教皇レオ十四世、2026年8月2日、「お告げの祈り」でのことば

2026年8月2日(日)、年間第18主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、スペイン語とイタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆 […]

2026年8月2日(日)、年間第18主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、スペイン語とイタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。(以上イタリア語。以下スペイン語)

 セウタの憂慮すべき状況を懸念をもって見守っています。アフリカの聖母の執り成しを通して、平和と安定と正義をもたらす解決策が見いだされることを神に祈り求めます。(以下イタリア語)

 平和のために祈り続けたいと思います。世界において戦争が終わり、紛争に外交的な解決策が見いだされますように。敵対行為のすべての犠牲者、とくにもっとも弱く無防備な人々――子ども、高齢者、病者――を心に留めます。主が苦しむ人々を慰め、助けと慰めをもたらす人々の働きを祝福してくださいますように。

 この数日間(7月29日―8月3日)、「アッシジのゆるし」が記念されています。聖フランシスコは、ポルツィウンクラで祈っていたときに見た、天使たちに囲まれたイエスとマリアの幻に導かれて、1216年に教皇オノリオ三世からこの免償を与えられました。この偉大なたまものを与えてくださったことを主に感謝しながら、とくに、1226年10月3日にまさにこのポルツィウンクラで没したアッシジの貧者の「逝去」800周年にあたり、この免償を大切にしたいと思います。

北アフリカのスペイン領セウタに隣国モロッコから数日間で数万人の移民が押し寄せ、スペインのフェルナンド・グランデ・マルラスカ・ゴメス内相によれば8月1日までにほぼ全員が退去したが、同内相の発表によれば少なくとも67人が死亡した。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 福音書に耳を傾けるとき、わたしたちはしばしばイエスが行ったしるしについて語られるのを耳にします。このしるしは、イエスのわたしたちに対する特別な献身、すなわちイエスが世にもたらした救いを示すわざです。主は、人生に意味を与え、わたしたちを悪と罪から解放してくださるかたとして思い起こされます。

 キリストは、目の見えない人に視力を、耳の聞こえない人に聴力を与えることによって、力あるわざを行うだけでなく、神の国が近づいたことをすべての人に告げ知らせます。それゆえ、今日の福音(マタ14・13-21)は、イエスが感覚を失った人に感覚を取り戻させるだけでなく、わたしたちの感覚をよいもので満たしてくださることをあかしします。主は聴力を取り戻した耳の聞こえない人に、その人が聞くべき福音を語り、視力を取り戻した目の見えない人に、ご自身によって成し遂げられたすばらしいあがないのわざを示します。同様に、イエスは飢えた人に食物を与えます。パンの増加の記事は、主との出会いがわたしたちを養う経験であることを示します。キリストは、荒れ野というわたしたちが困窮する場所におけるいのちのパンです。キリストとともにいれば、必要なものが豊かに与えられます。「すべての人が食べて満腹した」。そして、残ったパン屑は「十二の籠いっぱいになった」(20節)。この十二という数字は、主のたまものがすべての人のためのものであり、わたしたちに対する主の摂理が尽きることがないことを明らかにします。

 愛する友人の皆様。キリストは真に、人類の飢え、すなわちわたしたちの真理といのちへの飢えを満たしてくださいます。同時に、キリストのわざは、分かち合うなら何ものもむだにならないことをわたしたちに教えます。これに対して、蓄積と浪費は、貪欲という同じ悪の裏と表です。この霊魂の病は、富に酔うことによって感覚を失わせ、飢えと渇きに苦しむ人々のことを忘れさせるまでに至ります。こうして、朽ちるものがあり余っている最中に、食べるものがない人々の手が差し伸べられ、平和を奪われた人々の家が焼かれるのです。

 わたしたちは、戦争と傲慢の荒れ野の中で、主がどれほどのいつくしみをもって「天を仰ぎ」、「賛美の祈りを唱え」、「パンを裂いて弟子たちにお渡しにな」り、群衆に配らせたかを目の当たりにします(19節参照)。わたしたちはこの愛の奇跡のうちに、最後の晩餐において頂点に達するイエスの典型的なわざを見いだします。実際、そのとき神の子は、わたしたち人類の兄弟として、ご自身のいのちをわたしたちにお与えになります。聖体の恵みを味わったわたしたちは、家族と友人の間でパンを分かち合うときの食卓の祝福から始めて、日々の生活の中で聖体のすばらしさをあかししようと努めようではありませんか。イエスとともに歩むなら、困窮する隣人に手を差し伸べることによって、休暇も穏やかな兄弟愛に満ちた時となります。

 それゆえ、気遣いに満ちた母であるおとめマリアに願います。わたしたちが愛において成長し、だれも日ごとの糧に事欠くことがありませんように。

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