2016年灌仏会に際しての 教皇庁諸宗教対話評議会から日本へのメッセージ

灌仏会に際しての教皇庁諸宗教対話評議会からのメッセージ 「環境をともに大切にする仏教徒とキリスト教徒」(2016年4月8日、バチカン) 親愛なる日本の仏教徒の皆様 1. 釈尊の生誕を記念する灌仏会(花祭り)が4月8日に祝 […]

灌仏会に際しての教皇庁諸宗教対話評議会からのメッセージ
「環境をともに大切にする仏教徒とキリスト教徒」(2016年4月8日、バチカン)

親愛なる日本の仏教徒の皆様

1. 釈尊の生誕を記念する灌仏会(花祭り)が4月8日に祝われるにあたり、教皇庁諸宗教対話評議会は喜びのご挨拶を申し上げるとともに、皆様の心が平安と喜びに満たされ、皆様の家族と日本が平和であるようお祈りいたします。

2. 今年は教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』から示唆を受けてこのメッセージを記します。気候変動は、今日、わたしたち皆が直面している共通の問題です。わたしたちがともに暮らす家は、どの場所、どの段階においても大切にされなければなりません。わたしたちは皆、母なる地球の子どもであるにもかかわらず、地球に甚大な被害を与え続けています。それにより、環境の悪化、地球温暖化、砂漠化、資源の枯渇、生存が危ぶまれる種の絶滅が生じています。環境の悪化と人間的、倫理的な退廃は、明らかに結びついています。わたしたちが共通善のために協力しなければ、差し迫った生態系の破壊を遅らせることはできません。

3. 教皇フランシスコは次のように記しています。「人間のいのちは、三つの根本的で互いに密接にからみ合うかかわりによって成り立っています。それは神とのかかわり、隣人とのかかわり、そして地球そのものとのかかわりです。聖書によれば、これらの三つのかかわりは外面的にも、わたしたちの内側でも裂かれてしまいました。その分裂は罪です」(『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』66)。教皇はさらに指摘しています。「罪によって傷ついたわたしたちの心の中にある暴力は、大地、水、大気、そしてあらゆる生物に歴然と表れている病の兆候としても映し出されます」(同2)。

4. 仏教の教えと実践と環境の間には密接な関係があることをわたしたちは承知しています。多くの場合、寺院は山間部や森林の中に築かれ、僧侶は周囲の環境に細心の注意を払ってきました。また、仏教の学者や教師、教えを実践する人たちが、環境への認識を育むために適切で有効なものとして、仏教の教えを具体的に実践しながら、たえず環境の危機を訴えてきたことも承知しています。皆様はまた、心の内外を汚染する貪欲さ、憎しみ、誤った信念が宿っている人間の心の中に、環境問題の根源を見いだします。一方、寛大さと思いやりと知恵は、バランスがとれていて環境面で健全である生息地を探し求める、ある種の清めを生み出します。環境保護の立場にある仏教徒は、地球と自分自身に引き起こした苦しみから人間を解放するために尽くしています。仏教におけるアヒムサ(不殺傷)の戒律は、明らかに環境への配慮の根本的な核心です。

5.  仏教徒の皆様、環境問題に今日、対処するためには、この任務の霊的な側面だけでなく、地球の未来を築く方法と新たな普遍的な連帯に関する討論のための新たな機会を設けることが必要です。わたしたちは、単なる話し合いを超えて、行動に移らなければなりません。どの宗教においても霊性の真髄は、世界中のすべての生き物は互いにつながっているという教えにあります。キリスト者として、わたしたちは次のように考えます。「あらゆるものはつながっています。そして、わたしたち人間は素晴らしい巡礼の旅の中で兄弟姉妹として結ばれ、愛によってともに編み込まれます。その愛は、神がご自分のあらゆる被造物に抱いておられる愛であり、思いやりにあふれるやさしさをもって、わたしたちを兄弟である太陽、姉妹である月、兄弟である川、さらには母である大地と一致させる愛なのです」(同92)。仏教の手本も同様に、すべてのものはつながっており、それらが分離しているという考えはまさに妄想にすぎないという信条を明らかにしています。

6. わたしたちがともに暮らす家を大切にするという任務には、各個人と各宗教の参加が必要です。両宗教が共有する宗教的価値観の核心のもとに、わたしたちが手に手をたずさえて協力し、自分たちの地球を自分だけでなく未来の世代のために、より住みやすい場所にすることができますように。こうした思いのうちに、皆様に心から灌仏会のお祝いを申し上げます。

灌仏会、おめでとうございます。

諸宗教対話評議会議長
ジャン=ルイ・トーラン枢機卿
同評議会次官
ミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット司教

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