それゆえわたしは、豊かな歴史と文化と人間性と愛徳に満ちた、アンブロシウス(339頃-397年)の町の民の信仰を間近で目にすることができました。ミラノの町の象徴また中心であるドゥオーモ広場で、3日間にわたる充実した司牧訪問の最初の行事が行われました(6月1日)。ミラノ市民と第7回世界家庭大会参加者による温かい歓迎を忘れることはできません。人々は今回の訪問の間中、わたしに同伴してくださいました。沿道は人で埋め尽くされていました。大会に参加した多くの家族は、特別な愛情と連帯の思いで一致していました。この思いをもって、わたしはただちに、助けと慰めを必要とし、さまざまな不安に悩む人々、とくに経済危機で苦しむ家族、地震の被害を受けた愛する人々に向かいました。このミラノの町との最初の出会いにおいて、わたしは何よりもまずアンブロシウスの町の信者の心に励ましのことばをかけたいと望みました。個人と共同体の体験として、私的また公的な体験として信仰を生きてください。そして、家庭から出発して、真の「福祉」を推進してください。人類のもっとも重要な遺産として家庭を再発見しなければなりません。司教座聖堂(ドゥオーモ)の頂から、聖母の像は手を広げて、優しい母の心をもって、ミラノと全世界の家族を受け入れてくださるように思われました。
 続いてミラノは、町のもっとも重要な場所の一つであるスカラ座で、特別かつ貴重なあいさつをしてくださいました(同日)。スカラ座は、霊的・精神的な偉大な価値に促されて、イタリアの歴史の重要な頁が書かれた場所です。この音楽の殿堂で、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827年)の交響曲第9番の調べは、教会が福音を告げ知らせながらうむことなく示す、普遍性と兄弟愛への願いを表現しました。わたしは、地震の被害に遭った多くの兄弟姉妹のためにささげられた、この演奏会の終わりに、理想と歴史の悲劇の対比について、また、近くに来られてわたしたちと苦しみを共有してくださる神が必要であることについてお話ししました。わたしは、ナザレのイエスにおいて、神が近くに来てくださり、わたしたちとともにわたしたちの苦しみを担ってくださることを強調しました。この深い芸術的かつ霊的な時の終わりに、第三千年期の家庭についてお話ししました。わたしが思い起こしていただいたのは次のことです。わたしたちは、人間の人格が、自分の中に閉じこもるためではなく、他者と関係をもつために創造されたことを、家庭において初めて体験します。家庭の中で、現代世界を照らすために、平和の光が心にともり始めるのです。
 翌日(6月2日)、司祭、男女修道者、神学生で埋め尽くされた司教座聖堂(ドゥオーモ)で、ミラノと世界各国から来た多くの枢機卿と司教の皆様を前にして、わたしはアンブロシウス典礼による三時課の祈りを行いました。その際わたしは、偉大な聖アンブロシウスが心から大事にした、独身制と奉献生活者の貞潔の重要性をあらためて述べたいと思いました。教会における独身制と貞潔は、神と兄弟への愛の輝かしいしるしです。この愛は、祈りにおいてキリストとの関係をますます深めることから生まれ、自分を完全にささげることによって表されます。
 メアッザ・スタジアムでの集会はまことに熱気にあふれたものでした(同日)。わたしはそこで今年堅信の秘跡を受けた、あるいはその準備をしている、喜びに満ちた多くの若者の歓迎を受けました。意義深い式文と祈り、また踊りによって入念に準備された式は、集会をいっそう盛り上げました。わたしはアンブロシウスの町の若者に向けて呼びかけました。聖霊のたまものを受けながら、イエスの福音を、自由に自覚をもって「はい」と受け入れてください。聖霊は、キリスト信者として形づくられ、福音を生き、共同体の活動的な一員となることを可能にしてくれます。わたしは、とくに勉学と隣人への惜しみない奉仕に努めてくださるよう若者たちを励ましました。
 ミラノとロンバルディア州の政界、経営者と労働者、文化・教育界の代表者との会見(同日)は、次のことの重要性を示す機会を与えてくれました。国家機関による立法と活動は、多くの側面において人格に奉仕し、人格を擁護しなければなりません。このことは生存権と、家庭の本来のあり方を認識することから始まります。生存権が意図的に制限されることを決して容認してはなりません。家庭は男と女の結婚に基づきます。
 このミラノ教区とミラノ市のための最後の行事を行った後、わたしはブレッソ地区にある広大なノルド公園に赴きました。この公園で、わたしは「一つの世界、家庭、愛(One world, family, love)」をテーマとした「あかしの祭典」に参加しました。この祭典で、百万人に上るイタリアと全世界の家族と会うことができたことをうれしく思います。この人々はすでに午後の早い時間から、祝祭と真に家庭的な熱気のうちに集まっておられました。わたしは、いくつかの家族が自分たちの生活と経験から発した質問にこたえることによって、家庭と教会、世界と教会の間に存在する開かれた対話のしるしを示そうと望みました。わたしは、現代の緊急性を帯びたテーマに関して諸大陸の夫婦と子どもが行った感動的なあかしに深く心を打たれました。すなわち、経済危機、労働時間と家族の時間を調和させるむずかしさ、別居と離婚の増加、また、大人と若者と子どもを悩ます実存的な問いです。ここでわたしは家族の時間を守るために繰り返し述べてきたことをあらためて述べたいと思います。家族の時間は、「横暴」ともいえる労働の務めによって脅かされています。日曜日は主の日であり、人間のための日です。それはすべての人が自由になることが可能となるべき日です。それは、家族のため、また神のために自由となるためです。わたしたちは主日を守ることによって、人間の自由を守るのです。
 6月3日(日)の第7回世界家庭大会閉会ミサには、膨大な数の祈る会衆が参加しました。会衆はブレッソ空港の敷地を完全に一杯にしました。ブレッソ空港はいわば野外の大司教座聖堂となりました。それは、再現されて公園に聳え立っていた、ドゥオーモのすばらしいステンドグラスのためでもあります。さまざまな国から来て、周到に準備された典礼に熱心にあずかった信者の群衆に向けて、わたしは次のように呼びかけました。教会共同体を、ますます家庭となるように築いてください。教会共同体が、三位一体の美しさを反映し、ことばだけでなく、生きた愛の力によって福音を告げ知らせることができるものとしてください。愛は世界を造り変えることのできる唯一の力だからです。さらにわたしは、家庭と労働と祝祭が「三角形」を作ることの重要性を強調しました。これらは三つの神のたまものです。人間の顔をもった社会を建設するために、このわたしたちの生活の三つの次元がバランスのとれた調和を見いださなければなりません。
 わたしはこれらのすばらしいミラノでの日々のゆえに深く感謝します。行事に参加し、協力くださった、エンニオ・アントネッリ枢機卿と(枢機卿が議長を務める)教皇庁家庭評議会、行政機関の皆様に感謝申し上げます。日曜日のミサに参加くださった(マリオ・モンティ)イタリア共和国閣僚評議会議長にも感謝申し上げます。今回の大会の準備に際して聖座とミラノ大司教区に惜しみなく協力くださったさまざまな機関にあらためて心から感謝申し上げたいと思います。大会は司牧的・教会的に大成功を収め、世界中にその余韻を響かせています。実際、大会は百万人以上の人をミラノに引き寄せました。彼らは数日間、平和のうちに町の通りを満たし、人類の希望である家庭のすばらしさをあかししました。
 ミラノ世界家庭大会は、家庭の雄弁な「公現」となりました。家庭は、さまざまな表現で、しかも一致した根本的ありかたにおいて示されました。すなわち、家庭とは、結婚を基盤とし、いのちの聖域となるように招かれた、愛の交わりです。それは小さな教会であり、社会の原細胞です。ミラノから全世界に向けて、生きた経験によって具体化された、希望のメッセージが送られました。いのちに開かれた忠実で「永遠の」愛を生きることは、たとえ骨の折れるものであっても、可能であり、喜びをもたらします。教会の宣教と社会の建設に家族として参加することは可能です。神の助けと、家庭の元后である至聖なるマリアの特別なご保護によって、ミラノでの経験が教会の歩みに豊かな実をもたらしますように。この経験が、家庭という問題に対する意識の高まりのしるしとなりますように。家庭の問題は、人間の問題であり、文明の問題だからです。ご清聴ありがとうございます。

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