教皇レオ十四世、2026年2月11日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum) 5.教会における神のことば(聖書朗読箇所一テサ2・13)

 

教皇レオ十四世、2026年2月11日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum
5.教会における神のことば(聖書朗読箇所一テサ2・13)

2026年2月11日(水)午前10時(日本時間同日午後6時)からパウロ六世ホールで行った一般謁見演説(原文イタリア語)。



 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 今日のカテケージスでは、神のことばと教会の間にある深く生き生きとしたつながりについて考察します。このつながりは公会議の『神の啓示に関する教義憲章』Dei Verbum)第6章で示されます。教会は聖書の〈本来の〉場です。聖書は聖霊の導きの下で、神の民から生まれ、神の民のために書かれています。聖書はいわばキリスト教共同体の中に〈住んで〉います。実際、聖書は教会生活と信仰の中に、その本来の意味を明らかにし、本来の力を示す場を見いだします。

 第二バチカン公会議は次のことを思い起こさせます。「教会は、主の御からだそのものと同じように聖書をつねにあがめ敬ってきた。なぜなら、教会は何よりもまず聖なる典礼において、たえずキリストのからだと同時に神のことばの食卓からいのちのパンを受け取り、信者たちに差し出してきたからである」。さらに、「教会は聖書を聖伝とともにつねに自らの信仰の最高の基準としてきたのであり、またそうしている」(『神の啓示に関する教義憲章』21[Dei Verbum])。

 教会は聖書の価値について考察することを決してやめません。公会議後、この点に関してきわめて重要な節目となったのは、2008年10月に「教会生活と宣教における神のことば」をテーマとして開催された世界代表司教会議通常総会でした。教皇ベネディクト十六世はその成果をシノドス後の使徒的勧告『主のことば(2010年9月30日)』Verbum Domini)にまとめ、その中でこう述べています。「みことばと信仰の本質的なつながりによって、次のことが明らかです。正しい聖書解釈は教会の信仰の中で初めて可能です。教会の信仰の模範は、マリアの『おことばどおり、この身になりますように(fiat)』です。〔……〕聖書解釈の第一の場は、教会生活です」(同29)。

 それゆえ、聖書は教会共同体の中に、その特別な務めを果たし、キリストを知らせ、神との対話へと開くというその目的に達するための場を見いだします。実際、「聖書を知らないことはキリストを知らないことだからである」(1)。聖ヒエロニモのこの有名なことばは、聖書を読み、黙想することの究極的な目的をわたしたちに思い起こさせてくれます。すなわち、キリストを知り、キリストを通して神との関係に入ることです。この関係は、会話、すなわち対話として理解可能です。『神の啓示に関する教義憲章』は、啓示を、神が友に対するように人々に語りかける対話としてわたしたちに示しました(『神の啓示に関する教義憲章』2[Dei Verbum]参照)。この対話は、祈りの内的な態度のうちに聖書を読むときに生じます。そのとき神はわたしたちと出会い、わたしたちとの会話を始めるのです。

 教会にゆだねられ、教会によって守られ説明されてきた聖書は、積極的な役割を果たします。実際、聖書は、その効力と力によって、キリスト教共同体に支えと活力を与えます。すべての信者は、何よりもまず聖体と他の秘跡を祝うことによって、この源泉から水を飲むように招かれます。聖書を愛し、聖書に親しむことが、みことばの奉仕職を果たす人々――すなわち司教、司祭、助祭、カテキスタ――を導かなければなりません。釈義学者と聖書学者の作業は貴重です。神学にとっても聖書の位置は中心的です。神学は神のことばのうちにその基盤と魂を見いだすからです。

 教会が心から望むのは、神のことばがそのすべての成員に届き、信仰の歩みを養うことができることです。しかし、神のことばは自らを超えたところにまでも教会を駆り立てます。それはすべての人への宣教へと教会を開くのです。実際、わたしたちは多くのことばに囲まれながら生活していますが、その多くはどれほど空疎なことでしょうか。わたしたちは時には知恵あることばを耳にすることもありますが、それはわたしたちの究極的な目的には触れません。これに対して、神のことばは、人生の意味と真理に対するわたしたちの渇きにこたえます。それはつねに新たなことを示す唯一のみことばです。それはわたしたちに神の神秘を明らかにし、尽きることがなく、その豊かさを与えるのをやめません。

 親愛なる友人の皆様。わたしたちは教会生活の中で、聖書がイエス・キリストと完全にかかわることを学びます。そして、このことが聖書の価値と力の深い理由であることを体験します。キリストは御父の生きたことばです。肉となった神のことばです。聖書全体は、わたしたち一人ひとりと全人類に対して、このかたと、このかたがともにいて救いをもたらしてくださることを告げ知らせます。それゆえ、教会の母であるマリアの学びやで、このたまものを受け入れるために心と思いを開こうではありませんか。

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