「カトリック情報ハンドブック2024」巻頭特集

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「カトリック情報ハンドブック2024」
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【ページ内目次】
特集1 シノダリティの教会――シノドスを知るために
特集2 ワールドユースデーリスボン大会現地リポート

特集1 シノダリティの教会――シノドスを知るために   弘田しずえ

【出版部より】 
 「ともに歩む教会のため―交わり、参加、そして宣教」をテーマに2021年から始まった第16回シノドスの道のりは、この書籍が刊行されるころには第1回通常総会を終え、2024年10月に開かれる第2回通常総会を残すのみとなっています。
 本特集では、今回のシノドスについてあらためて理解を深めるため、日本からの通常総会の参加メンバーである弘田しずえ修道女(ベリス・メルセス宣教修道女会)に解説をご寄稿いただきました。
 なお、14ページ以降掲載の資料は、出版部が付加したもので、教皇の説教は今回新たに訳出したものです。これまでに発表されたその他の文書、資料などを参照するには、カトリック中央協議会ウェブサイトのシノドス特集ページをご覧ください。
 (https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/holyyear/synod2023/

 シノドスの歴史
 バチカンのシノドス事務局のウェブサイトは、シノドスの歴史について、次のように説明しています。

 シノドスという言葉は、教会の伝統の中に深く根ざしています。συν(ともに)とόδός(道)という2つの部分からなるギリシャ語を合わせると、道をともに歩むという意味になります。イエスは、弟子たちとともに道を歩きながら、しばしば教えられましたが、この概念は最初のキリスト教徒に深く根付き、彼らは「道に従う者」として知られるようになったのです。エマオに向かう弟子たちの物語は、イエスがどのように彼の弟子たちとともに歩み続けたかを示す良い例でしょう。2人の弟子が、メシアだと思っていた人物の死を悲しみ、失望し、エルサレムの弟子たちの共同体に背を向けて、道を歩んでいますが、復活の主ご自身が彼らとともに歩き始めます。イエスは彼らに自分たちの物語を語り、彼らの悲しみと幻滅を分かち合うように頼みます。そしてイエスは彼らのために神の言葉を開き、「すべての聖書の中で自分自身について言われていることを彼らに」説明します。その後、3人が一緒に夕食を食べているとき、イエスは「パンを取り、感謝をささげ、それを裂き、彼らに与え始められた」。その時、弟子たちは「道すがら」同行したのがだれかを知るのです(ルカ24・13-35)。

 この2人の弟子に起こったことは、主に従う者たちが進むべき道についての指針が必要とされるたびに繰り返されるようになりました。初代教会では、異教徒の改宗者がバプテスマを受ける前に割礼を受けなければならないかを決めなければならなかったとき、「使徒と長老たち」(キリスト教共同体の指導者たち)が集まり話し合いが持たれました。この時、ペトロとヤコブは、神が異邦人を神の救いの計画に含めるように啓示されたことを兄弟たちに思い出させ、そして彼らはともに決断を下し、道を見出しました(使徒言行録15・1-35)。
 このように、「シノダリティは、教会がその使徒的起源とカトリック的召命に創造的に忠実であることを保証し、その受肉として最初から現れています」(教皇庁国際神学委員会『教会の生活と使命におけるシノダリティ』24)。
 シノダリティの理解は、教会が、主の地上での現存をその構成員のだれもが経験したことのない時代に入ると発展を続けました。
 2世紀、アンティオキアのイグナチオは、仲間のキリスト者を「旅の仲間」と呼び、複数の教父たちは、この「旅の仲間」たちが、教会のために地元の司教の周りに集まるとき、最も緊密に結ばれていることを教会がすでに認識していたと証言しています。
 ナザレのイエスは、ともに歩む共同体の運動を立ち上げました。すべての人を無条件に愛する御父を告げ知らせ、一人ひとりが互いに兄弟姉妹であることを生きる共同体が最初の教会(使徒言行録2章)で、現在のような位階制の組織は、4世紀以降キリスト教がローマ帝国の国教となってから作られたのです。
 その後の歴史においてシノドスは、特に東方教会において教会会議を指すものとして存在し続けました。

 20世紀のシノドスとシノダリティについてのシノドス
 教皇パウロ六世は、第二バチカン公会議を受けて、1965年にシノドスを設立しました。このシノドスは、日本語では「世界代表司教会議」と訳されていますが(カトリック中央協議会ウェブサイト)、特定の地域あるいは課題を扱うために2~4年ごとに開催され、最終文書を発表する教皇の諮問機関として存在してきました。今回2023年、2024年に開催されるシノダリティについてのシノドスは、第16回シノドスとなりますが、今までのシノドスとは、全く違った内容、組織、プロセスで進行中です。
 シノドス事務局のウェブサイトは、シノダリティについて次のように述べています。

 シノダリティとは、教会の生活と宣教使命を表す特別なあり方を意味し、福音をのべ伝えるために聖霊の力によって主イエスによって召集され、ともに旅し、集う神の民としての教会の本質を表現しています。シノダリティは、教会の通常の生き方、働き方の中で表現され、生きられるものです。シノダリティとは、この観点から言えば、教会会議や司教会議の開催、あるいは教会内の単純な管理以上のものであり、神の民である教会の固有の生活様式と活動様式であり、それは、教会のすべての構成員がともに旅し、集い、福音宣教に積極的に参加するときに、交わりとしての教会の存在を明らかにし、その実体を与えるものなのです。

 つまり、このシノドスは、21世紀の教会に、ナザレのイエスが創立した教会として本来の姿とあり方を取り戻す営みとも言えるでしょう。教会は、シノドス―ともに歩む教会―でなければ、教会ではないのです。シノドスの歩みが教会の歩みであるならば、シノドスは一時の間ローマで開催される会議なのではなく、教会全体が、そのあらゆるレベルで生きるように招かれるものなのです。
 つまり、小教区のレベルから、教区そして地域、大陸、また修道会や多様な組織、さらにカトリック教会を超えるネットワークなどが参加し、つながり合う動き、流れとしてのあり方です。

 2023−2024シノドスのプロセス
 これまでのシノドスは、「討議要綱」(Instrumentum Laboris)と呼ばれる最終文書のたたき台に基づき、すべての参加者が、決められた数分間で意見を述べ、最後に各提案の是非について投票し、その文書が教皇に提出され、その後教皇が使徒的勧告を発表するというプロセスでした。
 パウロ六世がシノドスを復活させた背景には、すべての司教が、教皇とともに、教皇の指導下において、ともにグローバルな教会を牧する「司教の協働性」(collegiality)を発揮する場の実現という意味があったのです。
 ただ、シノドスで合議された内容を伝える最終文書が発表されたのは1971年のシノドスの「世界の正義」が最後で、それ以降のシノドスでは、最終文書は発表されることなく、そのまま教皇に提出されるようになりました。シノドスの最終文書が発表されるようになったのは、2014年以降、教皇フランシスコのシノドスになってからです。
 シノダリティのシノドスは、教皇フランシスコが、「司教のシノドスではなく、神の民のシノドス」であると言われたように、2020年にその開催が発表されたときから、まったく新しいプロセスで進められてきました。
 このシノドスが、真に神の民の歩みとなるように、小教区から教区、地域、大陸レベル、修道会、運動体、組織などが、シノドスの歩み:交わり、参加、宣教というテーマについて、どのようにともに歩んでいるか、このテーマに沿った営みにおける聖霊の招きは何かなど10の質問に答えるプロセスが、2021年に全世界において始まりました。制度的な教会には加わることのない人をもシノドスの歩みに取り込もうとして始められた動きである「デジタル・シノドス」には2千万人が参加し、その30%はカトリックの洗礼を受けていない人たちでした。
 こうした歩みを経て、112の司教協議会(世界には114の司教協議会がある)、男子女子修道会総長連盟、国際的なカトリック運動体などからの回答のまとめが、大陸別シノドス会議の作業文書として発表されました。

 「あなたの天幕に場所を広く取りなさい」
 全世界の神の民の思い、望み、祈りの結実として、この作業文書は、教会の中で苦しんでいる人々の叫びを確実に反映するものでした。
 教会で常に活動しているのは女性であり、日常的に教会活動に参加し、実際に動かしているのは女性であるにもかかわらず、決定には参加せず発言も自由にできない現実が明らかになり、さらに肩身の狭い思いをしている人々、障害を持っている人々、LGBTQ+、再婚した結果聖体拝領のできない人々などの存在が、初めて教会の公式文書に課題として取り上げられたのです。
 「あなたの天幕に場所を広く取りなさい」という名のこの作業文書は、21世紀の教会が、だれも排除せず、無視することのないラディカルに包摂的な教会となるように招かれていることを示し、ナザレのイエスが始められた素朴で深い運動としての教会を取り戻す招きとなったのです。これについては、シノドスのウェブサイトが述べている言葉が参考になるでしょう。

 私たちは、シノドスの目的が文書を作成することではなく、夢を植え、預言とビジョンを引き出し、希望を花開かせ、信頼を鼓舞し、傷を癒し、人間関係を織り成し、希望の夜明けを目覚めさせ、互いに学び合い、心を啓発し、心を温め、私たちの手に力を与えるような明るい豊かさを生み出すことであることを思い起こします。

 この文書を受けて、アジア、ヨーロッパ、北米、中南米、アフリカ、中東、オセアニアで大陸別シノドスが開催されました。司教、司祭、修道者、信徒が参加し、シノドスの主役は聖霊であることを意識しながら、まずは聴き合い、そして深め、祈り、識別する歩みを分かち合いました。
 シノドスの方法は、最初、「霊的会話」として示されていましたが、準備委員会を進めていくプロセスにおいて、「聖霊における話し合い」という表現に変わっていきました。
 この変化は、シノドスが体験するものであることを示しています。シノドスを理解するためには、頭で考えるのではなく、実際に生きて納得する営みであることを感じる必要があります。

 神の民の歩み
 2021年シスター・ナタリー・ベクアがシノドス事務局の次長として任命され、シノドスで投票権を持つ最初の女性となったことが、大ニュースとして報道されましたが、2023年教皇フランシスコは、シノドスに参加する全員が女性を含めて投票権を持つと発表しました。
 シノドスには、司教団から推薦された人々と教皇フランシスコが任命した120名のほかに、東方教会の代表、教皇庁部署、カトリック以外のキリスト教教会からの代表が参加します。シノドス事務局は、女性と若者の参加を重視し、最終的に教皇が承認する参加者リストの作成に苦労したようです。
 10月4日から始まるシノドスの「聖霊における話し合い」に同伴する討議要項は、従来の文書とは全く異なり、それまでの歩みから吸い上げた多くの課題についての問いかけとして発表されました。
 シノドス事務局の長であるマリオ・グレッチ枢機卿は、この文書について次のように述べています。

 討議要項は、教皇庁の文書ではなく、教会全体の文書です。机上で書かれた文書ではなく、聖霊に従い、教会において自分が果たすべき役割のために、すべての人が共著者となる文書なのです。この文書は、シノダリティに関する理論的で体系的な説明ではなく、私たち全員がともに歩み、この経験の意味について自問自答しながら、より多くのことを学んできた旅の成果であり、教会での経験の結晶なのです。それは、神の聖なる民の声であり、司牧者たちの参加によって教会的な識別を確実なものにしてきた声であり、教皇の声でもあるのです。討議要項はまた、神の民全体にとって、始まった旅を続ける機会であり、これまで関わってこなかった人々を巻き込む機会ともなるでしょう。

 討議要項は2部からなり、第1部はシノドスの歩みについての説明、第2部はシノドスのテーマである「交わり、参加、宣教」について、それぞれ5つの質問を明記するワークシートの形をとっています。
 シノドスにおいては、これらの質問について言語別のグループの話し合いがなされるわけですが、会場は今までのシノドス会議場ではなく、教皇謁見のために使われてきたパウロ六世ホールになり、そこに円テーブルが設置され、全体会議とグループの話し合いが、移動することなくできるセッティングとなります。
 これまでは、シノドス会議場で前列から枢機卿、大司教、司教が並ぶという、教会の位階制そのものが感じられるあり方であったことを考えると、あり方そのものがシノダリティについてのシノドスを体験できる新しさを備えていると思います。
 2023年8月にポルトガルで開催されたワールド・ユース・デーで、教皇フランシスコが、教会はすべての人に向かって開いていると強調され、スペイン語で「todos, todos, todos」(皆、皆、皆)と叫ばれたことが報道されています。第16回シノドスが、だれも排除しない皆の教会として、違いを受け入れ、対立が分裂とはならずに、真に包摂の共同体となる歩みとなるように祈りましょう。


【資料1】

シノドスの歩みの始まりを告げるミサでの教皇フランシスコの説教
サンピエトロ大聖堂、2021年10月10日(日)

 イエスが「旅に出ようとされると」(マルコ10・17)、ある金持ちがやって来た――。福音書は、「旅にある」イエスの姿を随所に描いています。旅にあってイエスは、人間の歩みに寄り添い、人の心から離れずそれをかき乱す問いに耳を傾けてくださいます。このようにしてイエスは、神は現実から遠く離れた、汚れとは無縁の安穏な地に住まわれているのではなく、わたしたちと歩みをともにし、わたしたちがいる場所に、でこぼこしていたりもする人生の道にまで来てくださるのだと、明かしておられます。今日、このシノドスの歩みを始めるにあたり、皆――教皇、司教、司祭、男女修道者、信徒の兄弟姉妹――で、自らに問うことから始めましょう。わたしたちキリスト教共同体は、歴史を歩み、人類の紆余曲折をともにしておられる神の流儀を具現化しているだろうか。旅という冒険に乗り出そうとしているだろうか。それとも、未知なるものを恐れて、「不要なことだ」とか「いつもこうだった」といった言い訳に、逃げようとはしていないだろうか。
 シノドスとは、同じ道を歩む、ともに歩むということです。道にあって、まず金持ちの男に出会い、その問いに耳を傾け、最後に、永遠のいのちを受け継ぐには何をすればよいかを識別するための助言を与えられた、イエスの姿に目を向けてみましょう。出会う、聞く、識別する――シノドスを特徴づける、この三つの動詞に着目したいと思います。
 出会う。福音は一つの出会いを語ることから始まります。男がイエスに会いに行き、その前にひざまずいて、人生を決するような質問をします。「よい先生、永遠のいのちを受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(17節)。このような重い問いに対するにあたっては、注意力、かけるべき時間、相手と向き合うことへの意欲、その人を悩ませていることをじっくりと問う姿勢が求められます。実際、主にそっけない態度はなく、イライラしたり迷惑がったりもせず、相手とともに立ち止まっておられます。出会いにご自分を開いておられます。主が無関心であるものは何一つなく、すべてに心を動かされます。顔を合わせ、目を見交わし、一人ひとりの人生を分かち合ってくださいます。それがイエスの近しさです。イエスは、一つの出会いが人の人生を変えうることをご存じです。福音書は、人を救い出し、いやしてくださるイエスとの出会いに満ちています。イエスは急いたりはせず、その人との話をさっさと終わらせようとして時計を見るようなこともなさいませんでした。出会った人の話にいつも耳を傾けようとしてくださいます。
 この旅を始めるわたしたちも、出会いの技術のエキスパートとなるよう求められています。それは、イベントを企画したり、問題に論理的考察を加えたりするエキスパートではなく、まず何よりも、主と会い、わたしたちの間の交わりをはぐくむために時間を取るエキスパートです。祈りのため、礼拝のための時間を取ること――わたしたちがあまりにもおろそかにしているこの祈り、すなわち礼拝、礼拝の時間を取ること――、聖霊が教会に告げることを聞くために時間を取ることです。相手の顔とことばに向き合い、親しく交わり、兄弟姉妹の問いに心動かされ、カリスマ、召命、聖務の多様性によって豊かになる助けを得るために、時間を取ることです。あらゆる出会いは、開かれた態度、勇気、相手の様相や経歴に向き合う覚悟を求めていることはお分かりでしょう。時にわたしたちは、形ばかりの関係に身を隠したり、聖職者だ、上品な人間だといったポーズを取ることがありますが――そのときわたしたちは、神父さんではなく、ムッシュー・ラベ(訳注:聖職者に対するフランス語の敬称で、堅苦しい表現)を自称しています――、出会いがわたしたちを変え、思いもよらなかった新たな道を示してくれることはたびたびあるのです。本日のお告げの祈りの後、路上生活者のすてきな一団をお迎えします。彼らは、彼らの話を聞く、それだけでもできたらと彼らのもとを訪れた人たちがいたから、ただそれだけでここに集まって来られるのです。話を聞いてもらうことで、一歩を踏み出せたのです。聞くこと。それによってこそ、神はわたしたちに行くべき道を何度も示してくださるのです。面倒がることから抜け出させてくださるのです。神と真に出会い、人々と真に交わることができれば、すべてが変わるのです。形式的でも、表面的でも、欺瞞的でもなく会うならばです。
 第二の動詞は、聞く、です。聞くことなしに真の出会いは果たせません。まさしくイエスは、その男の問いに、宗教的、実存的な焦燥に耳を傾けています。型どおりの返答をしたり、出来合いの解決策を示したり、面倒を避けて自分の道を行くための、おためごかしな態度で応じたりはなさいません。ひたすら聞いてくださいます。求められるだけ時間をたっぷり割き、急いたりはなさいません。そして、もっとも重要なことですが、イエスは耳で聞くだけでなく、心で聞くことにもおじけずいたりはしないのです。事実イエスの応答は、金持ちの男の質問に回答するだけでなく、その人が自らの来歴を物語ることを、自分自身について自由に語ることを促しているのです。キリストが彼に戒律を思い起こさせると、彼は子どものころのことを話し始め、自分の信仰の道のりを、神を追い求める努力をどのようにしてきたかを、分かち合い始めました。心で聞くと、こうしたことが起きるのです。相手は、受け入れられている、とやかくいわれたりはしないと感じ、自分の来歴や霊的道のりを心安く話す気になるのです。
 このシノドスの道のりにおいて、真摯にわたしたち自身に問うてみましょう。どのように耳を傾けているのか。心の「聴覚」はどうなっているのか。人々が、自らを表現することができ、困難な道であろうとも信仰をもって歩み、共同体の生活に貢献できるよう、それを妨げたり、拒んだり、よしあしを断じたりはしていないだろうか。シノドスを行うことは、人となったみことばが歩まれたのと同じ道に自らを置くことです。そのかたの跡をたどり、他者のことばを聞くとともに、みことばに耳を傾けることです。聖霊がつねに思いもよらないしかたで吹き、新しい道と語法とを示してくださるのを、驚きをもって見いだすことです。司教、司祭、修道者、信徒、洗礼を受けたすべての人が、杓子定規で表面的な答えは避け、「既製の」回答をするのではなく、互いの話を聞くよう学ぶことであり、歩みの遅い、苦労を伴うはずの訓練です。聖霊はわたしたちに、あらゆる教会、あらゆる人々、あらゆる国の、問い、苦悩、期待に耳を傾けるよう求めておられます。さらには、世界の声、わたしたちに突きつけられる課題や変化にも、耳を傾けるよう求めておられます。心の耳をふさがないようにしましょう。自らの信念の内に閉じこもらないようにしましょう。信念によって自らを閉ざしてしまうことはよくあるのです。互いに耳を傾け合いましょう。
 最後は、識別する、です。会って互いに話を聞くということは、ただそれだけで完結して、物事はそのままであることではありません。それどころか、対話を始めれば、論じ合うことになり、旅となり、そしてついには、それまでとは同じではない、違う自分になっているのです。今日の福音(訳注:マルコ10・17-30)はそのことを示しています。イエスは、ご自分の前にいる男が善良で信心深く、戒めを守っていることは察していますが、戒律の遵守以上のことへと導こうとしておられます。対話の中でイエスは、男の識別に手を貸します。イエスは彼に、ご自分がその人に注いだまなざしが示す愛の光に照らして、自らの内面を見つめるよう教えておられます(21節参照)。それは、その光の中で、自分の心が本当に執着しているものは何であるのかを識別するということです。そして男は、自分にとってのよい行いとは、さらなる宗教的規律の実践ではなく、むしろ自分自身を空にすること、つまり、神が働かれる場を作るために、心を占めているものを売り払うことなのだと気づきました。
 これは、わたしたちにとっても大切な導きです。シノドスは霊的な識別の旅です。礼拝、祈り、神のことばに触れることによってなされる、教会の識別です。本日の第二朗読では、神のことばについてこう述べられています。「神のことばは生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」(ヘブライ4・12)。みことばは、わたしたちを識別へと導き、道を照らしてくださいます。みことばはシノドスを、教会「大会」でも、研究発表でも、政治集会でも議会でもなく、恵みの出来事、聖霊に導かれるいやしの道程になるよう導いてくださいます。福音に登場する金持ちの男に対して望まれたように、この数日来のイエスはわたしたちに呼びかけておられます。自分を空にしなさい、世俗的なものから脱却しなさい、さらには、自分たちの閉鎖性や、使い古された司牧モデルからも脱却しなさいと。そして、この時代にあって、神はわたしたちに何を伝えようとなさっておられるのか、わたしたちをどこに導こうとなさっておられるのかを、自問するよう望んでおられます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ともによい旅を歩みましょう。福音を愛し、聖霊の働きに驚くことのできる旅人となれますように。出会う恵み、互いに聞く恵み、識別する恵みの機会を逸することがありませんように。わたしたちが主を尋ね求めるときにはいつも、愛をもって先に主のほうから会いに来てくださる――、それを知る喜びのうちに。


【資料2】

2021~2024年 シノドスの道のり


 歩みの始まり
 2021年10月9日、バチカンの新シノドスホールにおいて、シノドスについての「考察の集い」が開かれ、各国司教協議会や団体の代表、ローマ教皇庁の職員、奉献生活の会、使徒的生活の会の代表などが出席しました。
 翌10日、バチカンのサンピエトロ大聖堂において、教皇フランシスコの司式により、シノドスの歩みの始まりを告げるミサが行われました。

 1 教区ステージ
 教区ステージのための「準備文書」と「手引書(vademecum)」は、2021年9月に教皇庁シノドス事務局から発表されました。
 コロナ禍の困難がある中、オンラインでのミーティングも活用しつつ、日本の各教区でも意見収集が行われました。そして、2022年7月19~21日に開かれた臨時司教総会での承認を経て、8月15日付で日本の教会の回答書が作成され、事務局に提出されました。なお、当初4月末だった提出期限は、その後8月15日まで延長されていました。

 2 大陸ステージ
 シノドス事務局は、2022年10月24日付で「『あなたの天幕に場所を広く取りなさい』――大陸ステージのための作業文書」を発表しました。この文書を受けて日本の各教区では、分かち合いと意見交換が行われました。日本の司教協議会は、その内容をまとめたレポートを2023年1月12日付で作成し、アジアの大陸ステージの主催者となるFABC(アジア司教協議会連盟)中央委員会に送付しました。

 FABCによる「シノダリティに関するアジア大陸総会」は、2023年2月23~27日にタイのバンコクで開催されました。日本からは菊地功東京大司教、髙山徹師(高松教区、若手司祭の一人として)、辻明美氏(JLMM事務局、女性信徒の一人として)が、さらにはアジア大陸別ステージ実行委員・文書作成チームメンバーの東アジア地域の代表として、セルヴィ・エヴァンジェリー(教会法の用語を用いれば「私的会」[第299条第2項]に分類される、いわゆる修道会や宣教会とは異なりながらも、教会の認可を受けた宣教の会)会員の奉献生活者、西村桃子氏が参加しました。
 この総会の最終文書は2023年3月16日付でまとめられ、バチカンに送られました。

 3 バチカンでのシノドス総会
 教皇フランシスコは2022年10月16日のお告げの祈りの後に、第16回シノドス通常総会の日程について、当初予定していた2023年10月4~29日という会期に加えて、翌2024年の10月にも2回目の総会を開くとの決定を発表しました。これは、聖霊の求めを識別する過程を急いてはならないという、教皇の強い願いの表れとして理解されるものです。
 第1回総会のための「討議要綱(Instrumentum laboris)」は、2023年6月20日にシノドス事務総長のマリオ・グレッチ枢機卿が記者会見を行い発表されました。この文書の後半はワークシートになっており、「シノダリティの教会」とはどのようなものなのかという識別のための具体的な問いが列挙されています。
 総会の参加メンバーは7月7日付でバチカンから発表されました。
 メンバーの一覧表は当然、議長である教皇フランシスコの名から始まり、次に事務総長としてグレッチ枢機卿の名が挙げられ、そして9名の議長代理の名が連なっています。
 この9名は、コプト典礼カトリック教会のイブラヒム・セドラク総主教を筆頭に、1名の枢機卿(メキシコ大司教)、2名の大司教(エクアドル、オーストラリア)、2名の司教(米国、モザンビーク)、1名の司祭(イタリア)、1名の修道女(メキシコ)、そして最後が日本の西村桃子氏という構成になっています。東京教区のウェブサイトに掲載されているメッセージ(7月18日付)で菊地大司教は、これまではすべて枢機卿が務めていたこの役割への西村さんの任命を、「歴史的快挙」だとたたえています。
 長くアルゼンチンで会の活動に携わり、スペイン語に堪能で、教皇フランシスコの回勅『兄弟の皆さん』の日本語訳も手掛けた西村さんは、シノドス事務局作成の資料に寄せたことばで、任命を光栄に思いつつも自分には分不相応な役割だと謙虚に述べるとともに、聞くこと、識別することにおいて、仲間の助けと聖霊の導きを信じている、と語っています。そして「教皇とマテ茶を飲むのを楽しみにしています」とのことばを添えています。
 さらに日本からの参加メンバーとしては、各国司教協議会の代表に菊地大司教・日本カトリック司教協議会会長が、「専門家およびファシリテーター」に弘田しずえ修道女が名を連ねています。また、総書記であるルクセンブルク大司教のジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿(イエズス会)は、20年以上を日本で過ごし、上智大学では副学長も務めた、日本とはとても縁の深いかたです。

 特集冒頭にも書いたとおり、本書発刊時には1回目の総会はすでに終了しています。多くの実りがもたらされるであろうこの会議の模様については、カトリック新聞や中央協議会のウェブサイトにて随時報告されます。引き続きそちらにご注目ください。


特集2 ワールドユースデーリスボン大会現地リポート   平田沙美

【出版部より】 
  本特集は、ワールドユースデーリスボン大会の現地の熱気を参加者自身に伝えてもらいたく、司教協議会青少年司牧部門秘書の松村繁彦師の紹介を受け、日生中央教会(大阪高松教区)所属の大学生、平田沙美さんにご寄稿いただいたものです(写真も筆者提供)。後に続く多くの若者にとっての参考になればと願っています。

 7月25日(火) 出国
 午後6時半を過ぎて羽田空港に到着し、忘れ物がないか確認しながら大阪教区(出版部注:当時。以下同)の友人の待つ場所に向かいました。空港に近づくにつれて緊張が高まりましたが、友人の顔を見た途端、その緊張がほどけていくのを感じました。しかし安堵も束の間、あっという間に7時前となり、急いで集合場所に移動しました。
 カウンター前には、私たちと同じように大きなバックパックを背負った若者約40人が集まり、神父様やシスターも一緒にいました。この珍しい光景を見て、思わず友人に「すごいな」とつぶやきました。参加者の到着が確認され、搭乗手続きの説明がありました。説明は簡潔に行われ、順にチェックインカウンター、保安検査、出国審査へと進みました。
 空港では基本的に大阪教区のメンバーと一緒に行動しましたが、待ち時間中に前後の教区の仲間とも会話する機会がありました。名前や教区、事前に割り当てられた基本行動グループについて互いに話しました。最初は緊張が漂っていましたが、一度声をかけてみると、空気が和らぎました。この旅でこれからもこうしたことを何度も経験するのだろうと思いました。
 午後9時55分、飛行機は離陸しました。私の隣には、同じ大阪教区の男性が座り、反対側には仙台教区からの女性が座りました。すでに自己紹介には慣れていたため、ぎこちなさもなく会話が弾みました。

 7月26日(水) ポルト到着
 機内で朝食を済ませ、午前5時すぎにイスタンブール空港に到着しました。約3時間半のトランジットを過ごした末、ポルト空港へと飛び立ちました。
 11時すぎにポルトに着き、入国審査を素早く終え、手荷物受取所まで行きました。喉が渇いたので、自動販売機で飲み物を買うことにしました。すると、ワールドユースデーのロゴが印字されたペットボトルが出てきました。また、周囲にはワールドユースデー参加者らしき若者や司祭、司教、ブラザー、シスターが多数。その瞬間、本当にワールドユースデーに参加しているとの実感がわきました。
 荷物を持って到着ロビーに向かい、そこで西村さん(事務局)とアライツさん(看護師)に笑顔で出迎えられました。
 バスに乗りコインブラへと向かい、午後3時にセーラス修道院に到着。石畳の坂を荷物を抱えて歩き始めました。ポルトガルの暑さと坂の多さに少し疲れを感じました。修道院の近くでボランティアの人が肉入りサンドイッチとスープを提供してくださり、ナップサックに名札などを入れてくれました。
 午後4時半ごろ、急きょ行われた霧島神父様のミサに参加。遅れてきた私でしたが、忘れられないミサとなりました。初対面の人たちがいましたが、皆が共通の目的で集まっているので、一体感を感じました。
 ミサ後、再び荷物を抱え、約30分かけてサント・アントーニオ・ドス・オリヴァイス教会に向かいました。午後6時ごろ、開会式が行われ、日本人だけでなく他国の参加者とも共に歌い、踊りました。
 その後、ホストファミリーが紹介されました。私のホストファミリーは母親と2人の姉妹(19歳と17歳)からなる3人家族で、他にも日本人とポーランド人の姉妹が受け入れられました。その晩は、ホストファミリーが用意してくれた夕食を共にし、コインブラ初日を無事に過ごすことができました。

 7月27日(木) コインブラ1日目
 朝9時に聖アントニオ教会に集合でしたが、8時半にバイキング形式の朝食が始まりました。しかし、ホストファミリーは「大丈夫、大丈夫」と笑顔で言い、9時を過ぎてものんびりと食事を楽しんでいました。時間を厳守する日本人にはとまどってしまう状況でしたが、ファミリーは「ポルトガルではこんな感じよ」と笑っていました。結局、9時15分ごろに出発し、歩いて10分ほどで教会に到着しました。
 10時から各アクティビティが始まりました。事前に選択したアクティビティに基づいてグループ分けがされていました。私は午前中は聖アントニオ教会のツアーに参加し、午後からはペイントのアクティビティに参加しました。
 ツアーでは、聖アントニオ教会とセーラス修道院を訪れました。教会の壁には聖アントニオの生涯を描いた絵画が掛けられていて、その周囲は金やアズレージョ(タイル)で美しく飾られていました。今自分たちは800年前に聖アントニオが立った場所に立ち、彼が見た風景を見ているのだと解説するアナウンスが流れ、大きな関心を抱きました。
 昼食は大学のカフェテリアで取り、午後2時から次のアクティビティが始まりました。このアクティビティは2日間かけて大きな絵を完成させるものでした。一つの作品を完成させるため、黙々とそこに集まったみんなと協力しました。
 最後に、6時からカテケージスが行われました。3つのテーマが提供され、各自が興味のあるものを選びました。私は「わたしの人生の夢――聖アントニオ」というテーマに参加し、聖アントニオの人生について知り、またお話ししてくださった修道士の人生についても知ることができました。カテケージスの締めの言葉で修道士は「神様は曲がった道でまっすぐな道を作る」といい、それが心に響きました。

 7月28日(金) コインブラ2日目
 今日も9時集合の予定でしたが、実際には9時半ごろに聖アントニオ教会に到着しました。私はトレッキングに参加することになり、偶然にも前日のツアーで一緒に行動したブラジル人と同じグループだったため、とても嬉しかったです。山道を約3時間かけて登りました。途中、きつい場面もありましたが、晴れ渡る青空の下を歩くのは気持ちがよく、良い汗を流すことができました。また、他国の参加者と会話したり、ロザリオを唱えたり、歌を歌ったりもでき、充実した時間が過ごせました。
 午後1時前にやっとモンテゴ川に到着しました。既に着いているグループもあり、食事を楽しんでいる人や川で遊ぶ人、川辺で寝そべっている人などが見られました。提供されたランチパックを食べながら、神父様やシスター、そして他の日本巡礼団のメンバーと交流しました。同じ日本人巡礼者として、共感できることが多く、今まであまり話す機会のなかった信仰についても話すことができ、打ち明けられる雰囲気がありました。
 約3時間川で楽しんだ後、ボランティアの方々に聖アントニオ教会まで車で送っていただきました。そして、5時半から行われる日本巡礼団の決断式に参加するため、徒歩でセーラス修道院に向かいました。修道院では日本巡礼団のメンバーが初めて一堂に会し、テーマソング「Há Pressa no Ar」を歌ったり、聖書の言葉を聞いたり、お祈りを捧げたりしました。初めて会う人も多かったのですが、基本行動グループに分かれて自己紹介することで、すぐに打ち解けました。
 その夜は、9時半から聖アントニオ教会で徹夜の祈りが行われました。長い一日のスケジュールに疲れていましたが、静かな夜に流れる優しい歌声と微かなろうそくの明かりに包まれ、疲れも癒えました。

 7月29日(土) コインブラ3日目
 9時にセーラス修道院に集まり、RiseUP(出版部注:青年が自分たちで考え、耳を傾け合い、分かち合うというかたちのカテケージス)の準備とファミリーフェスティバルでの出し物の練習を行いました。今回のRiseUPは、3つの管区がそれぞれ1日ずつ担当することになっており、大阪管区には2日目の「社会的友愛」というテーマが任されました。今回は、巡礼者自身が導入から分かち合いの内容までを考えなければならず、創造性が試されましたが、有意義な話し合いができました。話し合いの後、ファミリーフェスティバルで披露するソーラン節の練習で汗を流してから、食堂に向かいました。
 午後2時ごろ、日本の国旗を掲げながら、ユースフェスティバルが行われるカンサオ広場に移動しました。そこには、コインブラ周辺から世界中の若者が集まっていました。そのため、広場に近づくにつれて新たな国旗がいくつも見られ、人の数も急増しました。
 広場では、大声で歌っている人や円を描いて踊っている人、取材したりカメラを回したりするスタッフなどが見られ、お祭りの雰囲気に包まれて賑やかでした。6時からミサまでの間に、日本から持参した土産を交換したり、写真を撮ったり、世界中の若者と交流しました。
 そして、6時になり、2万人規模のミサが始まりました。祭りの雰囲気が一転して静けさに変わりました。世界中の若いカトリック信者たちが熱心に信仰する姿に驚き、ここに集まることへの感謝の気持ちを祈りに込めました。
 ミサの後、提供された食事を取り、昼間よりもさらに盛り上がるフェスティバルが再開しました。夜遅くまで歌い踊り、ホストファミリーが迎えに来てくれるまで楽しみました。
 シャワーを浴びてからすぐに寝るつもりでしたが、ホストシスターたちが紅茶を淹れてくれたので、つい飲んでしまいました。その結果、気づけば朝の3時まで話し込んでいました。この日も非常に充実した一日でした。

 7月30日(日) コインブラ最終日
 この日はファミリーと過ごす時間でした。ブランチを取った後に、買い物や観光を楽しむことにしました。ホストマザーは私たちがユースフェスティバルで疲れていることを心配してくれ、テレビ中継のミサを見せてくれました。
 午後1時ごろ、ホストマザーが車で2回に分けてカンサオ広場近くのフェレイラボルジュエ通りまで送ってくれました。そこにはコインブラのお土産店が並んでおり、ホストファミリーからおすすめの店やお得な品物を教えてもらいながら、買い物を楽しみました。
 ケーブル・コスタスという坂道を上ると、コインブラの旧大聖堂がありました。通常は有料ですが、ワールドユースデーの参加者は無料で入場することができました。ホストシスターも初めて訪れる場所だったので、みんな興奮していました。中に入ると、厳かな雰囲気がただよい、聖歌が響き、壁や天井の金色とステンドグラスが輝いていました。言葉が出ないくらい美しく、神様の偉大さを感じました。
 夕方6時半から、聖アントニオ教会周辺でファミリーフェスティバルが始まる予定だったので、ホストマザーに送ってもらいました。日本人が第一発表者として登壇しました。ソーラン節で大いに盛り上がり、他国の歌や踊りにも楽しく参加でき、コインブラでの素晴らしい時を締めくくりました。
 帰宅後、荷造りをしてからホストファミリーと一緒に写真を撮り、おしゃべりしました。時間があっという間に過ぎてしまい、「もっと一緒にいたい」という思いしかありませんでした。短い期間でしたが、私たちを実の家族のように受け入れてくれ、かけがえのない存在となりました。

ホストファミリーとの最後の夜

 7月31日(月) ファティマ
 朝7時半にホストシスター、8時半にポーランド人姉妹、そして9時半に私たち日本人が家を出発しました。ホストマザーは私たちを集合場所まで送ってくれ、別れ際に「I love you」と告げてくれたので、涙がこぼれました。
 バスに乗り込み、ファティマへ向かいました。外の景色を楽しみながらの、約2時間のバスの旅でした。
 ここからは基本行動グループに分かれて行動することになりました。私が事前に振り分けられていたのはAグループでした。

ファティマ巡礼にて

 ファティマ大聖堂に近づくと、スピーカーから聖歌が流れ、さまざまな国旗を掲げた巡礼者が集まっていました。
 広い敷地内を歩き、聖母マリアが現れたとされる場所に向かいました。神父様が少し時間を割いてくださり、各自が個別に祈りを捧げました。周囲のざわめきやスピーカーからの歌声が次第に静まっていくのを感じました。素直な気持ちでマリア様に祈ることができ、祈り終えてもその場を離れずに静かに黙想しました。
 午後4時にバスに戻り、ついにリスボンへの旅が始まりました。7時に私たちの宿となる学校に到着し、ワールドユースデー参加者用のアイテムを受け取りました。そこには、冷水のみのシャワーや鍵のないトイレ、限られたコンセントなど、ホームステイとはまったく異なる環境が私たちを待っていました。

 8月1日(火) リスボン1日目
 朝食が提供され、9時になって日本巡礼団が集まりました。その後、近くの広場に移動し、管区ごとにRiseUPの最終確認を行いました。ミサ曲や侍者の役割などの詳細も詰め、ミーティングを終えました。
 時計が10時を指し、Aグループの自由行動の時間が始まりました。海が見えるほうへと足を運び、そこで記念写真を撮影しました。その後、昼食を取りに向かいました。前日には各自にIDカードが配布されており、そのカードに記載されているQRコードを利用して昼食を取ることにしました。1時間程度かかってしまいましたが、交代で並ぶなど協力して、無事食事を終えました。
 その後、聖マグダラのマリア教会を訪れました。教会内には、釘やいばらの冠、聖骸布に包まれたキリスト像が展示されており、キリストの受難がリアルに再現されていました。さらに、ジェロニモス修道院も訪れ、ここでもキリストの受難、復活、そして昇天の象徴的な意味が深く伝わってきました。
 時刻は3時を回り、疲労がピークに達したため、開会式が行われるエドゥアルド7世公園に向かい、ここで約2時間の休息を取ることとなりました。公園には、これまでとは比べ物にならないほど多くの人が集まっており、さまざまな国からの巡礼者との交流を広げることができました。
 そして、夕方7時からは何十万人もが集まる大規模な開会ミサが行われました。ここで仲間たちと共に歌い、祈り、有意義な時間を過ごしました。

開会ミサで友達になった各国からの参加者

 8月2日(水) リスボン2日目
 朝食の後、8時半に学校前に集合しました。そこから10分ほど歩いて、石畳の坂を登り、最寄りのアンジョス駅からテリアス駅まで移動しました。そして、その近くの「天の扉の聖母教会」に到着し、東京管区主催のRiseUPに参加しました。
 この第一回目のRiseUPでは、「インテグラルエコロジー」というテーマが取り上げられ、2人の巡礼者が発表を行いました。テーマは少し難解でしたが、説明が丁寧に行われたので少しずつ理解が深まったように思います。発表が終わると、参加者は小グループに分かれ、意見交換の時間を持ちました。自己紹介に時間が多く使われてしまい、意見を深める余裕はあまりありませんでしたが、それでも日本巡礼団以外のサレジオ会やイエズス会のメンバーとも出会い、多様な交流を通じて充実したひとときを過ごすことができました。分かち合い後には、成井司教様によるミサが行われました。
 昼からは、またグループでの自由行動が始まりました。近くのスーパーで昼食を取り、その後リベイラ市場へ向かうために電車に乗りました。市場では約2時間を過ごしました。お土産を購入したり、さまざまな食べ物を試食したり、または一休みしたりしました。
 この日はスケジュールに余裕を持たせ、明日の教皇様の歓迎式に向けて準備するために、早めにグループ行動を終了しました。

 8月3日(木) リスボン3日目
 この日のRiseUPは大阪管区の主催でした。午前8時に集合し、昨日と同じ教会を訪れました。テーマは「社会的友愛」で、丹生神学生による導入スピーチが行われた後、分かち合いの時間に移りました。昨日よりも少し時間に余裕を持たせ、一人ひとりが自身の社会的友愛の経験をどのように形にしてきたのか、また今後どのように他人に示すことができるのかといった話題に深く入り込んでいけるように努めました。私はこの話し合いで、社会的友愛は一つでもその示し方や行動に移す方法はさまざまであることを知りました。そして、そのような「愛」を他人に喜んで分け与えることがカトリック信者として求められるのだと改めて思いました。
 酒井司教様によるミサ後、本日もエドゥアルド7世公園へ向かい、教皇様の5時半の来場を待ちました。午後2時半ごろ、会場に到着しましたが、すでに人でごった返していて、動くのが難しい状態でした。前進しようと試み、教皇様の姿が見えそうな場所に向かいましたが、交通規制のため前に進むことができず、諦めてモニターの前に座り込むことにしました。
 教皇様が会場においでになると、一体感溢れる歓声が上がり、「esta es la juventud del papa!(私たちはパパ様の若者だ)」というチャントがあちこちから響き渡りました。日本人巡礼者も大きな声でこれに応え、その歓声は会場全体を包み込んでいました。
 教皇様は「一人ひとり名前で呼ばれ、わたしたちはそれに応えここに来た」と述べられ、その言葉は温かさに溢れていました。

 8月4日(金) リスボン4日目
 この日は最後のRiseUPが長崎管区によって開催されました。テーマは「いつくしみ」でした。分かち合いの時間を通じて、自分の人生が神様のいつくしみで満たされていることを考えました。一見すると偶然だとか当然のことと思われる出来事も、実は神様のいつくしみによって起こっているのだと感じ、感謝と喜びをもって他人とそのいつくしみを分かち合うことの大切さを考えました。この日にはゆるしの秘跡も行われる予定でしたが、私が順番を待っている最中にミサの時間になってしまい、後日に延期されることになりました。
 勝谷司教様によるミサが始まり、この3日間で神様と向き合い、若者同士で喜びを分かち合うことができたことを感じながら、いつも以上の声で聖歌を歌い、教会を賑わせました。
 この日には十字架の道行が執り行われました。今日こそ教皇様に会いたいと思っていましたが、会場にはもうすでに身動きが取れないほどの人が集まっていました。
 Aグループが座れるスペースを見つけ、私と友人は、席を外し、お手洗いに向かいました。しかし、帰り際セキュリティに引っかかってしまい、戻ることができず、その場で待つしかありませんでした。
 そして、1時間が経つ頃、前方がざわつき始めました。すると、教皇様が通るという声が聞こえ、疲労が一気に忘れ去られました。その言葉のとおり、パパ様の車が現れ、目の前を通り過ぎていきました。その瞬間の喜びは本当に言葉では言い表せないものでした。周囲の仲間と共に喜びを分かち合い、神様が私たちの祈りに応えてくださったことを実感しました。
 エドゥアルド7世公園での集合後は、帰路を約2時間かけて歩かなければなりませんでした。身体的にも精神的にも疲弊していましたが、パパ様に会えた喜びや十字架の道行で感じたイエス・キリストの「無償の愛」を心に深く刻みながら歩みました。

パパモービレに乗って登場した教皇

 8月5日(土) リスボン5日目
 ついに、徹夜祭の日がやってきました。ワールドユースデーのハイライトであり、長い巡礼の集大成とも言えるこの日を迎え、私たちは心躍る気持ちでいっぱいでした。
 朝9時、野宿のための荷物を持ち、快晴の朝の中テージョ公園へと向かいました。仲間と手をつなぎ、前の人のリュックにしがみついて、石畳の道やコンクリートの坂、そして高速道路を、約5時間歩き続け、ついに会場に到着しました。前日まで体調不良だった巡礼者もいて、15分に1回ほど警察車両や救急車が通るといった過酷な状況でした。ステージが見えた瞬間にはみんなで歓声を上げ、あと少しとの気持ちで自分たちのセクターに向かいました。

高速道路を歩き、ミサの会場に向かう

 砂がたくさん舞い、風が吹けば寝袋は砂まみれになるような場所でしたが、徹夜祭までの短い休息をとることができました。
 9時になり、花火が打ち上げられ、ダンスや100人の聖歌隊による歌が始まりました。徹夜祭の中で特に心に残った瞬間は、沈黙の中で自分の人生に喜びをもたらしてくれた人々を思い返したときでした。親、兄弟、友人、知人、そして今回の巡礼で出会った人々の顔が頭に浮かびました。悩みや不安を抱えることもあるけれど、これらの人たちはどんなときも私に多くの喜びをもたらしてくれました。この静かな瞬間に、私は、これから彼らのために、そして未来に出会うであろう人たちのために、急いで行動し、イエス・キリストの愛を分かち合いたいと強く思いました。

 8月6日(日) リスボン最終日

野宿明けの朝日

 周囲の話し声や笑い声に目を覚まされ、周りを見渡すと、土をはらいながら食事を楽しむ人や神父様のDJに合わせて踊る人など、朝の7時とは思えないほどのエネルギーに会場は満ちていました。快適な睡眠をとったとは言えませんでしたが、会場の雰囲気に魅了され、朝から踊りながら共に楽しむことができました。それぞれが食事や水分補給を済ませ、9時から始まる教皇様による派遣ミサを待ちわびました。
 開始の時刻が迫り、昨日と同じく美しいダンスと聖歌が披露されました。やはり、このワールドユースデーのクライマックスとも言えるミサは、すべての期待を超える素晴らしさでした。一つ一つの祈りや聖歌に深い意味が込められており、教皇様の説教も心に響きました。特に、聖体の高挙の瞬間は私の心に深く刻まれました。
 この場に至るまで、楽しい経験や困難な瞬間を経て、さまざまな思いを抱えてこのミサに臨んでいました。しかし、教皇様が聖体を掲げた瞬間、心の中の考え事が静まり、自分がこの場に招かれ、150万人の兄弟姉妹とともに神に奉仕できることへの感謝の気持ちがわきました。この瞬間は、実際にその場にいなければ味わえない特別な経験であり、これからもずっと心に残ることでしょう。
 ミサが終わると、荷物を持って再び同じ道を戻りました。遠い道のりでしたが、友人たちと助け合い、声を掛け合いながら、3時半頃、何とか無事に学校に戻ることができました。この日はリスボンでの最終日であり、仲良くなったドイツの友人に別れを告げ、4時発のバスに乗り込み、ポルトにあるヴィラール・オポルト・ホテルへと向かいました。8時に到着し、個々で夜食を取り、久しぶりの良質な睡眠をとることができました。

 8月7日(月) ポルト1日目
 朝の9時にホテルのビュッフェで朝食を取り、その後酒井司教様のもとへ向かい、ゆるしの秘跡を受けました。
 11時半からは日本巡礼団全員が参加するミサが行われました。これは巡礼団全員が揃う最後のミサであり、成井司教様、酒井司教様、勝谷司教様の3人によるお説教もありました。お説教を聞き、改めて、この旅で私たちは神の声に耳を傾け、イエス・キリストの愛を感じ、そしてマリア様に近づくことができたと思いました。そして、一人ひとりの心の中で燃える炎が聖霊の力によって帰国後も輝き続けることを祈りました。
 ホテルで昼食を済ませた後、2時に歩いて5分の距離にあるパラーシオ・デ・クリスタル庭園に行き、グループごとに分かち合いの時間を持ちました。私たちは、これまで信仰の営みやワールドユースデーへの参加の動機などについてあまり話す機会がありませんでしたが、この分かち合いの時間を通じて、初めてお互いの困難や将来への期待などを共有することができました。この場に集まることが実に必然的であったのだと感じました。
 4時に分かち合いの時間を終え、ホテルに戻りました。その後、仲間と共にもう一度パラーシオ・デ・クリスタル庭園に向かい、観光やお土産の購入を楽しみました。そして夜は、大阪教区のメンバーと一緒に夕食を取りました。観光気分を味わったリフレッシュのひとときでした。

 8月8日(火) ポルト2日目
 9時に起床し、友人と一緒に朝食のビュッフェを楽しみました。この日はAコースの巡礼者が帰国する日だったので、朝はゆっくりとホテルで過ごし、12時半の見送りまで友達との時間を過ごしました。
 見送りの時間になり、ロビーに向かうと、写真を撮っている人やハグを交わす人、友達の肩に寄り添って「帰りたくなーい」と話す人たちがいました。ここまで一緒に旅をしてきた仲間とのお別れの時がとうとう訪れたのだと感じましたが、まだその実感がわかず、寂しいような寂しくないような複雑な気持ちでした。バス停まで一緒に歩き、仲間たちがバスに乗り込む際に、やっと別れの実感がわいてきました。Bコースの仲間と卒業ソングをいくつか歌いながらバスを見送りました。
 見送りが終わり、自由行動の時間になりました。友人と一緒に近くのバーガーショップで昼食を取り、その後前日に入場を予約したレロ書店(出版部注:120年近くの伝統をもつ、世界遺産にも登録されている書店。過去にはふつうの街の書店であったが、観光客の訪問が増え、現在では有料で内部が公開されている。また、J・K・ローリングのハリー・ポッターシリーズの世界観に影響を与えたのではともいわれ、同作ファンの訪問も絶えない)に向かいました。観光気分を味わいつつ、お土産も手に入れました。
 ホテルに戻りシャワーを浴びてから、明日の帰国に向けて準備を整えました。11時を過ぎる頃、一人の仲間がドウロ川に行けなかったことが残念だと言い始めました。ポルトに着いた時に最初にしたかったことだったのに、結局行けないまま帰るのはもったいないということで、急きょ出かけることに決めました。川沿いを歩いたり観光したりして、明日の帰国を惜しむ気持ちが芽生えました。

 8月9日(水) 出国
 朝食バイキングが終わるまであと10分という時間まで寝過ごしてしまい、急いで食事を取り、8時15分の集合時間にギリギリ間に合いました。昨日と同じく、大きな荷物を抱えてバス停へ向かうと、すぐにバスが到着し、あっという間にポルトでの時間が過ぎ去っていきました。私たちはワールドユースデーの終了を惜しんで、通りすがりの車に向かって日本の国旗を振ることで、巡礼の日々を思い返していました。
 1時間もしないうちにポルト空港に到着、あっという間に5時の離陸時間となりました。10時すぎにイスタンブール空港に到着し、4時間の滞在時間に空港内でお土産を見たり食事をしたりしました。疲れが出るかと思いきや、逆に帰国の興奮がみんなを元気づけ、笑い声が飛び交っていました。
 時は流れ2時になり、ヨーロッパを後にするときがやってきました。帰りの飛行機で、隣の巡礼団の仲間と今回の旅について語り合いました。話している間、彼女はふと「本当に色々とタイミングが良かったね」と言いました。それを聞いたとき、コインブラのカテケージスが脳裏に浮かびました。私たちは曲がりくねった道を歩んできたかもしれませんが、神様は一人ひとりの人生に働きかけ、ここまでの旅路を導いてくださったのだと心から感じました。

 8月10日(木) 帰国
 10日の夜7時半に羽田空港に到着しました。飛行機から降り立つやいなや、日本特有の湿った蒸し暑さに迎えられました。荷物を受け取り、空港を出ると、1日早く帰国した友人がポルトガルの旗を手に、出迎えに来てくれていました。ただの冗談のつもりで、実際に来てくれるとは思っていなかったので、私たちは大いに喜びました。
 別れる前に、みんなで集合写真を撮り、「主の祈り」や「アヴェ・マリアの祈り」を唱えました。そして、教皇の「恐れないでください」という言葉を思い出し、最後に神父様から祝福を受けました。

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 今回の旅は、過酷な環境に何度も立ち向かうことが求められ、想像以上に大変でした。しかしそのような経験を通じて、これからも大切にしたいと思える仲間に出会い、信仰も深まりました。本当に充実した旅で、私の人生における転機の一つとなりました。2027年に行われる韓国でのワールドユースデーが、今から待ち遠しく思われます。

世界中の巡礼者と交換したお土産

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