
2025年11月16日(日)年間第33主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 […]
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
たった今、福音の解説の中で述べたとおり、今日も世界のさまざまな地域でキリスト信者が差別と迫害を受けています。わたしはとくに、共同体や礼拝の場所への攻撃の知らせがしばしば伝えられる、バングラデシュ、ナイジェリア、モザンビーク、スーダンや、他の国々に思いを致します。神はあわれみ深い父であり、そのすべての子らの平和を望みます。祈りのうちに、コンゴ民主共和国のキヴ州の家族の皆様に寄り添います。同地では最近の数日間、民間人の殺害が行われ、テロ攻撃によって少なくとも20人が犠牲となりました。すべての暴力がやみ、信じる者が共通善のために協力することを祈ります。
キーウを含む多くのウクライナの都市に対する攻撃が続いているというニュースを悲しみをもって受け止めています。これらの攻撃により、子どもも含む犠牲者とけが人、民間インフラの大きな被害が生じ、寒気が到来する中、家族は住む家をもたない状態に置かれています。深刻な試練のうちにある人々に寄り添うことを約束します。わたしたちは戦争と破壊に慣れてはなりません。苦しむウクライナにおける公正で永続的な平和のためにともに祈りたいと思います。
先週の水曜日にペルー南部で起きた交通事故の犠牲者のためにも祈ることを約束します。主が亡くなったかたを受け入れ、けがをしたかたを支え、悲しみのうちにある家族のかたがたを慰めてくださいますように。
昨日、バーリでカルメロ・デ・パルマ(1876-1961年)が列福されました。デ・パルマは告解と霊的同伴の奉仕に寛大に生涯をささげた後に1961年に死んだ教区司祭です。彼のあかしが、神の聖なる民への奉仕に無条件で自らをささげるように司祭を促しますように。
今日は「貧しい人のための世界祈願日」です。もっとも恵まれない人との連帯の取り組みを推進した教区・小教区の皆様に感謝申し上げます。この祈願日に使徒的勧告『わたしはあなたを愛している――貧しい人々への愛について』(Dilexi te)を改めてお示しできるのは時宜に適っています。この文書は、教皇フランシスコが生涯の最後の数か月間に準備し、わたしが大きな喜びをもって完成させたものです。
今日わたしたちは、しばしば無責任な行動によって起きた交通事故で亡くなったすべての人も思い起こします。すべての人はこのことについて良心を糾明しなければなりません。
さらにわたしは、今日、「虐待の被害者と生存者のための祈願日」を行うイタリアの教会と心を一つにします。すべての人、とくに未成年者ともっとも脆弱な立場に置かれた人々の尊厳を守る保証として、尊重の文化が成長しますように。
この日、教皇は、パウロ六世ホールで、貧しい人々との昼食会を催した。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
典礼暦が終わりに向かう中で、今日の福音(ルカ21・5-19)は、歴史の旅路とものごとの終わりについてわたしたちに考察させます。イエスはわたしたちの心を知っておられるので、これらの出来事に目を向けながら、何よりもまず、わたしたちが恐怖に打ち負かされることがないようにと招きます。「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない」(19節)。
イエスの呼びかけはきわめて現代的な意味をもっています。実際、残念ながら、わたしたちは毎日、何百万人もの人を苦しめる紛争と災害と迫害のニュースを耳にしているからです。しかし、こうした苦難や、それを無視しようとする無関心を前にして、イエスのことばは、悪の攻撃が、イエスにより頼む人の希望を打ち砕くことができないことを告げ知らせます。時代が夜のように暗ければ暗いほど、信仰は太陽のようにいっそう輝くのです。
実際、キリストは二度、「わたしの名のために」多くの人が暴力と裏切りを受けるといいます(12、17節参照)。しかし、まさにその時、人々はあかしをする機会を得るのです(13節参照)。十字架上でご自身の計り知れない愛を現した、師であるかたの模範に倣うわたしたちすべてに、この励ましはかかわっています。実際、キリスト信者への迫害は、武器や虐待によってだけでなく、ことばによって、すなわち、噓やイデオロギー的な操作を通じても行われます。とくにわたしたちがこのような身体的また道徳的な悪によって抑圧されているときにこそ、わたしたちは、世を救う真理を、人々を抑圧から解放する正義を、すべての人に平和への道を示す希望をあかしするように招かれます。
イエスのことばは、預言的な形式で、次のことをあかしします。歴史の災厄と苦しみには終わりがあります。そして、イエスを救い主として認める人の喜びは永遠に続きます。「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(19節)。この主の約束は、歴史上のすべての出来事の脅威とあらゆる侮辱にあらがう力をわたしたちのうちに注ぎ込みます。わたしたちは、苦しみを前にして無力なままでいることはありません。なぜなら、わたしたちがつねに燃える心で善を行うために、イエスご自身が「言葉と知恵」(15節)をわたしたちに与えてくださるからです。
愛する皆様。教会の歴史全体を通じて、何よりも殉教者たちは、神の恵みが暴力さえもあがないのしるしに造り変えることができることをわたしたちに思い起こさせます。それゆえ、イエスの名のために苦しむわたしたちの兄弟姉妹と心を一つにしながら、キリスト信者の助けであるマリアの執り成しを信頼をもって求めようではありませんか。あらゆる試練と困難の中にあっても、聖なるおとめがわたしたちを慰め、支えてくださいますように。
