
教皇レオ十四世、2025年11月19日、一般謁見演説
わたしたちの希望であるイエス・キリストについての連続講話
Ⅳ キリストの復活と現代世界の課題
5.復活の霊性と総合的な(インテグラル)エコロジー
講話の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。
明後日の11月21日(金)の聖母マリアの奉献の記念日に、イタリア全土で「祈る人のための日」(Pro Orantibus)が祝われます。観想生活を送るすべての兄弟姉妹が、その生活と、沈黙のうちに行われる実り豊かでかけがえのない使徒職の継続を保障するために、教会共同体の具体的な連帯と効果的な支援を欠くことがありませんように。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。
希望にささげられたこの聖年の中で、わたしたちは、キリストの復活と、現代世界の課題、すなわちわたしたちの課題の関係について考察しています。時として、生ける者であるイエスは、わたしたちにも問いかけます。「なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(ヨハ20・15参照)。実際、わたしたちは独りきりで課題に立ち向かうことはできません。そして、涙は、わたしたちの目を清め、わたしたちのまなざしを自由にする、いのちのたまものです。
福音書記者ヨハネは、他の福音書には見いだせない細部にわたしたちの注意を向けさせます。空の墓の近くで泣いていたマグダラのマリアは、復活したイエスにすぐに気づかず、イエスのことを園丁だと考えます。実際、聖金曜日の日暮れに行われたイエスの埋葬について語るテキストは、きわめて正確です。「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた」(ヨハ19・41-42)。
こうして、安息日の平安と美しい園の中で、御子への裏切り、逮捕、遺棄、判決、屈辱、殺害によって引き起こされた闇と光の劇的な戦いは終わります。御子は「世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」(ヨハ13・1〔聖書協会共同訳〕)のです。園を耕し、守ることは、イエスが実現した、原初的な使命です(創2・15参照)。イエスの十字架上での最後のことば――「成し遂げられた」(ヨハ19・30)――は、わたしたち一人ひとりが、同じ務め、すなわち、わたしたちの務めを再発見するように招きます。だから、イエスは「頭を垂れて霊をお渡しになった」(30節〔聖書協会共同訳(注の直訳)〕)のです。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。ですから、マグダラのマリアが園丁に出会ったと思ったのは、完全な間違いではありませんでした。実際、マグダラのマリアは、自分の名前を改めて聞き、ヨハネによる別の箇所で「見よ、わたしは万物を新しくする」(黙21・5)といわれる新しい人から、自分の務めを理解しなければなりませんでした。教皇フランシスコは回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に(2015年5月24日)』(Laudato si’)によって、観想的なまなざしの切実な必要性をわたしたちに示しました。人間は、園を守る者とならなければ、園を破壊する者となります。それゆえ、キリスト者の希望は、今日、全人類が直面する課題に対し、十字架につけられたかたが復活して多くの実を結ぶために一粒の麦として置かれた(ヨハ12・24参照)園にとどまることによって、応答するのです。
楽園は、失われたのではなく、再び見いだされます。それゆえ、イエスの死と復活は、総合的な(インテグラル)エコロジーの霊性の基盤です。この霊性がなければ、信仰のことばは現実を捉えられず、科学のことばは心の外にとどまります。「エコロジカルな文化は、汚染、環境破壊、天然資源の枯渇といった喫緊の問題に対する一連の部分的応急措置に矮小化できるものではありません。技術主義(テクノクラティック)パラダイムの急襲に対してともに抗わせてくれる、明確なものの見方、方針、教育プログラム、ライフスタイル、そして霊性が必要です」(教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』111[Laudato si’])。
そのために、わたしたちはエコロジカルな〈回心〉について語ります。キリスト信者はこのエコロジカルな〈回心〉を、イエスに従うことが自分たちに求める方向転換から切り離してはなりません。復活の朝、マリアが振り向いたことは、そのしるしです。わたしたちは、回心を重ねることによって初めて、地上の涙の谷を通って新しいエルサレムへと移行することができます。心の中で始まる、この霊的な移行は、歴史を変え、わたしたちを公共的な活動に取り組ませ、今この時より、牧者である小羊のみ名と力によって、狼の欲望から人間と被造物を守る連帯のわざを勢いづけます。
こうして教会の子らは、貧しい人々と大地の叫び声を聞いて心を揺さぶられた、何百万もの若者と他の善意の人々と出会うことができます。被造物とのより直接的な関係を通じて、さまざまな分裂を超えたところへと被造物を導く新たな調和を望む、多くの人々もいます。他方で、「天は神の栄光を物語り、大空はみ手のわざを示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、そのことばは世界の果てに向かう」(詩19・2-5)。
聖霊が、声をもたない人の声に耳を傾ける力をわたしたちに与えてくださいますように。そうすればわたしたちは、わたしたちがまだこの目で見ていないもの、すなわち園、あるいは楽園を見ることができます。わたしたちは、一人ひとりが自分の使命を受け入れ、実現することによって初めて、この楽園に至ることができるのです。
