
2026年5月10日(日)、年間第6主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「アレルヤの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べた。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 […]
2026年5月10日(日)、年間第6主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「アレルヤの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
サヘル地域、とくに最近テロ攻撃を受けたチャドとマリにおける暴力の増加に関するニュースを懸念をもって見守っています。犠牲者のために祈り、苦しむ人々に寄り添うことを約束します。あらゆる形での暴力がなくなることを願うとともに、これらの愛する地における平和と発展のためのあらゆる努力を励まします。
毎年、5月10日は「コプト-カトリック友好の日」です。タワドロス二世にごあいさつ申し上げるとともに、愛するコプト教会全体のために祈ることを約束します。わたしたちの友愛の歩みが、わたしたちを「友」と呼ばれた(ヨハ15・15参照)キリストにおける完全な一致へとわたしたちを導いてくれることを願います。
最後に教皇は次のようにイタリア語で述べた。
ハンタウイルス感染患者を乗せたクルーズ船「ホンディウス」号の入港(5月10日)を認めてくださったことについて、もてなしの心を特徴とするカナリア諸島の人々に感謝します。来月、カナリア諸島を訪問する際に(6月11日)皆様にお目にかかれることを楽しみにしています。
今日(母の日)、すべてのお母様たちに特別に思いを致します。イエスの母であり、わたしたちの母であるマリアの執り成しを通して、すべてのお母様がた、とくに困難な状況にあるお母様がたのために、愛情と感謝をこめて祈ります。ありがとうございます。神が皆様を祝福してくださいますように。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の福音の中で、わたしたちはイエスが最後の晩餐の中で弟子たちに述べたいくつかのことばを耳にしました。パンとぶどう酒をご自身の愛のしるしとしながら、キリストはいわれます。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしのおきてを守る」(ヨハ14・15)。このことばは、一つの誤解、すなわち、わたしたちはおきてを守るなら愛される――わたしたしたちの義が神の愛の条件となるかのように――という考えからわたしたちを解放します。その反対に、神の愛が、わたしたちの義の条件です。キリストが世に対して示されたとおり、わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を認めるなら、神のみ心に従って、真におきてを守ることになります。それゆえ、イエスのことばは、おどしでも疑わしい最後通牒でもなく、関係への招きです。
だから、主はわたしたちに、ご自分がわたしたちを愛したように、互いに愛し合うように命じます(ヨハ13・34参照)。わたしたちのうちに愛を生み出すのは、イエスの愛です。キリストご自身が真の愛の基準であり、規範です。それは永遠に忠実で、純粋で、無条件の愛です。「でも」や「もしかしたら」を知らない愛、所有することを望まずに自らを与える愛、見返りを求めずにいのちを与える愛です。神がまずわたしたちを愛されるので、わたしたちも愛することができるのです。そして、わたしたちは、真に神を愛するとき、真に互いに愛し合うのです。いのちについても同じことがいえます。いのちを与えられた者だけが生きることができます。だから、愛された者だけが愛することができるのです。それゆえ、主のおきては、偽りの愛からわたしたちをいやす生き方です。それは霊的な生き方、すなわち、救いへの道です。
主は、わたしたちを愛するがゆえに、人生の試練の中でわたしたちを独りきりにすることがありません。主はわたしたちに弁護者(パラクレートス)、すなわち「真理の霊」(ヨハ14・17)を約束されます。それは、貧しい人々を虐げ、弱い人々を排除し、罪のない人々を殺害する悪に固執する限り、「世が受け入れることができない」(同)たまものです。しかし、すべての人に対するイエスの愛にこたえる人々は、聖霊のうちに揺るぎない味方を見いだします。イエスはいわれます。「あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたとともにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(同)。それゆえわたしたちはいつどこででも、愛である神をあかしすることができます。この愛ということばは、人間の精神から生まれた観念を意味するのではなく、神のいのちに基づく現実です。この愛によって、万物は無から創造され、死からあがなわれたのです。
イエスは、わたしたちに真の永遠の愛を与えることによって、愛された神の子としての本性をわたしたちと共有されます。「わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる」(20節)。このすべてのものを包むいのちの交わりは、告発する者、すなわち弁護者の敵、わたしたちを弁護する者に反する霊に打ち勝ちます。実際、聖霊が真理の力であるのに対して、告発する者は「偽りの父」(ヨハ8・44)です。それは、人を神と敵対させ、人々を互いに敵対させることを望みます。それは、わたしたちを悪から救い、教会において兄弟姉妹の民として一致させる、イエスのわざと正反対です。
愛する友人の皆様。このようなたまものに対する感謝で満たされながら、神の愛の母であるおとめマリアの執り成しに身をゆだねたいと思います。
