大浦天主堂キリシタン博物館蔵「元和の殉教図」

来年2022年9月10日は1622年(元和8年)の長崎の「元和の大殉教」から400年の記念日です。大浦天主堂キリシタン博物館には1870年に完成した「長崎の元和の大殉教」の絵が展示されていますので、ご紹介します。 展示解 […]

来年2022年9月10日は1622年(元和8年)の長崎の「元和の大殉教」から400年の記念日です。大浦天主堂キリシタン博物館には1870年に完成した「長崎の元和の大殉教」の絵が展示されていますので、ご紹介します。

「元和の殉教図」

展示解説

《長崎の元和の大殉教》    
The Great Genna Martydom of Nagasaki
セシル=マリー・トレル、フランス、1870年
長崎 大浦天主堂キリシタン博物館蔵 
縦約2メートル、横約3メートル

1612(慶長17)年の禁教令の発布以降、幕府による取り締まりが厳しくなると、次々と神父や修道士(しゅうどうし)が捕縛された。1622(元和8)年9月10日、捕縛されていた聖職者と信徒55名が長崎の西坂周辺で一斉に処刑される。いわゆる「長崎の元和の大殉教」である。25名が火刑、30名が斬首に処され、そのなかには、日本で数学を教えたイエズス会士カルロ・スピノラ(1564-1622)がいる。本資料には、前景右端に白い修道服のドミニコ会士、褐色の修道服のフランシスコ会士がいる。左端にはイエズス会士の神父が、これから死を前にしたキリシタンに病者の塗油(臨終の際に行われる儀式)を授けている様子が描かれている。
プティジャン神父が、1862年に列聖された日本二十六聖人の「日本二十六聖人殉教図」の制作を1868年にセシル=マリー・トレルに依頼し、前年の1867年に「205福者殉教者」として55人全員が列福された「元和の殉教図」もともに依頼したと推測されている。2017年に修復作業が実施されるまで、大浦天主堂内に掲げられていた。

なお、現在「長崎の元和の大殉教」がある展示室は、コロナ対策の一環で閉室中のため公開しておりません。当該展示室を含む一部の展示室は、密室空間となる可能性が高いため、いくつかの展示室を閉室しております。最新の情報は https://christian-museum.jp/ でご確認ください。

展示室の様子

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