
2025年8月10日(日)、年間第十九主日の正午(日本時間同日午後7時)に、教皇公邸書斎の窓から行った「お告げの祈り」の前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行った。 […]
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行った。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
戦争が終わることを祈り続けたいと思います。広島と長崎への原爆投下80年は、戦争を紛争解決の手段とすることを拒絶しなければならないことを全世界に改めて目覚めさせてくれました。意思決定を行う立場にある人々は、自らの選択が人々に及ぼす結果への責任をつねに心に留めなければなりません。もっとも弱い人々の必要性と、世界中の人々の平和への願いを無視しないでください。
この意味で、和平に向けた共同宣言に署名したアルメニアとアゼルバイジャンに対して祝意を表したいと思います。この出来事が、南コーカサスにおける安定した恒久的な平和に寄与することを願います。
これに対して、ハイチの人々の状況はますます絶望的なものとなっています。殺人、あらゆる種類の暴力、人身売買、強制的な移住と誘拐の報告が相次いでいます。人質の即時解放を責任ある人々に心から呼びかけるとともに、ハイチの人々が平和のうちに生きることを可能にする社会的・制度的条件を造り出すために国際社会の具体的な支援を求めます。
係争地のコーカサス地域をめぐって長年対立してきたアゼルバイジャン共和国のイルハム・アリエフ大統領とアルメニア共和国のニコル・パシニャン首相は、8月9日(土)、ホワイトハウスでアメリカのドナルド・J・トランプ大統領の立ち合いの下、和平実現に向けた平和宣言に署名した。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の福音の中で、イエスは、わたしたちの人生の宝をどのように用いるかについて考察するようにわたしたちを招きます(ルカ12・32-48参照)。イエスはいいます。「自分の持ち物を売り払って施しなさい」(33節)。
すなわちイエスは、神がわたしたちに与えてくださったものを自分のためにとっておかずに、他の人々、とくにわたしたちの助けをもっとも必要とする人々のために寛大に用いるように促します。それは、わたしたちがもっている物質的なものを分かち合うだけでなく、わたしたちの能力、時間、愛情、存在、共感をささげることです。つまり、神の計画の中でわたしたち一人一人をかけがえのない善、生きた脈打つ資本とするすべてのものを、増やすために育み、投資しなければなりません。もしそうしなければ、それは枯れて、価値を失います。あるいは、それを盗人のように単なる消費物としてしまう人々の思うがままになって、失われます。
神の賜物であるわたしたちの存在を、このようなしかたで使い果たしてはなりません。わたしたちの存在を実現し、表現するには、空間と自由と人間関係が必要です。それは愛を必要とします。愛だけが、わたしたちの存在のあらゆる側面を造り変え、高貴なものとし、ますます神に似たものとするのです。イエスがこのことばをエルサレムに向かう途上で述べたのは偶然ではありません。イエスはエルサレムで、わたしたちの救いのために十字架上でご自身をささげるからです。
慈善のわざは、わたしたちの存在を預ける、もっとも安全で有益な銀行です。なぜなら、福音が教えるとおり、貧しいやもめは「レプトン銅貨二枚」で、世界でもっとも豊かな人となったからです(マコ12・41-44参照)。
このことに関して聖アウグスティヌスは次のように述べます。「一リブラの銅で一リブラの銀をもうけ、一リブラの銀から一リブラの金をもうけるなら、人はすでに満足するであろう。しかし、人は与えたものから真に異なるものを、すなわち、金や銀ではない、永遠のいのちをもうける」(『説教390』[Sermo 390, 2])。アウグスティヌスは説明していいます。なぜなら、「与えられたものが変化したのは、与えた者が変化したからである」(同)。
このことを理解するために、自分の子どもを抱きしめる母親のことを考えてみてください。この母親は、世界でもっとも美しく、豊かな人ではないでしょうか。あるいは、一緒にいる二人の婚約者は、自分を王や王妃のように思うのではないでしょうか。ほかにも多くの例を挙げることが可能です。
それゆえ、家庭、小教区、学校、職場をはじめとした、どこにおいても、愛する機会を逃さないように努めようではありませんか。これこそがイエスがわたしたちに注意するように求めることです。イエスがあらゆる瞬間にわたしたちとともにいてくださるのと同じように、わたしたちも、互いに気を配り、進んで手を差し伸べ、よく気がつくことを習慣にしようではありませんか。
兄弟姉妹の皆様。この願いと決意をマリアにゆだねようではありませんか。夜明けの星であるマリアが、多くの分裂によって特徴づけられた世界の中で、わたしたちがあわれみと平和の「見張り」となる助けとなってくださいますように。聖ヨハネ・パウロ二世が教えてくださったように(「第15回ワールドユースデー前晩の祈り(2000年8月19日)」)、そして、青年の祝祭のためにローマに来た若者たちがすばらしいしかたで示してくれたとおりに。
