「カトリック情報ハンドブック2023」巻頭特集

「カトリック情報ハンドブック2023」 に掲載された巻頭特集の全文をお読みいただけます。 ※最新号はこちらから 巻頭特集 教皇パウロ六世の平和メッセージを読む カトリック中央協議会出版部・編  はじめに  聖パウロ六世( […]


「カトリック情報ハンドブック2023」
に掲載された巻頭特集の全文をお読みいただけます。
最新号はこちらから

巻頭特集 教皇パウロ六世の平和メッセージを読む

カトリック中央協議会出版部・編

 はじめに
 聖パウロ六世(Giovanni Battista Montini、1897~1978年、教皇在位1963~1978年)は、前任教皇である聖ヨハネ二十三世によって始められた第二バチカン公会議を引き継ぎ、1965年の第4会期をもって全うさせた教皇です。
 1963年6月21日の教皇選出の翌日、人類家族にあてたラジオメッセージの中でパウロ六世は、自分の教皇職の主要部分は第二バチカン公会議の継続によって占められていると明言しています。
 ヨハネ二十三世は、ある特別なインスピレーションによって、突如といってもよいかたちで公会議の開催を決めました。それは周囲を驚嘆させるに十分なことでした。そうして1962年10月11日から12月8日までの第1会期をもって公会議は始まったのですが、ヨハネ二十三世が翌年6月3日に帰天したことにより、そのすべての活動は一旦停止となります。
 その状況を受けてパウロ六世は、就任後数日のうちに次会期の日程を決定し、同年9月29日には第2会期が始まりました(12月4日まで)。
 ヨハネ二十三世が開始して広げたものをまとめ上げ、その実践へのかじ取りを行った、それがパウロ六世教皇です。そのヨハネ二十三世や、ヨハネ・パウロ二世、そしてロックスターにもたとえられる現教皇フランシスコに比べ、いささか地味な存在として語られることが多いようにも思われる教皇ですが、この公会議に関する仕事一つをとっても、歴史に偉大な足跡を残した人物であることは十分に理解できます。多くの苦難を伴うことがらを、非難や無理解にぶつかってもぶれることなく、一つ一つ仕上げていったのです。
 教皇フランシスコはそのパウロ六世を、帰天から38年後の2014年10月19日に列福し、そして2018年10月14日に聖人の列に加えました。
 パウロ六世は「旅する教皇」といわれました。世界を駆けまわる教皇といえば、ヨハネ・パウロ二世がすぐに頭に浮かぶ人は多いかと思います。ヨハネ・パウロ二世は訪日を果たした初の教皇であり、「空飛ぶ聖座」とも称されました。しかし、海外司牧訪問を積極的に行った教皇の元祖はパウロ六世です。5大陸をすべて訪問した最初の教皇であり、初めて飛行機に乗った教皇でもあります。
 そして、初めて国連で演説を行った教皇もパウロ六世です。それ以降、わずか33日の在位だったヨハネ・パウロ一世を除けば、歴代教皇は皆、国連で演説を行っています。
 先に挙げた就任直後のラジオメッセージでは、教会法の改定についての意欲も語られています。教会法改定の作業は「市民生活、社会生活、国際社会における正義、真理と自由のための正義、相互の義務と権利の尊重のための正義を確立すべく、先達の教皇らによる優れた社会回勅にのっとって努力を継続するものです。神の愛の試金石である隣人愛の明白な命令は、すべての人に社会問題のより公正な解決を求め、人間にふさわしくない生活水準になりがちな発展途上国への対策と配慮を求め、生活条件改善のために世界規模での熱心な研究を行うことを課しています」と述べています。
 ここに、パウロ六世の教皇としての姿勢が明確に読み取れるかと思います。それは、その嚆矢とされるレオ十三世の回勅『レールム・ノヴァルム』以降、教会に豊かに蓄積されてきた社会教説の継承ということです。
 こうした流れにおいて、もう一つ忘れてはならないパウロ六世の業績があります。世界平和の日の創設です。第1回のメッセージ冒頭で、それは次のように宣言されました。

わたしはすべての善意の人々に、1968年1月1日元日を、全世界で「平和の日」とするよう呼びかけます。
 時の流れの中に人生の旅路を数え印す暦の最初の日に、正しく有益な均衡を備えた平和によって未来の歴史の道筋が定められるようにとの願いと約束を込めて、毎年この行事が行われることを心から望みます。

 バチカンのウェブサイトで紹介されているパウロ六世の略歴(イタリア語版)では、平和に貢献し、教皇の外交活動を大いに発展させたことがらとして、ヨハネ二十三世によって始められたヨーロッパの共産主義国との対話の継続と並び、この世界平和の日の創設が挙げられています。
 本特集では、都合11回に及ぶパウロ六世の世界平和の日メッセージから主要部分を引用しつつ、半世紀を経た今もなお、それが豊かな教えに満ち、多くを訴えるものであることを見ていきます。なお、パウロ六世のメッセージ本文は、既存の訳を参照しつつ新たに訳出したものです。

 時代背景
 まずは、当時の国際情勢を簡単にさらっておこうと思います。
 アメリカ軍が北ベトナムへの爆撃を開始し、ベトナム戦争が本格化し始めたのが1965年2月のことです。翌3月には、地上軍およそ20万人が南ベトナムのダナンに上陸します。また10月には、韓国も軍を派遣しました。翌年にはアメリカの派兵数は54万を超え、ベトナム全土で掃討作戦を展開し、東西冷戦下における代理戦争ともいいうるこの戦いは泥沼化していきます。1967年に入り、キング牧師も参加した30万人規模のニューヨークでの平和行進に代表されるように、アメリカ本土では反戦運動が高まりを見せていきます。しかし、この運動はヒッピー・ムーブメントとも結ばれて、多くの薬物中毒者を生むという負の側面も生じさせました。
 また1965年は、カシミールの帰属を巡ってインドとパキスタンが2度目の全面戦争に突入した年でもあります。翌年に両国首脳はタシケント宣言に調印しますが、それによってすんなりと和平が訪れたわけでもありませんでした。
 翌1966年、中国では以後10年にわたって続くこととなる文化大革命が起きました。毛沢東が「紅衛兵」と呼ばれた若者を扇動して過激化したこの権力闘争は、相当数の犠牲者を生むことになります。
 そして、その暮れにパウロ六世が最初の平和メッセージを発表することになる1967年ですが、6月には六日戦争とも呼ばれる第三次中東戦争が起き、エジプト、シリア、ヨルダンに奇襲攻撃をかけたイスラエルが圧倒的勝利を収め、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、シナイ半島を占領し、版図を一気に拡大しました。
 またこの年には、アフリカのナイジェリアで内戦が勃発しています。同国東部のイボ族の居住地域ビアフラが、ビアフラ共和国として分離独立したのがきっかけです。ナイジェリア連邦政府軍はいわゆる兵糧攻めによって、1970年にビアフラ軍を無条件降伏させますが、この内戦による死者は100万人を超えたといわれ、その多くが飢餓によるものでした。報道によって紹介された、飢えてやせ細った無数の子どもたちがうつろな目でこちらを見つめる写真は、当時の世界を震撼させました。
 さらにアラビア半島では、当時南北に分割されていたイエメンで内戦が起こり、イギリスの統治下にあった南イエメンが南イエメン人民共和国として独立しました。
 このような情勢を背景とし、1967年12月8日にパウロ六世は、最初となる、1968年世界平和の日メッセージを発表したのです。

 平和は義務である
 アジア、アフリカ、アラブ……、世界各地で戦火が燃え広がる中で平和への望みを強く訴えること、それは教皇パウロ六世にとってまさしく必然といえる行為でした。
 それゆえ、発信されたメッセージは、ごくシンプルな訴えに貫かれています。
 1969年の第2回メッセージのキーとなることばは「義務」です。

 現代の平和が本質的に関与するのは、人権を理念どおり認めること、またそれを実際に確立することです。
 このような基本的人権には、それに対応する基本的義務というものがあります。それは平和です。
 平和は義務です。

 この「義務」ということばの背後には、第二バチカン公会議の次の教えがあるといえます。

 平和は単に戦争がないことでもなければ、敵対する力の均衡を保持することでもなく、独裁的な支配から生じるものでもない。平和を「正義が造り出すもの」(イザヤ32・17)と定義することは正しく、適切である。平和とは、人間社会の創立者である神によって社会の中に刻み込まれ、つねにより完全な正義を求めて人間が実行に移さなければならない秩序の成果である。実際、人類の共通善は基本的には永遠法によって支配されるが、共通善が具体的に要求することがらは時の経過とともにたえず変動する。したがって、平和は永久的に獲得されたものではなく、たえず建設されるべきものである。(『現代世界憲章』78)

 平和は「獲得された」一つの状態ではないのです。「たえず建設されるべきもの」なのです。ですからパウロ六世は「義務」ということばをもって、それを表現しているのです。
 公会議がいう「共通善が具体的に要求することがらは時の経過とともにたえず変動する」とのことばは、現代のわたしたちにとっても、実に示唆に富んだものだといえるのではないでしょうか。平和のために働くにあたっては、つねに「時のしるし」が見極められなければならないのです。

 動的なもの
 この平和は単なる状態ではないということの表現として、複数の年のメッセージにおいて「動的な」(dinamico)という形容詞が平和に対して使われています。1969年メッセージには、平和は「正しい、動的な、つまり継続的に構築される秩序」だとあり、1974年メッセージでは次のように述べられています。

 平和が確かなものであるには、それがあるということだけでなく、それを生み出していくことが求められます。人間の生命と同じく、それは動的なものです。その領域は広がりを見せ、おもに倫理学の分野に及んでいます。すなわち義務論の領域です。平和は維持されるだけでなく、生み出していかなければなりません。

 一方わたしたちは、聖アウグスティヌスの『神の国』の中にある、平和は「秩序の静けさである」(松田禎二訳、『アウグスティヌス著作集15「神の国」(5)』教文館、1983年、57頁)という有名なことばを知っています。これは、上の「動的」という形容とは矛盾するものなのでしょうか。それについてパウロ六世は、1970年メッセージの中で実に明快な解説を与えてくれています。

 平和とは「秩序の静けさである」という聖アウグスティヌスの有名な定義があります。もしわたしたちが、秩序を抽象概念だとみなし、人間の秩序とは状態ではなく行為なのだと知ることがなければ、それを誤って理解してしまうでしょう。秩序は、それにとって有利である状況によりも、それを築き享受する者の良心と意欲とに依存するものです。真に人間的な秩序とは、つねに完全を目指す可能性のこと、つまり、たえず生み出され、発展していくものなのです。いうなれば、飛行機のバランスがプロペラの推進力につねに支えられることを必要とするように、平和も、前へと進む動きによって成り立つのです。

 『カトリック教会のカテキズム要約』481には、平和とは「単に戦争がないということでも、対立する勢力の力の均衡でもなく、『秩序の静けさ』(聖アウグスティヌス)であり、『正義が造り出すもの』(イザヤ32・17)、愛の結果です。地上の平和はキリストの平和の反映であり、結実です」とあります(『カトリック教会のカテキズム』2304参照)。これ自体は分かりやすい表現だとは思うのですが、「秩序の静けさ」という引用に、何かしっくりこない感じも抱きます。ですが、ここにパウロ六世の解説を添えてみると、実に腑に落ちる気がするのです。
 ここで少々余談です。「動的」と「静けさ」という一見矛盾するような表現の整合性を理解するにあたって、生物学者の福岡伸一氏がいうところの「動的平衡」という考え方が助けになるのではないか、そんなふうに思っています。
 福岡氏はユダヤ人科学者シェーンハイマーのことばを用いて、「生命とは何か?」という問いには、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」との回答が得られるのだと述べています。生命とは「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステム」なのです。

 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。
 だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。(『動的平衡』木楽舎、2009年、231頁)

 身体は一つの形をもって固定されたもので、そうでなければ手足を動かすことも食事をとることもできない、ふつうわたしたちはそんなふうに漠然と考えています。ですが、分子レベルでは、そこにはつねに出入りが、動きがあるのだと福岡氏は教えてくれます。
 平和もまったく同じことなのではないでしょうか。「秩序の静けさ」の背後には、生産と構築が絶えることなく繰り返されるダイナミズムが存在している、それこそが「静けさ」を支えているのだ、そう理解できるのではないでしょうか。
 教皇フランシスコのことばが思い出されます。「平和は手で作るものです。平和の工場などありません。平和は、開かれた心で、毎日、手で作るものです」(2014年5月28日の一般謁見講話)。毎日手で作られる平和は、つねに新しく新鮮な平和です。

 平和と正義の関係
 若者たちをこよなく愛したパウロ六世は、青年に向けての平和教育の重要性をたびたび説いています。平和についての「正確な理念をもつことがきわめて大切」なのだと、とりわけ若者に向けて訴えています。平和が不断の努力であり、生成され続けるものであるならば、次の世代に正しい考えを伝えることはきわめて重要なことになります。
 では、平和についての「正確な理念」とは何でしょう。それは、人間の尊厳が尊重されること、すなわち「正義」を土台とすることにある、1972年メッセージで教皇はそう述べています。

 平和についての真正な概念の形成は、難しくはありますが不可欠です。平和はきわめて人間的なものだと教える生来の直観に目を閉ざす人にとっては、それは困難なことです。本物の平和を発見するためのよい道は、平和の真の源泉を探し求め、それが人間の誠実な感覚に根ざすものだと気づくことです。
 人間に対する真の尊敬から生まれるものでなければ、それは真の平和ではありません。では、この人間の誠実な感覚を何と呼ぶのでしょうか。わたしたちは、それを正義と呼びます。

 続けて教皇は、正義の意識が高まってきたのは確かなことで、それは現代世界を特徴づけ、古代世界と区別するものなのだと述べています。
 しかし、そうでありながら、現代世界がそれとは矛盾する様相を呈していることに教皇は疑問を投げかけます。――途上国は、正義の新しい表現、平和のための新しい土台が必要だと声高に訴えている。そうした訴えは抑えがたいものだと人々は確信している。にもかかわらず、なぜ正義以外のものの上に平和を据えようとして時間を浪費するのか、と。

 経済的であれ政治的であれ、支配の意図や計算とは無関係の協力の枠組みの中で、各国が自国の発展を促進できるようにすることは、正義が果たすべきことの一つではないでしょうか。

 こうした問題の重大さを深く認識しつつも、その具体的な解決という仕事は自分がなすべきことではないと、教皇ははっきりいっています。教皇は、世界に対し訴え続けることの意義を強調しているのです。そして、力強いことばを投げかけています。「平和を望むなら、正義のために働きなさい」。このことばは、この年のメッセージの表題となっています。
 力強いがゆえに、それが独り歩きしたら曲解されかねないようなことばです。ですから教皇は、しっかり注文をつけています。実行の前にまず正義を定義すること、その重要性を説き、正義は自分の威信や利益を犠牲にせずに成り立つものではないと述べています。

 それが真正なものなのか、あるいは推測されるにすぎないものなのかは問わず、自らの権利をめぐって、敵対する相手と戦ったり、それを押しつけたりすることよりも、正義と平和の道理に従うほうが、はるかに寛大さが求められるはずです。

 東西の関係に冷戦以来の緊張が生じているまさしく今、このことばが世界中に響き渡ってほしいものです。

 平和は可能である
 1973年メッセージの表題は「平和は可能である」です。教皇はいいます。「わたしの宣言は公理のごとく単純明快です。――平和は可能です」。
 平和は実現できるのだ。――教皇のことばのとおり、これこそ究極のシンプルな訴えです。ですが、もっとも根本的で、もっとも大切な訴えです。もし平和が、人間にとって実現不可能なものであるならば、平和をめぐるあらゆる訴えも提言も、まったくもって無益なものに帰してしまいます。しかし、砲撃の音がやむことのない世界を見渡して、教皇はこの単純素朴な訴えを発せざるをえないのです。
 先の大戦を終えてから、一見すると世界は平和であるかに見える、だからもう人類は、その反省を踏まえて、平和を獲得したのだ。――平和を訴える教皇は、そうした意見に責め立てられるのだと述べています。しかし、彼らによって主張される平和は、真の平和ではありません。
 1973年メッセージは、冷戦状態のかりそめの平和を、反省の上に立って人類が獲得したものだとしてそれに甘んじている状況への厳しい批判です。
 確かに大国どうしは砲火を交えてはいません。ですが戦火は世界のあちこちで燃え続けていて、それには東西両陣営の代理戦争のような意味づけがあったりもする――これは事実です。「敵対する力の均衡を保持すること」が平和なのではないと、先の『現代世界憲章』の引用にはあります。核武装した状態で間合いを取り合うような状況に正義はありません。ですからそれは、決して平和ではないのです。

 教会はいつも、非常に単純な原理、すなわち、平和は可能である、ということを教えてきましたし、今日も教え続けています。そしてまた教会は、平和が義務であることを、根気強く教えています。

 これは、教皇ヨハネ・パウロ二世の2004年世界平和の日メッセージの一節です。世界平和の日が制定されてから36年が経っても、聖座はまったく同じことばをもって、世界に訴えかけなければならなかったのです。このメッセージが出された2003年は、大量破壊兵器が開発されているというでっち上げの情報を根拠に、アメリカとイギリス、さらにはオーストラリアとポーランドも加わった連合軍がイラクを攻撃し、フセイン政権を崩壊させた年でした。
 わたしたちにとって平和は可能だとの訴えの根幹にあるのは、すべての人は神の像として造られたという信仰です。ベネディクト十六世は2013年世界平和の日メッセージにおいて、次のように語っています。

 平和は夢でもユートピアでもありません。平和は可能です。わたしたちは、表面的な外見や現象を超えて、深いところまで目を向けなければなりません。それは、心の中にあるよいものを見分けるためです。すべての人は神の像として造られ、新しい世を築くために成長し、役立つよう招かれています。

 この教皇もまた、同じ訴えを繰り返しています。これが発表された2012年は、シリアの内戦が激化した年です。4万人を超える死者を生んだといわれる、このアサド政権支持派と反体制派との間の戦いの背後にも、やはり東西陣営の姿が見え隠れします。
 ベネディクト十六世は、平和は夢でもユートピアでもないと述べていますが、パウロ六世も現実から遊離した理想を語るのではありません。

 完全で安定した秩序の静けさ、すなわち人間間の絶対かつ究極の平和は、たとえ文明が高度に、そしてあまねく広がるレベルにまで発達したとしても、それは夢にすぎず、偽りではなくとも不完全なままであり、非現実的ではなくとも実現を目指す理想のままである――、それは認めます。歴史の営みにおいてすべては変化しているのですから。また、人間のいう完璧さは、一つの意味しかもたないものでもなければ、固定化されているものでもないのですから。人間の情念が衰えることはありません。利己心は悪の根源であり、それを人間心理から一掃することはできません。民全体の心理においてそれは、一般的に存在理由の形と力になります。そして理想的な考えとして機能するのです。そこに、致命的になりかねない疑義の脅威があります。――平和は可能なのか。この疑いは一部の人の間で、いとも簡単に悲惨な確信へと置き換えられるのです。――平和は不可能である。

 世情に対する厳しい分析と批判です。国家というもの、あるいは民族というものは、それぞれ固有のものであって、それらが自己の利益を追求することは、正当な権利であり、当たり前のことです。それをいっさいしないのであれば、固有の国家、固有の民族として存在する意味を失ってしまいます。ですが、自己の利益追求は、つねに陥穽を秘めています。権利の主張が肥大化すれば、必ず他者のそれを侵害する結果を生みます。それが平和に対する疑問、あげくは絶望へとつながっていくのです。
 次に引用する声高らかな宣言は、その高邁さに心酔するばかりでなく、こうした分析が踏まえられたうえでのものであることを、しっかり認識すべきと思います。

 心から望むのであれば、平和は可能です。
 平和が可能であるならば、それは義務なのです。

 上の宣言を教皇は「平和の問題を確実に解決するために必要な道徳的な力を見いだしていくということ」だと説明します。そして、平和には勇気が必要なのだと、「残虐な力ではなく愛である、最上の勇気」が必要なのだと説いています。
 ここから、キリスト者としての固有の働きが導かれます。
 翌1974年メッセージは、それまでに比べ、わたしたちに働きを促す論調がいっそう濃くなっています。差し迫った訴えが強く響いています。メッセージの最後は、次のようなことばによって結ばれています。

 わたしたちは、平和を推進する人々と協力して、彼らの働きを、共働を意義あるものとする、わたしたちならではの超人的な能力を備えているのではないでしょうか。キリストが、福音に示される幸いに従って、彼らとともにわたしたち皆を神の子だと認めてくれるような働きです(マタイ5・9参照)。だれよりもわたしたちこそが、良心に向けて平和を説くことができるのではないでしょうか。わたしたち以上に、ことばと行いによって平和の師であらねばならない者がいるでしょうか。では、わたしたちの祈りへの応答である神の働きに加わることなく、人間の働きの最上位である平和のわざに、どうやって力を貸すことができるというのでしょうか。平和という遺産に、わたしたちは無感覚になってはいないでしょうか。キリストが、ただキリストだけが、超越的でことばでは表しえない完璧な平和を、それをもたらすすべを知らないこの世で生きるわたしたちに残してくださったのです。神のあわれみが拒むことのできないほどの謙虚で愛ある力強さによって、平和を願い求める声を満たすことができているでしょうか(マタイ7・7以下、ヨハネ14・27参照)。平和は可能である。――それはすばらしいことです。しかもそれは、わたしたちの平和であるキリスト(エフェソ2・14)を通して、わたしたちの手にかかっていることなのです。

 山上の説教の七つ目の幸い、すなわち「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」を知るキリスト者にとって、これは真に心に迫るメッセージではないでしょうか。思想、信条を超えて、平和のために働く人々と手を結び、心血を注いで邁進することによって、わたしたちは彼らと一緒に、イエス・キリストから「神の子」だと認めてもらえるのです。多くの含みがある(諸宗教間対話、エキュメニズム、民族主義の超克、その他諸々)、行動への力強い促しであるとともに、温かな励ましでもあります。

 内面に養われる平和
 上の教え、すなわちキリスト者固有の働きの延長として、1975年メッセージでは、『現代世界憲章』82にある「考え方の再教育と世論における新しい思潮がきわめて必要とされる。教育に従事する人々、とくに青少年の教育に当たる人々や世論を形成する人々は、すべての人に平和愛好の新しい精神を吹き込む努力を自分のもっとも重大な義務と心得なければならない」との導きを踏まえて、次のようにいわれています。

 この点でわたしのメッセージは、平和は、外へと向かう前に、内に向かうことを目指すほどより価値があると断言することに特徴があり、それを励ましとしています。身体を攻撃する武器に訴えるのを効果的に阻止しようとするには、心の武装解除が必要です。平和のために、つまりすべての人のために、考え方や愛の共通のかたちとしての、霊的な根が示されなければなりません。新しい国の考案者であるアウグスティヌスは、人々が連れ立って歩むには、本性が同一であるだけでは不十分だと記しています。同じことばで話すこと、つまり理解し合い、共通の文化をもち、同じ感覚を味わうことが教えられなければなりません。

 平和にはまず、心が、精神が伴わなければならないのです。ですから教育が、とくに次の世代を担う若者の教育が重要とされるのです。ここから、キリスト者としてのさらなる発展があります。

 しかし、もっと多くのことが必要だと、はっきりと申し上げます。人間どうしの争いを阻止し、穏やかで礼節ある心持ちにさせるだけでなく、それらの人々の間に和解を生む、すなわち平和を作り出すことに、霊的要素を生かし、用いなければなりません。戦争を食い止め、紛争をやめさせ、停戦や休戦を命じ、国境と国家間の関係をはっきりさせ、共通の利益のよりどころを作るだけでは不十分です。すさまじい惨禍や苦痛への恐怖によって、過激な対立の可能性を抑え込むだけでは不十分です。押しつけられた平和、打算的で一時的な平和では不十分です。心からの和解に基づいた、だれからも愛される、自由で、兄弟的なきずなのある平和を目指さなければなりません。

 霊的な要素が内に働きかけること、そしてそれによって「和解」が生まれることの重要さを説き、「人類の共存という新しい普遍的な精神性――懐疑的でも、臆病でも、的外れでも、正義に無関心でもなく、寛容で愛に満ちた精神性――を目指した青年教育がもう開始され、進み始めていること」に満足を覚えていると教皇は述べています。メッセージは、いたずらに危機を煽るものではありません。世に期待し、将来に希望をおいているのです。
 外の規則や取り決めばかりに目を向けているようでは、なかなか和解は生まれてはきません。日本と韓国とのいまだに微妙な関係を見るだけでも、それが当然であることをよく理解できます。日韓の若者たちに正しい歴史が教えられること、そうしたまっとうな教育がなされることは、大変重要です。それによって、未来に希望が見えるようになります。
 和解は、キリスト者の信仰の本質にかかわることがらです。わたしたちには「神との和解」が不可欠であり、それこそがわたしたちにとっての平和への道です。

 明快で揺るぎない自らの信仰宣言に、和解という魅力的な徳と、平和という強さと喜びを備えたカリスマを加えることができるよう、わたしたちはまず、わたしたち自身の謙虚さと愛を、神に祈り求めなければなりません。

 世界の平和と和解のためのキリスト者の働きに、教皇は期待しています。平和を求め、それを作り出していくことは、信仰に由来する必然なのです。

 軍縮
 冷戦状態を解消し真の平和を世界にもたらすには、軍縮について考えることは避けて通れません。
 まず世界の現状について、1976年メッセージでは次のように述べられています。

 それぞれの国家において、さまざまな武器の保持が過渡に増加し、戦慄を催させます。武器取引が国際市場でしばしば記録的な水準に達しているという、根拠ある疑念がわたしにはあります。妄想的な詭弁を弄して、それは行われています。その詭弁は、単に仮定と可能性の上に立っての計画であったとしても、国防は軍拡競争の激化を迫るものであり、敵対する国との力の均衡によってしか平和は確保できない、というものです。

 和解ではなく対立しか生まないイデオロギーによって分断された世界を平和だとはいえない、教皇はそういいます。では、平和のために必要とされるのは何なのでしょう。
 教皇は、平和には「国際法に効力と威信を与える、道徳にかなう武器」が必要だと説きます。具体的には、まず国際的な「条約の遵守」です。

 「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」。この格言は、国家間の正式な外交の信頼性にとって、民族間の正義の安定にとって、民の誠実な良心にとって、今も有効です。平和はこの格言を盾とします。条約が正義を反映していない場合はどうなるのでしょう。その場合、新たな国際機関の、協議、調査、決議による仲裁が正当性を得ます。それによって、いわゆる既成事実にしてしまうこと、つまり、やみくもで抑えの利かない力による争いは、完全に排除されなければなりません。そうした行為は、必ず人的犠牲と物的損害を、無数に罪悪感なしに生み出し、真の正義の大義を実際に回復させるという純粋な目的に達することはまずないからです。武器すなわち戦争は、文明の計画から除外されるべきです。賢明な軍縮が、平和にとっての別の鎧となります。

 これは平和という武器なのだ、そう教皇はいいます。「あなたがたは皆兄弟なのだ」(マタイ23・8)というおきてに裏打ちされた武器です。さらに、皆兄弟であるという意識が人類の心に浸透しているなら、1945年8月6日に広島で用いられたもののように、平和のためといって大量虐殺へと至るまでの武装が必要なのか、そう問いかけます。わたしたちは、非暴力主義だけを身にまとった、ガンジーのような例を知っているではないかと。そして美しいことばを書き添えています。「文明は、オリーブの枝だけで武装した平和の足跡をたどって歩みます」。

 いのちの保護
 最初のメッセージから1976年メッセージまで、平和を害するものとして教皇が取り上げてきたのは、基本的に国家や民族間の紛争、戦争です。
 区切りの10回目となる1977年メッセージでは、テーマが初めて広がりを見せています。表題は「平和を望むなら、いのちを守りなさい」です。

 ですから平和は、支柱となる内側の複雑な構造を従えた頂なのです。強靱な骨格に支えられている柔軟な肉体のようなものです。平和は、その根拠や条件によって永続性と卓越性を支えられている建造物です。根拠や条件が欠けていることもあり、あったとしても、平和というピラミッドの底部を安定させ、頂をそびえさせるための、それぞれが担うべき役割を、つねに保っているわけではありません。

 平和は可能であると、教皇は一貫して主張しています。しかし平和には、遂行されなければならない「多くの協力を必要とする、困難な条件」があるのです。平和の条件の詳細については専門家にゆだねるといいつつ、教皇は一つの点については黙しているわけにはいかないといいます。それは、「人間のいのちに関する世の考えと平和との関係について」です。平和といのちが、社会秩序における最高の財なのだと明言したうえで教皇は訴えています。「平和を望みますか。ではいのちを守りなさい」。
 この主題について、広島の惨劇もまた例として挙げて、まずは戦争について語られます。戦争が多くのいのちを奪うこと、そして福祉のために使われるべき資源が軍拡競争に注がれてしまうことの非人間性が批判されます。
 しかしここで、「平和を損ねるのは戦争だけではありません。いのちを傷つけるあらゆることは、平和への攻撃です」と教皇はいい、その具体例として人工妊娠中絶をまず挙げています。

 胎児のいのち、あるいは生まれ出たばかりのいのちを抹殺することは、何よりもまず、人間存在という概念がつねに帰すべきものである、侵してはならない道徳原則に違反することです。人間のいのちは、受胎のときから、自然な時の流れの中で生きた最後の瞬間まで不可侵のものです。不可侵の、とはどういう意味でしょうか。それは、あらゆる恣意的な抑圧から免れているということです。害してはならないものであり、あらゆる敬意、あらゆる配慮、あらゆるふさわしい犠牲に値するものであるということです。

 さらに教皇は、いのちを危機にさらすものとしてテロや拷問といったものも挙げています。そして、暴力がはびこるところでは平和は絶えてしまい、人権が正しく主張されれば、「平和は社会生活に幸福と活発な雰囲気を醸し出す」のだと述べ、「人権擁護、子どもの権利擁護、基本的自由の保護のための国際条約の条文」は、現代文明の進歩を示すものなのだとしています。
 ですが同時にパウロ六世は、「いのちは平和に優先されるものであり、いのちの不可侵性に平和を従属させる」のだという論を説いたうえで、それには「例外」があることをはっきりと示します。

 いのちそのものよりも高次の善が現れる場合に、例外が生じます。それは、真理、正義、市民の自由、隣人愛、信仰といった、いのちそのものよりも価値ある善についてです。それには、「自分のいのちを(より高次の善よりも)愛する者は、それを失う」(ヨハネ12・25参照)というキリストのことばがかかわってきます。

 いのちは、人間にとって第一等の存在理由から切り離されてはならないものである。――永遠のいのちという報いを信じるキリスト者に、教皇はそう教えています。

 子どもたちへの呼びかけ
 パウロ六世がこの世の生を終えたのは、1978年8月6日です。同年のメッセージが、この教皇の最後の平和メッセージとなりました。
 1978年メッセージは、「暴力」を「道徳意識の低下が引き起こすもの」として、それに厳しく「否」を突きつけています。

 暴力は勇気ではありません。それに身を任せる人間を貶め、理性のレベルから感情のレベルへと引き下げる、見境のないエネルギーの爆発です。暴力は、ある程度抑制された状況にあったとしても、謀計、奇襲、弱くほとんど無防備な敵に対する物理的優勢という、自らを表現するあさましいやり方を探ります。相手の驚きや恐怖、そして自らの狂気も、暴力は利用するのです。

 戦争が究極の暴力であることはいうまでもありません。第二次世界大戦後、いわゆる「核の抑止力」によってかりそめの平和が保たれている状況について教皇は、政府間の努力が、連帯の構築に向かうことへの期待も述べています。その一方で、世界各地でやむことのない局地戦争の現実を悲しみ、「戦争に対するわたしの闘いは、まだ勝利を収めてはいません」と訴えています。
 こうしたメッセージを教皇は「地上の平和に責任を負う人々と、世界中のすべての兄弟」にあてて送っているわけですが、1978年メッセージの末尾は、子どもたちへのメッセージで結ばれています。
 先に、パウロ六世が青年たちを愛し、青年教育の重要性を訴えていたことには触れました。ここで教皇は、弱い存在でありながらも明日への希望である子どもたちに、自分のメッセージが届いてほしいと願い、その理由を三つ挙げています。
 一つ目は、それが自分の名によってだけでなく、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)といわれたキリストの名によって語られるものでもあるということです。それなしに真の平和を築くことは決してできない、キリストの導きと助けを、教皇は子どもたちに伝えたいのです。
 二つ目の理由には、教皇の温かさが詰まっていて、心に強く響きます。パウロ六世は、貴族の雰囲気を漂わせるきりっとした精悍な顔立ちをなさっていますが、下に引くことばからは、ガキ大将の頭をなでてやりながら教え諭す好々爺のような姿を思わず想像してしまいます。

 子どもである皆さんは、よくけんかをします。でも覚えていてください。言い争ったり、殴ったり、かっとなったり、やり返したりして、他の兄弟や友達に自分を強く見せようと思うのは、毒となる虚栄心なのです。だれだってやっていることです、そう皆さんはいうでしょう。でもいいます。それはだめなことです。強くなりたいのなら、皆さんの心と皆さんの姿勢で強さを示すのです。自分を抑えることを覚えるのです。自分を傷つけた人をゆるし、すぐ仲直りすることを覚えるのです。それができれば、皆さんは本当のキリスト者です。

 そして、だれも嫌いになってはいけない、異なる境遇にある人を見下してはいけない、自分勝手も意地悪もだめ、そしてとにかく仕返しはよくないことだと、兄弟愛や連帯の基本を子どもたちに教えています。
 三つ目の理由は、子どもたちの未来に向けての願いです。

 わたしは、皆さんが大人になったときに、今の世の中の考え方や行動を変えなければならないと思っています。今の世の中は、すぐに目立とうとしたり、ほかの人と付き合うのをやめたり、争ったりしてばかりです。でもわたしたちは、皆が兄弟姉妹ではないでしょうか。皆が同じ人類家族の一員ではないでしょうか。皆が平和を造るために仲良くしなければならない国民なのではないでしょうか。

 教皇は、「すべての人を愛すること」と「よりよい、より正直な、より連帯する共同体を社会に結実させること」を、習慣として身に着けるよう教えています。そして、最後に子どもたちに送られるのは、イエスがわたしたちを弟子と認めてくださる認証のことばです。「あなたがたに新しいおきてを与える。互いに愛し合いなさい。……それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13・34–35)。

 最後に
 1978年メッセージに「平和は、夢でもユートピアでも錯覚でもありません。シーシュポスの労役でもありません」とあります。もちろんパウロ六世のこのことばに、わたしたちは信を置かないわけにはいきません。
 しかし世界を見渡せば、どれほど平和は彼方のものなのかと、絶望の思いを抱きそうになります。
 戦争の悲劇はいうまでもありませんが、歴代教皇が平和の日メッセージにおいて列挙してきたように、人権や信教の自由の侵害、南北の経済格差、生命倫理の危機、家庭の崩壊、環境破壊など、平和を害するものはさまざまあります。そしてフランシスコ教皇が教えているように、それら諸問題は一つ一つがつながり合っているのです。
 パウロ六世が初めて国連を訪問した教皇であることは先に触れたとおりです。その国連での歴史的な演説の中で、教皇は次のように語っています。

 ご承知のとおり、平和は政治の方法とか、力や利害の均衡だけによって打ち立てられるものではありません。平和は平和の精神、理念、事業とともに建てられます。皆さんはこの偉大な事業に従事しているのです。しかしまだ、その作業は端緒にすぎません。世界は、今まで歴史の大部分を紡いできた利己的で好戦的なメンタリティを変えることになるのでしょうか。未来を見通すことは困難です。しかし、言明すべきことは単純です。世界は断固として新しい歴史、平和な歴史への道に立つべきであるということです。その歴史は真に十分に人間的なもので、神が善意の人々に約束するものです。その道は皆さんの前に開かれています。その第一は軍備の撤廃です。

 60年近くも前に高らかになされた教皇の演説の中のこのことばが、残念ながら今の世にも、一文字たりとも変更することなく響かなければなりません。
 それは悲劇的なことかもしれません。ですが希望を捨てるわけにはいかないのです。ともに祈りたいと思います。わたしたちが皆、希望を伝える者となれますように。
(奴田原智明)

PAGE TOP