世界代表司教会議 第16回通常総会 第2会期のための討議要綱(Instrumentum Laboris)の要約 『討議要綱』(Instrumentum Laboris)は、2024年10月2日から27日まで開かれる第16 […]
世界代表司教会議 第16回通常総会
第2会期のための討議要綱(Instrumentum Laboris)の要約
『討議要綱』(Instrumentum Laboris)は、2024年10月2日から27日まで開かれる第16回通常総会の第2会期の議論のガイドとなります。
「宣教的でシノドス的な教会になるにはどうすればよいか?」これが、2024年10月2日から27日まで 「ともに歩む教会のために:交わり、参加、宣教」というテーマで予定されている、2023年に続くシノドス 世界代表司教会議 第16回通常総会の第2会期で取り扱われる『討議要綱』(Instrumentum laboris)の出発点となる基本的な問いかけです。この文書は、昨年の10月に開催された第1会期の成果、教区司祭の国際会議(2024年4月29日から5月2日までローマ、サクロファノで開催)、教皇の指示の下に2023年の第1会期から浮き彫りにされたいくつかの問題を深めてきた10の研究グループの成果など、そして今年の6月に開催された神学者たちのグループによる討議と研究、こういったものの成果を統合したものです。
『討議要綱』は、2024年7月9日(火)に発表され、教皇庁広報局で紹介されたものですが、「あらかじめ用意された答え」を提供するものではなく、教会全体が「宣教におけるシノダリティ(ともに歩む宣教)となることの必要性」にどのように応えるかについての「指示と提案」述べています。すなわち、人々にさらに近い教会、少なくとも官僚的ではない教会、そして神の家であり家族である教会、洗礼を受けたすべての人々が共同責任を負い、それぞれのミニストリー(任務)と役割に応じた教会、信仰の共同体にあるいのちに参加できるような教会、そのような点についての記述があります。
文書の5つの部分
この文書は、序論、基礎的理解、中心となる3つの点、の5つの部分で構成されています。序論では、これまでの道のりを振り返り、すでに到達したいくつかのゴールを明らかにしています。その中には「シノドス的」な方法論として広く用いられるようになった「霊における会話」もあります。そして、基礎的理解(1-21番)が続き、シノダリティについての理解に注目しています。というのもシノダリティは回心と改革の道筋としてとらえられるからです。世界では分裂と対立が顕著になっています。この世界にあって教会は一致のしるしとなり、和解の道具となり、すべての人々、とりわけ貧しい人々、社会から疎外された人々、世俗の権力から切り離されたマイノリティ(少数者)のために耳を傾けるよう求められていることが強調されています。「月のように」-『討議要綱』はこう表現します-「教会は太陽から跳ね返ってきた光を輝かします。ですから、光を輝かす教会は自分で自分のことを語という自己言及的な意味で自らのミッションを理解しているのではありません。むしろ全人類の一致という視点から、結びつき、関係、交わりの秘跡となるという責任を負っているのです」(4番) 。そして、次の点をもう一度強調します。「シノダリティはキリストご自身が牧者たちに託された特別な権威と固有の任務を何らかの仕方で軽視するもものではありません」(8番)。文書は「シノダリティはそれ自体が目的ではない」と強調し、シノダリティと宣教が「密接に結びついた」(9番)ものであることを読み手にもう一度想起させています。
教会における女性の価値
基礎的理解は教会のいのちと活動のすべての領域において女性の果たす役割についての考察に十分なページを割いています(13-18番)。そこでは「女性たちのカリスマと召命の対してより深く認める必要性」が強調されています。「神はある女性たちを復活の最初の証言者、宣布者としてお選びになりました」(13番)と『討議要綱』は聖書の記述を思い起こさせています。「彼女たちは洗礼の秘跡の恵みにおいて、完全に平等な状態にあるのです。聖霊から同じ賜物を注がれて、キリストの宣教、キリストの使命への奉仕へと呼ばれているのです」(13番)。ですから、最初にしなければならない変革は「メンタリティの変革」であり、「共通のミッション、使命の観点から、キリストのうちに姉妹であり兄弟である女性と男性の間の関係性、相互依存、互恵性のビジョンへの転換 」(14番)なのです。
女性の参加と責任
いくつかの文化圏では、「男性優位主義が強く残っている」ことを『討議要綱』は浮かび上がらせています。このため、第2会期では「教区や教会機関における責任ある地位へのより広いアクセス」と共に、「教区の識別のプロセスや意思決定プロセスのあらゆる段階への女性のより広い参加」が提言されます。さらには神学校、研究所、神学部で女性が責任ある地位に就き、「すべての教会法訴訟における女性の裁判官を増やすこと」(16番)を文書は求めています。この提案は奉献された女性たちにも関係しています。彼女たちの生活とカリスマに対する 「より大きな認識とより決定的な支援」が、「責任ある地位に就任すること」とともに望まれています(16番)。
女性の助祭職に関しては、神学的な考察を継続する
女性の助祭職への参入について、『討議要綱』は「いくつかの地方教会 」から要望がある一方で、「反対を繰り返す 」教会もあると報告しています(17番)。このテーマは今年の10月には「作業の対象とはならない」が、それだけに「神学的考察が継続される」のは良いことだと、文書は明確に指摘します。いずれにせよ、女性の役割に関する考察は、「信徒たちが行うすべてのミニストリー(務め)を力づけるようにとの願いを浮き彫りにする」ものです。信徒たちには「適切な養成を受けて、聖体祭儀の際に神の言葉についての説教に貢献できる」ようになることが求められるのです(18番) 。
第1部 神との関係、兄弟相互の関係、教会間の関係
序論と基本的事項の後、『討議要綱』は関係について注意を向けています(22-50番)。関係(関わり)は宣教にあって教会が「シノドス的」なものであることを可能にしてくれるからです。その関係とは、すなわち、父なる神との関係(関わり)、キリストにおける兄弟姉妹の関係、各教会間の関係です。カリスマ、ミニストリー(任務)、そして聖職叙階に基づくミニストリー(任務)といったものは、世界のなかで、しかも世界のために不可欠なものなのです。というのも、多くの矛盾を抱えながらも世界は正義、平和、希望を探し求めているからです。地方教会からは、他でもない若者たちの声が聞こえてきます、彼らは組織でも、官僚主義でもない唯一の教会を求めています。それどころか、互いに支え合う関係に基づくひとつの教会を求めているのです。そして、大胆なダイナミズムと歩みのなかで生きている若者たちの声も聞こえてきます。
こういった観点から10月の総会は、「傾聴と同伴」というような新しいミニストリー(任務)にいのちを与える提案を分析することになるでしょう。「共同体の『開かれた扉』が必要なのです」(34番)。「この扉を通して、批判されたり、裁かれたりしていると感じることなく人々が教会の中へと入っていけるようになるためです」と文書は説明しています(34番)。
第2部 養成のプロセスと共同体による識別
こういった関係は、キリスト教的には適切な長いプロセスで発展していきます。そこで『討議要綱』の第2部ではプロセス、すなわち「道筋」に注目しています。(51-79番)。プロセスはコンテキスト(文脈、状況、与えられた場面や場所)の中でなされます。というのも「状況を無視した宣教はあり得ず、与えられた場所に根ざさない教会もあり得ないからです」(53番)。そのため、養成と「共同体による識別」が土台となります。とりわけ「共同体による識別」は、すべての人の責任と参加を明確にしながら、教会が適切な決定をくださることを可能にしてくれます。そして、「いのち(生活)と愛の共同体としての家庭は、信仰とキリスト教実践のための教育の特に開かれている場となります」とはっきりと主張しながら、『討議要綱』は、家庭を「さまざまな世代が織りなすシノダリティの学校である」と言い切っています。「家庭は弱い人と強い人、子ども、若者、高齢者の誰もが多くのものを受け取り、多くのものを与えることができるからです」(55番)。
説明責任の重要性
しかしながら、教会の責任を担う人々が、教会の善とミッションのためになすべきことを透明にしていくという道のりもあります。「シノドス的教会には透明性と報告(accountability)の文化と実践が必要です。それはともに歩むために、そして、共通のミッションへの共同責任を実行するために、必要なお互いの信頼を築きあげていくうえで必要不可欠なものなのです」(73番) 。
信頼できる教会となるためには透明性と説明責任を必要
そこで、『討議要綱』は「自らのミニストリー(任務)についての共同体に対する説明責任は、使徒的教会にさかのぼる最も古い伝統です」(74番)と説明責任の必要性を明らかにしています。今日、「教会における、また教会による透明性と説明責任への要求は、金銭的スキャンダル、特に未成年者や弱い立場の人に対する性的虐待やその他の虐待によって信頼性が失われた結果、必要となっています。透明性と説明責任の欠如は、聖職者主義を助長してしまうのです」(75番)とまで『討議要綱』は指摘しています。こういった聖職者主義は、聖職叙階に基づくミニストリー(任務)に就く聖職者は、その権威の行使について誰にも責任を負わないという誤った前提が根底にあるのです。
評価の仕組に仕える
説明責任と透明性は、性的虐待や金銭的虐待の分野に限定されるものではなく、教会のあらゆるレベルに関わるものです。「司牧計画(パストラル・プラン)、福音宣教の仕方、そして、例えば教会の組織の中での労働条件のような、教会が人間の尊厳を尊重する方法」(76番)にも関わるものだと文書は主張しています。それゆえ、「評価のための仕組みと形態が必要となります。それは倫理に関するものではなく、あらゆる種類のミニストリー(任務)の責任を行使するための方法に関する評価です 」(77番)と『討議要綱』はまとめています 。この点に関して、文書は年次報告書の発行を約束することが必要だとします。そこには、物品と資源の管理、ミッション(宣教)の実績、そして「セーフガード(未成年者や社会的弱者の保護)や女性の権威ある地位へのアクセスや意思決定プロセスへの参加の促進 」(79番)の分野で教会の率先的な働きについての説明が示されるべきだとしています。
第3部 エキュメニカルならびに諸宗教対話の場
続いて『討議要綱』は、関係や道のりが形づくられていく場、場面(80-108番)を分析しています。場とは、単に空間として理解されるのではなく、文化や人間の状態のダイナミズムによって特徴づけられる具体的なコンテキスト(文脈、状況)として理解されるべきです。教会における関係や経験について静的なビジョンやピラミッド型のイメージを乗り越えるようにと文書は提言しています。むしろ、教会の多様性と多元性を受けとめながらも、一であり、普遍である教会を認めなければなりません。そんな教会こそが 「場において(生き) 、場から(始めて生きる)」というダイナミックな循環の中で生きることを可能にしてくれます。決して排他主義や世俗との均一化、平準化に陥ってはならないのです。それどころか、エキュメニカルな対話、諸宗教との対話、さらには諸文化との対話という大きなテーマは、まさに、いま描いた「場において、場から」という地平の中に組み入れなければならないのです。以上のような枠組み(コンテキスト)にあって、キリスト者の目に見える一致へと向かうエキュメニカルな旅路の「新しい状況」ヘの使徒的ミニストリー(任務)の実施のための形態を捜し求めなければなりません。
希望の巡礼者
最後に、この文書に示されているどの質問も、教会への奉仕を生きるためであり、今の時代に深く傷ついた傷を癒してくれる可能性を秘めている点が指摘されています。そして、『討議要綱』は2025年の聖年のために示されている「希望の巡礼者」の観点から、旅を続けましょうという招きで締めくくられています。