「元和の大殉教」400周年記念祭(長崎教区)

9月10日の「元和の大殉教」の日に合わせ、長崎市の西坂公園と中町教会で記念祭が開催されました。(記事・写真提供=カトリック新聞社) 長崎教区 「元和の大殉教」400周年記念祭 殉教者の信仰しのぶ  江戸時代初期の1622 […]

9月10日の「元和の大殉教」の日に合わせ、長崎市の西坂公園と中町教会で記念祭が開催されました。(記事・写真提供=カトリック新聞社)



長崎教区
「元和の大殉教」400周年記念祭
殉教者の信仰しのぶ

西坂公園での記念式典で祝福の祈りをささげる中村大司教(クリックで拡大)

 江戸時代初期の1622(元和8)年、司祭と修道者、信徒ら55人が長崎で処刑された「元和の大殉教」から今年で400年となる。
 長崎教区(中村倫明大司教)は、殉教の日に当たる9月10日、長崎市の西坂公園と中町教会を会場に記念祭を行い、殉教者の信仰をしのんだ。西坂公園には約200人、中町教会には事前登録をした260人が参加。オンラインでもライブ配信した。
 殉教した55人の中には、イタリア、スペイン、ベルギーのほか朝鮮半島の出身者もいた。また司祭と修道者が所属する修道会は三つに及んだほか、司祭らを支えた信徒家族も多く含まれた。年齢は3歳から高齢者までと幅広く、女性が多かったことも知られている。55人のうち52人は、「日本205福者殉教者」として1867年に福者に上げられている。

国籍や共同体超え共に祈った殉教者

 記念祭は、西坂公園での記念式典から始まった。
 55人をしのぶため、長さ1mほどに切った竹に殉教者一人一人の名を書いた札を付け、55人が掲げて入場。処刑は30人が斬首、25人が火あぶりだったことから、竹の先は斜めに鋭く切られ、火あぶりにされた人の竹と名札には、火で焦げ跡が付けられていた。
 中村大司教のあいさつと聖書朗読に続いて、イエズス会のレンゾ・デ・ルカ神父が元和の大殉教について話した。レンゾ神父は、55人が現代の教会に示した模範として、①信仰を公に表し、恥じなかったこと②苦しみを受け入れてそれをささげたこと③国籍も共同体も超えて共に祈る姿、「聖徒の交わり」を具体的に表したこと―を指摘した。
 大司教による祝福の祈りの後、参列者はロザリオの祈りをささげながら中町教会まで約10分かけて巡礼した。

召命の恵みの取り次ぎを願う

 中町教会では、中村大司教が主司式して記念ミサをささげた。
 中村大司教は説教で、殉教した55人の中に、日本人で最初に司祭となったセバスチャン木村神父がいたことを話した。
 中村大司教は、日本人司祭を生み出す努力は、聖フランシスコ・ザビエルが日本に福音を伝えた当初から始まったものの、多くの困難があったことを紹介。木村神父は、ザビエルが洗礼を授けた人の孫に当たり、邦人司祭誕生の願いがそれだけの歳月をかけて実現したことを伝えた。木村神父らの叙階式では、「列席の日本人たちは喜びのあまり涙を抑えることができなかった」と記録にあるという。「人々は、殉教の時だけでなく、叙階の時に既に、神様の存在や神様の恵みを確かに受け取っていたのです」と中村大司教は話した。
 木村神父は福音を伝えるため九州一円で司牧に励むが、密告によって逮捕され、殉教に至る。
 処刑の日に集まった人の数は3万とも7万とも言われる。中村大司教は、その中に木村神父の叙階式に参列した信徒たちもいたことだろうと推察。神の恵みが注がれていることの具体的な証しの一つが司祭や修道者を誕生させることであり、召命の促進に向け、「諦めないで自分たちを鼓舞していきましょう」と力強く呼びかけた。

海外からも参列

 殉教者の中にイタリア人のドミニコ会宣教師がいたことから、この日のために同神父の出身地、イタリア・ルッカのパオロ・ジュリエッティ大司教ら4人が来日し、参加した。また朝鮮半島出身の殉教者をしのび、韓国からも巡礼団が参列した。
 ほかに髙見三明名誉大司教(長崎教区)、日本カトリック列聖推進委員会委員長の大塚喜直司教(京都教区)ら4人の司教が参加した。

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