教皇レオ十四世、2025年6月22日、「お告げの祈り」でのことば

2025年6月22日(日)正午から、教皇公邸書斎の窓から行った、「お告げの祈り」の前後に述べたことば(原文イタリア語)。 米国ワシントン現地時間21日(土)午後10時(日本時間22日午前11時)から、米国のドナルド・トラ […]

2025年6月22日(日)正午から、教皇公邸書斎の窓から行った、「お告げの祈り」の前後に述べたことば(原文イタリア語)。
米国ワシントン現地時間21日(土)午後10時(日本時間22日午前11時)から、米国のドナルド・トランプ大統領は、イラン現地時間の未明(日本時間22日午前)に、米軍がイランの3か所(フォルドゥ、ナタンズ、イスファハン)の核施設を空爆したことを発表した。



 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 今日、多くの国ではキリストの聖体(Corpus Christi)の祭日が祝われます。福音はパンと魚の奇跡を物語ります(ルカ9・11-17参照)。

 イエスは、イエスの話を聞き、癒やしを求めるために来た何千人もの人の飢えを満たすために、使徒たちに、もっているわずかなものを差し出すように招き、パンと魚を祝福し、それをすべての人に配るように命じます。結果は驚くべきものでした。すべての人が満腹するまで食物を受け取っただけでなく、食物は余ったのです(ルカ9・17参照)。

 この奇跡は、不思議な出来事というだけでなく、「しるし」です。それは、神のたまものが、たとえ最も小さなものであっても、分かち合えば分かち合うほど大きくなることをわたしたちに思い起こさせてくれます。

 しかし、キリストの聖体の祭日にこの話のすべてを読むとき、わたしたちはさらに深い現実を考察できます。実際、わたしたちは次のことを知っています。あらゆる人間の分かち合いの根底には、この分かち合いに先立つ、より偉大な分かち合いがあるということです。すなわち、神がわたしたちに対して行われる分かち合いです。造り主である神は、わたしたちにいのちを与えてくださいました。わたしたちを救うために、その造られたものの一人に、ご自身の母となることを求めました。そして、わたしたちと同じ、弱く、限りある、死すべきからだを与え、幼子として自らをこの母にゆだねました。こうして神は、わたしたちの貧しさを徹底的に共有し、わたしたちをあがなうために、わたしたちが差し出すことのできるわずかなものを用いることを選びました(ニコラオス・カバシラス『キリストの内なる生活』[De vita in Christo IV, 3])。

 わたしたちが贈り物をするとき――たとえそれが、わたしたちの力に見合った、ささやかなものであっても――、その贈り物をもらった人が喜んでくれるのを目にするのは、どれほどすばらしいか、考えてみてください。それがどれほど単純なものであっても、この贈り物がわたしたちを愛する人々といっそう結びつけてくれるのを感じることは、どれほど幸せなことでしょうか。ところで、聖体において、わたしたちと神との間に、まさにこのことが起こります。主は、わたしたちが祭壇にささげるパンとぶどう酒を、わたしたちがささげるいのちとともに、受け入れ、聖なるものとし、祝福します。そしてそれらを、キリストのからだと血に、世の救いのための愛のいけにえに変えます。神は喜びをもってわたしたちがささげるものを受け入れてくださることによって、ご自身をわたしたちと一つに結びつけます。そして、わたしたちをこう招きます。わたしの愛のたまものを同じ喜びをもって受け入れ、分かち合うことによって、あなたがたをわたしと結びつけなさいと。聖アウグスティヌスはいいます。こうして、「一つに集められた小麦の粒が〔……〕一つのパンを形づくるのと同じように、愛の一致は一つのキリストのからだを形づくる」(『説教』[Sermo 229/A, 2])。

 愛する皆様。今晩、わたしたちは聖体行列を行います。わたしたちは、ともにミサをささげた後に出発し、わたしたちの町(ローマ)の道を通って至聖なる聖体を運びます。わたしたちは歌い、祈り、最後にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の前に集まります。それは、わたしたちの家、家族、全人類の上に主の祝福を祈り求めるためです。この祭儀が、祭壇と聖櫃から始まり、分かち合いと愛のうちに、互いに交わりと平和をもたらす者となるという、わたしたちの日々の努力の輝かしいしるしとなりますように。


(以下、「お告げの祈り」の後に教皇が述べたことば)

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 中東、とくにイランから憂慮すべき知らせが相次いで届いています。イスラエルとパレスチナを含む、この悲惨な状況の中で、とくにガザと他の地域の人々の日々の苦しみが忘れられるおそれがあります。それらの地域では、適切な人道支援の緊急の必要性がますます切迫しています。

 今日、これまでに増して、人類は叫び、平和を願い求めています。この叫びは、責任と理性を要求します。それは、武器の轟音と紛争へと駆り立てる美辞麗句によってかき消されてはなりません。国際社会のすべてのメンバーは、修復不可能な淵となる前に、戦争の悲劇を終わらせるという、道徳的な責任を帯びています。人間の尊厳が問題となっているときに、「遠くの」紛争など存在しません。

 戦争は問題を解決せず、むしろ、それを拡大します。そして、人間の歴史の中に深い傷を作り出します。この傷は、癒えるまでに何世代もかかります。いかなる武力による勝利も、母親の苦しみと、子どもたちの恐怖と、奪われた未来を償うことはできません。

 外交が武器を黙らせますように。諸国家が、暴力と流血の紛争によってではなく、平和のわざによって未来の姿を描きますように。

 ローマの人々と巡礼者の皆様にご挨拶申し上げます。各国政府の祝祭のために来られた議員と市長の皆様にご挨拶できることをうれしく思います。

 コロンビアのボゴタとサンプエスの信者の皆様、クラクフ工業大学の学生と教員を含む、ポーランドから来られた皆様、オーストリアのシュトレングブルク楽団の皆様、ドイツのハノーファーの信者の皆様、ジョイア・タウロの堅信志願者とテンピオ・パウザニアの若者の皆様にご挨拶申し上げます。

 皆様、良い日曜日をお過ごしください。今日、キリストの聖体の祭日に積極的に――歌と、音楽と、フラワーアレンジメントと、ディスプレイ製作と、何よりも祈りと行列によって――参加してくださる皆様を祝福します。皆様、ありがとうございます。よい日曜日をお過ごしください。