
2026年3月1日(日)四旬節第2主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 こ […]
2026年3月1日(日)四旬節第2主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
この劇的な数時間に中東とイランで起きていることを深い懸念をもって見守っています。安定と平和は、相互の脅威や、破壊と苦しみと死の種を蒔く武力によって築かれるのではなく、理性的で真摯で責任のある対話を通してのみ築かれます。
甚大な悲劇が起こる可能性を前にして、関係者に対して心からの呼びかけを行います。取り返しのつかない深淵に落ちる前に、暴力の連鎖を食い止める道徳的な責任をとってください。外交がその役割を取り戻し、正義に基づく平和的共存を願う人々の幸福を推進しますように。そして平和のために祈り続けようではありませんか。
さらに最近の数日、パキスタンとアフガニスタンの間の衝突に関する憂慮すべきニュースが届いています。早急に対話が再開されるように呼びかけます。世界のあらゆる紛争において調和が勝利を収めるように、ともに祈ろうではありませんか。神のたまものである平和だけが人々の間の傷をいやすことができるのです。
わたしは、洪水の猛威の被害を受けたブラジルのミナスジェライス州の人々に寄り添います。犠牲者と、家を失った家族と、救援活動に携わるすべての人々のために祈ります。
2月28日(土)、アメリカとイスラエルがイランを攻撃し、イラン(イラン・イスラム共和国)最高指導者のセイエド・アリー・ハメネイ師(在任1989-2026年)を殺害した。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の典礼の福音は、主の変容を物語りながら、わたしたち皆のために光り輝くイコンを描きます(マタ17・1-19参照)。福音書記者はこのイコンを描くために、使徒たちの記憶に筆を浸しながら、モーセとエリヤの間にいるキリストの姿を示します。人となられたみことばは、律法と預言者の間に立ちます。みことばは、すべての神のことばを完成する、生ける知恵です。神が人間に与えたすべての命令と霊感は、イエスのうちに完全で決定的な顕現を見いだします。
ヨルダン川で洗礼を受けた日と同じように、わたしたちは今日も山の上で次のように宣言する御父の声を耳にします。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。その間、聖霊はイエスを「光り輝く雲」(マタ17・5)で包みます。福音書記者は、この独自の表現によって、神の啓示のスタイルを記します。主はご自身を目に見えるものとされる際、わたしたちの目にご自身の豊かさを示します。顔が「太陽のように輝き」、服が「光のように白くなった」(2節)イエスを前にして、弟子たちは神の人間的な輝きに驚嘆します。ペトロとヨハネとヤコブは、群衆のための見せ物ではなく荘厳な親密さとして示された、つつましい栄光を仰ぎ見るのです。
主の変容は、過越の光を先取ります。過越は、死と復活、闇と新しい光の出来事です。キリストはこの新しい光を、暴力によって鞭打たれ、苦しみによって十字架につけられ、悲惨のうちに見捨てられた肉体の上に輝かせます。実際、悪はわたしたちの肉体を商品や匿名の塊へとおとしめますが、この同じ肉体が神の栄光によって輝くのです。こうしてあがない主は、歴史の傷を造り変えて、わたしたちの思いと心を照らします。あがない主の啓示は驚くべき救いの出来事です。わたしたちはこの出来事に心を奪われているでしょうか。神のまことのみ顔はわたしたちのうちに驚きと愛に満ちたまなざしを見いだすでしょうか。
御父は無神論の絶望に対して、救い主である御子のたまものをもって答えます。聖霊はいのちと恵みの永遠の交わりを与えることによって、わたしたちを不可知論の孤独から救い出します。わたしたちの弱い信仰に対して来世の復活が告げ知らされます。これこそ弟子たちがキリストの姿のうちに見たものですが、彼らがそれを理解するには時間が必要です(マタ17・9参照)。すなわち、みことばに耳を傾ける沈黙の時、主がともにいてくださることを味わう回心の時が必要です。
これらすべてのことを四旬節の間に体験しているわたしたちは、祈りの師であり明けの明星であるマリアに、わたしたちの信仰の歩みを守ってくださるように願い求めます。
