教皇レオ十四世、2026年8月9日、「お告げの祈り」でのことば

2026年8月9日(日)、年間第19主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、英語とイタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。( […]

2026年8月9日(日)、年間第19主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、英語とイタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。(以上イタリア語。以下英語)

 スーダン、とくにエル・オベイド市における悲惨な状況を、懸念をもって見守り続けています。スーダン国民の皆様に霊的に寄り添うとともに、民間人のための人道回廊を確保するよう当局者にあらためて訴えます。同時に、国際社会に対して即時停戦をもたらすための努力を支援するように求めます。主が苦しむ人々を支え、暴力の種を蒔く人々の心を回心させ、人々が長く待ち望んでいる平和を与えてくださるように祈りましょう。(以下イタリア語)

 ウクライナとロシアにおいて罪のない人々が殺害され、傷つけられていることに関する悲しむべき知らせが引き続き届いています。悲惨な出来事が継続するばかりか増加し、子どもを含む民間人がますます犠牲となっています。犠牲者のご家族、けがをした人、現在の紛争によって苦しむすべての人に寄り添います。このような苦しみを前にして、あらためて心から訴えます。人道法を尊重し、両国ともに民間人を標的にした攻撃をやめてください。戦争はさらなる戦争を生み出し、甚大な苦しみをもたらすだけです。今こそ暴力の連鎖を断ち切り、平和への道を開く外交と対話を再開すべき時です。

終わりにイタリア語で次のように述べた。

 教育や親睦を深める活動のために休暇の日々を過ごすことを選んだ多くの若者のグループがいることは、希望のしるしです。先週の木曜日(8月6日)にアッシジで出会うことができたフランシスコ会の霊性を生きる若者の集会もその一つでした。

 わたしのことばを聞いている若者の皆様に、この数日間の典礼暦がすばらしい聖人たちの姿を示していることを思い起こしていただきたいと思います。これらの聖人のことをもっとよく知ってくださるようにお願いします。昨日(8月8日)は、説教者修道会の創立者である偉大な聖ドミニコ。今日(8月9日)は、アウシュヴィッツで殺害された、ヨーロッパの共同守護聖人である、カルメル修道会修道女の十字架の聖テレジア・ベネディクタ(エディット・シュタイン)。明日(8月10日)は、ローマ教会の助祭の聖ラウレンツィオ。明後日(8月11日)は、同じアッシジ生まれの聖フランシスコの模範に従って、貧しく謙遜なイエスに従うために安楽な生活を捨てた、アッシジの聖クララです。親愛なる若者の皆様。これらの福音の証人に心を奪われてください。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 今日の福音は、イエスがガリラヤ湖で水の上を歩いて嵐のただ中にいる弟子たちのところに行かれたことについて語ります(マタ14・22-33参照)。

 パンと魚の奇跡(マタ14・13-21参照)の後、師であるかたは弟子たちに、舟に乗って沖に出るように促します。一方、ご自身は、一人で祈られるために山に登られます。しかし、岸から離れたところで、弟子たちは風にあおられ、進むことができなくなります。驚くべきしるしの主人公となるという成功体験の後、今や弟子たちは、波と向かい風の脅威を前にして無力感と恐怖に再び襲われます。

 イエスは世が明けるころ、荒れ狂う水の上を弟子たちのところに来られます。すると恐怖に駆られた弟子たちはイエスを幽霊と見間違えます(26節)。しかしイエスは彼らにいわれます。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(27節)。主の存在はすべてを変えます。するとペトロは波の上を数歩歩いてイエスに近づこうとします。その後、彼が恐怖のあまり沈みかけると、イエスはペトロを救い上げます。その後、師であるかたが舟に乗り込むと、嵐は静まります。そこで弟子たちの心から自然に信仰告白のことばがほとばしり出ます。「本当に、あなたは神の子です」(33節)。

 そこに至るには、奇跡を目の当たりにしたり、人々の前で成功を収めたりするだけでは不十分です。弟子たちは自分の弱さを経験し、その弱さのうちに神の存在を見いださなければなりません。このようにして初めて、弟子たちは真の意味で神の近さに目と心を開き、嵐のただ中でも平安を見いだすことができたのです。

 その後しばらくたった後、ある日、イエスは弟子たちにいわれます。「あなたがたも信仰をもち、疑わないならば、〔……〕この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』といっても、そのとおりになる」(マタ21・21)。まさにこのことを弟子たちは湖の上で経験したのでした。山の上で祈っておられたイエスの平和が、荒れ狂う水の上で弟子たちのところにやって来たのです。

 ところで、この奇跡はわたしたちに重要なことを教えてくれます。まず第一に、成功によって思い上がらず、自分を過大評価してはならないということです。同時に、暗闇の中で、さまざまな問題に対して無力感を覚え、努力しても前進するどころか後退しているように思われるときにも、絶望してはならないということです。どんな状況にあっても、イエスがわたしたちを見捨てることはありません。祈りと、秘跡と、みことばを聞くことによって、わたしたちの人生の舟にへりくだってイエスを迎え入れるならば、わたしたちはイエスのうちに平安を、すなわち旅路のための光と力を見いだします。

 その信仰によって幸いなかたと宣言されたマリアが(ルカ1・45参照)、わたしたちが神に信頼をもって身をゆだねながら生きることができるように、助けてくださいますように。

PAGE TOP