
2026年6月28日(日)、年間第13主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語とスペイン語で次のように述べた。 親愛なる兄弟姉 […]
2026年6月28日(日)、年間第13主日の正午に教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。(以上イタリア語。以下スペイン語)
先日発生した地震により多数の犠牲者を生じ、甚大な物的被害を受けたベネズエラの兄弟姉妹の皆様に寄り添います。亡くなったかたがたの永遠の安息を主に願うとともに、ご遺族と怪我をしたかたがた、この悲劇に見舞われたすべての人々にあらためて霊的に寄り添います。捜索と救助活動に惜しみなく尽力しておられるすべての人々に感謝と激励の意を表します。
ベネズエラ北中部では現地時間6月24日(水)午後6時4分とその直後にマグニチュード7.2と7.5の大地震が連続して発生し、6月29日、ベネズエラ議会のデルシー・ロドリゲス議長は死者が1719人に増えたことを明らかにした。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の福音(マタ10・37-42)でも、わたしたちは、自分に従い、自分の国の証人となるようにというイエスの勧告を耳にします。それは何らかの外的な行為ではなく、イエスとの愛の関係に自分を完全にささげることを意味します。そして、愛は実を結ぶために少なくとも三つのことを求めます。〈離脱すること〉、〈失うこと〉、〈受け入れること〉です。
まず〈離脱すること〉です。イエスはいわれます。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(37節)。主は使徒たちを宣教へと派遣し始めたときから、彼らをあらゆる束縛から解放しようと望みます。しかし、もっとも重要な愛情も、キリストがわたしたちに与えてくださる愛によって満たされるということ――このことはすべての人に当てはまります。たとえば結婚生活のことを考えてみてください。結婚生活を完全に生きることは、婚姻関係を始めるために父母の家を離れることによって初めて可能となります(マタ19・6参照)。また、子どもの成長のことを考えてみてください。わたしたちは、子どもたちが「自分の足で立ち」、自分で選択を行うことができるように教育することによって、彼らが自己実現し幸福となるのを助けます。聖アウグスティヌスはいいます。「愛する者から離れるのは辛いことである。しかし、農夫も自分の蒔いた種を一時的に失うのである」(『説教』[Sermo 330, 2])。大地に投じた種を「失う」ことによって初めて、それが花開くのを見ることが可能になります。
この意味で、愛するとは〈失うこと〉です。とくに失うことが弱さであると思われ、所持し所有することに執着する現代において、このことを理解するのは困難に見えます。しかし、愛は自分を与えることによって初めて実を結びます。すなわち、他者に場を与えるために進んで自分を少し失うことによって。友人に耳を傾けるために少しの時間を失うことによって。困難な状況を共有するために少しの安楽を失うことによって。福音はいいます。自分のためにいのちを取っておく人は、実際にはいのちを失います(39節)。なぜなら、その人は愛の喜びに心を開かず、不毛な者となるからです。だからイエスは十字架を受け入れるようにわたしたちを招きます。イエスはご自分をささげ、ご自分を失いました。それによってわたしたちはいのちを豊かに受けることが可能になりました。同様に、わたしたちも、贈与の論理を生きるならば、わたしたちの関係において新しいいのちを生み出すことが可能になります。
最後は〈受け入れること〉です。実際、愛は、具体的な選択と行動によって、すなわち、渇いた人に一杯の水を飲ませるといった日々の小さな行いによって表されます。イエスは弟子たちを自分の前に派遣するにあたり、金(かね)をもたずに行くこと、すなわち貧しくあることを彼らに求めます。それは、こうすることによって彼らと出会う人が受け入れる心を抱くことを可能にするためです。こうしてイエスの名によって来た人を受け入れることによって、イエスとイエスを遣わした天の父を受け入れることになります。主への愛はつねに兄弟を受け入れることを伴うのです。
愛する友人の皆様。失うことを知りながらも御子を愛されたおとめマリアに祈ります。マリアの助けによって、わたしたちがキリストの愛の謙遜で喜びに満ちた証人となることができますように。
