教皇レオ十四世、2026年8月23日、「お告げの祈り」でのことば

2026年8月23日(日)、年間第21主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。  わ […]

2026年8月23日(日)、年間第21主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 わたしは祈りの中でしばしばコンゴ民主共和国のことを、とくに残念ながら多くの犠牲者を生み出しているエボラ出血熱の蔓延のゆえに思い起こします。多くの人命を救うため、地域社会に予防活動にかかわらせることを含めた、国際社会の応答を促します。

 ザンボイ鉱山における崩落事故の犠牲者を悼む中央アフリカ共和国の人々にも寄り添います。主がいのちを落とした人々を受け入れ、鉱山の安全と合法性を確保するための人々の努力を支えてくださいますように。

 明日で、イタリア中部のラツィオ、ウンブリア、マルケ各州を襲った地震から10年となります。亡くなったかたとその家族、被災したすべての地域社会のために祈ります。信仰と連帯が復興活動を支え続けますように。

8月18日(火)午前、中央アフリカのカメルーン国境に近いナナ・マンベレ州ザンボイ村の金鉱山で崩落事故があり、19日(水)、救助活動を行う赤十字のボランティアと地元当局者は死者数が100人を超えたことを発表した。
2016年8月24日午前3時36分(日本時間午前10時36分)にイタリア中部ペルージャ県ノルチャ付近を震源として起きたマグニチュード6・2の地震(イタリア中部地震)では298人が死亡した。

 
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 今日の主日の福音(マタ16・13-20)は、信仰の旅路を歩むわたしたち一人ひとりに向けられた問いにわたしたちを直面させます。――イエスはわたしにとって本当にいかなるかたか。

 福音の記事から、この問いかけが弟子の経験にとってどれほど決定的に重要であるかが理解できます。実際、十二使徒は師であるかたの生活と職務をすでに共有していました。にもかかわらずイエスは、使徒たちがご自身のことを真に知り、神の国の神秘を理解することが当然のことだと考えませんでした。そこでイエスは、人々がご自身についてどういっているかについて問うた後、使徒たちに直接問いかけます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」(マタ16・15)。

 兄弟姉妹の皆様。これはすべての時代の弟子、またわたしたち一人ひとりにとって根本的な問いです。実際、信仰は一度かぎりで与えられるものではありません。反対に、わたしたちはつねにキリストのみ顔とその福音を再発見し、その使信の理解を深め、あらためて自分の生活に関する選択を行わなければなりません。それは、わたしたちが自分の告白することと首尾一貫した者となり、自分がすでにすべてを知っているという誘惑や、信仰を単なる習慣にしてしまう誘惑に打ち勝つためです。

 わたしたちに日々問いかけられる問い――イエスはわたしにとっていかなるかたか、わたしの人生におけるイエスの存在の意味は何か――は、とくに祈りの中で、また福音を黙想するときに生じます。しかしそれは、兄弟の傷と困窮を目の当たりにしたときや、わたしたちの良心に問いかける人間関係や状況の中でも生じます。要するに、わたしたちは生活の現場の中で、主イエスが重要なことを語り、また行った歴史上の偉人にすぎないのか、それとも、わたしたちを御父の愛へと歩み入らせ、わたしたちの人生とわたしたちが生きる世界を変革するために遣わされた神のキリストであるかを確認することができるのです。

 愛する友人の皆様。自分の信念や宗教的な確信に閉じこもらず、キリストとの真の関係に心を開き続けることを学ぼうではありませんか。わたしたちは時として、キリスト教信仰に関して、「伝聞」や決まり文句、たとえ善意によるものであっても人から伝えられたことに満足してしまうことがあります。しかしイエスは、わたしたちが個人的に応答し、イエスを身近に知り、つねに新たな出会いを通じてイエスとの友愛によって自らを深めるようにと招きます。この出会いは、わたしたちが思いもよらない道を歩み、想像していたのとは異なる選択を行うように求めることもありえます。このことはわたしたちの個人的な歩みにも、教会の歩みや司牧的選択にもいえます。司牧的選択において、わたしたちは時として、いつもしてきたのと同じようにすれば十分だと考えることがあるからです。しかし、しばしばこう自問することは重要です。――わたしにとって主はいかなるかたか。わたしは本当に主を知っているか。福音は今日、わたしに何を求めているのか。わたしはどのように歩み、どのような選択をなすべきかと。

 御子を通して心のうちで神のみ旨を尋ね求めたおとめマリアに願い求めます。マリアがわたしたちの信仰の歩みをつねに導いてくださいますように。

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