教皇レオ十四世、2026年1月4日、「お告げの祈り」でのことば

2026年1月4日(日)正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。  スイスのクランモン […]

2026年1月4日(日)正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 スイスのクランモンタナでの悲惨な事故により悲しみのうちにあるかたがたに寄り添うことをあらためて表明します。亡くなった若者、けがをしたかた、彼らのご家族のために祈ることを約束します。

 ベネズエラにおける情勢の進展を深い懸念をもって見守っています。愛するベネズエラの民の善は、他のあらゆる考慮に優先されなければなりません。そしてこの善は、国家の主権を保障し、憲法に記された法の支配を堅持し、すべての人の人権と市民権を尊重し、困難な経済状態によって苦しむもっとも貧しい人々に特別な関心を向けながら、協力と安定と調和に基づく落ち着いた未来をともに築くために努力することによって、暴力を乗り越え、正義と平和の道を歩むように導かなければなりません。そのためにわたしは祈るとともに、皆様にも祈ってくださることをお願いします。わたしたちの祈りをコロモトの聖母と聖ホセ・グレゴリオ・ヘルナンデス(1864-1919年)と聖カルメン・レンディレス修道女(1903-1977年)の執り成しにゆだねます。

スイスのクランモンタナでは1月1日(木)にバーで起きた火災で40人が死亡し、その大半は10代から20代の若者だった。
中南米のベネズエラ・ボリバル共和国では1月3日(土)、米国が首都カラカスを軍事攻撃し、ニコラス・マドゥーロ・モロス大統領夫妻を拘束、米国に連行した。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 主の降誕後の第二の主日にあたり、何よりもまず皆様にあらためてお喜びを申し上げたいと思います。明後日(1月6日)、サンピエトロ大聖堂の聖なる扉を閉じることによって、希望の聖年は終わります。そして、わたしたちが今浸されている降誕の神秘そのものが、わたしたちの希望の基盤は神の受肉であることを思い起こさせてくれます。今日の典礼でも示されるヨハネ(福音書)の序文(プロローグ)は、それを次のように思い起こさせます。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1・14)。実際、キリスト者の希望は、楽観的な見通しや人間の思惑に基づくものではなく、わたしたちが人生の旅路の中で独りきりにならないために、神がわたしたちと歩みをともにする決断をされたことに基づきます。イエスにおいて、神はわたしたちの一人になり、わたしたちとともにとどまることを選び、永遠にわたしたちとともにいる神となることを望まれました。これこそが神のわざです。

 イエスが人間の弱さと肉体をもって到来したことは、わたしたちのうちに希望の炎を再び燃え立たせるとともに、〈神への〉務めと、〈人間への〉務めという、二重の務めをわたしたちに課します。

 それが神への務めであるのは、もし神が肉となり、わたしたち人間の弱さをご自身の住まいとして選ばれたのであれば、わたしたちは、抽象的な教理からではなく、イエスの肉体から出発して神についてあらためて考えるようにつねに求められるからです。それゆえわたしたちは、自分たちの霊性と、信仰を表明する形式をつねに検証しなければなりません。それは、それらが本当の意味で受肉し、イエスのうちにわたしたちと出会いに来られた神について考え、祈り、告げ知らせることができるものとなるためです。神は、完全にわたしたちの上にある天に住まわれる、遠く離れた神ではありません。むしろ、わたしたちの壊れやすい地上に住み、兄弟たちの顔のうちに自らを示し、日々の状況の中でご自身を現される、近くにおられる神なのです。

 わたしたちの人間への務めも同様に、そのことと首尾一貫しなければなりません。神がわたしたちの一人となられたのであれば、被造物であるすべての人は、神の映しであり、神の像を自らのうちにもち、神の光の火花を守っています。そしてこのことは、わたしたちがすべての人格の中に不可侵の尊厳を認め、他者と互いに愛し合うように招きます。こうして受肉はわたしたちに、兄弟愛と交わりの推進のために具体的に努力することも要求します。それは、連帯が、正義と、平和と、もっとも脆弱な人のケアと、弱者の保護にとっての、人間関係の基準となるためです。神は肉となられました。それゆえ、人間存在への配慮なしに、神への真の礼拝はありえません。

 兄弟姉妹の皆様。主の降誕の喜びはわたしたちが歩みを続けるように励まします。わたしたちがますます進んで神と隣人に仕える者となることができるように、おとめマリアに願い求めます。

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