教皇ベネディクト十六世の2012年7月22日の「お告げの祈り」のことば よい羊飼いであるイエス

教皇ベネディクト十六世は、年間第16主日の7月22日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第16主日の7月22日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 数日後、ロンドンで第30回オリンピック競技大会が開催されます。オリンピック競技大会は、多くの国のスポーツ選手が参加する、世界最大のスポーツ行事であり、深く象徴的な意味を帯びています。それゆえ、カトリック教会は特別な共感と関心をもってオリンピックを見守ります。神のみ心に従い、ロンドン大会が地上の諸国民のまことの兄弟愛の体験となりますように」。
ロンドン・オリンピックは7月27日(金)に開会式、8月12日(日)に閉会式が行われます。

また、英語によるあいさつの中で、教皇は次のように述べました。
「デンバーのオーロラで起きた無意味な暴力に深い衝撃を受けています。また、ザンジバル近海で最近起きたフェリー事故で人命が失われたことにも悲しみを覚えます。わたしは、犠牲者とけがをした人、とくに子どもの家族、友人の皆様と悲しみを分かち合います。祈りの中で皆様に寄り添うことを約束します。復活した主における慰めと力が与えられることを願って、祝福を送ります」。
アメリカ合衆国コロラド州デンバー近郊オーロラの映画館で7月20日(金)未明に起きた銃乱射事件では、少なくとも12人が死亡しました。犠牲者の中には6歳の女の子も含まれています。また、7月18日(水)、タンザニアのザンジバル島沖で乗客・乗員約290人を乗せたフェリーが沈没し、当局は22日までに145人が死亡したと発表しています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の神のことばは、根本的でつねに魅力的な聖書のテーマをあらためて示します。それは、神が人類の羊飼いであることを思い起こさせてくれるのです。これは次のことを意味します。神はわたしたちのためにいのちを望みます。わたしたちをよい牧場に導こうと望みます。この牧場で、わたしたちは糧を得て、休むことができるからです。神はわたしたちが迷子になることも、死ぬことも望みません。むしろ神は、わたしたちが歩みの目的地である、完全ないのちに達することを望みます。善と幸福と自己実現――これこそ、すべての父親と母親が自分の子どもたちのために願うことです。今日の福音の中で、イエスは、ご自分が、イスラエルの家の失われた羊の牧者であることを示します。群衆に対するイエスのまなざしは、いわば「牧者の」まなざしです。たとえば、今日の主日の福音の中で、こういわれます。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(マルコ6・34)。イエスは説教のしかたとわざをもって牧者である神を体現します。すなわち、イエスは病人と罪人、「失われた者」(ルカ19・10参照)の世話をします。それは、彼らを御父のあわれみのうちに安全なところに連れ戻すためです。
 ガリラヤ湖畔のマグダラ村の出身で、そこから「マグダラの」と呼ばれた、マリアという名の女も、イエスが救った「失われた羊」の一人です。今日は教会の典礼暦の中でマグダラのマリアの記念日です。福音書記者ルカによれば、イエスは彼女から七つの悪霊を追い出します(ルカ8・2参照)。つまり、悪い者に対する完全な隷属状態から彼女を救い出します。神がイエスを通して行ったこの深いいやしは、何だったでしょうか。それは、まことの完全な平和です。この平和は、人格の、自己との和解、また、神、他者、世界を含むあらゆるものとの和解から生まれます。実際、悪い者はつねに神のわざを破壊することを求めます。そのために悪い者は、人間の心の中に分裂の種を蒔(ま)きます。すなわち、肉体と霊魂の分裂、人間と神の分裂、人間関係や社会関係や国際関係の分裂、さらには人間と被造物の分裂です。悪い者は戦争の種を蒔きます。しかし、神は平和を造り出します。そればかりではありません。聖パウロがいうとおり、イエスは「わたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊しました」(エフェソ2・14)。よい羊飼いであるイエスは、この徹底的な和解のわざを成し遂げるために、小羊とならなければなりませんでした。「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)とならなければなりませんでした。このようにして初めてイエスは、詩編の驚くべき約束を実現することができたのです。「いのちのある限り、恵みといつくしみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(詩編23・6)。
 親愛なる友人の皆様。このことばはわたしたちの心をときめかせます。それはわたしたちのもっとも深い願いを表すからです。それは、いのち、それも永遠のいのちという、わたしたちがそのために造られたものを述べているからです。それは、マグダラのマリアと同じように、生涯の中で神を体験し、神の平和を見いだした人のことばです。おとめマリア以上に真実なしかたでこのことばを述べたかたはいません。マリアは、すでに天の牧場で永遠に生きておられるからです。羊飼いである小羊がマリアをこの牧場へと導いたからです。わたしたちの平和である、キリストの母マリア。わたしたちのために祈ってください。

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