2024年灌仏会に際しての教皇庁諸宗教対話省から日本へのメッセージ

教皇庁諸宗教対話省 「キリスト者と仏教徒、カルナーとアガペーを通した平和の導き手」 2024年花祭りに際してのメッセージ バチカン市国 親愛なる仏教徒の皆さん、    花祭りのお祝いは、キリスト者と仏教徒として世界平和を […]

教皇庁諸宗教対話省
「キリスト者と仏教徒、カルナーとアガペーを通した平和の導き手」
2024年花祭りに際してのメッセージ
バチカン市国


親愛なる仏教徒の皆さん、
 
 花祭りのお祝いは、キリスト者と仏教徒として世界平和を促進するために、互いに挨拶を交わし、わたしたちが共有する責任について対話を行うのにふさわしい機会を提供してくれます。

 わたしたちはこれまでにも、何度もこの課題を取り上げてきましたが、世界各地で紛争が激化し続けていることから、平和という重要課題を再考し、その発展を阻む悲劇的な障害を克服するための適切な道を模索するわたしたちの役割を再検討する必要があります。 絶え間ない祈りと願いに加え、現在の状況では、諸民族の間に公正で永続的な平和を促進するために、新たに精力的な取り組みが必要となります。

 「戦争は二度と起こしてはならない」と、ここ数年、数多くの諸宗教の集いで叫ばれています。 憂慮するこうした叫びは、世界中で戦争によって引き起こされる破壊を糾弾しています。 教皇フランシスコは一貫して、戦争は「狂気」であり、「人間性の否定」であると非難してきました。 教皇のことばによれば、「戦争はつねに破壊をもたらし、愛ではなく、憎しみを蒔くのです」(『一般謁見演説』2024年1月17日)。 そしてまた、戦争は「計り知れない悲劇、『無用の殺りく』以外の何ものでもなく、この地上のすべての人の尊厳を傷つけます」(『外交団への演説』2024年1月8日)。それぞれの伝統の担い手としてわたしたちが、平和の文化をはぐくむ上で果たすべき重要な役割とはまさに、拡大する戦争の文化を是正する方策を見出すことなのです。

 戦争の根は、平和の根と同様、人間の心の中に存在しています。 わたしたちキリスト者にとって、平和は神からのたまものであるだけでなく、神の子であるわたしたち全員に課せられた責任でもあります。 イエスは、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と述べました。ブッダは平和を維持するために、自制心と高潔な行いを強調しました。「戦いで千人の千倍もの人を征服することができても、自分自身を征服する人こそが実に、もっとも偉大な勝利者です」(『ダンマパダ』103)。

 親愛なる友である皆さん、第7回仏教・キリスト教懇話会から、希望のことばを分かち合わせてください。そこでわたしたちは、傷ついた人類と、共通の家である地球をいやすことにおける、「カルナー(共感)」と「アガペー(変革をもたらす愛)」の可能性を探求しました。最終宣言の中で、わたしたちが認識したのは、「世界中の人々が、誰一人、完全には逃れることのできない、数多くの地球規模の課題に直面している重要な瞬間に、わたしたちは集まった……」ということでした。こうした困難な時代にあっても、わたしたちは絶望に屈することを拒みます。というのも、暗雲が立ち込めるなかでも、それぞれの宗教的伝統に深く根ざし、誰とでも喜んで協力する人たちこそが、 絶望する人類に一筋の希望の光をもたらすことができると、わたしたちは固く信じているからです」(「傷ついた人類と地球をいやすための対話におけるカルナーとアガペー、第7回仏教・キリスト教懇話会」バンコク[タイ]、2023年11月13−17日)。対話には、暴力を防ぎ、傷をいやし、非暴力による紛争解決を促す力があると、わたしたちは確信しています。

 花まつりのお祝いに心からご挨拶を申し上げるにあたり、わたしたちは皆さんとともに、人間の心の中に平和の根をはぐくみ、カルナーとアガペー、共感と変革をもたらす愛の情感と実践を促進することを通して、世界平和に向けた、この共通の責任に取り組みます。

 この祈りのうちにわたしたちは、花祭りのお祝いが実り多きものとなるよう願っています。



教皇庁諸宗教対話省長官
ミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット枢機卿

同省次官
インドゥニル・ジャナカラトネ・コディトゥワック・カンカナマラゲ神父

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