教皇ベネディクト十六世の2012年7月15日の「お告げの祈り」のことば キリストと教会の働きはつねに前進する

教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月15日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月15日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

この日、教皇は、午前9時30分からフラスカーティ教区を訪問し、司教座聖堂前広場でミサをささげました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 遅れたことをおゆるしください。フラスカーティでミサをささげ、少々長く祈りすぎてしまったようです。そのために遅れたのです。
 今日7月15日は典礼暦の中でバニョレージョの聖ボナヴェントゥラ(Bonaventura 1217/1221-1274年)の記念日です。ボナヴェントゥラはフランシスコ会士、教会博士であり、アッシジの聖フランチェスコ(Francesco; Franciscus Assisiensis 1181/1182-1226年)の後継者としてフランシスコ会(小さき兄弟会)を指導しました。ボナヴェントゥラはアッシジの貧者の最初の公式の伝記を著し、生涯の終わりにここアルバーノ教区の司教にもなりました。ボナヴェントゥラはある手紙の中で述べます。「わたしは神の前で、このことがわたしに聖フランチェスコの生活をことに愛するように仕向けたということを、告白する。なぜなら、教会の始まりと完成はこれに似たものだから」(『無名の教師に宛てた三つの問題についての書簡』:Epistola de tribus quaestionibus ad magistrum innominatum, in Opere di San Bonaventura. Introduzione generale, Roma 1990, p. 29〔三上茂訳、『中世思想原典集成12 フランシスコ会学派』平凡社、2001年、446頁〕)。このことばは今日の主日の福音をすぐに思い起こさせます。今日の主日の福音は、イエスによる十二使徒の最初の派遣を示すからです。聖マルコは語ります。「(イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、・・・・旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた」(マルコ6・7-9)。アッシジのフランチェスコは、回心の後、この福音を文字通り実践しました。こうして彼はイエスのもっとも忠実な証人となりました。また彼は特別なしかたで十字架の神秘と結ばれ、「もう一人のキリスト」へと造り変えられました。聖ボナヴェントゥラがフランチェスコについて述べるとおりです。
 聖ボナヴェントゥラの全生涯と神学は、イエス・キリストを霊感の中心としています。このようにキリストを中心とすることは、今日のミサの第二朗読(エフェソ1・3-14)の中であらためて示されます。これは聖パウロのエフェソの信徒への手紙の有名な賛歌です。賛歌は次のことばで始まります。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」。続いて使徒パウロは、この祝福の計画が四段階で実現されることを示します。四つの段階はすべて「彼(すなわちイエス・キリスト)において」という同じ表現で始まります。父は世が造られる前に「キリストにおいて」わたしたちを選びました。わたしたちは「キリストにおいて」その血によってあがなわれます。わたしたちは「キリストにおいて」、「神の栄光をたたえるために」前もって定められ、相続者とされます。福音を信じる者は「キリストにおいて」聖霊の証印を受けます。このパウロの賛歌は、聖ボナヴェントゥラによって教会の中に広まった歴史観を含んでいます。すなわち、歴史全体はキリストを中心としています。キリストは、あらゆる時代における新規性と刷新も保証します。神はイエスのうちにすべてを語り、与えました。しかし、キリストは尽きることのない宝なので、聖霊はこのかたの神秘をいつまでも啓示し、実現し続けます。それゆえ、キリストと教会の働きは後退するのではなくて、つねに前進するのです。
 親愛なる友人の皆様。明日わたしたちはカルメル山の聖母を記念します。至聖なるマリアに祈り求めようではありませんか。わたしたちを助けてください。わたしたちが、聖フランチェスコや聖ボナヴェントゥラと同じように、主の呼びかけに惜しみない心でこたえ、ことばと、何よりも生涯をもって主の救いの福音を告げ知らせることができますように。

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