2022年灌仏会に際しての教皇庁諸宗教対話評議会から日本へのメッセージ

教皇庁諸宗教対話評議会 「仏教者とキリスト教者による平和な社会づくりを」 2022年花祭りに際しての仏教徒の皆様へのメッセージ 親愛なる仏教者の皆様 わたしたち教皇庁諸宗教対話評議会は、日本全国で釈尊のご生誕を記念するこ […]

教皇庁諸宗教対話評議会
「仏教者とキリスト教者による平和な社会づくりを」
2022年花祭りに際しての仏教徒の皆様へのメッセージ


親愛なる仏教者の皆様

  1. わたしたち教皇庁諸宗教対話評議会は、日本全国で釈尊のご生誕を記念することにより、世界的な健康危機の後には、調和と世界平和を築くための新時代が生まれることを願いながら、今年の花祭りにあたり、兄弟姉妹である皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
  2. 平和の構築は、仏教者とキリスト教者の共通の責務として、わたしたちの毎年のメッセージに繰り返すテーマですが、昨今の悲惨な状況下で平和の促進と擁護のために、わたしたちの宗教伝統の役割をあらためて強調する必要があります。教皇フランシスコが悲しみ訴えたように、「人類は、科学や思潮、多くのすばらしい物事における進歩を誇りにしていますが、平和をもたらすことについては後退し、戦争を引き起こす王者となっています。このことをわたしたちは皆、恥じ入るべきです」(「東方教会省総会出席者への演説」2022年2月18日)。
  3. 異なる社会の間と異なる国家の間の平和は、究極的には人間の心が生み出すのですから、特に宗教が果たすべき役割の場は、まさに人間の心の中にあります。紛争で荒廃した東欧や、その他の地域の現状を前にして、わたしたち仏教者とキリスト教者は、力を合わせ、異なる社会や異なる国家間の平和の基盤になる心の平和を促進するために率先して行動するよう求められています。
  4. わたしたちは、それぞれの宗教伝統の遺産から、人間の利己主義と暴力による破壊を逆転させ、歴史の流れを変えるために霊的力を発揮することができます。紛争や戦争の根本原因である憎しみ、むさぼり、妄想、嫉妬は非難されるべきではありますが、それらを癒す力は、霊的次元においては、愛、喜び、思いやり、そして何よりも祈りにあります。
  5. 釈尊は、慈愛をもって憎しみを克服することを説き、「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。」(ダンマパダ1・19 中村元訳)。釈尊はまた、「全世界に対して無量の慈しみの意を修すべし。上に下にまた横に障礙なく怨恨なく敵意なき(慈しみを行うべし)」(「愛の実践についての講話」『スッタニパータ、慈経』1・8 中村元訳)とも語りました。イエスはその教えと生き方を通して、真の平和をもたらす道を示し、弟子たちには敵をも愛するように命じました(ルカ6・27——31参照)。イエスはまた、平和を実現する人々は幸いである、「その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)ととも諭しました。
  6. 皆様の花祭りの祝いが、武力紛争の犠牲者への連帯を呼び起こすものとして実りあるものとなり、豊かな祈りに満ちたものとなりますようお祈り申し上げます。祈りは信者が手にする最も効果的な手段の一つです。平和をもたらすために共に祈ること、「祈りは、わたしたちの良心を目覚めさせ、内なる恐れを取り除き、傷を癒し、暴力的な心をほぐし、敵意の壁を取り除き、宥恕と赦しをうながし、和解をもたらし、苦しみ叫ぶ声に心を開き、社会的罪悪を一掃することがわたしたちのつとめです。そしてわたしたちが、すべての人を兄弟姉妹として受け入れることができるようにし、わたしたちを平和の構築者へと変えてくれます。」(教皇庁諸宗教対話評議会と世界教会協議会「多宗教世界における平和教育 一つのキリスト教的視点〔2019年〕」)。
  7. 親愛なる友人の皆様、この、毎年恒例の花祭りメッセージの中で、わたしたちはカトリック教会を代表して、仏教者とキリスト教者の対話を、相互理解と友情をはぐくむ運動としてだけではなく、より平和で、より人間らしい、真の友愛に満ちた世界構築のために協働することを再確認したいと思います。これは可能です。なぜなら、「神は平和の神であり、戦争の神ではありません。……御父はすべての人の父であり、一部の人だけのものでなく、わたしたちが兄弟姉妹となることを望み、敵となることを望まない」(教皇フランシスコ「2022年2月23日、一般謁見演説一般謁見演説」)からです。

教皇庁諸宗教対話評議会議長
ミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット枢機卿
同評議会次官
インドゥニル・ジャナカラトネ・コディトゥワック・カンカナマラゲ神父

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