
2025年9月14日(日)、十字架称賛の祝日の正午(日本時間同日午後7時)に教皇公邸書斎の窓から行った「お告げの祈り」の前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で述べた。 親 […]
「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で述べた。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
明日は世界代表司教会議(シノドス)設立60周年です。世界代表司教会議は、司教がペトロの後継者との交わりをよりよく果たすことができるために、聖パウロ六世によって預言的に設立されました。この記念が、一致とシノダリティと教会の宣教のための新たな取り組みを促すことを願います。
最後に、教皇は、この日70歳の誕生日を迎えたことに関して次のようにイタリア語で述べた。
愛する皆様。ご存じと思いますが、わたしは今日、70歳になりました。主と両親に感謝します。そして、祈りをもってわたしを思い起こしてくださっている皆様に感謝します。皆様、本当にありがとうございます。良い日曜日をお過ごしください。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日、教会は十字架称賛の祝日を祝います。この祝日によって、わたしたちは、4世紀にエルサレムで聖ヘレナが十字架の木を発見したことと、皇帝ヘラクレイオスがこの貴重な聖遺物を聖なる都(エルサレム)に取り戻したことを思い起こします。
しかし、今日のわたしたちにとって、この祝日を祝うことはどのような意味をもつのでしょうか。典礼がわたしたちに示す福音は、それを理解する助けとなります(ヨハ3・13-17参照)。この場面は夜に起こります。ユダヤ人の指導者の一人であり、公正で開かれた心をもつニコデモが(ヨハ7・50-51参照)、イエスに会いに来ます。彼は光と導きを必要としています。彼は神を求めて、ナザレの師であるかたの助けを願います。なぜなら、ニコデモは、このかたを、預言者、また、特別なしるしを行う人と認めるからです。
主はニコデモを迎え入れ、彼のことばに耳を傾け、ついに、人の子が上げられなければならないことを明らかにします。「それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(ヨハ3・15)。主は付け加えていいます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節参照)。ニコデモは、おそらくこの時、このことばの意味を完全には理解していませんでしたが、十字架の後、救い主の遺体を葬るのを手伝うときに、理解できるようになったに違いありません(ヨハ19・39参照)。ニコデモは、神が人間を救うために人となり、十字架上で死んだことを理解するのです。
イエスは、旧約の出来事を思い起こしながら、このことについてニコデモに語ります(民21・4-9参照)。その時、荒れ野で毒蛇に襲われたイスラエル人たちは、モーセが神の命令に従って作り、旗竿の上に立てた青銅の蛇を見て救われます。
神は、ご自身をわたしたちに示し、わたしたちの同行者、教師、医者、友としてご自身を与え、ついには聖体のうちにわたしたちのために砕かれたパンとなることによって、わたしたちを救われました。そして、このわざを成し遂げるために、人間が発明したもっとも残虐な死の道具の一つである、十字架を用いました。
そのため、今日わたしたちは「十字架称賛」を祝います。神は、計り知れない愛のゆえに、わたしたちの救いのために、この十字架を抱きながら、それを死の道具からいのちの道具へと造り変え、だれもわたしたちを神から引き離すことができないこと(ロマ8・35-39参照)、神の愛はわたしたちの罪よりも大きいことを、わたしたちに示してくださいます(教皇フランシスコ「一般謁見(2016年3月30日)」参照)。
それゆえ、今、カルワリオ(ゴルゴタ)で御子のそばにおられたマリアの執り成しによって、願いたいと思います。わたしたちを救う御子の愛が、わたしたちのうちにおいても、根づき、成長しますように。そして、御子がすべての人にご自分のすべてを与えたのと同じように、わたしたちも互いに自分を与え合うことができますように。
