世界代表司教会議(シノドス)第3回臨時総会最終報告

「福音宣教の観点から見た家庭の司牧的課題」(2014年10月5-19日) 目次 序言 第一部 聴くこと:家庭の状況と課題  社会的文化的状況  生活における感情面の重要性  司牧上の課題 第二部 キリストへのまなざし:家 […]

「福音宣教の観点から見た家庭の司牧的課題」(2014年10月5-19日)

目次

序言

第一部 聴くこと:家庭の状況と課題

 社会的文化的状況
 生活における感情面の重要性
 司牧上の課題

第二部 キリストへのまなざし:家庭の福音

 イエスへのまなざしと救いの歴史における神の教育法
 神の救いの計画における家庭
 教会の文書における家庭
 結婚の不解消性およびともに生きることの喜び
 家庭の真理と美しさおよび傷ついた家庭、壊れやすい家庭への慈愛

第三部 現実に向き合う:司牧的展望

 さまざまな状況の中で、今日家庭の福音を告げ知らせること
 結婚準備の過程で結婚する二人を導くこと
 結婚生活の初期段階に寄り添うこと
 市民法のみによる結婚や同棲中の人々に対する司牧的ケア
 傷ついた家庭(別居夫婦、再婚していない離婚者、再婚した離婚者、ひとり親家庭)をケアすること
 同性愛的傾向を持つ人々への司牧的配慮
 いのちの継承と出生率低下についての課題
 福音化における家庭の教育と役割についての課題

結論

序言

1 教皇を囲んで集ったシノドスは、世界中のすべての家庭、その喜び、苦労、希望に思いを向ける。とりわけシノドスは、多くのキリスト者の家庭が惜しみない忠実さをもって自分の召命と使命に応えていることを、主に感謝しなければならないと感じている。これらのキリスト者は、家庭としての歩みが障害や無理解、苦しみをもたらす時でさえ、喜びと信仰をもってその召命と使命に応えている。全教会と本シノドスは、これらの家庭に敬意と感謝と励ましを送る。2014年10月4日土曜日、家庭についてのシノドスの準備のため、サンピエトロ広場で行われた前晩の祈りの中で、教皇フランシスコは分かりやすく具体的な表現で、すべての人の人生にとって家庭での体験が中心的なものであることを思い起こさせている。「わたしたちの集いにも夜が来ました。喜んで家に帰る時間です。深い愛情のうちに、自分が行った善や受け取った善の豊かさ、また心を温め、成長させる出会いの豊かさのうちに、同じ食卓を囲んで顔を合わせるためです。そこには人々の日常の終わることのない祝祭を先取りする、良質のぶどう酒があります。夜はまた、破れた夢や実現しなかった計画という辛いたそがれ時の中で、自分の孤独と向きあう人にとって、もっとも重苦しい時間でもあります。いったいどれほどの人が、あきらめ、放棄、憤りの行き止まりの中で日々を過ごしているでしょうか。いったいどれほどの家庭で、喜びのぶどう酒が、そしてそれゆえに生きることへの意欲――知恵そのもの――が、不足していることでしょうか。……この夜、互いのために祈り合うとともに、すべての人のための祈りをささげましょう。」

2 喜びと試練、深い愛情と時としては傷ついた人間関係の場である家庭は、真に「人間形成の学校」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』52参照)であり、その必要性は強く感じられている。「地球村」のさまざまな分野において、家庭という制度の危機を告げる多くの兆候があるにもかかわらず、結婚して家庭を築きたいという渇望が特に若者の間で生き続けている。人間性に精通し、自らの使命に忠実である教会は、その要望に促され、休むことなく、また深い信念をもって、「家庭の福音」を告げ知らせる。この福音は、イエス・キリストのうちに示された神の愛の啓示とともに教会にゆだねられ、教父や霊性の大家たち、また教会の教導職によって途切れることなく教えられてきたものである。家庭は教会にとって格別な重要性を持っており、そしてすべての信者が自分自身の殻から外に出ていくよう招かれているこの時に、家庭は福音化の、無視することのできない主体として再認識される必要がある。シノドスは多くの家庭のあかしの使命に思いを向ける。

3 2014年10月の臨時総会において、ローマの司教(教皇)はシノドスに対し、家庭の決定的で尊い現実について考察し、2015年10月に開かれる通常総会において、またそれまでの一年間に、考察を深めるよう要請した。「ローマの司教の周りに一つに集まるということは、すでに恵みの出来事です。そこに司教団の団体性は霊的、司牧的識別の歩みのうちに表れます。」教皇フランシスコはこのようにシノドスの経験を描写し、神のしるしと人間の歴史のしるしの双方に耳を傾けるという両面的な課題と、それが必要とする両面的かつ唯一の忠実さを示した。

4 これらのことばを考慮した上で、わたしたちの考察と討議の結果を以下の三部にまとめた。第一部「聴くこと」では、今日の家庭の、光と影が伴う複雑な現実に注意を向ける。第二部「キリストへのまなざし」では、教会の信仰の中に受け継がれてきた啓示が、家庭の美しさ、役割、尊厳について述べていることを、新たな気持ちと熱意をもって再考する。第三部「現実に向き合う」では、主イエスの光のもとに、男と女の結婚の基礎の上に築かれた家庭に対する、教会と社会の責任をどのように新たにするか、その方法を識別することを目指す。

第一部
聴くこと:家庭の置かれた状況と突きつけられた課題

社会的文化的状況

5 キリストの教えに忠実に留まりつつも、わたしたちは今日の家庭の現実を、そのあらゆる複雑さのうちに、光の面も影の面も見ていく。わたしたちは、両親、祖父母、兄弟姉妹、近い親族、遠い親戚、またあらゆる結婚を成立させる二つの家族の結びつきに思いをはせる。人類学的、文化的変化は今日、生活のあらゆる側面に影響を与えており、分析に基づく多様なアプローチを必要としている。肯定的な側面が、まず最初に強調されなければならない。少なくとも、ある地域においては、表現の自由が拡大され、女性や子どもの権利が以前よりも認められるようになってきている。しかし、その一方では、極度の個人主義に代表されるような、増大しつつある危険についても同じように考察しなければならない。極度の個人主義は、家族のきずなを変質させ、また家族の構成員をそれぞれ孤島のようにとらえるに至り、ある場合には、人間とは自身の欲望によって構成されており、その欲望は絶対である、という考え方を横行させている。これに加えて、多くのカトリック信者に見られる信仰の危機があり、これはしばしば結婚や家庭の危機の原因ともなっている。

6 現代文明の大きな貧困のひとつは孤独であり、これは人々の生活の中における神の不在、そして人間関係のもろさに起因している。また、社会的・経済的現実に対する、全体を覆い包む無力感がある。これがしばしば家庭を押しつぶすことになる。こうしてますます悪化する貧困と、時には真の悪夢として経験される労働の不安定さ、重すぎる税負担が若者たちに結婚する気を起させないことになる。しばしば、家庭は無関心や無配慮によって社会制度から見捨てられているように感じている。社会組織の観点から見た否定的な影響は明らかである――人口統計上の危機から育児上の困難まで、生まれてくるいのちを迎え入れることの苦労から、高齢者の存在を重荷として感じること、また時には暴力にまでおよぶ感情的問題の発散までに及ぶ。若者たちの未来を保証する法制度や労働条件を整え、彼らが家庭を築く計画を実現するのを助けるのは国家の義務である。

7 大きな課題を突き付ける文化的、宗教的状況も存在する。ある社会では、一夫多妻制がいまだに実践されており、またある伝統においては「段階的結婚」(足入れ婚)の習慣が残っている。他の社会では第三者が取り仕切る結婚が続けられている。カトリック教会が少数派である国々では、混宗婚や異宗婚が非常に多く、法律的な問題、洗礼や子育てにまつわる問題、また双方の異なる信仰を互いに尊重することなど、多くの困難をもたらしている。こうした結婚においては、相対主義や無関心の危険もあるが、異なった信仰を持つ者が同じ屋根の下で調和のうちに暮らすことが、エキュメニズムの精神や諸宗教対話を促進する可能性もある。西洋諸国だけでなく、多くの社会で、結婚前の同棲や、制度的拘束という形を取ることを意図しない同棲がかなり広がってきている。これに加え、結婚や家族を危うくするような立法の問題もある。世界中の多くの場所で、世俗化のため、神への言及が極度に少なくなり、信仰は社会的に共有されるものではなくなってきている。

8 特にいくつかの国では婚姻関係の外で生まれる子どもが多くあり、片親に育てられたり、再婚家庭で育ったりしている。離婚数は増加しており、経済的理由のみによって離婚に踏み切る例も珍しくない。子どもたちはしばしば夫婦間の争いの原因、家庭分裂の真の犠牲者となっている。父親たちはもっと明確に子どもたちや家族に対する責任を負うべきであるが、彼らが経済的理由からばかりでなく、家庭を不在にすることもしばしば見受けられる。女性の尊厳はもっと守られ、促進される必要がある。実際、今日多くの場で、女性であることは差別の対象となることであり、母親となるたまものも、価値のあるものとして示されるよりも、むしろそれによって不利な立場に置かれてしまうことが多い。増加しつつある女性に対する暴力も決して忘れてはならない。不幸にもそのような暴力は時に家庭の中で行われ、またいくつかの文化においては女性器の切除という深刻な習慣が広く行われている。また、子どもたちの性的搾取は現代社会のもっとも恥ずべき、邪悪な現実のひとつである。戦争やテロリズム、組織犯罪による暴力にさらされた社会では、家庭をめぐる状況が悪化しており、特に大都市やその周辺ではいわゆるストリートチルドレンも増加している。さらに移住の問題は、それが家庭生活にもたらすすべての重荷とともに、わたしたちが向き合い、理解しなければならない時のしるしである。

生活における情緒面の重要性

9 上に述べたような社会の状況に直面して、世界中の多くの地域で、人々は自分自身の人格を大切にすること、自分の内面をよく知り、自分の感情や感覚との調和のとれたよりよい生を生きること、また精神生活におけるよい人間関係を求めることの必要性をより強く感じている。このような正当な望みは、家族関係のように固く結ばれ、責任を伴った関係、また自己献身的で相互に建設的な関係を作りだすことへの欲求につながっていくであろう。個人主義、また自己中心的に生きることの危険は重大である。教会にとっての課題は、夫婦を情緒的側面の成熟において助け、また対話や徳、あわれみ深い神の愛に対する信頼を促進するため、その精神的進歩を助けることである。キリスト者の結婚において求められる完全な献身は、自己中心的な個人主義に対する強力な解毒剤となるであろう。

10 現代世界においては、際限のない情緒性を押しつけて来るような文化的傾向に事欠かない。そこにおいてはより複雑な側面も含め、そのような情緒のすべての側面を探ろうとする傾向がある。事実、感情的なもろさは大きな現実的な問題である。自己陶酔的で、不安定かつ変わりやすい情緒は個々人がより成熟していくための助けにはならない。特に懸念されるのはポルノの氾濫や肉体の商業化である。その要因として、インターネットの悪用、さらには売春を強要するような悪しき状況が挙げられる。このような状況の中で、夫婦は時に不確かさやためらいを覚え、成長する方法を見いだすことに苦労している。多くの夫婦は、情緒的、性的生活の初期段階にとどまってしまう傾向がある。夫婦の危機は家庭を不安定にし、別居や離婚によって、大人、子ども、そして社会全体に深刻な影響を及ぼし、個人や社会のきずなを弱体化させている。また、子どもをもうけることに消極的な考え方や、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖にかかわる健康)を推進する国際的な政治力の後押しを受けた人口減少は、世代交代が保証されない状況を作り出しているのみならず、いずれ経済の困窮化や将来への希望の喪失につながる危険さえある。バイオテクノロジーの発展も出生率に大きな影響を与えてきた。

司牧上の課題

11 こうした状況の中で、教会は真理と希望のことばを発する必要性を感じている。教会は、人間が神に由来することを確信し、したがって、人間であることの意味を改めて問いなおす思索が、人類のもっとも深い期待のうちに豊かな大地を見いだすことができるという確信のもとに行動しなければならない。結婚とキリスト者の家庭の大いなる価値は、個人主義と快楽主義に特徴づけられる時代においても、人間存在共通の探究に応えるものである。教会は人々を具体的な存在として受け入れねばならず、失敗を犯した人や、さまざまな状況にある人たちについても、その探求を支え、神への渇望ならびに自分たちが完全に教会の一部であることを感じたいという望みを励ます方法を知らなければならない。キリスト教のメッセージは常にそれ自体の中に、キリストのうちに統合される、あわれみと真理の現実と原動力を含んでいるのである。

第二部
キリストへのまなざし:家庭の福音

イエスへのまなざしと救いの歴史における神の教育法

12 「現代的な課題の地平を進むわたしたちの足取りを確かなものにするために、決定的な条件は、イエス・キリストへとしっかりとまなざしを据え続けること、そのみ顔を黙想し礼拝し続けることにあります。……実際、わたしたちがキリスト者としての経験の源に立ち返るたびに、新しい道と考えもしなかった可能性が開かれてくるのです」(教皇フランシスコ、講話、2014年10月4日)。イエスはご自分が出会った男女を愛と優しさのうちに見守り、神の国が求めることがらを告げ知らせながら、真理と忍耐とあわれみをもって、彼らの歩みに同伴された。

13 創造の秩序はキリストに向かうものと定められているので、契約の恵みが神から人間へ伝えられる時にも、異なった段階がある。それを区別し、ただし切り離すことなく、理解しなければならない。神の教育法によれば、創造の秩序は継承する段階を経てあがないの秩序に至るので、キリスト教の結婚の秘跡の新しさは、原初からの自然・本性的な結婚との継続性のうちに理解されなければならない。つまり創造において、またキリスト者の生活において、神が働かれる救いの方法である。創造においては、すべてのものがキリストを通して、キリストを目指して造られた(コロサイ1・16参照)ので、キリスト者は「人々の民族的・宗教的伝統に精通し、その中に隠されているみことばの種を喜びと敬意をもって見いだすようにしなければならない。同時に、諸民族の間に起こる重大な変容に留意」(第二バチカン公会議『教会の宣教活動に関する教令』11)しなければならない。キリスト者の生活においては、信者は洗礼によって家庭の教会、つまり自分の家族を通して教会の一員とされ、そして罪から救い、十全ないのちを与える、愛への絶え間ない回心を通して、「神のたまもの……が徐々に一つのものとなっていく……ダイナミックな過程」(ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『家庭 愛といのちのきずな』9)を歩み出すのである。

14 イエスご自身も、夫婦に関する原初の計画に言及して、「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」(マタイ19・8)と述べられ、男と女の解消することのできないきずなを再確認しておられる。結婚の不解消性(「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19・6))は、そもそも人々に課せられた「くびき」としてではなく、むしろ結婚において一つに結ばれた夫婦に与えられた「贈り物」として理解されるべきである。このようにしてイエスは、神がご自身を低くされて、人間の歩みに常に同伴し、かたくなな心を恵みによっていやし、変容させ、十字架の道を通してご自身の原理へと導くことを示される。福音書から明白に浮かび上がるイエスの姿は教会にとっての模範である。実際、イエスはひとつの家族のうちにお生まれになり、カナの婚宴で奇跡のしるしを始められ、結婚の意味を神の本来の計画を取り戻す啓示の充満としてお示しになった(マタイ19・3)。しかし、それと同時に教えを実際に行動に移し、あわれみの真の意味を示された。これは、サマリアの女との出会い(ヨハネ4・1-30)や姦通をした女との出会い(ヨハネ8・1-11)の場面において明らかである。イエスは愛を持って罪人に接し、ゆるしの基礎となる、悔い改めと回心に導いておられる(「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」)。

神の救いの計画における家庭

15 イエスが弟子たちに残された永遠のいのちのことばには、結婚と家庭についての教えが含まれていた。その教えによれば、結婚と家庭についての神の計画は、三つの根本的な段階に区別することができる。最初に、起源となる家庭が存在した。それは家庭の堅固な基礎として創造主である神がアダムとエバとの間に原初の結婚を設定されたときである。神は人間を男と女とに造られた(創世記1・27)のみならず、いのちを産み、増えるように祝福された(同1・28)のである。そのため、「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(同2・24)。この結びつきはしかし、罪によって傷つけられ、歴史上の神の民における結婚の形態を取るようになる。これはモーセが、離縁状を出すことを可能とした(申命記24・1以降)結婚の形態である。このような形態はイエスの時代においては主流であった。しかし、イエスの到来と、イエスによって成し遂げられたあがないを通じ、堕落した世界が神と和解させられたことによって、モーセに始まった時代は終わりを告げた。

16 すべてのものをご自分のうちに和解させたイエスは、結婚と家庭をその原初の形に戻された(マルコ10・1-12参照)。家庭と結婚はキリストによってあがなわれ(エフェソ5・21-32参照)、すべての真の愛がそこからほとばしる神秘である、至聖なる三位一体の神の像に回復された。創造において始められ、救いの歴史において啓示された結婚の契約は、キリストにおいて、そしてキリストの教会において、その意味の完全な啓示を受けたのである。結婚と家庭は、神の愛をあかしし、交わりのいのちを生きるために必要な恵みを、教会を通してキリストから授かる。人間が神の像、そして似姿に造られた(創世記1・26-27参照)創造の時から、小羊の婚宴をもって、世の終わりに、キリストのうちに契約の神秘が完成する時まで(黙示録19・9、ヨハネ・パウロ二世『人間愛についてのカテケージス』参照)、家庭の福音は世界の歴史を貫いている。

教会文書における家庭

17 「過去何世紀にもわたり、教会は絶えず結婚と家庭について教えてきた。この教導職の教えの最も高度な表現のひとつが第二バチカン公会議の『現代世界憲章』であり、結婚と家庭の尊厳の促進のために一章を割いている(『現代世界憲章』47-52参照)。同憲章は結婚をいのちと愛の共同体と定義し(同48参照)愛を家庭の中心に据えている。それと同時に、現代文化の中でさまざまな形で過度の単純化が行われているにもかかわらず、この愛の真理を示している。『夫婦間の真の愛』(同49)は互いの自己献身を意味し、神の摂理によって、性的側面と感情面を含み、それらを統合する(同48-49参照)。さらに、同憲章48は夫婦がキリストに根差していることを強調している。主キリストは『結婚の秘跡を通じてキリスト信者の夫婦を迎え入れ』、彼らとともにとどまる。受肉によって、キリストは人間の愛を身にまとい、これを清め、完成へと高めるとともに、この愛が夫婦の信仰、希望、愛の生活を満たし、キリストの霊によって、彼らがこの愛を生きることができるよう力を与える。このようにして、夫婦はいわば聖別され、恵みによってキリストの体を形作り、ひとつの家庭の教会を構成する(第二バチカン公会議『教会憲章』11参照)。このため、教会は自らの神秘を深く理解するために、その神秘を真の仕方で表す、キリスト者の家庭に目を向ける。」(シノドス第3回臨時総会『討議要綱』4)

18 「第二バチカン公会議に続き、歴代の教皇も結婚と家庭についての教えを深めてきた。特にパウロ六世は、回勅『フマーネ・ヴィテ』において、夫婦愛といのちの誕生との密接な結びつきに光を当てた。聖ヨハネ・パウロ二世は、『人間愛についてのカテケージス』、『家庭への手紙』(Gratissimam Sane)、そして特に使徒的勧告『家庭 愛といのちのきずな』を通して、家庭に特別な関心を向けた。これらの文書の中で、同教皇は家庭を『教会の道』と定義し、男性と女性の愛への召命を概観し、家庭に対する司牧と、社会における家庭のあり方についての根本的な方向性を示した。とりわけ夫婦愛について(『家庭 愛といのちのきずな』13参照)、同教皇は、夫婦がいかにして互いの愛のうちにキリストの霊のたまものを受け、聖性への召命を生きるかを示した。」(『討議要綱』5)

19 「ベネディクト十六世は回勅『神は愛』の中で、男女間の愛の真理というテーマを再び取り上げた。このテーマは、十字架につけられたキリストの愛という観点からのみ、真に理解することができる(『神は愛』2参照)。同教皇は『排他的で決定的な愛に基づく結婚は、神と神の民の関係を表わすしるしです。また逆に、神と神の民の関係も、結婚を表わすしるしとなります』(『神は愛』11)と述べている。さらに同教皇は、回勅『真理に根ざした愛』で、人間が共通善を経験し、学ぶ場である社会における、社会生活の原理としての愛の重要性を強調している(『真理に根ざした愛』44参照)。」(『討議要綱』 6)

20 「教皇フランシスコは、回勅『信仰の光』の中で、家庭と信仰のつながりについて次のように記している。『キリストと出会い、キリストの愛に捕えられ、導かれることにより、人生の展望が広がり、欺くことのない堅固な希望が与えられます。信仰は臆病な人の逃れ場ではなく、わたしたちの人生を広げるものです。信仰は偉大な招き、愛の召命に気づかせてくれます。それは、愛が信頼するに足り、引き受けるに値するものであることを約束してくれます。なぜなら、愛はわたしたちのあらゆる弱さよりも強い、神の忠実を基盤とするからです』(『信仰の光』53)」(『討議要綱』 7)

結婚の不解消性およびともに生きることの喜び

21 結婚の秘跡を構成する相互の自己譲与は、洗礼の恵みに根ざしている。洗礼の恵みは、教会のうちに、一人ひとりの受洗者とキリストとの基本的な契約を樹立させる。互いを受け入れ合うことのうちに、またキリストの恵みによって、婚約者は完全な自己譲与、忠誠、そしていのちを迎え入れる姿勢を約束する。二人はこれらが結婚を構成する要素、神から自分たちへの贈り物であることを認め、教会の前で、神の名によって、相互の誓約を真剣に取り交わす。こうして信仰のうちに、結婚のもたらすさまざまな善を、秘跡の恵みの助けにより、守ることがより容易な誓約として受け入れていくことが可能となる。神は結婚する男女の愛を聖別し、その不解消性を確実なものとし、忠誠、相互の補い合い、そしていのちを迎え入れることに向かって生きていくことができるよう助けを与える。そのため、教会のまなざしは家庭全体の心臓である夫婦に向けられるが、それはまた、イエスへのまなざしでもある。

22 これと同じ展望のうちに、すべてのものはキリストのうちに、キリストに向かうものと考えられるとする使徒の教え(コロサイ1・16参照)に従って、第二バチカン公会議は自然・本性的な結婚および、他の宗教や文化の中に――限界や不足があるにせよ(ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の使命』55参照)――存在する、価値のある要素(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』2)に対する敬意を表することを望んだ。さまざまな文化の中に存在するみことばの種子(『教会の宣教活動に関する教令』11参照)は、いくつかの面で、キリスト教に属さない多くの文化、人々の結婚や家庭の現実の中にも見いだされると言える。それゆえ、キリスト教における結婚以外の結婚――それはともかく一人の男性と一人の女性の間の安定した、真実な関係に基礎を置いている――の中にも、価値のある要素があるのであり、それらの結婚はいずれにせよ、キリスト教における結婚に向かう途上のものとわたしたちは考えている。さまざまな文化や民族の英知に目を向けながら、教会はこうした家庭も人類共同体に必要であり、実り豊かな基本的社会単位として認める。

家庭の真理と美、ならびに傷つき壊れやすい家庭に対する慈愛

23 教会は心からの喜びと深い慰めをもって、福音の教えに忠実であり続ける家庭を見つめ、これらの家庭のあかしのゆえに、彼らに感謝し、励ましを与える。実際、これらの家庭のおかげで、不解消で、永遠に忠実な結婚の美は信じうるものとなっている。キリスト者は「いわば家庭の教会」(『教会憲章』11)とも言われる家庭において、人と人との交わりという最初の教会経験を持つが、そこには、恵みによって、聖なる三位一体の神の神秘が反映されている。「そこでわたしたちは、忍耐力、仕事の喜び、兄弟愛、寛容で幾度も繰り返されるゆるし合い、そして特に、祈りや自分のいのちをささげることによる敬神を学びます」(『カトリック教会のカテキズム』1657)。ナザレの聖家族は感嘆すべき模範であり、この学びやでわたしたちは、「もし福音の教えに従い、キリストの弟子になりたいのであれば、なぜ霊的な鍛錬が必要であるかを学びます」(パウロ六世、ナザレでの説教、1964年1月5日)。家庭の福音は、まだ成長を待っている種子を育てるとともに、枯れて世話が必要になっている木々をいやすものでなければならない。

24 信頼できる教師であり、また思いやりに満ちた母でもある教会は、洗礼を受けた者の結婚には結婚の秘跡以外にないこと、またそれを破壊することはいかなるものであれ神の意志に反することを認めつつも、懸命に信仰の道を歩もうとしている、教会の多くの子らの弱さにも気づいている。「したがって、福音が示す理想の価値は下げることなく、一日一日築いていく人間の成長段階に、あわれみと忍耐をもって寄り添わなければなりません。……大して困難に直面することなく過ごす、うわべは正しい生活よりも、人間の大いなる限界のただ中で踏み出す小さな一歩のほうが、神に喜ばれるはずです。すべての人が、救いをもたらす神の愛による慰めと励ましに触れるべきです。その欠点や過ちを超えて、神の愛は一人ひとりに神秘的に働くのです」(教皇フランシスコ使徒的勧告『福音の喜び』44)。

25 市民法のみによる結婚をしている人々、離婚した人々と再婚した人々、また同棲をしている人々への司牧的なアプローチについては、教会の役割は、彼らの生活の中における、神の恵みの教育法を明らかに示すこと、また彼らのための神の計画の完成に、彼らが到達できるよう助けることにある。すべての人を照らす光(ヨハネ1・9、『現代世界憲章』22参照)であるキリストのまなざしにしたがって、教会は、不完全な形で教会生活に参加している人々の生活の中にも神の恵みが働いていることを認めつつ、愛をもって彼らに向かうことを欲している。この恵みは、彼らが善をなし遂げ、互いに愛をもって思いやり、自分が生活し働いている共同体に奉仕する勇気を、彼らに与えている。

26 教会は、結婚の誓約に対して多くの若者たちが不信を抱いていることを懸念し、また多くの信者が、引き受けた結婚のきずなを性急に終わらせ、新たなきずなを結ぼうとすることに心を痛めている。教会の一部をなすこれらの信者には、個々の状況を十分に識別した、司牧的な関心、あわれみ、励ましが必要である。若い信者たちは、結婚の秘跡が彼らの愛の人生計画に与える豊かさを前に、ためらうことがないように励まされるべきである。彼らがキリストの恵みによって支えられること、また十全な仕方で教会生活に参加できることで支えられることを、彼らは確信すべきである。

27 このような意味で、今日の家庭への司牧の新しい側面は、男女間の市民法のみによる結婚、伝統に基づく結婚、また――しかるべき区別をつけた上で――同棲の現実に対して、注意を向けることである。もしもカップルが、公的なきずなを通してかなり安定した関係を築いており、またその関係に深い愛と、子どもに対する責任と、試練を克服する力が含まれているなら、それは結婚の秘跡へ向かう途上のものとして、その歩みに同伴する好機と見ることができる。一方、同棲はしばしば、将来の結婚が視野に入っておらず、いかなる制度的な関係を持つ意図もないことが多い。

28 あわれみ深いイエスのまなざしに自らを重ね、教会は注意と思いやりをもって、愛に傷つき、あるいは愛を失って、非常にもろくなっている子どもたちに同伴しなければならない。教会は、灯台の光として、あるいは方向を見失ったり嵐の中にある人々を照らすたいまつとして、彼らに再び信頼と希望を与えなければならない。より偉大なあわれみは、愛をもって真理を語ることであるということを自覚しながら、わたしたちは同情を超えていく。あわれみ深い愛は、人を引き付け、一致させるとともに、人を作り変え、高める。それは人を回心へと招く。そしてわたしたちは、主の態度も同じように解釈する。主は姦通を犯した女を断罪せず、むしろ、これからは罪を犯すことのないよう求めたのである(ヨハネ8・1-11参照)。

第三部
現実に向き合う:司牧的展望

さまざまな状況の中で、今日、家庭の福音を告げ知らせること

29 シノドスにおいては、「ペトロとともに、ペトロのもとに」おける交わりのうちに、地方教会に具体的対応がゆだねられるべき、いくつかの、より差し迫った司牧上の課題が議論された。家庭の福音を告げ知らせることは、新しい福音化において緊急の課題である。教会は、母としてのやさしさと、教師としての明確さを持って(エフェソ4・15参照)、キリストの自己無化(ケノーシス)のうちに示されるあわれみに忠実に従い、それを実現するよう招かれている。真理が人間の弱さを身に帯びて受肉されたのは、その弱さを断罪するためではなく、救うためなのである(ヨハネ3・16-17参照)。

30 福音化は神の民全員の責任であり、一人ひとりがそれぞれの奉仕職とたまものに従ってその責任を果たす。夫婦や家庭、家庭の教会の喜びに満ちたあかしがなければ、福音の告知は、たとえ正しいものであっても、理解されないか、わたしたちの社会を覆っていることばの海にかき消されてしまうおそれがある(ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『新千年期の初めに』50参照)。シノドス教父たちは、カトリック信者の家庭が、結婚の秘跡がもたらす恵みの力のうちに、家庭への司牧の積極的な主体となるように招かれていることを何度も強調した。

31 決定的に重要なことは、何よりも恵みが第一であることを明確にすること、つまり秘跡において聖霊が与えてくださる可能性を強調することにある。わたしたちはキリストにおいて「罪と悲しみ、内面的なむなしさと孤独から解放」(『福音の喜び』1)されたのであるから、家庭の福音は「心と生活全体を満た」す喜びであることを、人々に経験させることこそが重要なのである。種をまく人のたとえ話(マタイ13・3参照)に照らして言えば、わたしたちの役割は種まきに協力することであり、そこから先は神のわざである。さらに忘れてはならないことは、家庭についての説教をする教会は逆らいのしるしである、ということである。

32 このためには、宣教における回心が教会全体に求められている。つまり、その告知は単に理論的で、人々の現実問題から切り離されたものにとどまってはならない。信仰の危機が結婚と家庭の危機をもたらしたこと、その結果として、親から子への信仰の継承がしばしば途絶えてしまったことを決して忘れてはならない。強い信仰の前には、家庭と結婚を弱体化させるような文化的な考え方からの圧力は、何の影響力も持たない。

33 回心はことばにも及ぶ。ことばはまさに意味を明らかにするものだからである。福音の告知は、家庭の福音が人間の最も深い要求に応えるものであることを人々に体験させるものでなければならない。つまり、人間の尊厳、人間相互の交わりにおける、実り豊かな人間性の十全な実現に応えるものなのである。これは単に原則を提示することにとどまらず、今日、より世俗化された国々においてもその必要が感じられている価値観を提起することである。

34 神のみことばは、家庭にとって、いのちと霊性の源泉である。家庭への司牧はすべて、内面的に形成されなければならず、また教会とともに祈りのうちに聖書を読むことを通して、家庭の教会の構成員を築き上げるものでなければならない。神のみことばは、単に人々の個人的な生活のための福音なのではなく、夫婦と家庭が遭遇するさまざまな課題において、判断の基準や識別の光となるものなのである。

35 同時に、シノドスにおいては多くの司教が、さまざまに異なった、豊かな宗教体験に対し、より肯定的なアプローチを取ることを主張した。そこには無論、困難があることも否定できない。こうしたさまざまな宗教的現実や、いろいろな国々を特徴づけている文化の多様性の中に、まずは肯定的な可能性を見いだし、その観点から、それらの限界や不足についても評価していくことが適切である。

36 キリスト教の結婚は、信仰の旅路における十分な準備と成熟した識別をもって受け入れる召命であり、単なる文化的伝統や社会的・法律的要請であると考えられるべきではない。そのため、結婚する人やカップルに同伴する必要があり、彼らに信仰の内容を伝えていくにあたって、教会共同体全体の人生経験を合わせて、これに資するような方法が望まれる。

37 家庭の福音の光に照らした、司牧的実践の徹底的な刷新の必要性も繰り返し指摘された。現在の実践はまだまだ個人主義的な見方の色彩が濃く、これを超えていく必要がある。このため、家庭自身のより積極的な参加によって、司祭、助祭、カテキスタやその他の司牧奉仕者の養成を刷新していくことが幾度も主張された。

38 同じように強調されたのは、差別、貧困、排除、暴力を生み出し、本来的な家庭生活を妨げるような文化的、社会的、政治的、経済的――市場の原理に自由を与え過ぎるといった――条件を率直に非難するような福音化が必要であるということである。このため、さまざまな社会的機関との対話と協力を発展させ、文化、社会、政治の領域で、キリスト者として活動する信者たちを励まし、支えていかなければならない。

結婚準備の過程で結婚する二人を導くこと

39 社会の現実の複雑さ、また今日家庭が立ち向かうよう招かれているさまざまな課題のため、キリスト教共同体全体が、結婚する人々の準備により熱心に取り組むよう求められている。徳の重要性を思い起こすことも必要である。その中でも、貞潔は、人と人との間の愛が真に成長するために大切な条件である。シノドスの司教たちは、結婚への準備をキリスト教入信の歩みの中に位置づけ、結婚と、洗礼や他の秘跡とのつながりを強調するとともに、家庭自身のあかしを大切にしながら、共同体全体が結婚の準備により積極的に参加していく必要性を強調することで一致した。同じように、教会生活への真の参加体験となるような、また家庭生活のさまざまな側面を深めるような、結婚後に特化した養成プログラムの必要性についても強調された。

結婚生活の初期段階に同伴すること

40 結婚後の最初の数年は、夫婦が結婚の意味や結婚生活で出会うさまざまな問題への意識に目覚め、成長していく、重要かつデリケートな時期である。そのため司牧的な同伴は、結婚の秘跡の後にも必要である(『家庭 愛といのちのきずな』第3部参照)。このような司牧においては、経験豊かな既婚男女の存在が非常に重要である。小教区は、経験ある夫婦がより若い夫婦を必要に応じて助けていく場所として考えることができる。そこでは、場合によっては教会の組織、運動体や新しい共同体の集会を持つこともできる。夫婦はまた、大切な贈り物である子どもを基本的に受け入れるという姿勢を持つよう促される必要がある。さらに、家庭の霊性の重要性、祈りと主日の感謝の祭儀に参加することの重要性が強調されるべきである。また複数の夫婦が定期的に、霊的生活における成長や、生活の具体的な必要のための連帯を促進するために、集まることが奨励されるべきである。家庭を通じた福音化のためには、重要な諸典礼、信心業、家庭のための、特に結婚記念の際の感謝の祭儀などが重要であることも指摘された。

市民法のみによる結婚や同棲中の人々に対する司牧的配慮

41 キリスト教の結婚を宣言し、促進する一方で、シノドスは、もはやこの現実を生きていない多くの人々の状況について、司牧的な識別がなされることを奨励する。この人々の生活の中に、結婚の福音の十全性に対する、より開かれた態度へ導く要素を発見するため、彼らとの司牧的な対話に入ることが重要である。司牧者たちは、福音化と人間的・霊的成長のためになるような要素を見いだしていかなければならない。今日の司牧における新たな感受性とは、市民法のみによる結婚や――結婚との必要な区別をつけた上であるが――同棲生活の中にも、肯定的な要素をとらえていく感受性である。教会は、キリスト教のメッセージを明確に伝える一方で、そのメッセージにいまだ、あるいはもはや、合致しない状況の中にも存在する建設的な要素を明らかにしていく必要がある。

42 また、多くの国では「結婚の秘跡にも市民法による結婚にもよらず、試験的に一緒に暮らすカップルが増えている」(『討議要綱』81)ことも指摘された。いくつかの国では、こうしたケースが、特に双方の家族の取り決めによる伝統的結婚の中で起こっており、さまざまな段階で行われることが多い。一方、ほかのいくつかの国では、長期間にわたって同棲した後で、教会での結婚を求める人々の数が増え続けている。単純な同棲は、しばしば、制度や絶対的な誓約に対する漠然とした反感によることも多い。しかし生活面での安定(雇用や定期的な収入)を確保するまで待ってということもある。またさらに他の国々では、事実婚が非常に多くなっているが、これは家族や結婚の価値の拒否ばかりでなく、社会的状況の中で結婚は金銭的負担が多すぎると考えられているためであり、物質的な貧困が人々を事実婚に押しやっているという状況も存在する。

43 すべてのこうした状況には、建設的な仕方で対処しなければならない。これを、福音の光によって結婚と家庭の完成に向けて歩み始める好機に変えていかなければならない。それはこうした状況を忍耐と繊細さを持って受け止め、ともに歩んでいくということである。このため、家庭の福音化の主体である、真のキリスト教的家庭の魅力的なあかしが重要となる。

傷ついた家庭(別居夫婦、再婚していない離婚者、再婚した離婚者、ひとり親家庭)を配慮すること

44 夫婦間の問題に遭遇した夫婦が、教会の支援と同伴に頼れるようにしなければならない。愛とあわれみの司牧は、人間の回復、また人間関係の回復を目指す。経験が示すところによれば、適切な支援と、恵みによる和解の行動によって、大方の夫婦の危機は申し分ない仕方で乗り越えることが可能である。人をゆるすことを知り、また自分がゆるされていると感じることを知ることは、家庭生活において基本的な経験である。夫婦間のゆるしは、永遠で滅びることのない愛を経験させる(一コリント13・8参照)。時に困難な場合もあるが、神のゆるしを受けた者は、人間を再生させる真のゆるしを与える力を受けているのである。

45 シノドスにおいては、大胆な司牧的選択の必要性もはっきりと主張された。家庭の福音への忠実さを力強く再確認し、別居や離婚は常に夫婦と子どもたちに大きな苦しみを与え、傷つけるものであることを認めた上で、司教たちは、現実の家庭の弱さから出発する新しい司牧的アプローチが緊急に必要であることを指摘した。そうした困難な状況は、しばしば、その家庭が自由に選びとったというよりも、苦しみとともに耐え忍んでいるものなのである。そしてこれには、個人的な要因もあれば、文化的、社会・経済的な要因もあり、状況はさまざまである。聖ヨハネ・パウロ二世教皇が勧めたように、それぞれの異なった事情に配慮したまなざしが必要となる(『家庭 愛といのちのきずな』84参照)。

46 エマオに向かう弟子たちとともに歩まれたキリストのように、まず第一にすべての家庭に敬意と愛をもって耳を傾け、ともに歩まなければならない。こうした状況においては、教皇フランシスコのことばがとりわけ傾聴に値する。「教会は、自らの仲間である司祭、修道者、信徒に、他者という聖なる土地で自分の履物を脱ぐこと(出エジプト記3・5参照)を学ばせてくれる、『同伴する技術』を教えなければなりません。わたしたちは、尊敬といつくしみ、また同時にキリスト教生活をはぐくむためのいやしと解放と励ましを与えるまなざしを注ぎながら、そばにいることを感じさせるいやしの歩調で歩まなければなりません」(『福音の喜び』169)。

47 別居している人、離婚した人、また置き去りにされた人に司牧的に同伴するためには、特別な識別が不可欠である。特に不条理な別居、離婚、放棄を耐え忍ばなければならなかった人々の苦しみ、また配偶者の虐待によって一緒に生活することができなくなった人々の苦しみを、まず初めに尊重しなければならない。被った不正行為をゆるすことは容易ではない。しかし、それは恵みが可能にする歩みである。このため、和解と調停の司牧が必要であり、教区の中にそのための専門的なセンターの開設が検討されても良い。また、常に何の落ち度もない犠牲者となる子どもたちに対し、別居や離婚がもたらす結果について、公正で建設的な形で言及することが絶対に必要であるということも、同様に強調されなければならない。子どもたちは奪い合う「もの」であってはならず、家族分断の悲劇を乗り越え、できるだけ穏やかな環境で成長できるように、最善の方法が探し求められるべきである。いずれにせよ、教会は常に、離婚がしばしばもたらす不条理を強調しなければならない。特にひとり親の家庭への同伴に関心が向けられねばならず、とりわけ家計を支え、同時に子どもを教育するという責任を独りで負う女性たちには特別な支援が必要である。

48 多くの司教たちが、結婚の無効宣言の手続きを、より簡便で迅速に、また可能であれば全面的に無料にする必要性を強調した。その主張には以下のような提案も含まれる。無効宣言に2回の判決を必要とする制度を撤廃すること。無効審査の事務的な方法を教区司教の責任において決定できるようにすること。無効が明らかである場合、手続きは簡略なものとすること。しかし幾人かの司教は、それでは信頼しうる判決が保証されないとして、反対の意を表明した。いずれの場合においても、結婚の有効性についての真実を見定めることが重要であるということは改めて確認されるべきである。ほかにも、洗礼を受けた者同士の有効な結婚はすべて秘跡であるということに議論の余地がないとしても、結婚の秘跡の有効性の判断にあたり、カップルの信仰をひとつの有効な要素として勘案することも提案された。

49 結婚に関する訴訟については、優先的にこの任に当たる聖職者や信徒を十分な数確保するということ以外にも、多くの司教たちが手続きの簡素化を求めた。この簡素化のためには、当該教区において、結婚の有効性について関係者が無料で相談できるよう、ふさわしく準備された相談役を任命するなど、教区司教の責任が強調されなければならない。このような相談は、教区裁判所の事務所や、有資格者によって提供することができる(教皇庁法文評議会『結婚の尊厳』113条1項参照)。

50 再婚していない離婚した人々は、しばしば結婚への忠実さの証人であるが、これらの人々が聖体のうちに支えを見いだすよう、励まされなければならない。地域共同体と司牧者は、繊細な配慮をもって、これらの人々に同伴し、また特に子どもがいたり、深刻な貧困状態にある場合には、特別に心にかけなければならない。

51 また離婚し再婚した人々の状況についても、注意深い識別と、敬意を持った同伴が必要とされる。これらの人々が差別されていると感じるような言葉遣いや態度を避け、共同体の生活への参加を促進しなければならない。これらの人々の世話をするということは、キリスト教共同体にとって、信仰を弱めることでも、結婚の不解消性についてのあかしを弱めることでもない。むしろ、そのような世話を通して、共同体はその愛を表すのである。

52 離婚し再婚した人々が、ゆるしの秘跡と聖体の秘跡にあずかる可能性についても検討された。さまざまな司教たちが現行の規律を維持すると主張した。その理由は、ミサへの参加と教会との交わりの本質的な関係、さらには結婚の不解消性を説く教会の教えである。他の司教たちは、ある特定の場合、正確に定義された条件のもとで、これらの人々が主の食卓にあずかることを受け入れる考えを示した。そうした状況とは、特にそれが撤回できない状況にあるとき、また不条理な苦しみを耐えねばならない子どもたちへの倫理的な義務が絡んでいる場合である。実際の秘跡への参与については、これに先立って悔悛の歩みがあるべきで、教区司教の責任のもとに行われる。「行為の責任性」は、さまざまな「心理的ないし社会的要因によって減じられることがありえ……まったく無くなることさえありえ」(『カトリック教会のカテキズム』1735)ることを踏まえ、客観的な罪の状況と酌むべき事情との区別をよく考慮しながら、この問題についてはさらに議論を深めていく必要がある。

53 何人かの司教は、離婚し再婚した人々や同棲している人々も、実り多い霊的交わりを取り戻すことができると主張した。一方、他の司教たちは、それならなぜ、秘跡による交わり(つまり聖体拝領)にあずかることができないのかと疑問を呈した。したがって、この二つの形式の特徴、およびそれらと結婚の神学との関係が明らかになるよう、このテーマをさらに掘り下げていくことが要請された。

54 混宗婚をめぐる問題は、シノドスの中でしばしば繰り返し議論された。東方正教会の結婚の規律にまつわる多様性は、いくつかの状況においては問題となるため、エキュメニズムの分野で検討されることが必要である。同じく異宗婚についても、宗教間対話の貢献が重要である。

同性愛の傾向を持つ人々への司牧的配慮

55 家族の中に同性愛的傾向を持つ人がいる家庭も存在する。このような状況に対して、どういった司牧的配慮が適切であるかが問われた。教会は次のように教えている。「同性愛的結合と、結婚や家庭についての神の計画とを同一視する、あるいはその間に――どんなにわずかなでも――類似を見いだすための根拠はまったく存在しません。」しかしながら、同性愛の傾向を持つ男女は、敬意と繊細さとを持って迎えられなければならない。「これらの人々については、いかなる不当な差別も避けなければなりません」(教理省『同性間結合の法的認知の計画についての考察』4)。

56 この問題に関し、教会の司牧者たちが圧力にさらされること、また国際機関が貧しい国への経済的援助の条件として同性間の「結婚」を法制化するよう求めることは、まったく受け入れがたいことである。

いのちの継承と出生率低下についての課題

57 容易に気づくことだが、いのちの誕生を、単に個人や夫婦の人生計画の一要素に還元してしまう精神的態度が広まっている。時には、経済的要素が決定的な影響力を持つこともあり、出生率の著しい低下を招いている。これは社会構造や世代間の関係を脆弱化し、また将来の見通しを不安定なものにしている。夫婦間の愛にとって、いのちを受け入れる態度は必要不可欠なものである。この観点から、教会は、障がいのある子どもたちを受け入れ、育て、愛で包み込む家庭を支える。

58 この分野においても、人々の声に耳を傾けることから始めることが必要である。いのちに対して無条件に開かれた態度が、人間の愛を十全に生きるために必要なものであるとして、その美しさや真理を擁護しなければならない。その上で、責任ある、生殖のための自然な方法を十分に教えることができる。それは生殖についての責任も含め、あらゆる次元における夫婦の交わりを、調和のとれた、意識的な仕方で生きることを助けるものである。避妊法の倫理的評価にあたっては、人間の尊厳を尊重することが必要であるということを強調した、パウロ六世の回勅『フマーネ・ヴィテ』のメッセージが再発見されなければならない。孤児や親に捨てられた子などを自分の子どもとして養子縁組することは、しばしば教会の教導職によって繰り返し説かれ、励まされてきた(『家庭 愛といのちのきずな』III、II、ヨハネ・パウロ二世回勅『いのちの福音』IV、93参照)、家庭の使徒職の具体的な形式である(第二バチカン公会議『信徒使徒職に関する教令』III、11参照)。養子縁組や里親という選択は、それが不妊を原因とするものでなくても、結婚生活の豊かさを表している。そのような選択は家族愛の雄弁なしるしであり、家庭の信仰をあかしし、またその子どもたちの奪われた尊厳を回復する契機となるものである。

59 結婚においても、相手をより一層深く受け入れ、自分をより完全にささげるため、成長の歩みとしての情緒的生活を生きるために助けが必要である。その意味で、結婚生活のための養成講座を提供することの必要性、また信者の生きたあかしによる同伴の重要性を再確認しなければならない。忠実で深く、優しさと敬意に満ちた愛の模範、時間とともに成長することのできる愛の模範は大きな助けとなる。また、いのちへの具体的に開かれた態度を示す愛の模範は、わたしたちを超える神秘を経験させる。

福音化における家庭の教育と役割についての課題

60 今日の家庭が直面している根本的な課題のひとつは間違いなく、教育の問題である。現代の文化の現実やメディアの多大な影響のため、より複雑で、より真剣な取り組みが必要な問題となっている。家庭が抱える必要性と要求は適切に考慮されなければならない。家庭は日常生活において、成長の場、また人格を形成する徳の、具体的で本質的な伝達の場となることができる。これはつまり、両親は自分たちの信念に従って、子どもたちにどのような種類の教育を受けさせるかを自由に決定できるということである。

61 教会は、キリスト教入信に始まり、自分が受け入れられていると感じられる共同体を通して、家庭を支えるという尊い役割を果たす。教会には、以前にもまして今日、日常生活にも垣間見られるような複雑な状況の中で、教育の責任を果たしていく両親たちを支えていくことが求められている。これは、幼児や子ども、若者たちの成長に同伴し、一人ひとりの状況に合わせて、いのちの十全な意味を教え、福音の光に照らした人生の選択をしたり、責任感を持てるように同伴していくことである。マリアはその優しさ、あわれみ、母としての感受性によって、人類の飢えを満たし、いのちを養ってくださる。そのため、家庭とキリストの民は、マリアを呼び求める。マリアに倣う司牧と信心とは、家庭の福音を告げ知らせるための適切な出発点なのである。

結論

62 ここに提示された考察は、シノドスにおいて、相互に傾聴するという姿勢の中で自由に交わされた議論の実りであり、次回のシノドスまでの1年に地方教会において熟考され、また明確にされるべき問題や展望を示したものである。次回のシノドス通常総会は、「現代世界と教会における家庭の召命と使命」というテーマで2015年10月に予定されている。ここに示されているのは、すでに決定されたことがらではなく、容易な展望でもない。しかしながら、聖霊の働きのもとに、また聖家族の模範を仰ぎながら、司教たちの司教団としての歩みと神の民全体の参加によって、わたしたちは真理と、すべての人のためのあわれみの道を見いだすことができるであろう。これはシノドスの開会当初から教皇フランシスコがわたしたちに示された意向であった。教皇は、わたしたちを信仰における勇気と、謙遜かつ正直に愛における真理を受け入れることへと招かれたのである。

最終報告における個々の投票結果(投票総数 183、棄権数は不表示)

項目 賛成 反対
1 175 1
2 179 0
3 178 1
4 180 2
5 177 3
6 175 5
7 170 9
8 179 1
9 171 8
10 174 8
11 173 6
12 176 3
13 174 7
14 164 18
15 167 13
16 171 8
17 174 6
18 175 5
19 176 5
20 178 3
21 181 1
22 160 22
23 169 10
24 170 11
25 140 39
26 166 14
27 147 34
28 152 27
29 176 7
30 178 2
31 175 4
32 176 5
33 175 7
34 180 1
35 164 17
36 177 1
37 175 2
38 178 1
39 176 4
40 179 1
41 125 54
42 143 37
43 162 14
44 171 7
45 165 15
46 171 8
47 164 12
48 143 35
49 154 23
50 169 8
51 155 19
52 104 74
53 112 64
54 145 29
55 118 62
56 159 21
57 169 5
58 167 9
59 172 5
60 174 4
61 178 1
62 169 8

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