アジア司教協議会連盟 シノダリティに関するアジア大陸総会最終文書(2023年3月16日)

アジア司教協議会連盟 シノダリティに関するアジア大陸総会最終文書 (2023年3月16日) アジア大陸総会の「識別・文書作成チーム」 チャールズ・マウン・ボー枢機卿(ミャンマー)FABC会長 菊地功大司教(日本) FAB […]

アジア司教協議会連盟
シノダリティに関するアジア大陸総会最終文書
(2023年3月16日)


アジア大陸総会の「識別・文書作成チーム」
チャールズ・マウン・ボー枢機卿(ミャンマー)FABC会長
菊地功大司教(日本) FABC事務局長
ウィリアム・ラ・ルース神父(FABC-タイ)
クラレンス・デバダス神父(マレーシア)
西村桃子さん(日本)
エンリコ・エマニュエル・A・アヨ神父(フィリピン)
エステラ P. パディラさん(フィリピン)
パブリート・A・ベイバド・ジュニアさん(フィリピン)
ジョセフ・フィリップ・ゴンサルベス神父(インド)
アンソニー・コーコラン神父(キルギス)
ハイティン・グエン神父(ベトナム)




I.アジアの文脈



1.多様な文化、宗教、言語、民族に恵まれたアジアは、地理的にも人口的にも世界最大の大陸です。その面積は4,460万平方キロメートルで、地球上の面積の約30%を占めています。アジアには約46億人の人々が住んでおり、アジア全域で2,300以上の言語が話されています。また、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教、ジャイナ教、シーク教、道教、儒教など、主要な世界宗教の発祥地でもあります。もっとも突出した宗教はイスラム教で、12億人が信仰しており、次いでヒンドゥー教が9億人となっています。

人口(アジア): 46億人
カトリック人口(アジア): 1.5億人(※)
割合(%): 3.31%
神父: 70,254人
男女奉献生活者: 187,021人
信徒宣教者・カテキスタ: 432,035人

出典:「2022年世界宣教の日」にフィデス通信社が発表した「カトリック教会統計2021」
(※)小数点以下は切り上げ。


2.信念、価値観、象徴の体系は地域によって異なるものの、人間社会の相互の結びつきがアジアの人々を引き寄せています。アジアの価値観である関係性(神、自己、他者、宇宙との関係)は、人類家族の一致とアジアの人々の一致をもたらすのです。

3.世界銀行の報告書によると、アジアには世界でもっとも多くの億万長者がいる一方で、貧困ライン以下の生活を送る極貧層が3億2千万人いるそうです。最近のパンデミックは、もてる者ともたざる者の間の不平等と経済格差をさらに悪化させました。

4.政治的にも、議会制民主主義、軍事独裁政権、共産主義、立憲君主制、大統領制など、多様な統治体制が見られます。

5.一致と多様性がアジアにもたらす恩恵にもかかわらず、アジアには、教会とアジアの人々の生活に直接影響を与える多くの課題も内包されています。その課題の中には、アジア全域に広がる貧困、人々の生活に不均衡をもたらす生態系への脅威、組織的な腐敗問題、より良い生活を求める経済移住者の波、平和と調和にとって内部的な混乱をもたらす政情不安など、その他、多くのものがあります。これらはすべて、諸民族すべてに出向いていこうとする教会に、直接的な影響を及ぼしています。

6.アジアのほとんどの地域では、キリスト教は依然として圧倒的マイノリティですが、個々の文化の活気と豊かさは、教会の生活に喜びをもたらしています。アジア大陸は広大で、中央アジア、東アジア、南アジア、東南アジアという四つの明確な地域に分かれています。

7.わたしたちの共通の洗礼の尊厳に基づくこのシノドスの旅は、まさに普遍教会と地方教会が一体となって歩むことを表しています。教会の内外を問わず、あらゆる立場の人々が、互いに祈り、互いに耳を傾け、聖霊の声を識別する歩みに参加することの好ましい効果によって、彼らの中に、教会生活に活力とダイナミズムをもたらす新しい経験がもたらされます。

8.アジアに住む40億人のうち、カトリック信者は全人口の3.31%に過ぎませんが、教育、医療、社会福祉、貧しい人々や社会から疎外された人々への援助の分野で大きな貢献をしています。

9.多元的なアジア社会において、カトリック教会は、質の高い教育を通じて周縁にいる人々に力を与え、彼らを社会の主流へと一体化することで、愛のメッセージを伝え続けています。

10.数千人の司祭、聖職者、信徒宣教者、カテキスタが信仰養成に携わり、アジア全域のカトリック共同体の霊的・司牧的ニーズに応えています。


II.シノドスの歩み



シノドス前・フェーズ:FABC50周年総会

11.アジア司教協議会連盟(FABC)が、アジアの教会の貢献を全世界の教会に強調するために、ラテンアメリカ司教協議会連盟(CELAM)に倣って総会を準備中、教皇フランシスコは世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会を呼びかけました。1970年に教皇聖パウロ六世がマニラを訪問した際に開催されたアジア司教会議の50周年が近づく中、総会は当初2020年11月に設定されていました。しかし、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、FABCは総会を2022年10月に延期せざるをえなくなりました。

12.両者の動きの一致は摂理的であると考えられました。つまり、総会プロセスはアジアの人々の現状と課題、そしてアジアの教会の現代的使命を前面に出し、一方、シノドスは総会の意見聴取を行うための方法論を提供し、時には聞く仕組みを用意することさえしました。

13.総会の成果は、以下の「欠落部」の章(第7章)でもっとも明確になります。これらは、総会では認識されたものの、大陸ステージのための文書に対するアジアの回答では大きくは取り上げられていなかった懸念や優先事項を表しています。

14.FABC総会の冒頭で教皇フランシスコが述べたように、パウロ六世はアジアで、貧しい人の教会、若者の教会、そして対話する教会に出会いました。それから50年、貧しい教会はわたしたちの「共通の家」をケアする教会であり、若者の教会は今、デジタル大陸を航海し宣教しており、対話する教会は文化、宗教、民族の間に橋を架けるよう求められています。

第1フェーズ:FABCにおけるアジアの諸教会

15.アジア司教協議会連盟(FABC)は、17の司教協議会1、二つの東方典礼カトリック教会シノドス2、三つの準会員3で構成されています。FABCメンバーには、29地域が含まれています4。FABCのメンバーに中国大陸の教会を迎え入れたいという希望があります。

16.総会が終了するタイミングで、「大陸ステージのための作業文書(大陸ステージ文書)」が発表されました。冊子は10月28日に印刷・準備され、2022年10月29日に全参加者に配布されました。アジア大陸の作業部会が結成され、総会中の会合で中央委員会により承認されました。この作業部会は、アジア大陸シノドスの全プロセスを調整することになりました。

17.作業部会は、2022 年 11 月 7 日に Zoom で会合しました。シノドス事務局から「よくある質問」を含む大陸ステージの方法論について、「大陸ステージ文書」などとともにプロセスを説明する書簡が送付されました。シノダリティに関するアジア大陸の集いの日程は、2023年2月24日~26日に決定しました。

18.FABCの全22メンバーは、2023年1月15日までに「大陸ステージ文書」に対し、10ページの回答を行うよう要請されました。それから作業部会は、2023年2月15日までにアジアの最終文書の「草稿骨子」を会員に送付する予定でした。22メンバーのうち21件の回答が寄せられ、予定通り2月15日に「草稿骨子」が送付されました。

19.待降節や降誕祭と重なるため、ほとんど時間がないことは分かっていました。アジアは言語が多様であるため、翻訳に時間がかかります。各国司教協議会は、「大陸ステージ文書」に対応する仕方を選びました。その中には、地区、教区、全国レベルの既存のシノドス・チームを利用することも含まれていました。ある地域では、オンライン会議が行われ、小グループの会議、フォーカスグループ、可能性のある集い、司教と司祭の評議会なども活用されました。

第2フェーズ:「識別・文書作成チーム」

20.これらの第2フェーズは、各国司教協議会の報告書のまとめの「草稿骨子」を書くことです。2023年1月31日~2月4日、タイ・バンコクのカミリアン司牧センターで開催されたFABC中央委員会は、アジア作業部会を、「識別・文書作成チーム」として任命し、「草稿骨子」を書き上げる作業を進めました。部会は拡大され、信徒2人(女性1人、男性1人)、奉献生活者の女性1人、司祭6人の9人で構成され、FABC事務局長によるプロセスへの監督のもと、南アジア、東南アジア、東アジア、中央アジアのFABC4地域を代表するものとなりました。

21.4日間、作業部会はシノダリティの雰囲気と霊の中、祈り、分かち合い、会話し、耳を傾け、識別し、「草稿骨子」を書くことに専念しました。部会は三つのグループに分かれ、それぞれ七つの国の報告書を読みました。各チームは、霊的会話の方法論を用いて、「大陸ステージ文書」からの三つの質問、すなわち「共鳴するところ」「緊張のあるところ」「優先事項」に答える際に、共通の主題、背景、特殊性を識別しました。

22.作業部会は全体会議に出て、自分たちの洞察をさらに振り返り、議論し、「草案骨子」を書き上げました。彼らは再び祈り、内省し、識別しながら、「草案骨子」の修正、改善、発展を続けていきます。「草案骨子」の文書は、2023年2月15日にすべての司教協議会と準会員に送付されました。

23.この4日間の体験は、彼らにとって非常に豊かなものとなり、アジアの大陸別総会で同じような識別プロセスを提案することになりました。この計画は、コメントと承認を得るため、FABC中央指導部に提出されました。

第3フェーズ:アジア大陸総会

24.FABC50周年総会で定められた手順により、2023年2月24日から26日まで開催された「シノダリティに関するアジア大陸総会」に、各国司教協議会は3人の代表を、各準会員は2人の代表を派遣することが要請されました。さらに、これらの代表団は、会長の司教、またはその代理者と、「大陸ステージ文書」108項および109項に基づいて選ばれた他の2人で構成されるべきであると決定されました。代表団には、このイベント準備のための指示とともに、会議に関する情報が事前に送られました。

25.2月23日、参加者はタイ・バンコクのバーン・プー・ワーン司牧研修センターに到着しました。17の司教協議会、二つの東方典礼カトリック教会シノドス、三つのFABC準会員からの代表団に加え、教皇庁シノドス事務局メンバー、シノドス第16回通常総会の総書紀(ジャン=クロード・オルリッシュ枢機卿)、その他数名のゲストが参加しました。アジアからの参加者は、枢機卿6人、大司教5人、司教18人、司祭28人、奉献生活者の女性5人、信徒男性7人、同女性11人でした。

26.セッションの開始前、参加者には識別と議論のためのリソースとして、以下の資料が提供されました。「大陸ステージ文書」、「識別・文書作成チーム」が作成した最終文書「草稿骨子」、教皇フランシスコの「識別に関するカテケーシス集」です。

27. FABC中央委員会による「検証と承認」の後、同委員会に提出され、さらに教皇庁シノドス事務局に送付される最終文書の草案を作成するための取り組みには、アジア大陸総会の中で、以下が含まれます。霊的対話、短いプレゼンテーションからの意見提供、共同および個人での祈りの時間、全体および小グループでの議論、草案の見直し、再作成(これは「識別・文書作成チーム」によって提案された「草案骨子」テキストを用いて作成)、参加者が介入するための全体会中のフォーラム、です。

28.各グループは、意図的に、異なる司教協議会や異なる生活形態の人々(聖職者、奉献生活者、信徒など)が混在するよう組成されました。人工知能(AI)技術が、グループ作業から得られた意見をまとめるプロセスを支援しました。

29.草稿のさまざまな部分をより深く観察する、識別のセッションでの各グループの反応によって、文書作成チームが毎日の終わりに会うたびに、作業草稿は日々ゆっくりと総合されていきました。さらに、参加者が草稿の作成に貢献するための二つのステップが追加されました。まず、編集された草稿を小グループの全員にもち帰ってもらい、チームに、何を修正し、何を追加してほしいかを尋ねました。第二に、チームは小グループからの修正と追加を総合したあと、再び参加者全員に文書全体を読んでもらい、チームが大きく見落とした点についてグループとして考察してもらいました。

30.作業のセッションは、参加者のさまざまなグループによる草案文書の全会一致の確認で終了しました。これに続き、総会メンバーは以下の二つの問いについて議論しました。(1)アジアの教会のシノダリティを高めるために、どのように教会組織を変更したり、新設したりする必要があるか。(2) 2023年10月の世界代表司教会議(シノドス)から2024年10月のシノドスまでの間に、どのようなことを実施することを希望するか。

31.FABC会長のチャールズ・ボー枢機卿の司式で閉会ミサが行われ、アジア大陸総会からの最終文書の「暫定案」が発表されました。

第4フェーズ:「識別・文書作成チーム」

32.「識別・文書作成チーム」は最終文書の作成を任され、2023年2月27日から28日にかけて会合を開き、アジア大陸総会の代表者たちから提案された修正案を取り入れました。チームはまた、議論、霊的対話、共同体の識別のためにグループに参加し、積極的に総会に参加しました。参加者の鼓動を感じることが、最終文書の作成に向けた識別プロセスを助けたのです。

33.文書の最終的な編集は、共同執筆、温かい交わり、そして祈りに満ちた識別の精神で行われました。そして、チームは、「検証と承認」のためにFABC中央委員会にその文書を転送しました。

第5フェーズ:FABC中央委員会

34.シノダリティに関するアジア大陸総会の最終文書は、2023年3月3日のFABC中央委員会のオンライン会議に提出されました。これは、各国司教協議会の会長である司教たちがアジア大陸総会の最終文書を「検証・承認」するためであり、それによって、真にシノドス的な旅の成果であることを確認し、決して画一化や偏向に陥ることのない教会の一致を守ったのです。

35.最終文書案を審議した後、FABC中央委員会は2023年3月3日、最終文書を「承認・検証」しましたが、ごくわずかな変更を盛り込み、さらに編集した上で、シノダリティに関するアジア大陸総会の最終文書として、教皇庁シノドス事務局に送付する旨、指示しました。

III.プロセスに対する全般的感想



36.諸課題にもかかわらず、シノドスの旅は、民主的な歩みではないものの、教会にとって恵みといやしの時です。「天幕としての教会」というイメージは、包摂性の精神に基づき、すべての人に広げられる避難所であることを投影しています。また、暴力や不安、苦しみがある場所を含め、神の霊が吹くところならどこにでも、神はご自分の天幕を張ることができることを表現しています。

37.もっとも重要なことは、この天幕にはすべての人に部屋があり、誰も排除されることはない、ということです。この過程で、過去に「取り残された」と感じた人たちは、この天幕に家があること、それは神聖で安全な空間であることに気づいたのです。回答者の多くは、天幕のイメージに肯定的な反応を示しています。

38.天幕のイメージは、イエスが受肉を通してわたしたちの間に天幕を張ったこと、したがって天幕は神と、互いの人と出会う場でもあることを思い起こさせます。天幕は、今や、共通の家とみなされ、共通の洗礼を受けるという帰属意識と共有意識をも、再び呼び覚ましています。シノドスの歩みは、教会の有機的な成長のために、共同体の交わりとしてともに歩むことの重要性をより強く認識させるものでした。

39.各国における大陸ステージでの意見聴取はさまざまな形をとっており、多様な立場の人を巻き込むことができた国もある一方、少人数しか集まらなかった国もありました。先に述べたように、時間と言語の問題が「障害」となった国もあります。しかし、「大陸ステージ文書」を振り返るこのプロセスに参加した人々は、教会の刷新のために祈りと識別の精神を通じて建設的に貢献しました。

40.教会という組織の欠点や弱点にもかかわらず、これほど多くの人々がシノドスの歩みに参加することで、教会への深い愛が示されました。

41.「大陸ステージ文書」を多くのその土地土地の言語に翻訳できないことも、アジアの諸教会が経験した限界でした。しかし、2022年10月に開催されたFABC50周年総会は、この段階のシノドスの歩みを準備する上で実に祝福となるものでした。

42.FABC総会の前と期間中に行われた会話の多くは、すでに教会とアジアの文脈に関する示唆を与えています。諸々の報告に「耳を傾ける」と、地平線上には、神の民に対する神の愛のゆえに、教会が前進するための希望と喜びの感覚がとどまっていることが指摘されています。わたしたちは、聖霊が神の民を個人として、共同体として、組織として、回心の方向に向かわせることを止めることも、し損うこともないと確信しています。

43.わたしたちはまた、求められているシノドス的な対話をするプロセスが、ときに苦痛や不安を伴うものであり、同時に、わたしたちを互いに傷つきやすい存在にしていることは理解しています。

44.「大陸ステージ文書」は、簡潔な方法で、人々の希望、願望、悲惨さ、課題を捉え、教会生活における、より大きな刷新のための扉を開くことができました。あらゆる立場の人々の声に耳を傾けるようにという招きは、互いに対する開放性を示し、対話の精神は、一つの単位としてともに歩むことを促進します。「この出会いと対話を可能にすることが、シノドスの旅の意義」(「大陸ステージ文書」6項)です。

45.「大陸ステージ文書」がなしえたことは、より深い霊的な対話のための触媒となることです。多くの地域で、それは確かに、アイデンティティの共有と責任の共有のプロセスを通じて、教会においてシノダリティを生きる「時」として体験されました。

46.このプロセスへの全員の参加によって示された、教会に対する全般的な関心事は、本物のシノダリティへ向かう、自然の、または有機的な傾きを反映しています。ある国では、「聞くプロセス」そのものは新しいものではありませんでした。なぜなら、さまざまなレベルで地方教会や共同体の司牧計画を実施する仕組みがすでにあり、シノダリティの精神との相乗効果や意見の合致をもたらしていったからです。

47.FABCは、各国司教協議会間のシノダリティを実現するために重要な役割を担っています。これは、神の支配に向けて、キリストのからだの一員としてともに歩み、その過程で経験を広げ、天幕を広げることができるという感覚を、まさに表現しています。

48.わたしたちは、アジアの教会が「大陸ステージ文書」について考えるきっかけとなったこれらの全般的な見解を考慮すると同時に、アジア全域の見解や経験が非常に多様であるため、それぞれの国々が提起した機会や課題をすべて総合することは困難であることも認識しています。聖霊に導かれて、以下の章は、アジアの教会が明確にした「共鳴するところ」「緊張のあるところ」「優先事項」についての洞察を提供します。

49.各国司教協議会から送られた報告書には記載されていない、あるいは十分に扱われていないと思われるものの、FABC50周年総会では重要な論点となった欠落部(脱落点)のいくつかを、「識別・文書作成チーム」はまた、自由に特定しました。以下の洞察が、アジア諸国によって行われたそれぞれのプロセスの精神と心に忠実であることを、わたしたちは祈り、希望しています。

IV.アジアにおいて共鳴するところ

「大陸ステージ文書」を読み、祈った後、どの直観があなたの大陸の教会の生きた経験と現実にもっとも強く共鳴しているでしょうか。どのような経験があなたにとって新しく、あるいは光り輝くものでしょうか

50.アジアの諸教会が「大陸ステージ文書」を振り返りながら感じた共鳴は、すでに述べたように、教会への深い愛があることに裏打ちされています。その教会への深い愛には、喜び、悲しみ、弱さ、傷など、さまざまな感情が宿っています。

51.このような感情の寄せ集め、そして民族、人種、文化、言語、宗教を包摂するアジアの多様性にもかかわらず、教会が求めるシノダリティの精神は、教会内の抵抗、アジアの豊かな精神性への感謝の欠如、そして罪の意識の喪失をよそに、「ともに歩む」勇気をもつよう、わたしたち(教会)に課題を投げかけているのです。

52.この歩みはアジア各国で好評を博し、促進されているものの、いくつかの報告では、シノドスの旅によってもたらされる意見聴取と耳を傾ける歩みが、意見収集と聞き取りの目的に対する明確な説明と受容がないために、なんらかの幻滅や失望を引き起こしうることが指摘されています。こうした歩みに陥ってしまう衝動は、カトリック・キリスト教的視点からの真にシノドス的な試みというよりは、より政治的、あるいはイデオロギー的(すなわち、より「議会型」の議論のための場に似ている)とさえいえるものかもしれません。信者の中には、こうしたシノドスの歩みの目的や期待される結果について懐疑的な人もいます。

53.マイノリティとして扱われる状況で生活する人々の声や、伝統的なキリスト教共同体の声が、シノドスの歩みやその結果にまで同等の影響力をもつのかどうかという、なかなか消えない疑念をもっている教区もあります。また、多くの人が批判やコメントをされるよりも、賞賛されることを望むため、耳を傾けることは困難な作業である、とも言及されました。あえて発言する人は、そのコメントや意見が主流ではない、あるいは教会全体に悪影響を及ぼすと見なされ、共同体の特定の部署から反感を買うこともありました。

喜びの体験

54.普遍教会が要請するシノドスの歩みは、霊的な経験であり、霊的な旅であることに留意しなければなりません。そのため、聖霊の導きのもとで絶えず刷新され、シノドスの精神に深く入っていけるよう、自我を脇に置き、自分を空っぽにして、神に耳を傾けることが必要です。

55.シノドスの歩みに定着している、可能な限り広く耳を傾けるという力学は、よりシノドス的な教会を受け入れ、実現するために聖霊がわたしたちをどこに導いているかについて、教会がより熱心に耳を傾け、賢明に識別するよう動機づけています。

56.わたしたちが始めたこの旅は、教会の真の本性と、教会の状況を見る能力をわたしたちが理解するのに役立ちます。シノドスの歩みは確かに恵み、出会い、変容の場であるため、喜びの体験はより高まります。

ともに歩むという体験

57.ともに歩むプロセスは、しばしば無視され忘れ去られがちな先住民族の共同体の歩みを含む、アジア全域の教会固有の文脈と豊かな文化に対する認識を、各地方教会にさらに深めさせるものとなっています。この豊かさは、ともに歩むという経験としての交わりと対話を通して育まれる必要があるのです。

58.多様性の中に生きるアジアのカトリック信者として、わたしたちは、「良き母」となり、世界に平和と一致をもたらす模範となるために、互いに耳を傾け合い、尊重し、思いやることによって、互いの友情の質を高めようとするのです。神の生きたことばに基礎を置く信仰養成は、シノドスの霊性の基礎となります。

59.わたしたちは、主を通して、主にあって、主とともに、シノダリティへと向かう、自然で有機的な傾きを理解し、アジアの教会のための新しい道を歩み、発見するために刺激と力を与えられているのです。

60.世界中の多くの地方教会から、教会への深い愛が繰り返し語られているのを読むと、胸が熱くなります。このような信仰への愛と専心は「大陸ステージ文書」全体に響き渡り、世界中のカトリック信者が表明する、ほとんど普遍的といえる感性を確かに反映しています。

61.ともに歩むという体験は、信仰を生きることを困難にする外的な迫害によっても損なわれます。アジアのいくつかの国では、信仰を守るためにさまざまな迫害に苦しむ多くのキリスト者がまだいることが指摘されています。

62.こうした新たな形の「殉教」にもかかわらず、多くの人が信仰に忠実で、そのためにいのちを投げ出そうとさえしています。キリスト者に対する脅迫や暴力が指摘される地域があり、また、別のやり方で、キリスト者がその信仰によって差別される地域もあります。

傷の体験

63.これらの報告書はまた、アジアの教会の脆弱性と傷に言及し、いやしの必要性を強調しています。教会の多くの傷の中には、経済、法制、良心、権威、性に関する虐待があります。これらによって教会は確実に否定的に描かれ、信頼性の欠如のために教会を離れる人もいます。統治のレベルでも、透明性と説明責任の欠如が、教会の信頼性の危機につながっています。

64.報告書はさらに、これらの虐待のために、教会に対する不寛容、憤り、否定主義が高まっている事実を指摘しています。これらは、ソーシャル・メディアや印刷メディア、その他の公の空間を通じて表明されています。教会に対する責任はすべての人に属するものでなければならず、したがって、すべての人が共同識別を通じた意思決定のプロセスに能動的に参加することが許されるべきです。

65.また、教会の統治と意思決定プロセスにおいて、女性が十分に包摂されていないことについても、大きな懸念があります。女性奉献生活者は、教会のさまざまな任務に従事しているにもかかわらず、疎外感を経験し、その声が教会の政策決定において十分に聞かれることはあまりありません。彼女たちは能動的にかかわっており、その献身的な奉仕は非常に顕著です。

66.シノドス的な対話において、聖書の中で女性が重要な役割を果たしていたことを踏まえ、教会生活における女性の参加について再考することが求められています。教会のあらゆる領域で、女性の意味ある参加を可能にする統治機構の刷新が教会には必要です。

67.教会の一員でありながら、しばしば歓迎されていると感じるのに苦労しているいくつかのグループの人々に対して、教会が十分な司牧ケアを提供できていないことを、報告書は認識しています。その中には、シングル・ペアレンツ、「例外的な」結婚生活、異宗婚、LGBTQIA+を自認する人々、さらに移住移動者などが含まれます。

68.多くの教会で、とくに意思決定プロセスにおいて若者が不在であることについて、いくつかの報告書から重大な懸念が提起されました。若者たちは同時に、リスクを取って変化を起こす勇気をもつよう、全教会を鼓舞し、挑戦し続けています。

69.ごくまれに、先住民族の苦境に言及する報告書もあります。また、「大陸ステージ文書」では、先住民族の願望や声の多くが十分に強調されていないことも指摘されています。

70.同時に、貧しい人々や地球の叫びに耳を傾けることは、それらがアジアの人々にとって重大な関心事であることを考えると、十分に扱われてきていない課題でした。弱い立場にある共同体の声に耳を傾け、彼らとその環境、権利、特権を守るために努力することが教会の役割であるはずです。

71.教会で経験した傷のいくつかは、急速な経済成長とソーシャル・メディアへのアクセスの自由によって引き起こされた個人主義、消費主義、物質主義といったイデオロギーの浸潤によってもたらされたものです。これらの多くはアジアのいくつもの地域で発展をもたらしたかもしれませんが、教会はまた、そのさまざまな副作用の影響を受けています。

72.教会がその預言者的な役割を果たすことができないほど、教会の声は、抑圧的な政権によって沈黙させられてきました。沈黙はまた、恐怖や、ときには無関心と複合した、受け身的な自己満足につながりました。アジア全域の教会が、抑圧的な体制下にある教会を、自らの存在を脅かしたり危うくしたりしない方法で支援する必要性があるのです。

新しい道を切り開く呼びかけ

73.アジア各地での喜びと傷の経験は、シノドス的教会に向けた新たな道筋を探る機会としか考えられません。キリストの一致したからだとして、ともに立ち上がることは、「新しい教会」であるシノドス的教会の司牧的使命における新しい展望を求めているのです。

74.教会は、誰もが天幕の中で歓迎され、かつ帰属意識を感じる包摂の精神で始まらねばなりません。神の民として、誰も排除されるべきではないのです。たとえもろく弱くても、教会のうちにおける「包摂主義」は、シノドス的教会にとって必須のものです。

75.アジアの宗教の多様性によって、平和、和解、調和を築く方法として、エキュメニカルおよび諸宗教対話に従事することはほぼ必須となります。多くの報告書は、他のキリスト教諸派や他宗教の人々との実りある関わりについて述べています。アジアの宗教と文化の多様性にもかかわらず、エキュメニカルな対話と諸宗教対話に関する事柄には依然として限界があります。

76.このような対話の推進は、カトリック教会だけの主導で行われ、相互理解が得られない地域もあります。それが、信徒ではなく聖職者の「職務」として捉えられてきたこともあります。

77.このような対話の動機に対する不信感や疑念など、さまざまな理由から、これらの対話に留保を表明する人もいました。教会は、平和、和解、正義、自由のための架け橋として重要な役割を担っています。

78.アジアの報告書では、(未成年者や弱者への)保護についてほとんど言及されていないものの、教会において、あらゆるレベルで保護の文化の環境を発展させ、育成する必要があります。

79.シノドスの歩みは、教会のあらゆるレベルにおいて変革をもたらすために、互いの声に広く耳を傾けることを求めてきました。教会で自分たちの声に耳を傾けられない、あるいは声を与えられないと言い続けてきた信徒や男女の奉献生活者とともに、司祭の中にも、自分たちの声が十分に聞かれない、無視されているとさえ感じている人がいました。

80.この報告書を読むと、網をもっと広く遠くへ投げないといけないという、内向きの教会の感覚が強く感じられます。アジアの教会の中心には、「外に向かう(ad-extra)」宣教がなければなりません。わたしたちは、霊的生活に対する、内向きで、個人主義的、偏向したアプローチを、より宣教的、共同体主義的、総合的なアプローチに変えていく務めを担っているのです。

81.教会としての使命を果たせる、期待のもてる方法でわたしたちが動けるように、アジアの各教会にもっともよく知られた方法で、天幕を広げる必要があります。

82.アジアの教会は、「大陸ステージ文書」で語られたことの多くに共感し、共鳴することができました。このことだけでも、他の国や大陸の教会と多くの共通点があることを示しており、このために、わたしたちは、ともにこの旅をしていることを神に感謝したいと思います。

83.また、これらの課題の中には、特定の地域特有のものもあると認識していますが、わたしたちがともに歩む中で、教会が刷新され、神の支配が拡大できることで慰められます。

V.アジアにおいて緊張のあるところ

「大陸ステージ文書」を読み、祈った後、あなたの大陸の視点において、どのような実質的な緊張や相違がとくに重要であると浮かび上がりましたか。その結果、この歩みの次のステップで取り組み、検討すべき問題や課題は何でしょうか

84.わたしたちは、祈り、学び、さまざまな報告書を読み、このシノドスの旅が、「天幕を広げる」だけでなく、アジア全域の各教会における聖霊の働きを知ることで実を結ぶ期待に満ちあふれています。

85.アジアの各教会は、「大陸ステージ文書」を読む中で、いくつかの世界的な緊張と、アジアの文脈に特有な緊張を認識しました。これらの緊張の中には、見た目よりもはるかに複雑なものがあることを念頭に置きながら、わたしたちの課題は、現時点で解決を求めることではなく、むしろこれらの緊張と相違を認め、聖霊がアジアの教会に何を語っているのかをさらに考察することです。

シノダリティを生きる中での緊張

86.教会はあらゆる身分の人々(聖職者、奉献生活者、信徒)から構成されています。しかし、多くの報告書に示されているように、教会内では、聖職者と信徒、司教と司祭/修道会、教会諸グループと運動体、教区と司教協議会の間に、さらには教会外では、教会と政治権力者の間、諸宗教間にさえも、ある種の「分裂」があるようです。参加型教会の精神に基づき、「サーバント・モデル」のリーダーシップの体験には、シノダリティを生きるために、より多くの注意を払う必要があります。

87.より参加型になるという課題は、本物の弟子になるという、洗礼による招きを、他の人々が生きることを阻む(ときには排除さえする)リーダーシップの姿勢によってしばしば妨げられます。司祭が信徒を支配しがちで、強制的で、威圧的、権威的であるとさえ思われるとき、リーダーシップの「サーバント・モデル」は妨げられ、ときには反証されることさえあります。信徒の役割を再構成することの中には、さまざまなカリスマを通して、信徒の奉仕職が可能な空間を拡大することが含まれ、その中には、青少年のためのカウンセリングや就職指導、病者のケア、教育、子どもの保護などが含まれます。

88.わたしたちは、アジアにおけるカテキスタの働きにも注目しています。カテキスタは、単に信仰の教師であるだけでなく、彼ら自身が共同体の重要な指導者です。彼らは何世紀にもわたって、信者が秘跡を受ける準備をし、信仰を生きることに伴走してきたのです。したがって、わたしたちは、司教協議会が……カテキスタの奉仕職を有効にするようにという、教皇フランシスコの命令を支持します(『アンティクム・ミニステリウム』9項参照)。

89.聖職者、男女修道者と信徒の間の緊張を認識しながら、教会の生活と使命におけるすべての人の共同責任というテーマは、報告書の中で何度も提起されてきました。権威の行使が説明責任や透明性から切り離されるとき、多くの問題が生じるのです。

意思決定における緊張

90.識別と意思決定のプロセスにおける共同責任が欠如し、しばしば司祭や司教だけに任されている地域があることが指摘されました。マイノリティや信徒の声さえも、こうしたプロセスにおいては考慮されません。ときには、司牧評議会や経済問題評議会のように、教会法で推奨・規定されている組織においても、表面的な対話や、意見聴取の欠如が見られることもあります。そうしたことが聖職者に独占されているため、これを聖職者主義の一形態と考える教会もあります。

91.教会における意思決定と財務に関する説明責任と透明性の欠如により、シノドス的教会の精神をもってともに歩むことには、さらなる溝が生じています。これらの事柄に疑義を挟む人は、ときに教会から排除されます。権威的で支配的なリーダーシップのスタイルは、聖職者の間だけに存在するのではなく、信徒の中にもそのような特徴をもつ指導者がいるのです。このような緊張が、シノドス的な方法で参加型教会になるための旅を妨げ続けているのです。

92.指導者を尊重することに本質的価値を置くアジアの文脈では、聖職者に過度に敬意を払う場合があり、この敬意が乱用され、権力と支配が、教会の「働き方(modus operandi)」になる可能性が高いのです。このことにより、教会の使命とその統治に共同責任を担おうとする「非聖職者」がさらに弱体化させられるのです。

司祭召命における緊張

93.さらに、聖職者に対する過度の批判的な見方が、アジアのある地域で、司祭職への召命が減少する一因となっていることが指摘されました。アジアには、司祭が奉仕し、信仰が継続的に成長する必要性が高まっている地域があります。司祭の必要性は現実のものであり、福音を広めるためです。司祭による不祥事や、司祭が見せる不健全な態度や行動も、召命の減少を引き起こしています。

94.これと同時に、司祭や信徒指導者にまで、世俗的・物質的な文化が影響を与えていることを指摘する報告もあります。これはしばしば、教会の宣教における福音的価値のあかしに課題を投げかけます。

女性参画における緊張

95.アジアの多くの教会では、日常生活における女性の参加は顕著です。しかし、指導的な役割における女性の存在感は乏しく、女性たちの声がほとんど聞かれない社会もあります。

96.これは、文化の違いやアジア社会の伝統的な家父長制の構造によるものだと考える人もいます。文化的な考え方から、リーダーシップを発揮する女性があまり歓迎されない地域もあります。男性が意思決定をしたり、グループを指導し、女性はその意思決定を実行したり、男性の指導のもとで働くだけだと思われるのです。女性の役割は、男性の補佐役として二次的であるか、単に捨てさられるものだと考えられ、これには、女性の奉献生活者も含まれます。

97.しかし、男性が教会にいなく、こうした状況下で、効果的にリーダーシップを発揮しているのは女性であると、いくつかの国は報告しています。

若者をめぐる緊張

98.報告書で指摘された共通の現象は、教会に若者がいないことです。若者は人口の大きな部分(約65%)を占めているにもかかわらず、教会生活においては相対的に存在感が薄いのです。教会にいる若者もいますが、信仰の養成、伴走、指導的役割や意思決定プロセスへの参加拡大が必要です。

99.高齢者と若者の間に世代間ギャップがある中で、「母」である教会は若者の周りに愛ある抱擁を届け、迷い、混乱し、教会から離れている人々に手を差し伸べる必要があります。若者は教会から遠ざかっていると報告書は述べていますが、おそらく考えるべきは、若者は自分たちの人生から教会が不在になっていると言っているのだろう、ということです。

100.デジタル・アクセスが容易なアジアの地域では、若者は現代テクノロジーにより精通していますが、報告書はまた、宣教と、イエス・キリストの福音をのべ伝えるために彼らへと出向いていくことができるように、マスコミとソーシャル・メディアの分野への投資を増やすことも呼びかけています。しかし、バーチャルな世界と現実世界との対話の中で、若者と関わる課題は残されています。

101.アジアの教会は、多くの若者の人口に恵まれ、若者が存在する場にあって、効果的に彼らに奉仕するための「デジタルの天幕」として、自らを構想することができます。若者とのシノダリティは、急速に変化する現代世界で、彼らが背負っている緊張を体験することも意味します。

102.デジタル世界の恩恵とは裏腹に、ソーシャル・メディアの悪影響も強調されました。人々は人と接するよりも電子機器と過ごす時間が長いこと、憎しみ、偏見、恐怖を社会に広めるためにそれが利用されていること、ソーシャル・メディアが人々を信仰から遠ざけていること、などです。

貧しい人の緊張

103.苦労し、ときには十分なケアを受けていない多くの子どもたちをもつ、アジアの貧しい家庭の母親のように、アジアの教会もまた苦労して、このシノダリティの歩みにおいて、特別な寄り添いを必要とする多くの貧しく疎外された人々を、痛みのうちに抱き留めています。

104.アジアの貧しい人々の顔はさまざまです。つまり、少数民族、移住労働者、都市スラムの住人、逃れてきた難民など、物質的に貧しい人がおり、また、教育が受けられなかった人、無関心な若者、障害者、自由を奪われた人々、社会階層の低い人、離婚し再婚した人、シングル・マザー、高齢者や病者、HIV陽性者、薬物依存症者、LGBTQIA+として自認する人など、教会と社会からしばしば無視される、社会的に貧しい人がいます。

105.しかし、わたしたちは、貧困ということばは相対的なものであり、物質的には貧しくても、文化や霊性、もてなしの心が豊かである場合もあることを理解しています。

106.何らかの文化障壁が存在するかもしれないものの、アジアの教会は、勇気をもって貧しい人の顔に目を向け、愛情をもって皆を、今まさにわたしたちが注意を向けるべき神の子として認め、受け入れ、歓迎するよう切望すべきです。わたしたちは、包摂的であることと、福音の価値観に忠実で教会の働き方に対し道徳的に忠実であること—彼らを教会に受け入れると、おそらくスキャンダルになることすらある—との間の緊張関係を理解しています。

107.教会は、貧しい人をその生活と宣教に取り入れる方法を見つける努力をしなければなりません。そうすることで、使徒的伝統とカトリックのアイデンティティの枠組みの中で、「信者たちの感覚(sensus fidelium)」のうちに、いやされ、養われ、養成され、教会の中の他のすべての人々と対等で、尊敬し合う仲間になれるでしょう。いくつかの報告書で言及されているように、これらの変更のいくつかのためには、貧しい人に対する教会の包摂力を促進するような教会法の改訂が必要となるでしょう。

108.教会はまた、貧しい人の声でなければなりません。ヒンズー教の最下層民、諸部族、先住民族、貧しい人の苦悩や叫びに対して、教会は沈黙してしまうことがあります。当局と問題を起こしたくないという緊張があり、沈黙してしまうことで、教会はこれらの人々を無視し、「貧しい人の叫び」に耳を貸さなくなっています。教会の声は、声なき人、力なき人を守らねばなりません。

宗教紛争の緊張

109.アジア全域に多様な宗教が存在するにもかかわらず、一部の地域では宗教紛争が激化し、迫害(捉えにくいものと直接的なもの)さえ見られます。機能している司法制度に頼れないこともあり、アジア全域で暴力の文化が悪化していることも不安材料です。宗教の政治化によって、マイノリティの人々の信仰実践が困難になっています。課題の中には、政治的抑圧、独裁政権、汚職、不当な法律などがあります。

110.アジアの各教会は、福音に忠実であることと、キリスト者たちを迫害される立場に置かないようにすることとの間で、この綱渡りのようなバランスをつねに取らなければなりません。子どもに洗礼名をつけるようなことでさえ、多くの地域では当たり前でも、ときに障害となる地域もあります。

111.このような状況の中で、必要なのは忍耐と、物事が変化することへの希望です。アジアの教会はつねにこのような緊張にさらされ、勇気と愛をもって、ともに歩むための相互支援が必要です。

聖職者主義の緊張

112.聖職者主義もまた、世界の多くの地域と同様、アジアにおける懸案事項です。回答の多くは、聖職者主義が各地域の緊張要因であることを示し、また、アジアの教会でシノダリティが欠如している原因の一つであると述べるものもあります。

113.しかし、聖職者主義の意味は人によって異なることが指摘されています。聖職者主義ということばは、幅広い問題をカバーしているように見えますが、一方で同時に、より特定している地域もあります。聖職者主義と表現されたものの中で、運営上の課題に関する意見聴取の欠如、権威者、とくに司祭が示す傲慢な態度や権利意識、人々に対する権力の過剰行使、などです。

114.聖職者主義の根本原因としては、たとえば個人の性格や心理的な未熟さが挙げられ、より体系的な原因を示唆するものもあり、沈黙や免責といった下位文化を指摘するものもありました。こうして、シノドス的な教会のため、司教、聖職者、信徒を適切に養成することは、こうした権力乱用に対する主要な対応策の一つでしょう。

115.一方、聖職者は信徒から過剰に批判されていると感じており、そのために孤独で孤立し、つねに監視されていると感じている人もいるほどです。このことがさらに、司祭のやる気を失わせ、司祭召命を考え、識別しようとする若者の不安につながっています。召命が得られないのは、人々から寄せられる理不尽な要求のせいだとする人もいます。

VI.アジアの現実と多様性


116.アジアではキリスト教はマイノリティであると分かっているので(カトリックはアジア人口の約3.31%、1%以下のところもあると見られる)、そこにはイエスと教会に対する大きな愛があります。このシノドス的刷新のためにともに旅する喜びは明らかです。わたしたちの信仰は、キリスト者同士だけでなく、隣接する信仰をもつ諸民族との関係にも活力を与え、橋渡しの歩みを通じて、調和のうちにある生活を模索しています。差別や暴力がほかよりもずっと顕著な地域では、復活したイエスへの信仰が、こうした逆境の中でわたしたちを強く、希望に満ちた存在にしてくれます。

117.観想と自然への畏敬を特徴とするアジアの霊性には、深い敬虔な感覚と人々の信心とが織り込まれています。これらの信心は、ときに信仰を活性化させ、カトリック信者も非カトリック信者もともに、人々を教会に引き入れます。

118.人間の五感、踊り、芸術、詩、沈黙を含む、わたしたちの具現化された礼拝と祈りの表現は、ときに、諸秘跡の正式な祝い方の中で、緊張が生じることがあります。いくつかの報告書は、典礼の本質を創造的に再発見する必要性、すなわち、アジアの礼拝表現をもって、人々を神に引きつける必要性を指摘しました。

119.また、カトリック信者が、神のことばの内省、霊的識別、個人の祈りよりも、民衆の信心業を実践している地域があることも指摘されました。全体として、自分たちが理解できる文言、歌える音楽、共感できる儀式といった、典礼がより生き生きとして親しみを感じるものになる必要性が、さまざまな形で報告書の中で表明されました。

120.わたしたちは、長年、アジアの諸民族のものであったアジアの「エートス(ethos)」(たとえば、神への信頼、共同体相互のかかわり、神・自己・他者・宇宙との関係性など)が、個人主義、世俗主義、相対主義というグローバル化された文化によって侵食されつつあると認識しています。

121.アジアの文化とわたしたちの信仰表現との間に、言語やイメージ、さらには権威や権力に関する概念の面で緊張が存在することに気づいています。

122.聖職者、修道者、家族の間でも、伝統的(霊的)価値観と現代性との間に緊張が高まっています。こうした世界規模の侵食によって見られる影響としては、信仰が相対化されること、司祭が物質的、個人主義的な生活形態に引き込まれること、信頼できるあかしの欠如などがあり、これらが霊的生活の崩壊の原因の一つとなっています。結局、近代主義、物質主義、世俗主義によって、どの宗教も実践しない人々の数が増大しているのです。

123.アジア社会の多くでは、家族(核家族も大家族も)は非常に重要です。親孝行には、家族の一致と平穏のために多くの人が惜しみない犠牲を払うほどです。したがって、教会のシノドス的刷新と社会に対するあかしにおける家庭の役割は、非常に重要です。家庭は、わたしたちが構想しているシノドス的刷新のための、最初の養成の場となるでしょう。

124.ドメスティック・バイオレンス(DV)、未婚の母、シングル・ペアレンツ、持参金制度による結婚の遅れ、離婚と無効宣言といった、今日の結婚と家庭生活への懸念を挙げている報告書もあります。キリスト者の家庭は、信仰に対する意識の欠如や、貧困や経済状況がもたらす不安によって崩壊しています。

125.過度に個人主義へと向かう現代の傾向は、家庭生活を送ることが多くの人にとって望まないものとなるような、さまざまな経済的潮流と相まって、この召命の危機をさらに悪化させています。また、教会への帰属とその人たちの家族関係の間にも緊張が存在します。

126.このように種々の課題がある中で、アジアの教会は、家庭の声、とくにアジア全土の多くの地域で、例外というよりはむしろ標準となりつつある異宗婚・異文化婚の家庭の声を聞くことが、かつてないほど必要となっています。

127.わたしたちの共同体的なエートスに由来し、アジアの地域社会や近隣地域の普段の生活は、喜びや奮闘が生きられている「場(locus)」となります。共有する空間は、形式張らない対話と愉快な暮らし(生活の対話)の機会となります。社会政治的、経済的、エコロジー的な課題に直面しながらも、わたしたちはただ単に生き延びるだけでなく、草の根の関係性の強さの中で前進する状況にあるのです。

128.最近では、アジアの諸民族の間で、カースト、言語、民族、社会経済的地位などに基づく分断が進み、その分断の中で不寛容が拡大していることも見受けられます。

129.たとえわたしたちが共同体志向の人間であっても、物質的な豊かさからくる急速な経済成長は、情緒的、霊的、精神的貧困に苦しむ人が増大する結果をもたらしています。アジアにおいて、教会指導者の世俗的な外見や生活形態がまた、「福音的貧困」や、アジアの貧しい人の教会となる使命と対立し、緊張を引き起こしている社会もあります。

130.アジアのように多様な大陸において、諸宗教対話はアジアの教会にとって不可欠な特徴であり続けています。橋渡しの努力にもかかわらず、宗教的・社会的不寛容が増加傾向にあり、それが最終的に迫害や、人々、とくに宗教的マイノリティの生活状況の悪化につながることを、わたしたちは指摘しました。極端な状況においては、ウソの冒涜告発やテロが、キリスト者が直面する主な課題となっています。

131.軍事化や政治弾圧など、民主構造の崩壊は、特定の国の多くの人々の生活に困難をもたらしています。

VII.アジアの回答の中で確認された欠落部


132.FABC50周年総会は、その「準備文書」と「最終メッセージ」の中で、「大陸ステージ文書」に対する各国の回答では捉えられなかった、あるいは十分な配慮がなされなかったいくつかの懸念を指摘しています。これらの文書を並べて検討した結果、わたしたちは、2023/24年のシノドス総会でこれらが検討されることを本当に期待し、指摘された欠落部を勝手ながら記載し、この報告書に入れています。

わたしたちの「共通の家」のケア

133.生態系の危機はつねに脆弱な共同体に影響を及ぼし、アジア大陸は気候変動の影響が憂慮される地域の一つです。アジアが共通の家へのケアを提唱する上で先頭に立てる可能性があるにもかかわらず、アジアの回答はこの地域の生態系危機の激しさを十分に捉えていませんでした。

134.わたしたちの大地と人々、とくにもっとも影響を受けている貧しい人の叫びにもっと熱心に、深く耳を傾け、環境を保全することが大いに必要です。

資源の共有

135.アジア大陸の多くの国々は資源に乏しく、そのほとんどが援助の提供者や金融機関からの国際金融支援に依存しています。このことは確かに、社会の貧困層の社会経済的な向上を促すものです。しかし、アジアの教会も、たとえ資源が限られていても、地域の姉妹教会・国と資源を共有する必要性を認識する必要があります。

136.資源を共有することによって、わたしたちは物質的なたまものを共有するだけでなく、互いに受け合う霊的たまものをも共有します。それはたとえば、教会基礎共同体の活発さや教会運動体のカリスマのように、わたしたちを豊かにするものです。アジアの諸民族として互いに手を取り合い、シノドス的教会として、ともに立ち上がります。

今を生きる若者たち

137.若者はしばしば未来として語られますが、若者は現在でもあります。わたしたちが掲げる、若者の「優先的選択」には、教会内で神の愛を人格的に体験すること、全人的養成、召命の識別、そして寄り添われることが含まれるべきです。若者は、教会の中で真に信頼できるあかし人を探しています。彼らは、ともに歩むシノドス的共同体を必要としているのです。

138.人生で直面する希望、夢、現実、葛藤、限界を通して、神の前にいる自分は何者であるかを知ることで、自らの道において、自分は支えられ、孤独ではないことを体験し、また、人生の旅をともに歩むために、他者を励ますこともできるのです。

139.薬物・ギャンブル・ネットの依存症、家庭崩壊、メンタルヘルス問題など、若者が直面する諸問題には十分に言及されていませんでした。「壊れた若者」は、このシノドスの旅に貢献することができていません。したがって、シノドス的教会は、彼らのいやし、成長、召命の識別のために、こうした若者にどのように寄り添えるかを学ばねばなりません。

家庭と結婚

140.家庭は社会のいのちを育む「家の教会」であり、また、人格がここで形成されるため、「シノダリティの学び舎」でもあります。しかし、家庭崩壊、いのちを大切にする取り組みの欠如、経済的問題やイデオロギー的な留保による結婚への恐れや出生率の低下、その他の多くの、家庭が直面する新たな課題が、今日のアジアにおける個々の家族を形作っています。

141.人工妊娠中絶は「女性の権利課題」だと装っている国があります。また、人口抑制や優生学の手段として人工妊娠中絶を推進している国もあります。さらに、DV、近親相姦、名誉殺人といったケースにおいて沈黙してしまうという、ひどい文化があります。聖域というその呼び方を熟考するために、家庭生活の霊性を促進する必要があります。

142.地域社会の高齢化が進むアジアの一部地域では、高齢者のケアにも配慮が必要です。

143.アジアでは、異宗婚や異文化婚が増加しており、これは課題であると同時に、他の宗教や文化を尊重しながら成長する機会にもなりうるため、より大きな司牧的配慮が必要です。異宗婚の家庭は、諸宗教対話の最初の学び舎ともなりえます。

貧困・腐敗・紛争

144.アジア全域の貧困は甚大な問題です(世界銀行は、アジアで3億2千万人以上が極度の貧困状態にあると推定しています)。教会は、貧しい人の中で、彼らの生活向上のために、最前線でたゆまぬ努力を続けてきました。しかし、アジア全域で貧困が拡大していることや、それがシノドス的教会となることにどのような影響を与えるかについては、ほとんど言及されていません。

145.わたしたちはまた、持続不可能な都市化や浸透性の腐敗がアジアの大きな問題であり、アジアの人々の貧困とも何らかの関係があると理解しています。社会のあらゆるレベルにおけるこの浸透性の腐敗は、一般市民の生活に影響を与えます。「大陸ステージ文書」への回答は、この「問題」にあまり考察を加えていません。

146.アジアの教会は、人口として、社会経済的、文化的、政治的にマイノリティであるため、政治闘争に加え、次第次第に抑圧的、原理主義的になる政権に対し、より脆弱になっています。そのような状況の中で、シノドス的教会であるということは、何を意味するのでしょうか。

147.宗教性と道徳性の断絶は、実に気になるところです。アジアの人々はある形の宗教性や霊性と結びついているにもかかわらず、道徳生活はときとして、宗教的体験によっては変容させられません。たとえば、人は宗教的でありながら、同時に腐敗していることがあります。

先住民族

148.世界の先住民族の6割近くが、アジアに住んでいます。何千年にもわたる伝統の担い手である先住民族は、人類が被造物と調和して生きる方法を示しています。わたしたちは、多くの先住民族がキリスト教信仰を受け入れていることを知っていますが、部族主義や偏見に傷ついた教会の中でさえ、彼らは福音化を担う仲間として尊重されるよう努めています。アジアには多くの先住諸民族がいるにもかかわらず、回答の中では彼らについてほとんど語られていません。

世界の中の教会

149.教会は世界の中で、世界のために存在しています。しかし、多くの回答は非常に視野が狭いもので、教会の内側だけに目を向けています。教会が自分のことだけに対処することに安住するようなレベルでは、すべての人々が神の国の実りを享受できるように、教会が世界(アジア)をどのように変革していくかについて言及することが欠けていたかもしれません。アジアの教会は、わたしたちの天幕の空間を広げる一つの方法として、シノドス的な方法で「諸民族への宣教(missio ad gentes)」をどのように理解し、生きることができるかをつねに問い続けなければなりません。

150.教会は自己を反映した存在ではいられないので、世界の刷新に取り組むよう模索しなければなりません。その方法の一つは、「共通の家」のケアができるような社会変革をもたらすための教会基礎共同体の構築、そして諸宗教対話です。諸宗教との対話、諸文化との出会いの文化は、教会生活に組み込まれなければなりません。教会は、すべての人の共通善のために、他者(諸団体や機関)とのより大きなネットワーク化に向かわなければなりません。

移住移動者、難民、土地を追われた諸民族

151.アジア地域では、移住移動者、難民、土地を追われた人々、人身売買などに関する問題が急速に拡大しています。このような多数の人々の移動の主な要因は、紛争、より良い経済機会への欲求、環境破壊、搾取の被害などです。

152.アジアのある地域では、政情が不安定なため、人々は難民や亡命希望者となっています。平和、安全、調和を求めるこれらの人々に対して、教会はいかにして「歓迎の天幕」となるのでしょうか。これらの地域の多くでは、彼らは生活体験だけでなく、信仰も運んでいくので、福音宣教者でもあります。また、移住移動者、難民、土地を追われた人々は、その存在を通して、地方教会の生活に活力を与えます。教会は、この旅において、新たな福音宣教者である彼らと一体となって、彼らに寄り添うよう努めなければなりません。

平和構築

153.圧政的な独裁政権による内戦が続く国々では、教会は平和構築と紛争解決の働きに不可欠な役割を果たさなければなりません。他の多くの役割の中でも、すべての市民の平和と調和は、教会の司牧上の優先事項の一つでなければなりません。

154.平和と和解に向けた働きは、新しい形の福音化の一つでありえます。教会を、包摂のための「天幕」とみなすのとは別に、教会は、平和と和解の働きにおいて「橋渡し役」でなければなりません。

安全保護

155.未成年者と弱者の保護は、アジアの教会にとって懸案事項です。報告される件数の割合が低い(文化的な理由もあって)にもかかわらず、重大な事象です。「大陸ステージ文書」への回答では、この件に関する言及はほとんどありませんでした。しかし、すべての教会関係者の訓練という点で、この問題を優先させなければなりません。

156.虐待され、搾取され、忘れられた子どもたちがどこにいたとしても、アジアの教会は、安全な環境を作り、保護する手段を実行することによって、彼らの声を聞き、気を配り、保護し、世話しなければなりません。

司教の役割

157.明白な理由から、司教は地方教会におけるシノドスの歩みを活性化する上で、替えのきかない役割を担っています。神の民の第一の司牧者である司教が、その指導の仕方において、どの程度の熱意と誠意をもってシノドス的なアプローチを受け入れるかによって、司教が仕えるべき聖職者と信徒の中で、この重要なキリスト教の実践を再発見する試みの色合いが、大いに決定づけられます。

158.キリスト教共同体の真の聖伝を確認する司教の責任は、この共同体の生活の中でいのちを与える、聖霊の働きへの根本的信頼を喜んであかしすることによって触発されます。つまり、「シノドスを行うことは、福音化を行うことなのです」(教皇フランシスコ)。「よい牧者」に倣い、道と真理を求め、知ることで、群れが絶えず成長し、回心するように促すことによってのみ、真のいのち、豊かないのち、永遠のいのちへと導かれるのです。

159.このようにして司教は、カトリックのアイデンティティを維持し強化するという文脈の中で、自らの役割と召命に忠実であり続け、他方、キリスト者の現実の本性的側面である「交わり」「参加」「宣教」の三つに取り組むよう、他の人々を奮起させます。

160.共同体の指導者の権威を、喜びをもって受け入れることによって、聖職者、奉献生活者、信徒は神を知り、他者のうちに神を愛し、神に仕えるという自らの召命において強められます。神のことばのうちに神に「耳を傾け」、その教会を通して、また他者との対話の中で、共同体のすべてのメンバーは、各自が洗礼を受けた身分に従って奉仕する責任を分かち合います。

161.現代の司教たちは、「教会とシノドスは同義語である」と訴えた、初代教会の牧者、聖ヨハネ・クリゾストモのことばを証明することができます。これらの司教は神の民を導き、その代わりに、共同体全員の生活の中で表現される聖霊の促しに励まされ、伴われ、知恵を授けられるのです。

162.この共通の洗礼による招きを識別し、受け入れる責任から免除されたり、除外されたりする人は誰一人いません。人生がより豊かにされ、わたしたちの住む世界が和解し、聖化される、その恵みによって助けを受けないままの人はだれもいないということこそ、キリストのみ旨なのです。

163.上記のすべての欠落部において、これらの欠落部に対処する際には、シノドス的なやり方が浸透していなければならず、シノドスの旅は教会の生活と宣教の中心になければなりません。

VIII.アジアの回答からの優先事項


164.アジアの回答は多種多様で、それぞれの地域特有のさまざまな問題や課題を内包していました。しかし、回答にはいくつかの共通点が見られ、そのすべてが、預言者的な、真のサーバント・リーダーシップの必要性を指摘しています。サーバント・リーダーシップは、継続的に回心できるかどうかにかかっており、また継続的回心へと導くものです。明らかなことですが、シノドスの旅は、かなりの程度、神の民がこうした現実を受け入れようとする意識と意欲によって、より実現性が高くなっていくということです。

165.以下が、アジアの人々の心の欲求を反映することを願いつつ、祈りと識別の歩みを通して特定された、六つの優先事項です。

養成

166.シノドス的教会のためには、初期、および生涯養成が、家庭や教会基礎共同体から始めて、すべてのレベルの、すべての人々のために必要です。

167.神学生、司祭、司教、男女奉献生活者は、シノドス的なリーダーシップ形態、共同識別、意思決定を生きられるよう、養成を受けなければなりません。シノダリティの文化を促進するためには、神学校の養成者、神学教授の訓練の更新が必要で、現在の神学校プログラムは、より「いのちを大切にする奉仕職(life-ministry)」志向でなければなりません。

168.信徒は、洗礼による招きに従って、神に対し寛大で、教会とその人々への愛をもって奉仕するために、積極的な役割を果たすよう養成される必要があります。シノドス的な霊性のための養成は、教会の使命と展望の中心になければなりません。

包摂と歓迎

169.女性、若者、疎外され排除された人、とりわけ、見捨てられた人(たとえばストリート・チルドレン、高齢者)。また、離婚者、再婚者、シングル・ペアレンツ、崩壊した家族、障害のある人、囚人、LGBTQIA+と自認する人、高齢者、薬物依存者、性労働者など)、傷つき被害を受けた人、壊れた家族、性自認に悩む人、土地を追われた人や迫害された人には、相当の司牧的ケアが提供されるべきで、その他あらゆる種類の多くの人は、この「天幕」(教会)の中で自分の場を見つけられなければなりません。

170.誰もが教会への帰属意識をもち、一人ひとりがキリストの大使、包摂と歓迎の大使となるように、組織を再考する必要があるかもしれません。

宣教する弟子たち

171.アジアの文脈の中で、わたしたちは、いかに福音を預言者的にあかしし、互いに「ささやき合う」かを学ばねばなりません。そのためには、何よりもまず、イエスとの個人的な出会いや個人的な体験に基づいて自らの信仰を能動的に生き、諸共同体の交わりとしての教会共同体に貢献することが必要です。

172.アジアでキリスト者はマイノリティであることを認識する一方、アジアの殉教者たちの比類なきあかしは、挑戦と元気のもとを与えてくれます。

173.わたしたちはまた、対話、意見聴取、共同識別の中で成長することを学ばなければなりません。同時にまた、他のアジアの人々の感受性を尊重することが、教会の中心になければなりません。異宗婚の家族はありふれた光景になりつつあり、それゆえ、わたしたちはどのようにしてキリストを他者に届けられるでしょうか。キリストを世にもたらすために、出会いと架け橋の文化を受け入れる必要があります。

174.パンデミック後のこの時代、教会生活のハイブリッド化(リアルとオンライン)は、わたしたちが受け入れ、福音化の機会を最大化すべき現実です。そこには、この奮闘において、わたしたちキリスト者への命令として、テクノロジーをより広く、より識別された形で使用することが含まれます。

説明責任と透明性

175.財務的な問題だけでなく、意思決定プロセスや統治においても説明責任を果たし、透明性を確保すること。これには、教会法のいくつかの条項の改訂が必要かもしれません。指導的役割を担う人は、聖職者であれ信徒であれ、信徒や若者の養成にも説明責任を負っています。

176.各自が他者の召命や教会における身分や多様なカリスマを受け入れることによって、協力と共同責任の精神が促進されなければなりません。

祈りと礼拝

177.わたしたちの祈りと礼拝は、アジアの人々の心を映し、それに触れなければなりません。典礼は、誰もが神を賛美するための神聖で安全な空間を見つけられるよう、より「シノドス的」(参加型の、インカルチュレーションされた、関連性のある、楽しい)でなければなりません。教会の生活と礼拝に文化が総合されることで、信者たちの生活がまた、活力化されるに違いありません。

環境

178.「共通の家」に対するケアにおいて、教会は母なる地球を守るだけでなく、いやすことにおいて、最前線に立たなければなりません。イエスがあらゆるものをあがない、和解させるために来られたように、教会は地球の顔を新たにするよう努めなければなりません。

179.キリストの一つのからだの一員として、わたしたちは緑の教会となり、連帯のうちに生き、神の被造界全体の唯一性を尊重し、守り、擁護し、はぐくむよう求められています。環境への配慮は、単に生態系に関するものだけでなく、すべての人、とりわけ貧しい人に影響を与えるため、霊的、社会的な次元をも有しています。

IX.「靴を脱いで」、アジアにおけるシノドスの旅


180.アジアの人々の中では、家や寺に入るときに靴を脱ぐのが一般的な習慣です。それは、他者の生活に立ち入ることを意識した、敬意を表す美しいしるしです。さらにまた、それは聖性に対する深い意識の表現でもあります。

181.それは、神がモーセに言われたことを思い起こさせます(出エジプト3・5)。「足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」。より重要なことは、「靴を脱ぐ」ことによって、わたしたち全員が守り、ケアするよう求められている地球を意識することです。

182.「靴を脱ぐ」ことは、アジアの教会としてのわたしたちのシノドスの歩みの美しいしるしでもあります。それは文化と宗教の多様性に特徴づけられ、わたしたちが耳を傾け、対話し、識別し、決定する際に、すべての人を尊重することを思い起こさせます。それはまた、真に耳を傾けることを意味しており、偏見やバイアスを捨て、相手を受け入れるのです。

183.靴は地位の象徴でもありえ、それを脱ぐことで、わたしたちは人間として等しいものであることを認識します。裸足になることで、わたしたちの中でもっとも貧しい人たちを意識し、自分を彼らと同一視するようになります。

184.「靴を脱ぐ」ことは、わたしたちが踏んでいる土壌、地面をも強く意識させます。アジアの社会政治的な状況は非常に困難であり、この状況の中で教会がどのように活動するかは、人類とともに旅する上で最高位に重要なことです。それによって、アジアの人々の基本的な現実をより身近に感じることができるのです。

185.シノドスの教会像として、「靴を脱ぐ」ことは、謙遜と希望のうちにともに旅するわたしたち教会の経験を、関係性のうちにある、文脈にかかわる、宣教的なものとして、明確に示しています。

X.結論


186.2021年10月に始まったシノドスの旅は、アジアの諸教会にとって新しい歩みというわけではありません。多くの国ですでに、司牧計画を策定するために耳を傾け識別する機会は存在しました。しかしながら、それらはあくまでも小教区、教区、国レベルのものでした。これらのレベルで、いくつもの成功も課題もありました。

187.シノドスの旅は、この歩みに参加したカトリック信者に、異なる諸教会が有するなぐさめや懸念についての、地域的な、また世界的な理解を十分に与えました。なぐさめと課題は、それぞれの地域に固有のものであるだけでなく、そのあり方も複雑であるということが確認されました。

188.それ以前は自分の経験が周縁に追いやられていた多くのカトリック信者が、能動的に参加したことによって、識別の歩みはかなりの程度、教会生活を活性化させました。多くの人々にとって、この歩みを通じて希望の種が蒔かれましたが、同時に、さまざまな理由で懐疑的だった人々がいたことも確かです。

189.これは、教会生活のあらゆるレベルにまで浸透させる必要のある歩みです。シノダリティの歩み、すなわち、識別と霊的な会話は、今後、教会の生活と奉仕職の一部でなければなりません。アジア全域では、このシノドスの歩みの初期段階で耳を傾けた成果を、すでに実行に移し始めている教会もあります。

190.組織の変更は、シノドス的な変化を実行に移すために重要ですが、関係性の側面は、シノドス的教会であることの不可欠な部分として、この旅で忘れられてはならないものです。

191.アジア大陸総会(2023年2月24日~26日)では、2023年10月のシノドスからの「最終文書(relatio finalis)」をできるだけ早く発表するよう提案されました。それによって、各国司教協議会、教区、小教区はシノドス第16回通常総会で提出される提案に取り組み始められます。

192.アジア全域の言語の多様性を考慮すると、「最終文書(relatio finalis)」の要約版も発表されることが助けになり、それによって、各国が各言語への翻訳に取り組むことができ、できるだけ多くの人々に周知することができます。

193.2023 年 10 月のシノドス総会の後、準地域シノドスの対話が行われるべきです。これらの集いは、アジアの諸教会にとって、継続的な聞き取りと識別のための手段となり、おそらく2024年に教会シノドスを開催することさえありえます。

わたしたちは、自らの聞き取りと識別の成果であるこの「最終文書」を提供するにあたり、人類全体とともにこのシノドスの旅において、アジアの母であるマリアの母なる守りと執り成しを願います。

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