WYDのシンボルとして世界中を旅している十字架とイコンは、ソウル大会に向けて近隣の国々を巡る旅の中で、2025年4月27日~5月11日まで日本を訪問しました。 10日間で、福岡教区、大阪高松教区、名古屋教区、東京教区を […]

WYDのシンボルとして世界中を旅している十字架とイコンは、ソウル大会に向けて近隣の国々を巡る旅の中で、2025年4月27日~5月11日まで日本を訪問しました。
10日間で、福岡教区、大阪高松教区、名古屋教区、東京教区を巡り、その後フィリピンへと旅立ちました。
十字架の歴史
この十字架の歴史は、あがないの特別聖年(1983-1984年)に始まります。教皇ヨハネ・パウロ二世は、多くの人々が訪れるサンピエトロ大聖堂の祭壇近くに、信仰のシンボルとして十字架があるとよいと考え、その希望どおり高さ3.8メートル、横幅1.75メートル、重さ31キログラムの大きな木製の十字架が置かれました。聖年の閉幕の際(1984年)、聖なる扉を閉めた後、教皇はこの十字架を世界の青年たちに託しました。

教皇のことばは、「愛する若者の皆さん。聖年の終わりに、わたしは若者の皆さんに二千年祭のしるしを託します。これはキリストの十字架です。キリストが人類に注いでおられる愛のしるしとして、世界中で運び歩いてください。そして死んで復活したキリストにおいてのみ、わたしたちの救いとあがないがあることを、すべての人にのべ伝えてください」(1984年4月22日、ローマにて)というものでした。こうして、この十字架は世界を旅する十字架となったのです。
旅をしていない時は、サンピエトロ広場近くのサン・ロレンツォ青年センターに置かれています。
イコンの歴史
「ローマの民の救い」(Salus Populi Romani)という名の聖母イコンは、2000年の大聖年にローマで開催されたWYDの野外での晩の祈りとミサで初めて用いられました。その後2003年に、聖ヨハネ・パウロ二世は、このイコンがWYDの十字架と一緒に世界を旅するよう望まれ、2005年のケルン大会に向けての旅が始まりとなります。
旅をしているのは複製品ですが、オリジナルのSalus Populi Romaniのイコンは、ローマにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に置かれています。前教皇フランシスコは、すべての国外司牧訪問をこの聖母の保護に託して、出発前とローマ帰着後に必ずサンタ・マリア・マッジョーレを訪れ、このイコンの前で祈ったことは有名です。

