教皇ベネディクト十六世の2012年9月30日の「お告げの祈り」のことば わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである

教皇ベネディクト十六世は、年間第26主日の9月30日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第26主日の9月30日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「コンゴ民主共和国東部の人々の置かれた状況を深い懸念をもって見守っています。この数日間開催されている国連ハイレベル会合はこれらの住民に関心を向けています。わたしは特に、絶え間なく続く武力衝突のために苦しみと暴力と深刻な不自由をこうむっている難民、女性、子どもに寄り添います。わたしは神に祈ります。多くの無辜の民を保護するために対話による平和の手段が見いだされますように。正義に基づく平和が速やかに回復されますように。これらの苦しむ人々と、地域全体に友好的な共存が回復しますように」。
コンゴ民主共和国東部では2012年4月からの国内治安状況の悪化により、約25万人の避難民が発生、6万人が隣国のルワンダおよびウガンダに退避しています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の福音はイエスの生涯の一つの出来事を示します。この出来事はいわばついでに書き留められたものですが、深い意味をもっています(マルコ9・38-41参照)。すなわち、ある人が、イエスの弟子ではないにもかかわらず、イエスの名を使って悪霊を追い出していました。若く、若者の熱意に溢れた使徒ヨハネは、その人にやめさせようとしました。しかし、イエスはやめさせようとせず、むしろこのことをきっかけに、弟子たちに次のことを教えられました。神は自分たちの範囲の外でも、よいわざや奇跡さえ行うことができる。神の国に協力する方法はさまざまである。たとえば、宣教する者に一杯の水を飲ませることがそれである(41節)。このことに関連して聖アウグスティヌス(Augustinus 354-430年)は述べます。「カトリック教会のうちにカトリック的でないものがあるように、カトリック教会の外にもカトリック的なものはありうる」(『洗礼論』:De baptismo contra Donatistas VII, 39, 77, PL 43〔金子晴勇訳、『アウグスティヌス著作集8 ドナティスト駁論集』教文館、1984年、387頁〕)。それゆえ、教会に属する者は嫉妬してはなりません。むしろ、共同体の外の人がキリストの名でよいわざを行っていたら、それを喜ぶべきです。ただしその場合、正しい意向と敬意が伴わなければなりません。教会の内部でも、時として、教会のさまざまな人々が行うよいわざを、深い交わりの精神をもって認め、評価するのが困難な場合があります。しかしわたしたちは皆、常に、変化を評価し、尊重できなければなりません。そして、主が限りない「想像力」をもって教会と世界の中でわざを行ってくださることをたたえなければなりません。
 
今日の典礼の中では、不法な富裕者に対する使徒ヤコブの批判も鳴り響きます。この富裕者たちは、横暴な力で集めた富のうちに自らの安定を見いだすからです(ヤコブ5・1-6参照)。このことについてアルルのカエサリウス(Caesarius Arelatensis 468/470-542年)は説教の中でこう述べます。「富がよい人を害することはできない。よい人は富を憐れみをもって施すからだ。富は悪い人を助けることもできない。悪い人は富を貪欲に貯め、浪費によって失うからだ」(『説教集』:Sermones 35, 4)。使徒ヤコブのことばは、物質的な富を空しく追い求めることを戒めるとともに、連帯と共通善のために富を用い、あらゆる次元で常に衡平と道徳性をもって行動するよう強く呼びかけます。
 親愛なる友人の皆様。至聖なるマリアの執り成しによって祈りたいと思います。どうかわたしたちが妬みやそねみなしに、あらゆるよいわざと新しい取り組みを喜ぶことができますように。常に永遠の宝を求めながら、地上の富を賢く用いることができますように。

略号
PL Patrologia Latina

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