教皇ベネディクト十六世の2013年1月13日の「お告げの祈り」のことば 主の洗礼

教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月13日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリ […]


教皇ベネディクト十六世は、主の洗礼の祝日の1月13日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今日は『世界難民移住移動者の日』を記念します。今年の『「世界難民移住移動者の日」メッセージ』で、わたしは移住者を『信仰と希望の巡礼者』になぞらえました。自分の土地を離れる人は、よりよい未来を『希望』するからです。しかし、神に信頼するがゆえに自分の土地を離れる人もいます。神はアブラハムに対して行ったように、人間の歩みを導くからです。こうして移住者は世にあって信仰と希望の担い手となります。今日わたしは、特別な祈りと祝福をもってすべての移住者の皆様にごあいさつ申し上げます。とくにローマに住むカトリックの移住者共同体の皆様にごあいさつ致します。これらの人々を聖フランチェスカ・サヴェリオ・カブリーニ(1850-1917年)と福者ジョヴァンニ・バッティスタ・スカラブリーニ司教(1839-1905年)の保護にゆだねます」。
日本では「世界難民移住移動者の日」は9月の第4日曜日(2013年は9月22日)に行われます。

この日教皇は、午前9時45分からシスティーナ礼拝堂で、主の洗礼の祝日のミサをささげ、ミサの中で20名の新生児に洗礼を授けました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 主の公現後の今日の主日をもって降誕節が終わります。降誕節は光の季節です。キリストの光は、人類の地平に現れた新しい太陽のように、悪と無知の暗闇を追い払います。わたしたちは今日、イエスの洗礼の祝日を祝います。わたしたちは、その降誕の神秘のうちに仰ぎ見た、おとめから生まれたあの幼子が、今日、大人としてヨルダン川の水に浸されるのを目にします。こうして彼は、東方教会の伝統が示すとおり、すべての水と全宇宙を聖化します。しかし、いかなる罪ももたないイエスが、なぜヨハネから洗礼を受けたのでしょうか。なぜ彼は、メシアの到来に備えることを望んだ多くの人々とともに、悔い改めと回心のわざを行おうとしたのでしょうか。キリストの公生活の始まりを告げるこのわざは、受肉と同じ線上に位置づけられます。受肉とは、神が天の高みから陰府(よみ)の底に降ることです。この神の降下の動きの意味は、愛の一語に要約されます。愛は神の名そのものです。使徒ヨハネは述べます。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。そのかたによって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちのうちに示されました」。神は「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(一ヨハネ4・9-10)。だからイエスが行った最初の公的なわざは、ヨハネから洗礼を受けることだったのです。ヨハネはイエスが来るのを見ていいました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1・29)。
 福音書記者ルカは語ります。イエスが洗礼を受けて「祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(ルカ3・21-22)。このイエスは、父の愛のみ心に完全に満たされた、神の子です。このイエスは、十字架上で死に、今、彼の上にとどまり、彼を聖別したのと同じ霊の力によって復活するかたです。このイエスは、神の子として、すなわち愛によって生きることを望む、新しい人です。このかたは、世の悪に対して、へりくだりと責任の道を選び、自分を救うことではなく、真理と正義のために自分のいのちをささげることを選ぶ人です。キリスト信者であるとは、このように生きることです。しかし、このような生き方は、人を生まれ変わらせます。それは、天から、神からの、恵みによる生まれ変わりです。この生まれ変わりが洗礼です。キリストは、人々を新しいいのちへと生み出すために、この洗礼を教会に与えました。聖ヒッポリュトス(170以前-235年)の作とされる古代のテキストはいいます。「この再生の浴槽に信仰をもって降る人は、悪魔を退け、キリストの味方となる。敵を拒絶し、キリストが神であることを認める。奴隷状態を脱け出て、子の衣をまとう」(『主の公現についての説教』:Sermo in sancta Theophania 10, PG 10, 862)。
 恒例に従い、わたしは今朝、3か月ないし4か月前に生まれた幼子のグループに洗礼を授けることができました。この機会に、すべての新生児に祈りと祝福をささげます。しかし、何よりもすべての人にお願いします。自分の洗礼を思い起こしてください。洗礼は、わたしたちに永遠のいのちへの道を開いてくれた、霊的な再生です。「信仰年」の間、すべてのキリスト信者が、上から、すなわち神の愛から新たに生まれ、神の子として生きることのすばらしさを再発見することができますように。

略号
PL Patrologia Latina

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