世界代表司教会議(シノドス)第14回通常総会『提題解説』に対する日本カトリック司教協議会公式回答

世界代表司教会議 第14回通常総会 「教会と現代世界における家庭の召命と使命」 リネアメンタへの回答 日本カトリック司教協議会 2015年5月6日 第三回臨時シノドスの最終報告は、国によって状況は異なるが、家庭の現実にほ […]

世界代表司教会議 第14回通常総会
「教会と現代世界における家庭の召命と使命」
リネアメンタへの回答
日本カトリック司教協議会
2015年5月6日

第三回臨時シノドスの最終報告は、国によって状況は異なるが、家庭の現実にほぼ合致している。

補足し得るもの

(1) 移住者:日本における移住者は、結婚、無国籍の子ども、子どもの信仰教育、親子間の信仰の継承、経済に関する諸問題を抱えている。厳しい入管制度や教会法にも原因がある。教会は、本来の結婚や家庭の前提が崩れている現状を変えるように教会内外に働きかけていく必要がある。また問題点を分析して整理し、それぞれに対応するために移住先と移住元の教会同士の連絡と協力の具体的道筋をつける必要がある。
(2) 高齢者:教会は高齢者への具体的な支援司牧を考えるべき。
(3) 親子:世代間の信仰の伝達の困難さを助ける司牧が必要。
(4) 信者と信者でない人との結婚が九割程度を占めている日本では、離婚と再婚の問題は非常に大きいし、深刻である。シノドスに、問題解決と希望の持てる司牧指針を期待する。

第一部 聴くこと : 家庭の置かれている状況と突きつけられている課題

社会文化的状況(ns. 5 – 8)
1.
1-1 日本の教会は、1987年に続いて1993年に「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」をテーマに、第2回福音宣教推進全国会議(The Second National Incentive Convention for Evangelization = NICEⅡ)を開催し、「とくに弱い立場に置かれた人々の苦しみや痛みに共感し、それらを信者の交わりの中でキリストの十字架とともに神にささげていく教会共同体」となれるよう努力し始めた。
司牧者が人間味と理解のある司牧的配慮を重視するメンタリティーへ回心する必要があると同時に、両親と家族各自および家族全体が神の愛と倫理規範を一つのものとして受け入れる考え方や価値観を共有することが大切である。
1-2 神の現存を目覚めさせるためには、家庭での祈りと神のことばの朗読によって、各自が自分のレベルに合った「キリストとの出会いの体験」をする必要がある。親は、子どもに聖書に親しむ習慣を身につけさせ、互いに愛し愛される関係を築くよう導く。神のことばは、家庭内の弱者や困難の内にある者に対して寄り添う生き方を教え、困難にあっても支えてくれるからである。
1-3 人格間の堅固な関係を育むためには、三世代同居などの環境づくりも必要であるが、家庭のメンバーが互いに関わり、その関わりの中で「愛」を体験することが何より重要である。司牧者は、結婚した夫婦が、秘跡に高められた結婚の恵みを感謝し、喜びのうちに生きることができるよう導かなければならない。教会は、夫婦が互いに関わり、その関わりの中で「愛」を体験できるように支援する必要がある。夫婦が、日常生活のありのままの実態を正直に分かち合うことができる場の一つにMarriage Encounter(=ME)がある。そのプログラムに司牧者も一緒に参加するなら、よい結果が得られる。
1-4 貧困から来る生活苦が結婚生活と家族の絆を弱める要因になることが多い。母子家庭を中心に「ワーキング・プア」が増加し、子どもにしわ寄せがきている。教会は社会に対して、経済最優先主義を改め、家庭で家族の温もりが体験できるよう働きかける必要がある。
1-5 少子高齢化の結果、「老老介護」が急増。これは、個人の努力を越えた問題でもあるから、教会共同体には社会に働きかけると同時に、教会共同体としても地域共同体と連携し、さまざまなボランティア活動団体と協力し合うようにする。
小教区・地区・教区の司牧評議会が稼働することによって、信徒・修道者・司祭が、若者や若い親の信仰養成を含めて、宣教と司牧の責任を共同で担うようになってきた。
1-6 世界各地から地方教会に来て主の食卓にあずかっている人たちは、国籍を超えたキリスト者の共同体を形成しており、皆がキリストの弟子であることを実感することができる。

2.
現代社会は、相対主義と物質主義に陥り、「個人主義と競争主義」(教皇ベネディクト16世)に毒された結果、核家族化、夫婦および親子のきずなの希薄化、また男女の役割の不明確さが顕著になり、さらに格差社会が広がり、母子家庭を中心にワーキング・プアが増加している。また快楽主義から少子化や虐待と育児ネグレクトが増えてきている。反面、女性の自己実現と社会進出と貢献は広がっている。しかし、晩婚化により子供が産めないケースも生じている。

3.
3-1教皇庁がMEを公認の夫婦の養成プログラムとして認可することが重要である。教会は、まず夫婦間の関わりを深めるのを支援し、その関わりを親子の関係にも広げていくのが望ましい。そのためには、司祭と協力する夫婦が一緒になって、対象とする夫婦と共に結婚生活や家庭生活のありのままを、正直に分かち合う場を設けることが必須である。この分かち合いを通して、ともに歩む可能性と信頼が高まり、相談しやすい環境がつくられ、問題に気づく可能性も高まる。① 結婚5年後をめどにMEプログラムに参加するよう、教会として推進する。② MEは、夫婦二人のかかわりを深めると同時に教会のセンスをも身に着けることを目指しているので、司祭の協力は欠かせない。司祭養成に組み込むことが望ましい。
3-2 上記MEは、極限的な状況に至らないようにするための適切な方法でもある。
教会が家庭の問題を背負っている被害者である子供たちの逃れ場となる工夫が必要。札幌教区には「カリタス家庭支援センター」があり極限状態にある家庭に寄り添おうとしている。
離婚数が多くなっている現実に司牧的配慮が必要。経済的問題がその原因の一つ。教会も国が学費の免除やこどもの教育を重大課題としてとりあげるように働きかける必要がある。
無関心のまま放置しないために、また深刻な事態を引き起こさないためにも、当事者は現実に何が起きているのかを教会に知らせることが極めて重要。それを知ることも解決の一歩と認識する。
夫婦間の衝突、断絶、人間性、経済、女性問題など諸問題に対して:他人事でなく全家庭の課題として取り組む(長期的展開が予想される)。① プライバシーの遵守、② 問題・課題の共有、③ 優先順位に従って対応、④ 対象者がよしとする同伴者(指導者)の指名(状況によって数名)、⑤ 経済的・人為的後方支援組織づくり。
3-3 ①「既婚者夫婦講座」を行う。②「結婚記念日・銀婚・金婚式で新たな誓い」を行う。③「夫婦の日」を決めて集い、分かち合いを行って、夫婦の積極的意識向上を図る。

4.
出産に開かれた結婚観を拒絶する背景には、個人主義と格差社会がある。「結婚してもしばらくはそれぞれの楽しみを優先して子どもはつくらない」という声がよく聞かれる。また、経済的理由から子どもをつくれないケースもある。これらの傾向に対して、教会はns.60-61で言われている通り、地道な教育によって結婚の価値観を伝えていくしかない。結婚という自分たちの選択が神の愛に促されてのものであるならば、誇りをもって生きていくことができる。教会は神の愛を告げ知らせなければならない。
青年たちが今どのような状況に置かれているかを分かち合う場、相互愛の在り方、結婚に至る道筋、生き方を確かめ合う場が必要。
「夫婦の一体性と生殖の尊厳」が掟としてのみ伝えられている場合が多く、また、不妊症に対する具体的な配慮がないために、神の愛と祝福が拒絶されているように感じる夫婦もいる。不妊症に悩む夫婦の中には、病院から配偶者間の体外受精をするしか出産の可能性がないと告知された場合、教会から断罪される道を選ぶ夫婦もいる。
教会は、① イエスにならい、子どもを追い出さず、歓迎する。② いのちの尊厳について、神から預かったいのち、いのちの素晴らしさの学びの場。② 出産は神の望み、また神の似姿として創造のみ業の行為であるとして、喜び祝う。MEの導入推進で多くの問題は解決する。

生活における情緒面の重要性(ns. 9 – 10)

5.
5-1 これまでの家庭司牧は「離婚」や「堕胎」を禁止することに重点を置く傾向があった。結婚の秘跡の豊かさや恵み、家庭生活における情緒の重要性に目を向けることが重要である。 家庭の情緒的成熟のために、① 聖書朗読・祈り・良心の教育をする。② 人間の発達段階での自己譲渡と自己実現の関係に焦点を当て、掘り下げる。③ 親が自らの信仰生活の中で信仰の喜びを子どもに示す。良い一例:フォコラーレ運動。④ 近隣の小教区との交流の中で情緒的成熟を育む。家族の一致だけでなく、教会内外でも一致の心をひろめる。また、社会問題等を聖書に照らし合わせて解説する説教や分かち合いのできる司牧者が必要。
5-2 父性だけではなく母性も備え、情緒的に成熟した司祭の養成が求められる。司牧者はリーダーシップを備えつつも、権威主義的であってはならず、教え導くことよりも、信仰と愛のこころをもって信徒に寄り添い、耳を傾け、痛みを共感し、祈りの中で、連帯し、ともに歩むことが求められる。
 司祭もMEのプログラムに参加し、夫婦と対等のメンバーとして分かち合う。司牧者と家庭との真剣でかつ親密な関係が出来上がって初めて、信頼をもって家庭内のことを司牧者に分かち合ったり、相談したりすることができるようになる。こうして教会は実質的に家庭を支えることができる。司祭も、夫婦たちの分かち合う姿から自分自身との生きた出会いを体験し、他者との関わりを人間味に満ちた豊かなものにすることができる。
5-3 司牧者は、自分の特性(青少年・福祉・その他専門分野)を司牧に生かす一方、専門的なことに対応する信徒の力を活用する。インターネットの利点を教会のカテキズムや信仰教育などで活用できるようにもっと勉強すべき。
結婚準備講座は、信徒・修道者・司祭がチームを組み、経験豊かな信者の夫婦、カトリック医師や看護師の協力を得ながら行われるようになった。
司牧者は、単なる知識ではなく、知恵と豊かな経験をもっている謙遜な人、言葉だけではなく実行力のある人、同時に人の話に耳を傾ける人でなければならない。

司牧上の課題(n. 11)

6.
6-1 司牧活動の範囲を制限する必要はないが、実質的には配偶者の片方が信者の場合、信者でない配偶者まで、あるいは彼らの家族までというのが、現実的であろう。
6-2 有効で実践的なガイドラインは、① 結婚準備講座である。② 若者たちのためのチョイス(CHOICE)のプログラムもある。若い人同士が分かち合うことから得られる喜びを見つけるようにする。先輩夫婦がそこに加われば、若い人々に結婚の豊かさを示し、彼らを結婚の願望へと鼓舞したり勇気づけたりすることができるであろう。③ パートナーと共に生きる喜び。④ 癒しの家庭。⑤ 子育ての喜び。⑥ 子育ての支援者や仲間がいること。⑦ フィールドワーク:困難や苦しみの中でも微笑みを失わないで日々を送っている家庭を訪問し、話に耳を傾けることによって、家庭の良さを感じ取ることができる。
教会が家庭で生じている困難に向き合い、具体的な取り組みを通して解決を共に図ろうとしていることを示す必要がある。
6-3 不況による経済的困窮によって結婚願望を削がれる若者もいれば、逆に強く抱くようになった若者もいる。教会は、教会の中に彼らの集まる「居場所」を作り、真の幸福は、個人主義の追求によっては得られないことを力強く宣言する必要がある。
6-4 民生委員の働きかけへの協力に司祭、修道者が参加することで生き方の分かち合いにつながることもある。

第二部 キリストへのまなざし : 家庭の福音

イエスへのまなざしと救いの歴史における神の教育法(ns. 12 – 14)

7.
7-1 聖書に親しむとき、キリストにまなざしを向けることになる。『聖書と典礼』の普及のおかげで、主日の聖書朗読個所が養成講座で活用されている。
7-2 『啓示憲章』の勧めに従って、10年ほど前から「聖書愛読運動」を展開している教区もある。基本的に、主日のミサの前か後に、会衆全員が聖書を朗読する。神のことばに親しみ、やがて生活と結びつけ、他の人たちと分かち合うようになることを目指している。いくつかの地域では、「聖書百週間」や「セブンステップ法」による分かち合いをしている。参加者は、神のことばによって考え方や生き方を福音の精神へと変えられ、一体感を体験し、福音宣教への熱意を抱くようになった。
司祭は、信徒同士の結婚準備のとき、共に聖書を読み、黙想し、分かち合うようにすることが求められる。その際、読んでいる出来事、神の言葉が今の自分に向けられていると受け止めることができるように導く。

8.
8-1 結婚と家庭の持つ価値は、愛である。それは、深い喜びという形を取る。しかし、「愛」を実現させようという意欲や積極性は時と共に次第に乏しくなっていくので、教会や小教区が、事あるごとに日常の生活の中で婚姻の秘跡を生きるように励まし続ける必要がある。
8-2 「光をあてて明らかにしうるような価値」は、①「愛のあるところに神はおられる」という価値観あるいは信仰である。② 家庭はそのメンバー各自が「大切にされている、大事にされている」体験の場。③ 男女の性の相互補完性と労りと慈しみが伝わる心身にとっての安全と平和と癒しがあるところ。④ 若い二人は、結婚することで安定した幸福感を得ることができ、時間を共にすることで、結婚本来の仕え合う喜び、与え合う喜びを体験していくようになる。それは、仕えるために来られたキリストの愛を知ることでもある。⑤ 文化や言語、国籍の違いがあっても、互いに理解し合って結婚する。
8-3 「罪の次元」は、無関心、あるいは自己中心主義である。結婚や家庭生活の義務や重荷に重点を置くより、「喜び」を見出し、深めるようにすべき。罪を避けるためには、罪を犯したあとのアダムとエバのように、失敗や苦労を相手のせいにしないこと。親が教会に行かないで、子供たちだけに指示するのであれば、反発が起こるのは当然であるし、結婚の秘跡も軽々しく考えていると言わざるをえない。

9.
相手の意見に耳を傾け、自分の意見を発言し、コミュニケーションによって課題を解決する方法を身につける教育が必要。① 人間は単独では成熟しきれない存在である。② 人間は真に人間になるために他の人間とともに生きる必要がある。③ その関係は愛によって結ばれていなければならない(相互扶助愛)。④ それぞれ相手を出発点として、考え行動し、生活しなければならない。⑤ 常に和解を行う。赦し合い、ありのままを受け入れ合う。なお、若者たちのためにはCHOICEプログラムの実施が望まれる。

10.
神の愛の輝きはすべての人間的不完全性を払拭する。結婚の不解消性を理解するためには、イエスの「愛」を理解してもらう。
配偶者が互いに、「余すことなく自分自身を与える」ほどの愛の対象として(『現代世界憲章』24)かけがえのない存在であることを意識し続けるように体験的に導かれることが大切。
婚姻の秘跡を徹底的に生きること。すなわち、夫婦が、互いへの全面的・恒久的・独占的な愛とコミットメントを生きること。
結婚の不解消性は神の祝福の前提であり、秘跡的恵みとして支えて行く必要がある。
自分の自由な決断が神的なレベルにまで引き上げられている。この恵みを生きるために、ご聖体とゆるしの秘跡によって養われ、癒やされなければならない。
若者に間違った結婚をしないように注意を促し、婚姻の秘跡を教える。何十年と連れ添った夫婦から、苦労話を聞いてもらう。

11.
11-1家庭集会の中で、信者夫婦、信者と信者でない人の夫婦が、家庭の中で一人だけの信者で高齢化し教会と疎遠になりがちな心配など、忌憚なく話し合える仲間づくりをする。
夫婦が言葉にならないメッセージを受け取ることができるなら、見えない神とのかかわりにも敏感になれる。そのために、日々の対話による関わりが大切になる。その場合、司祭が夫婦たちに寄り添い、ありのままの自分を差し出し、分かち合うことで、同伴者となる。
11-2 結婚が神に祝福されたものであることを実感できるのは、「秘跡による恵み」の日常生活の中での体験だけであろう。特に、夫婦の間でのゆるしといやしの体験から愛である神を体験することは、夫婦の間に「愛し愛されること」の喜びをもたらし、極めて具体的で効果的な秘跡による恵みの体験となる。結婚生活を営んでいる幅広い世代による分ち合いも有効。
11-3 日本司教団は、NICEⅡの準備として、「① 共感と共有を求めて家庭の現状を見つめる、② 一人ひとりを大切にしておられるキリストとの出会いを深め、愛の共同体を育てる、③ すべての家庭にキリストを伝え、キリストをあかしする信仰共同体をめざす」という三つのステップを繰り返していくことを呼びかけた(「課題発表に際しての司教団メッセージ」『家庭の現実から福音宣教のあり方を探る 第2回福音宣教推進全国会議公式記録集』1994年、pp.103-105)。

神の救いの計画における家庭(ns.15 – 16)

12.
① 夫婦が愛による(余すことなく自分自身を与える)自己贈与と愛されている実感の体験をすることによって、この理解を促進することができる。② 教会は、「夫婦という関わりを生きる」という具体的概念のもとに、夫婦そのものの有り様を夫婦たちと研究すること。③結婚の秘跡に焦点を当てたカトリックの夫婦のための養成プログラム(Worldwide Marriage Encounterの「ウィークエンド」)を提供すること。④ 現実に不貞や離婚というような事態に陥ったとき、教会はその夫婦に寄り添い、彼らがみ旨を行うことによって神の愛の計画の成就に参画していることに気づかせなければならない。

13.
① 家庭で共に祈ることによって。② 家庭のメンバーが、家庭が真の交わりの場であることを体験することから家庭の理解が深まると考えられ、この交わりの場を通して、親から子への信仰教育も行うことができると思われる。この部分では司牧者の役割が大きい。③ 聖書に基づく、家庭に関するカテケージスの充実。④ 結婚の秘跡における神の恵みと祝福に満たされた家庭。⑤ 夫婦の愛といのちの親密な共同体。愛を実践する場、何よりも自己犠牲の愛を培う場。十字架のキリストの愛にあずかり生きる夫婦の愛。⑥ 外国籍の人と一緒に、信仰を育てる集いを持つ。⑦ 終身助祭夫婦のME参加。終身助祭になることで「家庭の教会」としての家庭の持つ宣教的価値についての自覚は一層深まると思われる。

14.
① 家庭で、ともに祈ることによって。特にロザリオの祈り。② キリスト者の家庭の生き方を通してキリストの証人、宣教の使命を果たす。③ 司祭の説教と指導によって、信徒の召命と使命の自覚を促す。家庭が愛の交わりの場であること、それが他の人々に影響を与えることを、説教など機会あるごとに強調することと合わせて、司祭と夫婦たちの分かち合いの場を通して、そのような実体験の例を知ることによって、宣教者としての責任を自覚するようになる。④ 常に恵みと祝福を与え続ける神への感謝と賛美から。⑤ 神の望みに答えたいから。⑥ 平和と愛の育つ最初の学校である家庭が、隣近所をはじめ地域社会に大きな影響を与える、社会と国の中核であることを実感させること。

教会の文書における教会(ns.17 – 20)

15.
15-1 メンバーが互いに心から愛し合っている家庭は、霊的に成長する。このような家庭は「愛」の喜びに感謝したり、その喜びから神を賛美したりするので、祈りの深さや敬虔さも自然に備わってくる。
互いに対する愛の気持ちを伝え、考えていることを話し合ったりすることによって、マイナスに作用するものをプラスに変えていくことができる。そのために、祈りがどうしても必要である。
夫婦は生命を誕生させ、神の創造の業に参与するとき、今まで経験しなかった深い境地に至る。十字架の意味を理解し、自分を無にすることは喜びに変わる。これらの体験を分かち合う場があることで、互いに神の恵みに気づき、霊性を深めることができる。
家族の霊性を成長させるために、少なくとも年に2回、夫婦の黙想会を行い、結婚の記念日、特に金銀祝を祝う夫婦たちを教会に招いて、ミサの中で祝うことなどが考えられる。
15-2 夫婦の関わりを対話と祈りによって深めながら生きている夫婦たちと実際に生活することによって夫婦の関わりを学ぶプログラムが必要。
司牧者は、家庭を訪問し、家族に関わる。家庭における祈りの習慣を支え、みことばの黙想を促進する。祈りに関しては、神に心を向け、神を思い起こすために朝昼晩寝る前の祈りをすること、何事につけ神に願い、感謝し、賛美することなどを教える。
幼児教育の場で、両親の生活の悩みや育児援助を通して、神から預けられたいのちであることを伝えることができる。

16.
① 司牧者と夫婦の分かち合いの集まり(ME)は、毎回約2-3時間程度、2週間または1ヶ月に1回、あるいは少ない場合には2ヶ月に1回開かれる。② 家庭の問題を相談できるような信頼できる信仰深い夫婦を、小教区または地区に複数用意しておくこともある程度有効。このような信徒を養成することも必要。③ 秘跡典礼を通して子どもの発達段階に応じた性教育と秘跡の徹底した教育。④ 年齢など段階における指導カテケージスの作成。求道者にもわかる具体的に解説したものが必要。⑤ 堅信後は受ける教えから、聖霊の助けによって自ら探究し、つかみ実践する積極性と責任。

婚姻の不解消性および共に生きることの喜び(ns. 21 – 22)

17.
①「配偶者が自分にとってかけがえのない人だから共に生きる」という「愛」からの誓約であり続けるように、夫婦の関わりを成長させることが肝心。② 出産が完全な人格の実現に必須であるといった表現を使うことは避け、むしろ子どもを持つことによって更に大きな喜びの体験ができる点に重点を置くべき。③ 夫婦の成長は、親になることによって一層促進される。人間の世界に見られる神の愛の最高の象徴は、間違いなく親の愛である。④ 夫婦相互や生まれる子供は 神から委ねられたもの。自由意思を持ってそれを受け入れ、命がけで守り、神の恵みと自覚して生きること。⑤ 結婚の価値は、自己中心的な充実感ではなく、キリストの十字架の秘義を理解する時に、始めてわかってくるもの。キリストの逆らいのしるしを生きる奉献者の姿勢が問われている。

18.
① 結婚の準備段階で、深い喜びのうちに生きている敬虔な先輩夫婦の話を聞き、彼らと接する機会をたびたび与える。② その喜びをその家庭(夫婦)が直接体験するのが、一番の近道である。③ 家庭において、親は子のため命をささげ、子は親のため命を委ねる相互愛の存在となる。家庭は、他に類を見ないいのちの場なのであるから、その独自性を生きることがあかしとなる。

19.
①「結婚とは性的な交歓によって十全に表現される性的な秘跡である」(Ron & Mavis Pirola)という指摘は重要であると思われる。夫婦が愛し合って生きていくということはキリスト教だけのものではなく、共通の文化と社会の土台だからである。② 民法上の結婚に関しては、そこに互いに義務が生じているので、結婚とは何かを学ぶ上で有益。③ 無効宣言のためには、結婚成立の諸条件、特に未成熟さ、あるいは各国、各地方の風習(たとえばお見合い)の中には本人の意思と合意がどこまであるのかを考慮することも大事である。独自の社会風習には、民族の知恵と教訓があることを踏まえ、包容力と忍耐を持って秘跡的結婚へ導くことも大切である。④ 教会が夫婦の日(あるいは結婚の日)をもうけて、信者でない夫婦たちをも招くことを視野に入れた一日プログラムを実施する。⑤ MEの夫婦たちによって、信者でない夫婦のためのMEプログラムを実施している地方もある。⑥ 各教区に司祭と信徒から構成される「家庭員会」と「結婚問題手続き事務所」を設置する。

家庭の真理と美、および傷つき壊れやすい家庭に対する慈愛(ns. 23 – 28)

20.
20-1 何よりも愛されていることを実感する体験が必要である。そのために、司牧者が、イエス・キリストのように、出会う人と同じ目線に立って会話し、受け入れる必要がある。神の愛と憐みを自ら感じ取って、同じ目線からそれを伝えるように努める。特に傷つき壊れやすい家庭に対して、単に助言するだけではなく、話を聞き、一緒に歩みながら、自らその問題を解決するように助けてあげる。
20-2 現行「教会法」の早急な改訂と、神の愛を証しする司牧的配慮を最優先することへの徹底した方向転換が必要不可欠。掟の遵守を固持する教会の態度は、神が傷ついている人との交わりを拒絶する冷酷な存在だとか、教会が傷口をえぐった上で放置する存在だと誤解させている。民法上離婚したカトリック信者が非キリスト者との前婚の絆の解消手続きする場合、非キリスト者前婚関係者に「婚姻の不解消性の価値」や「共に生きることの大切さ」を伝えるよりも逆に、キリスト教という「宗教」が抱えている頑迷さや偏狭さを印象づけることになっている。まず何よりも、傷ついた人を受け入れ癒すことが最優先されるように「教会法」を改訂し、裁くための手続きは廃止し、諸般の事情で別れざるをえなくなった双方の傷を癒し、神の愛と出会い、神を信頼して再出発することを願って、それぞれに同伴していくパストラル・カウンセリングの充実をこそ正式に定めるべきであろう。
配偶者から見捨てられた状態にある人、民法で結ばれている人、同棲中の人たちに対して、教会は彼らが神の憐れみから排除されていないということを、常に伝えていかなければならない。人間はいつも教会の示す生き方ができるとは限らない。福音の理想を生きることができなくても、その途上にある人間の弱さを包み込むことが大事。

21.
キリストの愛のたまもののことをまだ十分わかっていない人々にも、キリストの愛の実感を与えることができるので、その愛の体験からキリストの愛をわかるようになる。
① まず、耳を傾け、受け止め、現実的問題と精神的問題を分け、方向性を示す。信徒の中から寄り添うことのできる方を紹介し、さらに専門機関との連携を促すことも必要。
② 家庭を持つ信徒とともに、積極的同伴のこころをもって近づく。神が差別区別することなく、また感情に左右されることなく、神から委ねられた人々であることを自覚し、受け入れ、相手の必要や求めに応じ全面的にバックアップする。
③ 夫婦の日(あるいは結婚の日)を何回か実施する。例えば、7回実施するとして、7回目には、「キリストの愛のたまもののことをまだ十分わかっていない人々」が赦しの秘跡を受け、ミサで聖体を拝領できる状態まで持っていけるようなプログラムを作る。

22.
① まずは、私たちが偏見や差別から解放されること。同じ神の子らとして助けあうことはできる。② 批判し拒絶する態度を改め、まず出会い、耳を傾け、理解しようと努力し、共に歩む可能性を探求すること。③ 家族や結婚の価値の拒否に限らず、教会の否定、事実婚などの方々に対して、法や掟に基づくものでなく、神に愛される者同士として、彼らを受け入れ、彼らの重荷、心の解放、救いに重点を置き、慈愛を持って近づき導く。④ 結婚の秘跡によって結ばれた夫婦が、真にその秘跡を生き、その生き方を分かち合うことができるプログラムを提供する。どんな形の夫婦にしろ、教会は結婚や夫婦を大事にしていることが分かるようなプログラム作成する。MEや各地にある信者ボランティアによるカナの会、ラムスの会などによる支援、同伴が有益。

第三部 現実に向き合う : 司牧的展望

さまざまな状況の中で、今日、家庭の福音を告げ知らせること(ns. 29 – 38)

23.
23-1 ① MEでは、家庭生活の中での夫婦の関わりが分かち合われるので、家庭そのものを取り入れていることになる。夫婦や家庭、家庭の教会の喜びに満ちたあかしは、このような分かち合いの中に見られる。この分かち合いを通して、その参加者は養成される。
② 家庭は体験するものであって学ぶものではない。司牧者が家族の痛みを共感する姿勢があれば、おのずと分かってくるのではないか。同じ目線に立って喜び、悲しみ、苦しみを分かち合うことが何よりの理解であろう。家庭の置かれている状況は、家庭の数だけある。「学ばせる」よりも結局「生きていく場における選択が信仰に基づくものであるよう動機づける」と言うことではないか。③ 教会を、現実の痛みと困難を担って生きている人への愛情と寛容さと理解を示せる多面的な包容力のある共同体にする。
23-2 ① 司牧者にとっても,神学の勉強中に、とりわけ叙階の前、更に司牧を始めて10年、25年経った頃に、看護師、医師、弁護士、教育者を交えた「キリスト教的家庭の育成コース」を開いて、理論と実践(司牧)の経験を踏まえてどのように現実の緊急課題に対応して行けるかを具体的に総合的に準備する必要がある。
② 養成期間中に信徒の家庭を数多く訪問して、その喜び、困難など、生きた家庭のさまざまに触れる機会をもつように配慮する。現実の社会の状況(企業戦士の葛藤、倫理的葛藤、人権無視の現状、非正規職員の状況)や家庭生活の状況等についての体験者の報告あるいは分かち合いが役に立つ。そのためには、神学校のカリキュラムそのものを抜本的に見直す必要がある。たとえば、夫婦の関わりを深めるプログラム(ME)への参加、あるいは、それに近いプログラムを神学校で用意してそこに夫婦たちを迎える。複数の夫婦の分ち合いに参加することが有効。小さな子供のいる夫婦のもとでのホームステイなど。

24.
24-1 何事も分かち合う家庭の喜びを呼びかけ伝えねばならない。家庭は迷惑をかけない人づくりでなく、お互い様助け合う愛が必要。
24-2 ① 恵みの優先性をわかるためには、み言葉に導かれて自己の体験を掘り起こすクルシリオのような研修が有効。② MEでの夫婦のかかわりの分かち合いを通して喜びの体験をするとき、聖霊の働きが感じられることもある。③ 夫婦の霊性は、先ず、二人の関わり、神との関わり、世界(他者)との関わりを深めるもの。中でも、神とのかかわりを深めることで二人が恵みの世界に開かれ祈りを深めていくことになる。④ 父と子と聖霊の交わりと人間への自己譲渡を恩恵論の中心にすえて、交わりの視点から「離婚し、再婚した人の聖体拝領」を検討すべきであろう。

25.
25-1 ① 司牧においては、社会教説のカテケージスを促進する必要がある。政治や経済に関して無関心であってはならず、教会の基本的な考え方を学び、実践しなければならない。② 福音は、人の心の豊かさを増すものであり、生きることの喜び、すべての人を幸せに導くものであることを出会いの中、生き方の中で示す意識を持ち表現する。③ 家庭の問題は基本的に夫婦の問題なので、夫婦に特化したプログラムが必要。子供たちをも含めた豊かなかかわりの家庭が生まれる、MEのプログラムによる開発が求められている。
25-2 司牧が、現実の生活を分かち合う集まりを通して行われるならば、それは家庭の理論から家庭の現実を見つめることへの大きな回心であろう。

26.
26-1 さまざまな理由で教会から遠ざかっている信者のために、教会の方から出かけて行くことが求められている。家庭に奉仕するためには、いろいろな社会的な支援制度を知ることは不可欠であり、行政との連携をとることも必要である。司牧者は、信仰に関する事柄のみの司牧から脱却し、基本的な知識および信徒の協力を必要としている。従って、政治への関心、改革への代弁者は必要であり、特に信徒政治家への支援・応援は大切である。たとえば、単身赴任、残業、共働き、祝日出勤などによって家庭が犠牲になっている。こうしたことから家庭を守るためには、政治的力が必要になる。

27.
27-1 ① 地方自治体の諸活動の協力参加支援を行う。② 日本では各都道府県で、おもに毎月第三日曜日が「家庭の日」と定められている。③ 各家庭とともに小さなできることから参加し、地域のためにある教会として取り組む。④ 家庭にとって好ましくない状況の改善を図るように企業に対して政治的圧力をかけることができるようにする。
27-2 ① カリタスジャパンNGO等の支援へ。② 今回のシノドスを通して「家庭年」が世界的な運動になることを期待している。

結婚準備の課程で結婚する二人を導くこと(ns. 39 – 40)

28.
28-1 ① 教義の講義ではなく、対話的に講座を展開する。結婚を準備する2人が自分で考え、話し合ったり分かち合ったりする中で、自分で気づいていくような手法を用いることが大切である。また、司牧者だけで行うよりも、協働者として先輩の夫婦が自分たちの具体的な体験(結婚生活の豊かさやその中での喜び)を分かち合うプレゼンテーションをすると、結婚を準備する人たちも身近に感じて聴く。② 結婚した夫婦が日常生活のありのままを分かち合う。その分かち合いを支えるのは、信仰であり、互いへの信頼である。受講者のカップルが信者でなくても通じる。彼らは大きな力に支えられていると感じはじめる。すると、安心と信頼が芽生え、感謝し、赦しへと導かれる。③ 競争社会の中だからこそ、結婚の選びについても、立ち止まってじっくり考え、そして歩む姿勢を社会の中に作り出すことから始めなければならない。④ 結婚講座で家庭の使命に関するロール・プレイを取り入れて、理論と実際のギャップを参加者に追体験させて責任性と適応力を培う。⑤ 男女の違い、思いやり、協調性など感性の教育が不足しているので、子どものころから性や結婚についての学びが必要であり、家庭において幼児期から結婚まで、結婚についての予防的教育が必要である。
28-2 信徒、司祭、専門家など、チームによる養成プログラムを実施しなければならない。

29.
29-1 神の愛を教会の家庭に関する教説から説くことは有益。また、入門の段階から信徒たちの分ち合いの場で育まれることも取り入れる必要。
29-2 信者夫婦の体験談を聴く:夫婦が同じ信仰に生きることの大切さ、人生の難局に直面しても、その信仰が希望のうちに前進する力を与えたことなど。
29-3 ① 洗礼は教会共同体に迎え入れるものであり、エウカリスティアは教会共同体の交わりであること、そして家庭あるいは夫婦が最も小さな共同体(教会)であること、これらからその繋がりを提示し、家庭や夫婦の喜びが小教区や教会全体にとっての喜びになり、逆に家庭や夫婦の悲しみが小教区や教会全体にとっての悲しみになるという関係を説明する。② 洗礼によって愛である神の子として生まれること。神の道を歩むために道、真理、いのちであるイエスの聖体を受け、キリストとともに愛を生き、家族と共に永遠の国を目指す。③ 配偶者とキリストと共に歩んでいる一体感が大きな支えである。これはミサを通していただく恵みではないだろうか。④ 洗礼・聖体の秘跡と婚姻の秘跡とのつながりも含め、家庭に関する総合的で、互いに関連づけられた、信徒養成プログラムが望まれる。
29-4 このプログラムに、小教区共同体は全面的に関わるべきである。

結婚生活の最初の数年間に同伴すること(n. 40)

30.
30-1 結婚の準備だけでなく、その後の家庭に関する活動をしている人たちとの関わりはとても大切で、効果的である。しかし、日本では、一般的に、まだその体制がとれていない。
30-2 MEは、結婚初期の同伴の役割も果たすことができるし、その後も継続的に必要な夫婦の愛の関わりを深める役割も果たすことができる。このグループに参加することで2人の結婚生活と信仰生活は大きな恵みを受け、真に神と共に歩んでいると少しずつ実感できるようになる。結婚準備講座が、分かち合い中心に、10回~20回程度の集まりとして行われている場合に、そのグループは、結婚後もコミュニティとなり、互いに支え合う関わりが育まれてくる。

31.
31-1 ① 教会の考えが先にあるというより、まず、夫婦があってその家庭の問題に教会が関わろうとする姿勢が大事ではないか。② 夫婦は、年を経るにつれて次第に互いに相手に対する関心が薄れてきて、関わろうという意欲も減退してくるので、このような時期こそ、関わりを深めるための支援が必要になる。そのために、MEの「ウィークエンド」というプログラムは一定の役割を果たすことができる。
31-2 ① 小教区の施設には若いカップルが集まったり、小さな赤ちゃんが心置きなく遊んだりする空間があってほしい。配偶者が非キリスト者であっても一緒にやって来て、貴重な休日を過ごせるように経験ある夫婦に積極的にベビーシッターを引き受けてもらう。② 子育てからしばし解放され、お互いを見つめ合ったり、愛や信仰を育んだりすることができることが体験的に分かってもらえるような配慮が求められる。③ MEやCouple For Christなどの夫婦や家庭に特化した運動を教会が積極的に推進する。

民法のみによる結婚や同棲中の人々に対する司牧的配慮(ns.41- 43)

32.
① 司牧的識別の基準は、最も弱い立場に追いやられてしまった人への配慮。救済されるべき人々の序列を正しく捉えることから始めるべき。② 究極的には、結婚は神が結び合わせたものということを理解できるかどうか。③ 互いに対する忠実の誓い(互いへの恒久的・全面的・独占的なコミットとしての愛)の有無。④ 教会の指針はあるが、場合によっては、その当事者に任せられる領域を残しておくことが必要ではないか。選択の余裕がある方が責任を取れる。⑤ 同棲あるいは事実婚の2人を疎外することなく、先輩夫婦たちがあたたかく見守る、というようなシステムができないものか。

33.
33-1 男女の結びつきが神の祝福によって豊かになること、結婚生活は神の恵みによって深まることを、分ち合いと自らの経験により知る機会を提供する必要がある。
33-2 信者でない夫婦のためのMEのプログラムがあるが、それが効果的であるためには、信者夫婦が秘跡を生きる喜びを体験して、いきいきと輝いていることが必要である。

34.
① 諸文化における多様な結婚の形態や伝統的考え方は、できるだけ尊重すべき。ただし人権、特に女性の人権を踏みにじるような制度は否定されるべき。② 夫婦が互いの関わりを大切にしながら、夫婦を家族の基本単位として生きる生き方を選ぶこと。それを促進する養成プログラムとコミュニティの支えを提供すること。

傷ついた家庭(別居夫婦、再婚していない離婚者、再婚した離婚者、ひとり親家庭)を配慮すること(ns. 44 – 4)

N.B. 2013年、日本で結婚した66万組のうち、26.3%(→1975年12.7%)が「夫妻とも再婚、またはどちらか一方が再婚」。「夫妻とも再婚」は約6.2万組、「夫初婚、妻再婚」は約4.6万組(厚生労働省)。

35.
35-1 ① 教会が示す傷ついた家庭(別居夫婦、再婚していない離婚婚、再婚している離婚者、ひとり親家庭)は、現代では特別な家庭を指す言葉ではなくなっている。誰もが直面している一般的なものになっている。従って、家庭を築いているすべてのキリスト者にとって、家族や家庭についての概念を再構築する時代になっている。② 現在の日本の教会では、傷ついた家庭を受け容れることへの理解は不足しており、彼らへの配慮は不十分、あるいはなされていない。また傷ついた家庭の側も、教会との関わりを避けているように見受けられる。ただし、「札幌カリタス家庭支援センター」(信徒による法、心理、福祉などの専門家とボランティアからなる相談所)は、傷ついた個人、傷ついた家庭を支援する大きな力となっていて、教会が今の社会の必要に応えようとしている印になる。③ キリスト者の共同体は、傷ついた家庭の必要を満たす能力を持っているが、日本では少数派であり、専門的な人材が不足しているため、課題となっている。さらに外国籍移住者の多い教会共同体では、その課題がさらに大きくなる。誰かがイニシアティブを取るよう鼓舞し、指導されるべきである。④ 家庭問題は、家庭内の問題が多いため、危機にあるときすぐに支援することは難しい。しかし、癒しのための人と組織を備えておく必要がある。
35-2 取り組みは、国家的仕組みであるがために余りにも大きな課題である。「離婚者、再婚者(重婚者)に対して、司牧や教会法などあらゆる面での対応を総合的に再検討し、福音の教えにかなった解決を見いだす」。「教会が真に社会とともに歩み、苦しむ人々にとって福音となるためには、この問題への対応を、心理学、社会学、神学、教会法、司牧などの面から総合的に再検討し、解決を見いだすことが必要である」(NICEⅠ特別提案)。
35-3 ① 先ずは、傷ついた方々の居場所を教会の中につくり、彼らの心の声に耳を傾け、ともに祈ることなど、ただかかわり続けることである。② サマリアの女性に対するイエスのように、その人を必要な人として共同体で受け入れていく。わたしたちと同じく、神によって生まれた方々であり、神は様々な方を作り、差別や区別なく兄弟愛を実践するようわたしたちに与えられた方々であることを確信する。③ 司祭も、信者たちが噂話や悪口を止めて互いを受け入れあうように伝え、御父の配慮が行き渡るよう努める。どのような状況下にあっても、神の憐れみと慈しみ、赦しと愛、癒しを、神への信頼の内に、傷つき病んでいる人々に与えていくこと。④ 今後は、このような人々(離婚者や別居生活で悩んでいるもの等)が気楽に分かち合える場を教会は提供して、司牧的配慮をおこなうべき。⑤ 聖書のみことばを生涯学習として徹底的に学ぶこと、知識的にも霊的にも深められ、年齢を重ねながら祈りの積み重ねを通して徐々にキリストの心にまで触れ、キリストの生き方を人生の基準(指標)として歩めるように養成されていくことが最も大事なことである。⑥ 共同体が成長することが必要。政治や経済分野の福音化に関しては、それが自分たちの使命であるという教育がなされていない状況で、社会教説に関する基本的な学びからはじめなければならない。

36.
36-1 ① 司教の指導のもとに、信徒と聖職者が一緒に新しい情報を学び、発信するべきである。これは、セミナー、ワークショップ、研究会、インターネットなどを利用することで可能である。② 各教区における信徒が受け入れやすい司牧を全ての教区で共有できれば良い。36-2 ① 移住者の結婚に関しては、移住者の母国と受け入れ先の国の司教団が連携すべき。そのためにはやはり教皇庁が間を取り持ってほしい。② 教皇庁から出される文書(書簡、回勅、勧告等々)はとても重要であるが、一般の信者には愛読されていない。司祭も十分読み込むことができないでいる。司祭を含めて信徒の生涯養成は早急に取りかかるべき。

37.
37-1 ① 合議制(3名の裁判官)の裁判手続きから単独(1名の裁判官)の裁判手続きに変更する可能性を検討する。それによって、より多くの手続きの対応が可能になり、手続きに入る前の待機時間が短縮される。
② 第二審に関しては、無効が自明の場合には省略するなど、各ケースの事情に応じて制度を簡略できるように道を開くことも検討の余地があると思われる。
③ 教区内で、司教決済で処理できれば、迅速になるのでは。これまで “in favorem fidei” は聖座に留保されていたが、教区司教の権限とすればより簡便、迅速、かつ司牧的対応ができる。その方が、一般法からの免除の権限を司教の通常の権限とした教会法改正のためのn.4の原則に合致している。
④ 手続きをローマでなく諸国分権((バチカン大使など)にしてはどうか。
⑤ あまりに簡素化すると安易な結婚や離婚が増えることが危惧される。
⑥ 教会法的な解決以上に、苦しむ人に寄り添う解決方法を考えて欲しい。少なくとも修復が現実的に不可能で、ある程度の年数を経た前婚には、それなりの配慮をする。
⑦ まず教会法に関する手続きについて、信徒と司祭が共に学び、知ることが大切。
37-2 ① 手続きの無料化は、教区の経済力と当事者の経済的な能力などによって事情が異なるので、制度化は難しいと思われる。ただし、当事者の経済的な事情によっては、費用の全面的な免除や一部軽減などの対応は必要と思われる。貧しさのために手続きができないということがあってはならない。
② 国によって事情が異なるので、各国で対応すべき。教区司教に判断を委ねるべき。
③ 教会管区レベルにおいて法務に関する研修会が定期的に開催すれば、無料化の第一歩に繋がるのではないか。

38.
ここまで教会が踏み込んでいってくれたことは驚きであり、また喜びである。ちょっと前には考えられないことだった。今後も開かれた議論を望む。
38-1 ① まず神のいつくしみについて理解し、このような家庭の体験と信仰の識別から出発すべきである。主イエスの望みを識別するために、ご聖体の前で、全教会がともに祈ることを提案する。イエスの望みに従って、主の恵みが、それを必要とする人たちに届けられるのは望ましいことである。
② 時と場合による。やむを得ず離婚した人々に対しては、愛と憐みの心を持って司牧すべきである。自分勝手な利益のために離婚する人々についても、教会はこれを真剣に受け止めながら議論すべきである。
③ 秘跡による結婚であっても汲むべき事情をもっとよく受け入れるべきである。
④ 手続きなしに再婚したことを「罪」とせずに、「失敗からのやり直し」のように考えられないか。たとえ個人の弱さや過ちから離婚、再婚という結果になったとしても、その現実からキリスト者としての生き方へと再び招かれているだろうし、その意思を持つ者に対して、歩むための糧を教会を通して受けることは必要なことと考える。
⑤ 家庭の深い信仰養成が前提となる。主との生きたかかわりと、彼らを下から支え、変容させる恵みこそ必要である。小教区は、主の無条件の歓迎、いつくしみ、愛を体験する場、新しい生き方として開花するまで、この変容させる愛のうちに成長する場でなければならない。
38-2 一定の条件のもとに、離婚して再婚した人々が秘跡を受けられるようにする。
① ゆるしの秘跡を受ける。キリストのこころは苦しんでいる人に寄り添うことにある。「聖体は褒美ではなく、薬、栄養である」(教皇フランシスコ使徒的勧告『福音の喜び』)。聖体は、不完全な人間が、自分の現実の中から出発してキリストの生き方に従っていくための糧となるものである。
② ある一定の期間を設けて、当人に償いと清めのチャンスと期間を与え、本人がしっかり信仰を生きようと努めていることが確認できれば、司牧者の判断のもと、司教の承認をもって、秘跡に近づくことが出来るようにしてはどうか。イエスは姦通の女性を罪に定めなかったが、自分の罪としっかり向き合うように促した。彼女は神の憐れみと赦しに触れることが出来た。教会はキリストのこの心を常に大事にすべきではないか。
③ たとえば、十年経って特に問題がないと判断できれば、周りの信者たちも受け入れる用意があるなどの条件をつける。二回目の結婚の方がうまくいっている例は多い。
④ 可能ならば別れた相手との和解のプロセスを設けて、共同体のゆるし(?)をもって受け入れてもらう。教会にも民間にあるような、専門家による和解(調停)グループがあるとよい。教会裁判所がこの役割を担うことも考えられる。
⑤「望みの原則」(洗礼やゆるしの秘跡)を適用して、当事者が共同体の皆と一緒に生活し、結婚の秘跡を尊重し、聖体を受ける心の準備ができているならば、短期間でも聖体拝領がゆるされてよいのではないか。
(3) 指導があるので、司牧者による統一性のない対処は好ましくない。

39.
39-1 現行の法規はある問題には有効な解答を与えることができないでいる。カトリック信者が人口の0.35%、全キリスト信者を含めても1%に満たない日本のようなキリスト教がマイノリティーの国の実情を考慮する必要がある。
39-2 ① 信徒の養成が十分行われていないために、彼らの中に混宗・異宗婚の場合、教会の許可が必要であることが分かっていないのが目立つ。「約束書」作成に当たり、意味も十分に理解することなしに著名し、結婚後はまた教会との関わりを持とうとしない信徒もいる。
② 信者でない人たちの中で孤立したカトリック信者をどう支え合うのかが課題である。

同性愛の傾向を持つ人々への司牧的配慮(ns.57 – 59)

40.
40-1 ① 当事者が一番苦しんでいる。医学的治療に結びつけ、まず人間として生きていくことができるように支援が必要。長い検査と治療の結果、性別が確定され、それによって生きる道が選択されていくのではないか。
② 教会は、同性婚の結婚を認めることができなくても、同性愛は本人の選択によるのではないし、神が拒絶しているとは考えられない。せめて同性愛の傾向を持つ男女が作る家庭も神に祝福された家庭だというメッセージを発信することが必要だと思う。最近、東京都渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例を可決した(賛成派が過半数をやや上回っている)。
③ 彼らがさらされている偏見や差別は不当なものであることをキリスト者は知らねばならない。むしろ、社会的な少数者として受け入れる必要がある。
④ 結婚の目的についての教会の教えを、絶えず信者たちに教える必要がある。
40-2 同性愛者が家庭の中にいると分かれば、イエス・キリストのように愛と憐みの心をもって「罪人と罪」を区別して受け入れるしかない。司祭としては、ゆるしの秘跡の時に真実を告げられると、助言する他に方法はない。
40-3 ① 裁くことなく、同性愛者とその家族を受け入れる。そしてともに祈り、聖霊の導きを祈り求める。神の国の福音から誰一人も除外されることはない。
② 教会としての考え方を信徒に浸透させる方がよい方法であろう。たとえば、性的マイノリティーの問題について専門家に話をしてもらう。
③ 「結婚の本質は夫婦愛から生まれるいのちの継承にある」という、神によって示された方向性は決して変えるべきではないが、その在り方については母なる教会の心をもって対応されるべき。宗教学・医学・科学的見地に立ち、可能な限りの解決策を試み、それでも根本的解決に繋がり得ない場合は、その人の目から涙をすべて拭い去る救いへの努力が求められる。本人たちのせいではなく、神さまから頂いた傾向だと思われるので、秘跡に与る権利があることを本人にはもちろん家族にも話すことは大事。

いのちの伝達と出生率低下の課題(ns. 57 – 59)

41.
41-1 ① 教会公文書の中で教えられていることと、殆どの信者が実際に信じ、実践していることとの間には大きな隔たりがある。家庭が抱えている問題や関心について彼らに耳を傾け、裁くことなしに受け入れることが大切である。
② 子どもは神からの「授かりもの」としての意識を、社会全体に育てるよう、教会はもっと働きかけるべき。子供は親だけではなく、社会全体に与えられた神からのおくりものである。社会全体が、子どもを大切に見守り、育てなければならない。親が安心して子供を産むことができる社会にしなければならない。
③ 教会は美しく生きる呼びかけをしっかり発信し続けていくことが大事。神のご計画によって、男女間の交わりはいのちに開かれていると信じる教会は、「いのちの文化」を常に宣言し、実践しなければならない。
④ 出産の在り方よりは、社会や会社、地域社会や家庭が、いかにすれば結婚における夫婦愛や家庭、出産や子育てに優しい環境を提供できるかを真剣に考える時が来ているのではないか。
41-2 カトリック医師会のようなカトリックの信仰を持った科学者や医療関係者を養成して、カトリック教会としての立場を世界に発信していかなくてはならない。

42.
42-1 「カトリックだから人工妊娠中絶ができない」と規則を前提とするのではなく、いのちの神秘・尊厳をことあるごとに伝える努力が必要で、カトリック教会として、この活動への協力が望まれる。
42-2 ① 出生率低下の原因の一つには、三世代同居の慣習が崩れたことや共働きが多くなったこと、それに家の狭さなどがあると思われる。国の子育てに対する配慮がなく、子育てに専念できる経済的環境を整えていない。教会としても、すべきだと思う。
② 教会は、いのちを救う体制基盤を作り、いのちの受け皿を作ることが大事である。(たとえば、熊本慈恵病院「こうのとりのゆりかご」:妊娠・出産・育児について悩みを抱えている母親やその周辺の人々の悩みごとを聞き、一緒に考え、解決することを目的としている。望まない妊娠により悩みを抱えている人、妊娠に関して悩んでいる人の相談窓口)
42-4 ① 日本では里親や養子に偏見が強い。しかし、教会は、幼子を愛されたキリストの心を心として、家を失った子どもを育てる勇気を持つべきである。養子縁組や里親制度を推奨し、その改善と促進のために、もっと社会に働きかけるべきである。キリスト者として、少なくとも、この動きに理解を示し、物心両面の協力することを心がけること。「育てることが困難な場合は、胎児のいのちを絶つのではなく、いのちを産み、育てることのできる方に託し、手放したわが子の幸せを祈り続ける親の愛」があることを伝えたい。
42-4 ① 養育家庭(養子縁組を目的とせずに、一定期間養育する家庭)がある。子どもは成人するまで里親のところで生活をすることにより、安心できる自分だけの居場所を確保できること、地域における社会経験を積めること、将来の自分の家庭を作っていく際のモデルを示すこともできる、
② 政治や社会に働きかける前に、教区自体の意識を転換し、家庭委員会を充実させる。
③ 結婚準備講座のようなものの中で親になることは自分たちの子供を作ることだけではないということを教える。

43.
① 自分の中に「父性」と「母性」の両方を成熟させることによって、一人の人間としての人格の完成が見られる。教区によっては、父親、母親となる召命について、子どもたちの要理教育の中でなされている場合もあり、結婚を準備する講座でも強調されている。
② 新しく洗礼の準備をしている大人にも、大人になりつつある子供の信徒にも、わたしたち人間としての共通の召命として、「父性」と「母性」の成熟によって人間性を育てるよう導く必要がある。
③ 一年の典礼行事に「結婚生活・家庭・家族・夫婦・親子、兄弟姉妹など」の月間を設け、ミサの中で「証の場」を設けてはどうか。自らの課題として振り返り、自分自身と真剣に向き合う良い機会になるのではないか。
④ また、父親、母親となる召命は、純粋に神とその人の召命との観点から、聖書に基づいて説かれるべき。
⑤ 若い親たちが安心して子育てできる環境を整備することは極めて重要。教会としてできることを真剣に検討しなければならない。
⑥ 母性/父性を生きることがキリスト者の召命への応答であるということが、婚姻の秘跡がもたらす賜物の一部として理解が深められるような、夫婦の養成プログラムが望まれる。

44.
① 結婚によらない妊娠に直面した時、身近な人をはじめ、教会はその女性に寄り添うことが重要。世間体を気にしたり、罪を強調したりしてはならない。この点において、考え方の転換をはかる必要がある。
② 結婚、夫婦愛、出産と育児の喜びと美しさをもっと強調し、この歩みへの招きと奨励を倦むことなく、絶えず伝えていくことが大事。
③ 中絶によって痛みを感じている女性たちの心の支え、彼女たちの心の傷に寄り添っている教会の姿勢を示すことができたらいい。
④ 生命尊重センターの「円ブリオ基金」(妊娠して子供を産みたいが産めない状況にある母親を助けるための募金活動)や「妊娠ホットライン」などの周知と活動支援、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」の周知と活動支援等が行われている。
⑤ 日本司教団が出した「いのちへのまなざし」声明文を再考し、再度このような問題をとりあげて、裁く立場ではなく、ゆるしと希望を与えるような教会の態度を示すべきではないか。
⑥「プロ・ライフ・ムーブメント」のような運動を推進する。

福音化における家庭の教育と役割についての課題(ns. 60 – 61)

45.
45-1 ① 日本では、家庭内で信仰教育を行う必要があるという認識はあまり強くない。子供の成長過程における子育ての悩みに対しては、日常的な関わりの中で連帯と支援がある程度なされている。これを拡大させ、組織的な取り組みとすることを模索する必要がある。
② 新受洗者に教会奉仕を促すと、そのため教会から離れていく人もよくあるし、熱心な信者はミサ後に会合に忙しく、その間子供はゲームをしながら時間を持て余している。次第に教会が退屈な場所になり、高学年になると教会離れする傾向にある。また教会学校には子供と子を持つ親との関わりだけが色濃く、子育てが終わった家庭は興味を示さないのが現実である。信徒の子どもは教会の子どもたちであるという自覚を持つ必要がある。
45-2 ① 教会学校がもっと活発で充実したものになると、子どもたちにも親たちにとっても大きな支えになる。
② 信徒リーダー養成とともに生涯養成に力を入れていくべきである。
③ 教会共同体も時代の波を受け、合理性、排他性、同好会的な組織に変容している。キリストを生きる信仰共同体となることが求められている。
④ 教会の将来を担う子供たちに関心を持ち家庭的であることに努める。
⑤ 教会の中に子育て室を設け、過ごせる場所や遊具を置き、教育講座を行う体制を企画する。
45-3 ① 社会的・政治的次元での、「両親の教育上の役割」の認知のためには、家族が家で一緒に過ごす時間の大切さについて、教会はもっと提唱した方がいい。
② 日本では、ほとんどの自治体で、毎月第3日曜日は家庭の日となっているので、教会としても真剣に取り組むことが望ましい。

46.
① 現在の日本の家庭は、30~40年前と違うし、キリスト教的家庭とも違う。キリスト者の家庭でも、信仰が十分養われていないため、また社会全体の方向がキリスト者の家庭の価値観と対立するために、子どもをキリスト信者として育てることは大変難しい。それゆえ、小教区は、親たちが子どもの教育について支えてもらっていると感じるような歓迎の場でなければならない。これは共同体の務めである。教会は、自分の子らを矯正し始める前に、彼らを抱き寄せ、受け入れる母親としての姿を見せるべきである。そうすれば、その矯正は厳しい裁きとしてではなく、愛として感じられるであろう。イエスのいつくしみこそ、教会(司牧者)が具体的に示すよう努力しなければならないものである。
②「『家庭』は最初の宣教の場、『家庭』は小さな教会である。『家庭』を通して教会は人々と出会い、人々は教会と出会う」(使徒的勧告『家庭』)。聖書を中心として祈りの生活を継続的に大事にしていくこと、典礼歴にそった日々の生活を夫婦・親子・兄弟姉妹が共に生きること、こうして信仰の伝達が可能となる。信仰生活は、この繰り返しによって徐々に養われていく。
③ 終身助祭志願者の養成:(a) 信仰の伝達の責務を促進するための具体的方法の一つである。(b) 終身助祭夫婦会を組織化して、霊的に養成することで信仰伝達と宣教に力となると思われる。(c) 現役の助祭夫婦は自分たちが特別の使命を受けていることを認識している。

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