教皇レオ十四世、2025年12月14日、「お告げの祈り」でのことば

2025年12月14日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。  昨日、スペ […]

2025年12月14日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は次のようにイタリア語で述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 昨日、スペインのハエンで、エマヌエレ・イスキエルド司祭(1871-1951年)と58人の同志が、アントニオ・モンタニェス・チケロ司祭(1870-1936年)と64人の同志とともに列福されました。この人々は1936-38年の宗教迫害により信仰への憎悪によって殺害されました。また、昨日、パリで、レイモン・カイレ司祭(1915-44年)、フランシスコ会のジェラール=マルタン・サンドリエ(1920-45年)、神学生のロジェ・ヴァレ(1919-45年)、信徒のジャン・メストレ(1924-44年)と46人の同志も列福されました。この人々は1944-45年のナチス占領下に信仰への憎悪によって殺害されました。福音を勇気をもってあかしし、自分の民に寄り添い、教会に忠実であったがゆえに迫害され、殺害された、これらの殉教者のゆえに主をたたえたいと思います。

 コンゴ民主共和国における紛争の再発を深い懸念をもって見守っています。コンゴの人々に寄り添うことを表明するとともに、紛争当事者に対して、あらゆる形の暴力を停止し、進行中の和平プロセスを尊重しながら建設的な対話を追求するように求めます。

 
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。主日の喜びを申し上げます。

 今日の福音は、その説教のために投獄された洗礼者ヨハネの姿を示します(マタ14・3-5参照)。洗礼者ヨハネは、投獄されたにもかかわらず希望を失わず、わたしたちにとって、預言者が鎖につながれていても真理と正義を追求して自由に声を上げ続けることのしるしとなります。

 実際、洗礼者ヨハネは獄中で「キリストのなさったことを聞いた」(マタ11・2)のですが、それは彼が期待していたこととは異なるものでした。そこで彼は人を送って、こう尋ねさせました。「来るべきかたは、あなたでしょうか。それとも、ほかのかたを待たなければなりませんか」(3節)。真理と正義を求める人々、自由と平和を待ち望む人々は、イエスに問いかけます。あなたは本当にメシア、すなわち、預言者の口を通して神が約束した救い主でしょうか。

 イエスの答えは、わたしたちの目を、イエスが愛し、仕えた人々に向けさせます。それは、イエスの代わりに語る、底辺に置かれた人々、貧しい人々、病気を患う人々です。キリストは、自分が行うことを通して、ご自分が何者であるかを告げます。そして、イエスが行うことは、わたしたち皆にとって救いのしるしです。実際、イエスと出会うとき、光とことばと味わいを失っていたいのちは意味を取り戻します。目の見えない人は見え、口の利けない人は話し、耳の聞こえない人は聞こえるようになります。規定の病によって美しさを失っていた神の姿は、完全性と健康さを回復します。全く感覚を失った死者さえも、生き返ります(5節参照)。これがイエスの福音です。貧しい人々に告げ知らされたよい知らせです。神が世に来られるとき、それは明らかに示されるのです。

 イエスのことばは、絶望と苦しみの牢獄からわたしたちを解放します。すべての預言はイエスのうちに待ち望んでいた実現を見いだします。実際、キリストは、人間の目を神の栄光へと開きます。キリストは、抑圧された人々、暴力と憎しみによって声を奪われた人々に、ことばを与えます。真理を聞こえなくするイデオロギーに打ち勝ちます。身体の美しさを失った外見をいやします。

 このようにして、みことばは、心に死をもたらす悪からわたしたちを救い出します。それゆえ、わたしたちは、主の弟子として、待降節の間、救い主への期待と、神が世においてなさることへの関心を一つに結びつけるように招かれます。そうすれば、わたしたちは、救い主と出会う自由の喜びを味わうことができます。「主においてつねに喜びなさい(Gaudete in Domino semper)」(フィリ4・4)。この招きによって、今日の待降節第3主日――そのためこの主日は「喜び(Gaudete)の主日」と呼ばれます――のミサは始まります。ですから、喜びなさい。なぜなら、イエスはわたしたちの希望だからです。とくに、試練のときに、すなわち、人生が意味を失い、すべてが闇になったように思われ、ことばが失われ、隣人に耳を傾けるのが難しくなったときにこそ。

 期待と関心と喜びの模範であるおとめマリアの助けによって、わたしたちが御子の業に倣い、貧しい人々とパンと福音を分かち合うことができますように。

PAGE TOP