
2025年8月17日(日)正午(日本時間同日午後7時)から、カステル・ガンドルフォ教皇宮殿前のリベルタ広場で行った「お告げの祈り」の前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で […]
「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で述べた。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
激しい洪水の被害に遭ったパキスタン、インド、ネパール国民の皆様に寄り添います。犠牲者とそのご家族、この災害のために苦しむ人々のために祈ります。戦争を終わらせ、平和を推進するための努力が良い結果をもたらすことを祈ります。交渉において人々の共通善がつねに第一の位置を占めますように。
この夏の季節に、しばしば休暇の地で開催される、文化の振興や福音宣教のための多くのさまざまな行事のことを耳にしています。福音への情熱が、あらゆる年代のグループや団体の創造性と取り組みを刺激しているのを目にして、うれしく思います。たとえば、最近、リッチョーネで行われた青年伝道のことに思いを致します。主催者と、さまざまな形でこれらの行事に参加するかたがたに感謝します。
雨季を迎えているパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州、インド北部のジャム・カシミールの山間の村、およびネパールでは、洪水被害のため少なくとも400人以上が死亡している。
この日、教皇は、アルバーノ教区が支援する貧しい人々および教区カリタス・スタッフとともに、カステル・ガンドルフォ内のボルゴ・ラウダート・シで昼食をとった。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の福音は難しいテキストをわたしたちに示します(ルカ12・49-53参照)。このテキストの中で、イエスは、力強くきわめて率直なたとえを用いて、弟子たちに向けて、自分と、自分に従う者の使命は、決して「美しい花園」ではなく、「反対を受けるしるし」(ルカ2・34参照)であると語ります。
主はこのように語ることによって、エルサレムで反対され、逮捕され、侮辱され、殴打され、十字架につけられるときに直面しなければならないことを先取ります。主のメッセージは、たとえ愛と正義を語っても、拒絶されます。民の指導者たちは、主の説教に激しく反応します。さらに、福音書記者ルカが自らの著作で語りかけた共同体の多くは、同じ体験をしていました。使徒言行録がわたしたちに語るとおり、彼らは平和的な共同体であり、限界はあっても、師であるかたの愛のメッセージを熱心に実践しようと努めていました(使4・32-33参照)。しかし、彼らは迫害を受けたのです。
これらすべてのことは、善は必ずしも周囲から積極的な反応を受けるとは限らないことをわたしたちに思い起こさせてくれます。むしろ、時として、善のすばらしさがそれを受け入れない人をいらだたせるがゆえに、善を実践する人は、激しい反対や、暴虐や圧迫さえも受けることがあります。真理に基づく行動には代償が伴います。世には噓を選ぶ人がおり、悪魔はそれを利用して、しばしば善い人々の行動を妨害しようと努めるからです。
しかし、イエスは、ご自身の助けによって、このような考え方に屈したり、従ったりするのではなく、自分たちの善のため、また、わたしたちを苦しめる人も含めたすべての人の善のために行動し続けるようにわたしたちを招きます。イエスは、暴虐に復讐をもって応じるのではなく、愛に根ざした真理に忠実にとどまるようにわたしたちを招きます。殉教者たちは信仰のゆえに血を流すことによってこのことをあかしします。しかし、わたしたちも、状況と方法は異なるにせよ、殉教者たちに倣うことが可能です。
たとえば、健全な原則に従って子どもを適切に教育したいと望む善い親が払わなければならない代償のことを考えてみてください。遅かれ早かれ、親は「否」といい、何らかの矯正を行わなければなりません。このことは苦しみを伴います。生徒を正しく教育したいと望む教師、自分の使命を誠実に果たそうとする専門家、修道者、政治家、福音の教えに従って自らの責任を一貫して実行しようと努力するすべての人に、同じことがいえます。
このことに関して、アンティオケイアの聖イグナティオスは、自分が間もなくそこで殉教するローマに向かう旅の途中で、ローマのキリスト者にこう書き送りました。「わたしはあなたがたが人ではなくて神を喜ばせるのを願っているのです」(『イグナティオスの手紙――ローマのキリスト者へ』[Epistula ad Romanos 2, 1〔八木誠一訳、『使徒教父文書』講談社、1974年、126頁〕])。さらにイグナティオスは付け加えていいます。「わたしには地の涯(はて)まで支配するより、イエス・キリストへと死ぬほうがよいのです」(同[ibid. 6, 1〔前掲八木誠一訳、128頁〕])。
殉教者の元后であるマリアに、ともに願い求めようではありませんか。わたしたちがどのような状況においても、御子の忠実で勇気ある証人となることができるように助けてください。そして、現代にあって信仰のゆえに苦しむ兄弟姉妹を支えてください。
