世界代表司教会議(シノドス)第3回臨時総会 岡田大司教発題

2014年臨時シノドスにおける 日本カトリック司教協議会会長ペトロ岡田武夫大司教発題(intervention) 1.歴史からみた信仰の継承と家族 (1)禁教時代の信仰の継承  2015年3月17日は日本のカトリック教会 […]

2014年臨時シノドスにおける
日本カトリック司教協議会会長ペトロ岡田武夫大司教発題(intervention)

1.歴史からみた信仰の継承と家族
(1)禁教時代の信仰の継承

 2015年3月17日は日本のカトリック教会にとって特別に記念すべき日であります。というのは、この日は、信徒発見よりちょうど150年目に当たるからです。厳しいキリシタン禁制と迫害の中で7代にわたってひそかに信仰を守り伝えたキリシタン(キリスト信者)が1865年3月17日、長崎の大浦天主堂でパリ外国宣教会の司祭に自分たちはキリシタンである、と名乗り出たのです。
 1549年、聖フランシスコ・ザビエルによってもたらされたキリスト教はまたたく間に多くの日本人に受け入れられ、禁教令が発布された1614年には信者数が50万に達していたと報告されています。17世紀初期の日本の総人口は1,200万(現在は12,500万)と言われますので、いかに宣教が成功したかということがうかがえます。それは、人々が乱世にあってこころのよりどころを求めると同時にキリスト教の斬新さに魅了されたからでもあると思われます。しかしキリスト教の著しい発展とその背後にいる国を警戒した当時の最高権力者豊臣秀吉により、1587年、「伴天連追放令」が発布され、宣教師と信徒合わせて26人が殉教したのをはじめ、1614年に徳川幕府により全国に及ぶ全面的なキリシタン禁令が布かれると、史料でわかるだけでも5,000人にのぼる殉教者が生まれました。1637-8年の島原の乱の後は、表面上キリシタンは姿を消し、1644年イエズス会司祭マンショ小西神父が殉教すると、日本からは司祭の存在がまったく途絶えてしまったのです。
 徳川幕府は「五人組制度」や「宗門改」を通し、また「絵踏」を行わせて、キリシタンを厳しく取り締まりました。しかし、表面上棄教を装いながらひそかに信仰を守り信仰を次世代に伝えていたキリシタンがいたのです。彼ら潜伏キリシタンは司祭の指導のない状態で、実に220年以上、自分たちで信仰を守り通しました。これは教会史上稀な出来事であり、奇跡的な事実です。この「奇跡」が可能となったのは、なにより当時は同じ信仰を共有する家族の絆が堅かったこと、また指導者(教えや典礼暦に通じた信徒)、授洗者、そして指導者の教示を各家庭に伝達する者から成る組織が確立していたからです。またキリシタンの多くは農水産業に従事していましたが、聖体やサンタマリヤの組、慈悲の組(confraternity)などが地道な活動をしていました。
 1858年の徳川幕府との修好通商条約に基づいてフランス人宣教師が長崎に教会を建てました。そのおかげで、長崎の一部のキリシタンが彼と歴史的な出会いをしました。しかし2年後の1867年から最後の迫害が起こり、1873(明治6年)になってやっと禁教令が解かれたのです。その発布後260年のことでした。

(2)現代の日本の教会の信仰の継承
 現代の社会の状況は潜伏キリシタンの時代とすっかり様変わりしています。信仰の自由と宗教活動の自由は憲法において保障されています、しかし皮肉なことに、激しい迫害下にあったときは信仰を次の世代に継承させることができたのに、基本的人権の保障されている現代において多くのカトリック信者は、自分の子どもに信仰を伝えるとことに大きな困難を感じています。
 その背景には、信者であっても信者でなくとも、一般的に現代の家庭が大きな危機に面している、という事情が存在しています。
 現代の日本の家庭の問題点は次の三点にまとめられます。


2.現代の日本の家庭の問題点
(1)家族の絆の弱体化

 第二次大戦後日本は高度経済成長を国家の基本方針とし、人々は都市とその周辺へ集中して居住するようになりました。企業が人々の生活の中心となり、家族がともに過ごす時間が著しく減少し、父親の権威は低下しました。子どもたちも、授業以外のクラブ活動や進学のための学習塾通いなどで非常に多忙で、遊ぶ時間もありません。インターネットの普及もかえって家族の間の「顔と顔を合わせての心の交わり」を弱くする結果をもたらしています。
 日本で家族そろって信者である場合は少ないのですが、家族が皆信者である場合でも家族が一緒に祈る機会が極めて少なくなっております。また家族が心を開いて話し合う機会も乏しく、苦楽を分かち合い助け合うという家庭の機能は著しく減退しています。日本の社会は「無縁社会」であり「無縁死」「孤独死」が増えていると報道されています。都会と田舎を問わず少なからぬ人々が孤独と不安の中に日々を過ごしているのです。

(2)少子高齢化
 日本人の平均寿命は非常に延びました。他方出生率は低下し、人口の減少が憂慮されています。どこに行っても、元気に遊んでいる子どもの姿を見る機会が減りました。高齢者は増加の一途をたどり、医療・介護の経費の負担は増加する一方です。高齢者が如何に生きがいのある晩年をすごすのかが、誰にとっても大きな課題になっています。
 他方少子化は大きな社会問題・政治問題になっています。夫婦には子どもの数を少なくするという傾向があります。その理由の一つは、子どもが多いと教育費の負担が耐えられない、ということです。さらにまた、仕事を持っている女性が多いため、育児に時間を割けないなど、出産・育児の環境が整っていないことなどが大きな原因となっています。

(3)結婚の減少と離婚の増加
 種々の理由で、結婚しない人、結婚したくとも相手が見つからない人が増えています。他方、結婚しても離婚する人の数が増加しています。困難に遭遇すると簡単に結婚を解消してしまう場合が少なくはありません。
 家庭を建設し子どもを設けて育成するという、昔は当然のこととして行われた人間の営みが危機に瀕していると言っても過言ではないでしょう。避妊・中絶(あるいは堕胎)は一般化しております。
以上の傾向はカトリック信者にもかなりな程度で当てはまると思われます。


3.現代日本教会の試みとシノドスへ
【試み】福音宣教推進全国会議:家庭を支える教会(The National Incentive Convention for Evangelization)

 日本カトリック司教協議会は第二バチカン公会議の教えを日本の社会で実施し推進するために大規模な全国会議を二回開催しました。
 第一回は1987年に開催され、「開かれた教会づくり」を標題にし、日本のカトリック信者が日々の生活と信仰の間の葛藤を如何に克服するのか、について分かち合い、多くの提案が司教協議会へ提出されました。
 第二回はその6年後の1993年開催、「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る―神のみ旨に基づく家庭を育てるために-」を主題とし掲げました。
 第三回臨時シノドスのテーマがThe Pastoral Challenges of the family in the Context of Evangelizationでありますが、これは日本の司教協議会が行ったこの第二回福音宣教推進全国会議の開催の趣旨に共通する部分が多いと思います。そこで今21年前に行われたこの会議の結果を参考にしながら、あらためて臨時シノドスの課題:The Pastoral Challenges of the family in the Context of Evangelizationにどのように対応したらよいのか、そのためのヒントとなりうる提案は何であるのか、あらためて考えてみたいと思います。

【対策と提案】
(1)教会共同体の責任

 日本でカトリック信者は極めて少数です。圧倒的に世俗化が進み、経済成長した社会の中で、圧倒的多数の他宗教の人々、あるいは宗教を信じない人々のなかで生活しています。まさに「離散の教会」の状態におかれています。自分の家庭においても自分だけが信者である場合が少なくはありません。このような場合、教会共同体が家庭における信者の信仰を守り育てる努力と工夫が必要です。信者の家族との交わり、人間関係を支え助けるためには教会共同体が努力しなければなりません。家族関係で悩む人々、家族の病気・障害のために相談相手となる部門を設置し、信徒を支援することも大切です。

(2)典礼の充実と聖書の分かち合い
 教会は社会で孤立している信者を祈りにおいて支え助けます。特にミサをはじめとする典礼が大切です。厳しい現実を生きる信者の生きる支え、慰め、励ましとなる典礼(説教)が求められます。また、主日の福音と朗読箇所を事前に学び、あるいは分かち合う機会を設けることが極めて有益です。主日の福音の分かち合い、ということが静かに浸透しつつあるのは喜ばしいことです。

(3)分かち合い・共生の広がり

 第二回福音宣教推進全国会議は「分かち合い」を推奨しました。分かち合いは御言葉の分かち合いだけでなく、病気、障害、災害、差別、人権侵害などの深刻な問題で苦しむ人々との分かち合い、共感であり、彼らに寄り添ってともに生きる「共生」ということでもあります。東日本大震災は大変悲惨な出来事でしたが、多くの人が救援活動に参加し、ボランティアのグループが多数誕生しました。これは「共生」のよい模範であると思います。

(4) 結婚式とその準備の充実
 日本ではキリスト教はいたって少数ですが、例外的に多くの人々に歓迎されている部分があります。それは結婚式です。多くの日本人は教会の聖堂で結婚式を挙げることを希望します。日本の司教協議会は聖座から特別な許可を頂き、条件付で、非キリスト者同士が聖堂で結婚式を挙げることを認めています。しかしそのためには、カトリック教会の結婚についての基本的な教えに関する「結婚講座」を受講していただくことが条件になっています。
 信者の結婚の場合はもちろん、結婚前のカテケージスが非常に重要です。結婚の前に、結婚の意味、いのちの尊さを十分に学んでいただくことが極めて重要であります。結婚準備のカテケージスは家庭における福音宣教の、不可欠の重要な司牧の課題です。
結婚式には信者でない多くの家族と関係者が出席しますから、その折の説教は福音宣教のよい機会となります。
 またクリスマスは多くの信者でない人がミサに参加し、司祭の説教を聞き(聖体拝領はできないのですが)司祭から祝福を受けて喜んで帰ります。

(5) 冠婚葬祭と福音宣教
 東洋の文化では、冠婚葬祭の通過儀礼が大切です。日本で死者のための儀式は社会の儀礼として重んじられています。カトリック葬儀にも多くの非キリスト者が参加し、葬儀の典礼はよい評判を受けています。葬儀は「死」の意味を教会外の人に説く貴重な機会です。そのための準備を大切にしたいものです。
 さらに亡くなったかたがたのための追悼のミサも、また成人式の際の祝福もあります。このような種々の通過儀礼のインカルチュレーションinculturation を推進することは日本の福音化のために大いに益する所があると思います。

(6) 婚姻手続きの簡素化を
 離婚者・再婚者のための司牧、そして法的な救済手続としての「無効宣言」などの手続が簡略化されることを日本の司教協議会としてお願いします。日本ではカトリック教会で行われている90%の結婚式が異宗婚(カトリック受洗者と未受洗者の結婚)です。このような結婚ゆえに、結婚前には①自分の信仰を守ること。②生まれてきた子どもに洗礼を授け、カトリック教育を施すことを書面上だけで約束しても、結婚後には教会のミサに来ることさえ難しいことになり、子どもが生まれても、結婚相手が未受洗者の場合には、子どもの洗礼のことを言い出すことさえ難しくなってゆきます。このような約束が果たせない状況にさらされており、まして離婚となった場合には、無効宣言の手続きのために相手方を召喚したり出廷させたりすることなどは、ほとんど不可能な状態です。勿論のこととして、可能な限り、相手方へもこの手続への協力を求めるべきですが、家庭内暴力があっての離婚や相手が精神的な病気のために、そもそもそれに応じることが出来ない場合など、無効宣言の手続きを担当する教会裁判所の裁量に任せて欲しいと思います。このような「カトリック信者同士の結婚を前提とした手続」を、異宗障害の免除と同じように、必要な手続きからの免除を行う、という権限を司教協議会に与えて欲しいと願っています。

(7)教会が砂漠のオアシスとなる
 著しく世俗化の進んだ日本の大都市でも、自分を越える偉大な神への思いを心に秘めている人が少なくはありません。大都会に生きる人々は静かに祈り、人生について考えるときと場所を必要としています。祈りの集いを企画すると多くの人が参加します。信者でない人でも聖堂でしばらくゆっくり過ごす人が少なくはありません。大都市のカトリック教会は、できるだけ「開かれた教会」でありたいと思います。
 それは建物である聖堂に関してだけでなく、信者共同体についても同様のことが言えます。教会は悩み迷う人の話しに耳を傾ける用意のある人々の団体でありたいと願っています。 
 「金がすべて」という価値観が支配的である日本の社会で、日本のカトリック教会は、主イエス・キリストの復活の光のしるしとなり、常に、地上を越えた永遠の世界を指し示す、人々のための癒し、慰め、励まし、希望として、歩みたいと願い、祈っています。

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